第三話 訃報
データが一度吹っ飛んだため遅くなりました。申し訳ございません。
2022年6月16日(木)
AM 11:25
東京都世田谷区玉川田園調布
東京都立第八高等学校
2階・職員室
side 秋津瑠衣
私は職員室にいた。
担任の教師に引きずられて無理矢理連れてこられたのだ。
何故かは分からない。しかし、担任の顔が青い事からして、これから良いことが起こるとは思えなかった。
担任は少し校長と話をした後私の前に戻ってきて、沈痛な面持ちで告げた。
「……秋津、落ち着いて聞いてくれ。お前のお父さんとお兄さんが、お亡くなりになられた」
え?
何、って?
「え?」
「信じられないのも無理はない。だが、事実なんだ」
父さんと兄さんが、死んだ?
「つい先ほど、自衛隊から連絡があってね。お二人とも、戦死したそうだ。遺体はまだ見つかっていないそうだが、状況からして死亡したのは確実だと」
落ち着け。とりあえず落ち着け。兄さんは小隊長、父さんは師団長だ。
仮に兄さんが死んだとしよう。それはまだ納得できる範疇だ。兄さんは前線勤務だから、命の危険が降りかかることもあるだろう。しかし、父さんが何故死んだ? 師団長なんて最後方にいるべきポストではないか。
「え……何で、ですか?」
「詳しい話は俺も聞いていないんだ。ただ、東部方面総監だとか言う人の携帯番号を貰った。秋津に後で電話して欲しいそうだ。そこで詳しいことは話す、と」
そう言いながら担任は私にメモ用紙を手渡した。そこには080から始まる11桁の数列が書かれていた。恐らくこれが携帯番号なのだろう。
でも、東部方面総監って陸将のポストだったはず……つまり、幕僚長たる将を除けば陸自の中で最高位に位置する階級だ。確か父さんも師団長だったから陸将ではあるはずだけど、師団の上級司令部に位置する方面隊総監なら父さんよりも格上だ。
もしガセではないのなら、父さんが死んだ可能性は一気に上昇する。
「……そうですか」
「ご家族を一遍に亡くして、辛いだろうが、心を強く持ってくれ。決して早まったりはしないでくれよ」
いや、先生がこんなに辛そうな顔をしているんだ。二人が死んだという確たる証拠があるのだろう。
そう、父さんと兄さんは、死んだのだ。
私には既に親戚はいない。母さんは4年前に脳溢血で死んでいるし、祖父母はどちらとも死んでいる。叔父叔母はもともといない。伯父伯母は事故で死んでいる。
遠縁の親戚なら捜せばいるかもしれないが、そんな一度も会ったことすらない人と暮らす気などない。
「はい。分かっています」
「……だが、少しは心を整理する時間が必要だろう。今日の所は帰ってもいいぞ」
「いえ、いいです。クラスメートに心配させたくないです。その代わりに、昼休みくらいまで休憩させて貰えますか。少し頭が痛いので」
「……ああ。分かった。保健室に行って来い。無理だと思ったらすぐに帰っていいからな」
正直なところ、ここで家に帰って一人悶々とするよりも、人の目がある所にいたかった。
でも、こんな状態で教室に戻れば確実に皆に心配されるだろう。
だから少しでも休んで気力を回復させようと思ったのだ。
「失礼しました」
私は先生に一礼して職員室を後にした。
扉を出た瞬間、目が潤んでいるのに気がついた。
まだ泣いてはいけない。今泣けば、教室に戻れなくなってしまう。
私は制服で涙を拭って、保健室へと向かった。
五時間目の予鈴が鳴る少し前、私は教室に向かって歩いていた。
結局、今日の昼食は抜きだ。保健室で寝ていたらいつの間にかこんな時間になっていたのだから仕方ないだろう。
教室の扉の前に立ち、扉を右にスライドさせる。
既に大方の生徒は教室に入っているようだ。
部屋の中に入り、私は自分の席を目指そうとする。
しかし、突然横から声が掛けられた。
「おい、何があったんだよ。大丈夫か?」
声を掛けてきたのはアイツ、永崎裕哉だった。
どうやら私は簡単にそれと分かるほど憔悴しているらしい。
ごまかさなくては。こういうときコイツは妙に勘が働くんだから。
「ゴメン、何でもないの。ちょっと、頭痛くなっちゃってさ。でも、大したことは無いから大丈夫だよ、あはは」
ちょっとわざとらしすぎたか。もしかしたら失敗したかもしれない。
「おい。もしかして、慶一さんになんか……」
ばれてた。
あまりにも分かり易すぎたのかもしれない。
まずい。兄さんの名前を聞いたら突然、頭が真っ白になった。
「あったの……」
そして私は反射的に叫んでいた。
「来るな!」
と。
一番警戒していた幼馴染に見破られた悔しさと、兄さんの名前を聞いた事による感情の急激な乱れが原因なのだろう。
私は溢れ出る涙を抑えることも出来ずに教室の外へと駆けだしていた。
私はいつの間にかこの学校で一番高い場所、屋上に来ていた。
昔、父さんに『嫌な事があったら空を見ろ』と言われたからか、ただ単に何となく来ただけか。
それは分からないけれど、私は既に自分の感情を制御することが全く出来ていなかった。
涙は止めどなく溢れ、嗚咽は止めようとしても止まらず、フェンスにもたれ掛かってたた泣きじゃくることしか出来なかった。
今日の未明までは確かに生きていた。二人とも、生きていた。
こんなに簡単に、そしてすぐに、人は死んでしまうのか。
私は、これからどうすればいいのだろうか。
もう、家族はいない。全員、死んでしまった。
天涯孤独、というのはこういうことなのだろうか。
「おい。こんなところで何してるんだよ」
後ろから声が掛けられた。まあ、最初から分かっていた。コイツなら確実に追いかけてくると。
「……別に。アンタには関係ないでしょ。私がどこに行こうが」
私は必死で平静を装いながら裕哉に答える。
「関係なくはねえな。それに、仮にも十数年の付き合いなんだし、何があったのかは分かるよ」
「……そ。なら当ててみなさい」
コイツが本当の答えを分かる筈が無い。状況からして兄さんになにかが起こったと言うことは容易に推測できるけれど、父さんまでは繋げられないはずだ。
「……慶一さんと、親父さんが死んだんだろ?」
……何で? 何で分かったの?
「……どうして、分かったの?」
「お前の取り乱し方を見てたら分かるよ。お前、メンタルは妙に強いからな。正直、慶一さんか親父さん、どっちか片方が死んでも、みんなの前では平気な顔してると思う。あんなに叫ばれれば、何となくは分かるよ」
「……そう。私のことは何でもお見通し、ってわけ」
「ああ。言っただろ。十年以上の付き合いだって。……それで、お前、どうするんだよ?」
「どうする、って?」
「これからのことだよ。葬式も挙げなきゃいけないだろうし、その後どうやって生活するんだよ」
そう言えばそうだ。全く考えてもみなかったが、父さんや兄さんは交流のある人間もそれなりに多いだろうし、親戚がいないといっても葬式ぐらいは挙げなければいけない。まあ、それ以前に遺体の回収が出来るかが最大の問題だと思うが。戦死と言うからには戦闘で死んだのだろうし、師団長の父さんが死ぬということは司令部付近で大規模な戦闘が起きたのだろう。恐らく、扱いとしてはMIA(作戦行動中行方不明)になっているはずだ。
そんな状況なら仮に何か見つかったとしても鑑別がまともに出来るかも怪しい。
それに、よく考えれば兄さんや父さんと交流がある人物なんて小中高の同級生などを除けば全員自衛官だろう。
このような非常事態で葬式に参列出来るとは思えない。しばらくは延期すべきだ。
「お葬式はしばらく挙げないわ。どうせまだ遺体も上がってないでしょうし、行きたくても行けない人が多いのは困るからね。あと、これからの事なんてまだ分からないわよ。まだ、父さんと兄さんが死んだことさえまともに受け止められてないんだから。……まあ、一人寂しく保険金で一人暮らし、って所かしらね。その前に後見人?みたいなのを探したりいろいろ面倒ごとはあるだろうけどね」
「そうか。……、……まあ、無理するのは止めろよ。みんなも見てて辛いだけだろうからな。今日はもう帰れ。授業に戻っても気まずいだけだろうからな。先生には俺から言っとくよ」
何か言いたそうな間の開け方だったが、とりあえず私は裕哉の好意をありがたく受け取っておく事にした。先生からはもういつでも帰っていいと言われているし、こんな状態では授業も部活もまともに参加できるとは思えない。
「分かったわ。今日は帰る。アンタは早く教室に戻りなさいよ。もう授業始まってるんだから」
「……分かってるよ。寄り道とかはすんなよ。まっすぐ家に帰るんだぞ」
「そんなこと分かってるわよ、バカ。もうちょっとしたら帰るから」
「じゃあな」
そんな会話を交わした後、屋上の立て付けが悪い鉄扉が閉まる音が聞こえた。
どうやら教室に戻ったらしい。
私も、家に帰ろう。
私はフェンスから手を離し、扉に向かって歩き始めた。
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