序章 The Most Longest Day<一番長い日>
初めての投稿です。文章などにも未熟な点が多々ありますがどうかご了承下さい。
2015年6月12日改稿
2020年5月16日再改稿
2022年6月16日(木)
AM 05:20
東京都千代田区永田町
首相官邸地下一階危機管理センター
「総理、情報本部より最新情報です」
照度が抑えられた仄かに暗い会議室に入ってきた防衛担当首相秘書官は最奥部に座る初老の男にホチキス留めの薄い書類を手渡す。ダークスーツに身を包み、角縁眼鏡を掛けた男は深刻な表情でそれを受け取り、大書された題名に目を通す。
「偵察の結果が出たのか……」
呟くようなうめきに対し秘書官は明確に頷いた。
「はい。空自の偵察機と陸自のヘリ部隊が合同で偵察を実施したところ、件の集団は人間ではないだけでなく、恐らく地球を起源とする生命体ですらないことが確定しました。明らかに哺乳類的特徴を持っているにもかかわらず、サーモグラフィによる計測の結果体温は平均五六度、通常であれば蛋白質が変性して死亡するはずです。しかし、当該集団は問題なく活動を続けており、時速約七キロメートルで飯田市街を北上しています。防衛省内では例の隕石に由来するのではないかという意見が多数を占めており、現在専門機関に調査を依頼しています。また、飯田市最南部の住民に関しては生存は絶望的とのことです」
男……第九八代日本国内閣総理大臣・永澤和寿は神妙な顔で頷きを返した。
「そうか。既にそこまで事態は進行しているか……」
資料に目を落としながら永澤は大きな溜息を漏らし、何かを決意したような表情で左に侍る防衛大臣に向き直る。
「もはや、平時対応ではどうにもならないところまで来ているということか。……当該集団が知的生命体であるかすら確定できていない現状では異例な判断ではあるが、現時刻をもって日本は有事体制に移行する。即時、全自衛隊に対し防衛出動を発令せよ」
その言葉と同時に暗鬱とした会議室の空気は一転して氷のような鋭さを帯びた。この事態を予期していたであろう防衛大臣ただ一人を除いて室内に居並ぶ関係閣僚やその補佐官たちは一様に動揺を隠せていない。
「陸上総隊には東部方面隊及び中部方面隊に即時の出動を発令するように。長野県知事からの災害派遣要請は却下、有事特別法による県警察の警察庁への移管を通告。県警には自衛隊と協同して県南部の住民避難に全力を傾けるように」
防衛大臣は何度か小さく頷き、「了解致しました」と一言告げる。国家公安委員長も同様に返答する。それと同時に大臣担当秘書官は弾かれたように一礼し、会議室を駆けるように出ていった。
「総理、これは一体どういう事ですか?」
室内に再び沈黙が戻ることはなく、永澤の右前方に掛けていた痩躯の男が声を上げた。
その人物は閣内でも最左翼と目される農林水産大臣であった。
「臨時閣議すら開かずにこのような重大な決定をするのは承服し難く思います。閣僚にも各々考えがあるというのに、表明の機会すら与えないのは不服です」
「その通りです。いくらなんでも我々に何の相談もなく防衛出動などという国家にとって重大な決定を行うのは納得がいきません」
農水大臣の左隣に座る国土交通大臣が同調する。
永澤は先程のように溜息を吐き、腰を上げた。
「今この非常時にあって、臨時閣議ですら開いている余裕はありません。今まさに国民が息絶え、絶望にうちひしがれているのです。ここでいたずらに空論を弄り回して更なる犠牲者を呼んだ場合、我々は責任を取らなければならない。この問題は時間的猶予が一切残されていない事項であります。閣僚方各々意見はあるかと思いますが、もし現段階での防衛出動に反対の方がおられるならば、今すぐ退席なされることをお薦めします。そして二度と閣議に出ていただく必要はありません」
それはすなわち、反対するならば大臣を罷免する、ということだった。これまで徹底的な調整型の首相として認識されてきた永澤がこのような強権的な行動をちらつかせたことでようやく、閣僚たちは事態の重大性を認識した。
室内にしばらくの沈黙が舞い降り、最初に口を開いたのは農水大臣だった。
「……総理の仰る通りです。守るべき国民が今この時も命を奪われているというのに、閣議を開く暇などあるはずがない。総理のご判断を全面的に支持します」
「私も支持いたします。形式に縛られて実を失うわけにはいかない。野党の反発を気にするべきではありませんでした」
国交大臣も同様に支持を表明し、頭を下げた。
永澤は無表情のままで椅子に座り、閣僚たちを見回す。
「……後で問題が発生するのも困りますので、簡易的ではありますが決を採りましょう。防衛出動に賛成の方は……」
「お待ち下さい総理」
先程防衛出動の命令を受けた防衛大臣が決を採ろうとする永澤を制止した。
「私は基本的に本件に賛成の立場ではあります。しかし、過去の政府見解として、こういった事案においては他国による武力行使を前提とする防衛出動ではなく、大規模自然災害の一種とみなして災害派遣を適用することになっていたと記憶しております。ここで災害派遣でなく、防衛出動を発令する理由をお聞かせ願いたい」
それは永澤にとっても予想された質問であったようで、深い頷きを返す。
「確かに、本件類似の状況においては災害派遣を適用する、というのが過去の防衛大臣による見解でありました。実際、運用上では災害派遣であっても特に問題はないでしょう。しかし、本件に関しては現在伝えられている偵察結果その他諸々の情報を総合すると、単なる有害生物ではなく、明らかに人間に対する敵対意志が介在していると考えるのが妥当と考えます。それらの情報は間もなく閣僚方や他官庁にも共有されるかと思います。少なくとも、これを災害として認定するには不合理と判断しました」
「……戦後日本初めての防衛出動を決定する理由としては些か弱いように思われますが、今後の国会対応を考えても確かに防衛出動のほうが適当でしょう。結局野党の反発は強行採決で乗り切るしかないのだから、単なる災害対応よりも有事対応の方が理由としては通っている」
防衛大臣が納得するのを確認して、永澤は再度口を開く。
「改めて決を採りましょう。防衛出動に賛成の方は挙手を」
一斉に閣僚が手を挙げる。
もはや、誰一人として手を下している者はなかった。
「過半数の支持を得られたので、本件に関する防衛出動を決定します。ここにおられない閣僚については後で個別に意思表示を頂くこととします。私はこれから一度市ヶ谷に向かいます。出来る限り現場に近い場所で状況を把握したい」
永澤は閣僚たちに一礼し、秘書と共に会議室を去った。
この日が日本政府と自衛隊員、中部地方南部の住民にとって、戦後一番長い日になるであろうことを疑う余地はなかった。
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