第2話 アンジェラ と ?のメモ (2024年 秋)
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第2話 アンジェラと?のメモ(2024年 秋)
伸子は視線の先の本にほほえんだ。
そこには見覚えのない一冊、『初めてのバラ 気軽に楽しく満開に。』というタイトルがあった。
旅のあいだ、ずっと気になっていたアンジェラ。
初心者でも育てやすいと聞いて購入したバラだった。
この十数年、忙しい時間を縫って庭の手入れを続けてきた伸子にとって、この花は特別な存在だった。
ただ、あの長旅に出るときのことを思い出すと、胸がちくりと痛む。
まだ芽吹いてもいないアンジェラのこれからを思うと、どうしようもない悲しみがこみ上げた。
伸子は旅に行くのをためらったほどだ。
「この子、ちゃんと、花を咲かせるのかしら……」
しかし、戻ってみればアンジェラは元気に咲いている。
それは、きっと娘の未希が世話をしてくれたおかげだろう。
「きっと未希が買ったものね。」
手にとると、『?』とだけ書かれたメモがはさまれていた。
まるで謎かけのような紙片。左端には春の風景に囲まれた小さな家のイラストが描かれている。
響香にもらったメモ帳の一枚だ。たしか、好きな絵本のイラストだと言っていたっけ。
日常のなかの、ほんの些細なメモが、一日の心を支配する。
そんなこと、よくある。
未希ったら、「これ、大事にしてるメモ帳なの」と言っていたのに。
「勝手に使ったのね……」と思わずつぶやく。
ふと、しばらく会っていなかった響香の顔が浮かんだ。
そういえば――こっちに戻ってきたこと、まだ連絡していなかった。
『?』のメモを裏返すと、未希の字で【強剪定】とかかれていた。
「そういうことね。」
伸子は、【? 強剪定】の4文字で、未希がアンジェラを大切にしてくれたのだと実感した。
ありがとう、未希。
そう呟いて、メモを食卓に置き、改めて本をめくった。
1ページ目、右には著者がバラの手入れをしている絵。見覚えある誠実そうな横顔。
左に「はじめに」とあって、
「バラはお手入れした分だけ、たくさんの花を咲かせてくれる植物です。その感動は育てた人だけの特権です。
剪定などの手間はかかるものの、バラと向き合うお手入れの時間は、慣れれば楽しいひとときになってくれます。
完璧でなくても大丈夫。自然と向き合うバラの栽培は、プロでも毎年うまくいくとは限りません。
そんな失敗も含めて楽しむことが、バラとの喜びを深めてくれるのです……」
何度も聞いたその語り口が、まるで懐かしい声のように伸子の頭に流れ込んできた。
表紙をみると、本の裏には『世界をもっと、ばら色に。』大きなばらの写真。
伸子はゆるやかに息を吐き、アンジェラのページを開く。
『たいへん優秀な返り咲きせいで、枝の伸びるスピードはゆるやかなのでじっくり育てたい。』
「そうね。」
アンジェラは1984年、西ドイツで生まれた品種だという。
その頃はベルリンの壁のある冷戦の真っただ中。
カップ咲きのかわいい小輪花が、余計に魅力的に思えた。
「アンジェラのおかげで、私も幸せだわ。」
伸子は微笑みながら、もう一度窓の外のアンジェラに目をやった。
家族の日常の中で、この花が咲き続けてくれることが、今日の彼女にとって何よりの癒しだった。
玄関には、子ども用の小さな軍手が少し土のついたまま置かれている。
薔薇の前に立つ未希と凛の姿を思い浮かべ、軍手をそっと下駄箱にしまった。
――この一年で、どれだけ大きくなったのかしら。
自然と、もう一度微笑みがこぼれる。
それから、響香にアンジェラと台所の写真を送った。
「色々見たけど、世界で一番素敵なところは、やっぱりここね。」
そうコメントを入れた。
一方そのころ、伸子の二女・未希は、恵別にある自宅で、二年前に母と一緒に作った紙芝居を、日和ハムファイターズのロゴが入った青い袋にそっと詰めていた。
人形のぎゅんちゃんとしまえながちゃんにも「一緒にいこうね」と声をかけながら、その袋の中へ入れる。
小学1年生になった凛は、お気に入りのバッグを持ちながら、
「北広嶋で待ち合わせだね」
と嬉しそうに言い、お泊りの準備を進めた。
第2話 おしまい
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次話へつづく
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これからのお話 予告
第3話 未希の物語紙芝居『しまえながちゃんときゅんたによる水の話』
第4話 未希の物語人形劇『しまえながちゃんときゅんたによる水の話』
第5話 栗丘の丘から〜静けさと再会の手前で (2023年春)
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【資料ノート】
アンジェラ:1984年、ドイツ・コルデス社による作出のバラ。愛らしいピンクの房咲きが特徴。
出典「初めてのバラ」
著者 松尾祐樹氏:園芸家。「まつおえんげい」四代目。草花からバラまで幅広く精通し、NHK『趣味の園芸』やYouTube「ガーデンちゃんねる」などでも人気。




