第十七話 悪魔の炎はただ一筋の光となりて
2022年7月20日(水)
PM 3:40
東京都千代田区永田町
首相官邸地下一階・危機管理センター
side 日本国総理大臣・永澤和寿
核の準備が出来たという連絡が来たのは昼も半ばの3時頃であった。
なんとかギリギリ間に合ったか、と私たちは安堵の思いを隠しきることが出来なかった。
この時点で軽井沢は防衛線崩壊寸前、北部防衛線は破られ、新潟、富山に敵が進撃しつつあった。
西部でもついに名古屋市内で戦闘が勃発、東部の伊豆や山梨の防衛線も部隊損耗率が危険域に到達していた。
そして、その情報を携えて国防省(防衛省から改名)から舞い戻ってきた官僚が説明を開始する。
「現在国防省内部で検討されている核攻撃案は4種類存在し、それぞれ甲乙丙丁の符丁が割り当てられています。一つ目の甲案は長野県と伊豆半島を除く静岡県に核攻撃を限定し、他の場所ではこれまで通り戦闘を続け、最終的には通常戦力での敵殲滅を目指します。これについては現在4度改訂が行われており、甲4号案と言う名称が付けられています。次の乙案は長野県、伊豆半島を除く静岡県、甲府盆地、岐阜県東部に攻撃を行い他の場所では通常の戦闘を行い敵を殲滅します。現在国防省内で最も有力とされている案の一つで、正式名称は乙7号案です。丙案は乙案に愛知県豊田市、渥美半島への核攻撃を付け足した案であり、正式名称は丙5号案となっています。最後の丁案は現在敵が確認されている全ての地域に対する全面核攻撃を行う案です。正式名称は丁3号案ですが、攻撃時の状況によっては核弾頭数が足りなくなる可能性も指摘されており、省内では無理だとする意見が多数を占めています。丁案の最大のメリットはこれ以上国防軍の被害を増大させないことでしょう。……全てを決めるのは総理です。総理はどの案が最も適切だと考えられますか?」
ふむ。甲案はまず無しだろう。攻撃面積が狭すぎて殲滅に時間がかかることは必至だろうし、最悪いつの間にか元の状況に戻っている可能性もある。
かといって丁案も問題が存在する。弾頭数が不足する可能性は勿論のこととして、日本でも有数の大都市である名古屋市を壊滅させるわけにはいくまい。
丙案も同じことが言える。豊田市を失うということは世界最大規模の自動車メーカーの本拠地を消滅させることに他ならない。
やはり乙案が最も適切のように思われる。
「……私個人としては、乙案が最も適切な作戦であると考えますが、閣僚の方々はどう思われますか」
私の言葉に反応して、国防大臣が口を開く。
「私は総理の考えに賛成です。乙案は確かに最適の作戦でしょう。弾頭数の問題や被害規模などについてもバランスがいいと考えます」
国防大臣の考えに対して、国土交通大臣が異論を述べる。
「私は丙案を支持します。すでに豊田市は壊滅状態ですし、渥美半島の経済規模もそれほど大きいとは言えません。既に喪失した場所のことを考えるより、まだ喪失していない兵士たちのことを考えるべきだと思います」
それも一理ある。豊田市は半ば壊滅状態であり、あのメーカーが戦争が終わっても尚豊田市に本社を置き続ける保証はない。また、丁案はともかくとして兵士の損耗が最も少ないのが丙案であることは間違いないのだ。
他の大臣もそれぞれ自分の意見を述べたが、どちらも乙案及び丙案であり、甲案、丁案について支持する人間は居なかった。
そう、既に核攻撃そのものは決定事項なのだ。核の力を使わなければあの化け物を撃退することなど不可能なのだから。それは徴兵や志願兵制度を作っても同じこと。間違いなくここにいる全員が本当は核など使いたくないはずだ。
しかし、核を使わなければ日本は滅びる。そして、多数の民衆が犠牲になる。これ以上犠牲を増やすまいとした苦肉の決断だったのである。
環境大臣など目に涙を浮かべながら乙案の支持を表明していた。彼は長野県や岐阜県の森林保全活動を推進していたから、その森林がすべて吹き飛ばされてしまうことを悔しく思っているのだろう。
「……さて、決を取りましょう」
閣僚たちの議論が一段落したところで、私は号令を掛けた。
「どうやら甲案丁案については支持者がおられないようなので、まず破棄とさせて頂きます。ですので、乙案、丙案のどちらを採用するかの採決を行います。乙案に賛成の方は手を挙げ、丙案に賛成の方は手を下ろしておいて下さい。もしも他に提案がある方は起立を願います。では、お願いします」
閣僚たちが手を挙げる。
……起立者は無し、挙手を行っている者が9名、していない者が7名。
この時点で乙案の採用は確定した。
「……では、乙案を採用します。……既にミサイルの発射準備は出来ているのですよね?」
私は官僚に尋ねる。
「はい。あとは採用された案に沿って照準を調整するのみです。4時間もあれば作業は完了するかと思われます」
「では、本日午後10時を以て乙案……乙七号作戦を決行します。作戦実行の30分前には現在前線に存在する全ての国防軍将兵を安全地帯に退避させておいて下さい」
「了解しました」
官僚が言った後、私は秘書官に指示を出した。
「午後6時に記者会見を行います。……会見後はテロ行為なども想定されますので、警察の機動隊を官邸と議事堂、議員宿舎に配置するように調整してください」
「分かりました。すぐに手配いたします」
そう、かつての被爆国である日本は、核弾頭搭載型弾道ミサイルを世界で初めて実戦投入することになるのだ。
皮肉以外の何ものでもない。
私は危機管理センターを後にし、記者会見の準備を始めたのだった。
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