第二十二話 邂逅
2022年7月28日(木)
AM 11:45
大阪府泉泉南郡田尻町
関西国際空港国内線到着ロビー
side 夏目優華
私は今とてつもなく疲れていた。
2年か3年ぶりに大阪の土を(実際は岩の塊なのだが)を踏んだにも関わらず、何の感慨も湧いてこない。
それもそのはずだ。
朝の5時半に起きて色々準備して6時30分頃には家を出て駅に向かい、何度も乗り継ぎをして松山空港に到着、ゆっくりする暇もなく飛行機に乗り込んで飛び立ったかと思えば徳島か何処かで風にあおられて着ないが揺れまくったのだ。
誰でも憔悴するに決まっている。
なのにあのスポーツ馬鹿の梨夏は涼しい顔で炭酸飲料を飲んでいた。
梨夏の幼馴染だと言う高一の……和樹とか言ったっけ?……は今にも吐きそうな表情で俯いている。
高一といえば、昔東京に居たときよく遊んでいた友達も今高一のはずだ。
一体どうしているのだろうか?
そんなことを考えながら顔を上げ、辺りを何となく見回すと……吐き気のせいで口に溜まっていた唾を吹き出しそうになった。
私が見たのは到着ロビー内の自動販売機でジュースを買っている2人の少女と一人の少年の姿だった。
全員が大きなボストンバッグを持っており、少女の一人が持っているボストンバッグのファスナーには、フェルト製のウサギのぬいぐるみが取り付けられていた。
かなり煤けてぼろぼろになっているが、あれは確実に私が引っ越しするときに幼馴染の一人に渡した物だ。
秋津瑠衣。
名前は確かそうだったはずだ。
雰囲気も私が覚えている『秋津瑠衣』に似ている。
でも、もしそうだとして何故こんなところに?
……いや、確かめるのが先だ。
もし人違いなら謝ればいいし、本当にそうならば6年ぶりの再会になる。
私はロビーのソファから立ち上がり、自動販売機へと向かう。
「ちょっとアンタどこ行くのよ」
梨夏が制止の声を上げた。
「ごめん。昔の知り合い見つけたかもしれへんからちょっと声かけてくる」
私は自販機からメロンソーダを取り出している少女の肩を叩いた。
「ちょっとごめんやけど、アンタの名前教えてくれへんか?」
突然訳の分からない大阪人に声を掛けられたのに面食らったのか、少女は一瞬ポカンと口を開け、私に尋ねてきた。
「えっと、どちら様ですか?」
ここで自分の名前を答えても多分思い出して貰えないだろうし、もし誤爆だった場合大惨事になってしまう。
私はそう考え、言った。
「アンタの名前、秋津瑠衣で合ってるか?」
少女は驚愕と疑問が混ざったような表情で私に聞いた。
「……どうして私の名前を知ってるんですか?」
「夏目優華、って覚えてへんか? 私の事やけど」
私の言葉に少女……瑠衣は訝しげな顔で考え込み始める。
それに対して一緒にいた少年が割り込んだ。
「それって、昔俺の家の向かいに住んでた『ゆーちゃん』の事じゃないか?」
少年の言葉で瑠衣は私の事を思い出したらしい。
「本当にあなたは『ゆーちゃん』なの?」
「そうや」
瑠衣は少しの沈黙の後、私に質問してきた。
「……私の家の合鍵はどこに隠してある?」
自分と幼馴染の名前を知っているだけではまだ本人であるかは分からないし、信用出来ない、と言うことだろう。
「犬小屋の隣にあるラベンダーの植木鉢の水受け皿」
「私が小学生の頃飼っていた犬の種類と名前は?」
「ラブラドールレトリバーでノワール」
「小学校低学年時代の私にとって最大のトラウマは?」
「ランドセルからゴキブリが3匹出てきた事」
「……ホントにゆーちゃんみたいね。で、アンタが到着ロビーなんかで何してんのよ? 旅行でも行ってた?」
どうやら私がまだ大阪に住んでいると思っているらしい。
「いや、今は私愛媛に住んでるねん」
「ってことはまた引っ越ししたの? ……それと、いつの間にアンタは濃い大阪弁キャラになったのよ」
「大阪におった時に完全に染まってしもうたからや。今は標準語まともに喋られへんわ」
「あーそう。それより、愛媛に住んでるアンタがどうして大阪なんかにいるのよ」
「それはこっちの台詞やわ。何で瑠衣姉がここにおるん?」
「瑠衣姉って、懐かしい呼び方ね。私は、ちょっと……ちょっと、信太山って所に行こうと思ってね」
瑠衣は少し逡巡した様子でそう言った。
東京からわざわざ大阪まで来て、目的地が信太山?
あそこには特に観光資源なんて無いただの田舎だし、瑠衣の親戚に大阪住まいがいると言う話も聞いたことがない。
ただ一つあるとするならば、旧陸上自衛隊信太山駐屯地。
今は戦争のせいで全く使われていない、実質的な用途廃棄になっている駐屯地だ。
そこに行く用事があるとするならば、私たちと同じく、国防軍の少年志願兵課程に合格した人間だ。
まだ信太山に知り合いがいて遊びに行く、などと言う可能性も否定できないが、十中八九それだろうと私は考えていた。
一度こちらから話を振ってみようか。
「そうなん? 私らもこれから行くねん、信太山」
瑠衣の目に一瞬疑問の光が宿った。
「……ふーん。ってことは、もしかして駐屯地でも行くつもり?」
「そうや、あそこにいる二人と一緒にな」
私は梨夏と和樹がいるベンチを指さしてそう言った。
「……あの、お二人さん? 俺たち完全に置いてけぼりなんですけど……」
瑠衣がそれに反応する直前、横から声が掛けられた。
「あんた誰や?」
私は反射的に答えていた。
声を掛けてきた少年は微妙に悲しそうな目をしながら私に言った。
「瑠衣の事は覚えているのに俺のことを忘れてるってのはちょっと残酷だと思うんだけど」
ん?
……つまり、昔私と親交があったと言うこと?
そういえば東京にいたとき、瑠衣の他にもう一人遊び相手がいたような……
「もしかして、裕兄か?」
少年は安堵したような表情で私に頷く。
「そうだよ。瑠衣に助け船を出したのは俺だって言うのに二人とも完全にスルーするし、なんでこんなに酷い仕打ちを受けなきゃいけないんだよ……」
裕哉が愚痴り始める。
完全にハブられていることにショックを受けていたらしい。
「……あー、ごめんな。瑠衣姉を見つけたんもウサギのおかげやし、そっちにばっかり目が行ってしもうて気づかんかったわ」
「ウサギ? ああ、引っ越しの時のぬいぐるみか。まあ、意図して無視してなかったんなら別に良いよ。……あと瑠衣、朝日さんが話について行けるとかそういうレベルを超越して完全に無視されてるんだが」
裕哉が瑠衣に向かって言った。
朝日さん、というのは裕哉の横で麦茶のペットボトルを間もなく空にしようとしている中学一年くらいの少女の事だろうか?
最低でも私が知っている人物で無いことは明らかだ。
それに、裕哉がさん付けをしていると言うことは会ってからそれほど時間が経っていないのだろう。
「あ、ごめんね美春。話に夢中になっててさ、完全に無視してた」
美春と呼ばれた少女は遠慮がちに首を振る。
「い、いえ、私は大丈夫です。瑠衣さんの古くからの友達みたいなので、全然大丈夫です」
古くからの友達なら何が大丈夫なのかはよく分からないが、本人がそう言うのなら多分問題はないのだろう。
「そう? ごめんね。……まあ、駐屯地に行くってことはアンタも軍に志願したの?」
「そうや。そんで何とかⅠ種(少年准士官・下士官養成課程)で合格して、大阪に来た、ちゅう訳」
「私たち三人も同じよ。軍に志願して今日が入隊日だったから飛行機でここまで来たの」
と言うことはこのちっこい少女もⅠ種に合格したということだろうか?
Ⅱ種(少年兵養成課程)はともかくⅠ種は確か18倍の倍率だったはずだ。
それ以前によく身体検査でOKが出たな。
「私らも同じく三人で来たんや。あそこの二人とな」
さっきは割り込みのせいで流されてしまったのでもう一度言ってみた。
瑠衣はしばらく私が指さした二人を見た後、質問を振ってきた。
「あのさ、女の子の方って、剣道やってたりしない?」
何故そんな質問をしてきたのかは分からないが、とりあえず梨夏が剣道をやっていたという記憶は無い。
そもそも梨夏は閉所での蒸し暑さに対する抵抗力が全くない。
あんな防具の中で燻製にされるようなスポーツが出来るとは思えなかった。
「いや、多分やってへんと思う」
「……3~4年前に雑誌で見たことがあるような気がするんだけど……名前何だったっけ……?」
瑠衣はしばらく考え込み、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
「岩波……じゃなくて、岩崎でもなくて、岩城……違う……」
名字の最初の文字が岩だということだけは分かっているようだった。
確か、梨夏の名字は岩瀬だった。
……もしかすると、本当にビンゴなのだろうか?
「……もしかして、岩瀬って名前か?」
「そう、それよ!」
瑠衣はやっと思い出したと手を叩き、私に尋ねる。
「ってことは、あの子の名前って……」
「確かに岩瀬、って名字や」
「間違い無いわ。4年前に見た剣道雑誌のインタビューに載ってた子よ。『天才少女剣士』ってタイトルでね」
「いや、でも今陸上部やで?」
私にも疑問が膨らんできた。
恐らく瑠衣の中では顔が完全に一致しているんだろう。
確かに私が転校してくる前に梨夏が剣道をしていた可能性はある。
でも、雑誌の取材を受けるほどの腕前だったとは思えない。
それなら中学に入っても剣道部にいるのが自然だし、怪我などで引退したとすれば陸上部になど入れる筈が無い。
「陸上部? ……まあ、とりあえず確認したいから、呼んできてくれない?」
私も少し知的好奇心が揺さぶられたので梨夏を呼ぶことに異存は無かった。
「分かった、呼んでくるわ」
私は梨夏と和樹がいる場所へと歩いて行き、梨夏に聞いた。
「梨夏、あんた昔剣道とかやっとった?」
唐突な質問に梨夏は驚いた様子だったが、首を縦に振った。
「ええ、やってたけど。中一の夏頃まで。それがどうかしたの?」
中一の夏頃、と言うことは私が宇和島に来る数ヶ月前ということか。
「なら、剣道やっとった時に雑誌のインタビューとか受けたか?」
「……小六の時に受けたと思う。あんまり覚えてはないけど。で、それがどうかしたの?」
完全にビンゴ、大当たりだった。
4年前と言うことは梨夏は小学校六年生の時だ。
つまり、瑠衣の記憶とほぼ一致している。
「いや、私の友達が梨夏の顔知ってるって、雑誌で見たって言うとったからちょっと確認に来たんや」
「優華の友達ってさっき喋ってた人のこと? ……あのさ、私もあの人見たことあるんだけど……」
梨夏は瑠衣の方を少し見た後、微妙に強ばった顔で私に告げた。
もしかして昔会ったことがあるのだろうか?
でも、瑠衣は雑誌で見たって言ってたはずだ。
「あの人、多分全中の剣道部門の優勝者だと思う」
全中とは全国中学校体育大会の略で、所謂全国大会だ。
そして、梨夏の言った言葉が真実だとすれば瑠衣は剣道で全国優勝していることになる。
あー、最早訳が分からない。
つまるところ二人とも会ったことは無いが顔は知っていて、どちらとも全国的に有名な剣道選手、ということなのだろうか?
……もうどうでもいいや。
とりあえず目的地が同じだと分かった以上、一緒に行って、少しずつ疑問を解消していこう。
私は梨夏の手を引いて、瑠衣のいる方向へと向かった。
和樹はそれに気づいて慌てた様子で私たちに付いてくる。
「ちょっと、何するのよ」
梨夏が文句を言うが、私は気にせず歩く。
まあ、同じ場所で訓練を行うと分かった以上、今のうちに親睦を深めておくのは悪いことでは無いはずだ。
いつかは戦友になるのだろうし。
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