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アルカ  作者: よる
3/3

アルカ

「……そうか。見事役目を果たしたのだな」

「はい」

「ご苦労だった、ベルナルド」

「はっ」


 あの後、目が覚めたベルナルドに船頭の爺さんは言った。

 キアス神皇国へ戻り、聖女と司祭が役目を果たした事をきちんと報告しろと。そんな事、俺には知った事じゃねえと言い返せば、ならばあの二人は役立たずだったと言われるだけだと、そう告げられた。


 思わず振り上げた拳を降ろしたのは、爺さんの眼が悲しそうに揺れていたからだ。


『……アンタ、何者なんだよ』

『先代聖女の聖騎士だ』


 爺さんが言うには、人知れずアルカへとやって来て氷に閉じ込められる聖女が、五十年に一度の割合で来るらしい。


『アンタ、知ってたんだな』

『……知っていた』

『なんで、なんで教えてくれなかったんだ!』

『言った所で救えないんだ』

『そんな事、』

『救えなかったんだ。誰も、何も、救えなかったんだ』


 困惑するベルナルドに、船頭の爺さんは悲しそうに顔を歪め、そして名乗った。


『先代聖女リフィと司祭トーフェの聖騎士、ヴァルターだ』


 何をするにもまずは報告をしなければと説き伏され、ベルナルドはリフィとジェットをアルカに置き去りにして一人、キアス神皇国まで戻って来た。

 帰りは全て予定通りと言わんばかりに、偽物御一行の馬車に乗せられ、すごい速さで神皇国へと辿り着いた。


 各神殿を周りながらの徒歩の旅だった三年と四カ月は、速度を上げる馬車で直線的に戻った所、たったの一か月で辿り着いた。

 偽物御一行の中でベルナルドは浮いていたが、そんな事はまったく気にならず、早く報告を終える事しか頭に無かった。


「ベルナルド、二階級特進だ。おめでとう」


 聖騎士団長がそう言ったのを奥歯を噛み締め、ぎゅっと拳を握り込んで耐えた。何がおめでとうだ、どこが目出度いと言うのだと詰りたかった。

 ただ、黙って頭を下げ、全てを飲み込んで頭を上げる。


「何か、褒美はいるか?」

「……休暇を下さい」

「休暇で良いのか?」


 心の底まで見透かされているようなその問い掛けに、どこまで解っているのかと心の中で罵倒する。


「旅に出てる間、一日も休日が無かったんで」

「ふむ。それもそうか。期間は?」

「え?」

「休暇の期限だ。どれぐらい欲しい?」

「…………一年」

「いいだろう」


 あっさりと認められた事に驚いたが、すんなり認めてもらえるなら十年とでも吹っ掛けてみれば良かったと後悔する。まあでも、このクソジジイの事だ、十年と言おうもんなら却下されて休暇なんてもらえなかった事だろう。


「ベルナルド」

「はい」

「……ウォルターは健在だったか?」


 団長の言葉に軽く眉を顰め、そして合点がいって思わずクツリと笑ってしまった。なるほど、先代聖女も名を違えて呼んでいたのかと解ったからだ。


「爺さんになってましたがね」

「そうか」


 わざわざ、聖女が付けてくれた名を教える気はなかった。

 そうして団長の前を辞し、貰った休暇を存分に使おうと自室へ戻り、放り込んだままの旅装を引っ張り出した。聖騎士の服は部屋に置いて行く。


「ベルナルド、帰って来ていたのか」

「まあな。休暇を貰ったから、ちょっと故郷へ行こうと思ってる所だ」

「そうか、それでその格好なのか」

「ああ」


 聖騎士の中にはベルナルドと同じく平民上がりだっている。

 偽物にくっ付いていたような貴族のボンボンもいるにはいるが、賑やかしの一部として受け入れられている程度だった。


「なんだ、旅の話でも聞きながら酒でも飲もうと思っていたのに」

「奢りか?」

「お前の特給を当てにしてたんだが?」


 ニヤリと笑ったエルヴィンの肩を殴り、そして飲み屋へと繰り出した。

 久し振りに神都で飲み、酒のつまみを食い、気分が良くなった俺はエルヴィンに一つだけ告げようと口を開く。


「なあ、エルヴィン」

「んー?」

「俺……、俺が戻って来なかったら、部屋の中のモンお前にくれてやる」

「……あ?何それ?」

「あー、何だろうなあ畜生。まあいい、覚えとけ」


 やっすい捨て台詞だなと笑われ、その通りだなと笑い返した。

 そんな、普通の日常でさえベルナルドは忘れていた事を思い出したのだ。


 神都を出る前に友人と酒を飲み、そして旅立つ。

 そんな日常に戻りたいのか、戻りたくないのか、それさえもわからない。

 わからないがとにかく、もう一度ヴァルターに会って話を聞きたかった。


 馬に乗り、神都を出てから十八日。

 

 ベルナルドは再び岩に打ち付ける波の音を聞きながら、一人アルカを眺めていた。


「……やはり戻って来たか」

「ああ。謎のままにしとく程、人生練れてねえからな」

「そのようだ。とにかく家に来ると良い」

「そのつもりだ」


 ニタリと笑ってヴァルターの後に着いて行った。

 馬も家の中に入れる造りになっているのはとてもありがたく、片隅にある一つだけの馬房は空いていて、何となくその理由は想像が付いた。


「悪いな、ヴァルターさん」

「いいさ」

「一応、手土産代わりに色々持って来たから勘弁してくれると嬉しい」


 そう言いながら買い込んで来た肉や野菜、調味料を取り出した。

 

「とても助かるよ、ベルナルド」

「なら良かった」


 酒瓶は重いから、量を持って来る事を諦めた。

 それよりは食料の方が嬉しいだろうと判断したのだが、正しかったようで安心する。

 家の中は三か所ある暖炉で温められており、各家の薪小屋は家のように大きいのが特徴だ。火を消してしまえばあっと言う間に凍えてしまうから、薪の量は死活問題にもなる。


 ヴァルターの話しによれば、この村には定期的に行商の馬車が来てくれる事になっているらしい。だから同じ食材や調味料しか手に入らないのだと言っていた。ベルナルドは神都で買い込んで来たからか、見た事の無い調味料をとても喜んでくれた。


「さて。何から話をしたらいいのか」


 そんな風に前置きをしてから、ヴァルターは語り始める。

 先代聖女と司祭とヴァルターの、三人の旅の物語。

 それは、ベルナルドにも覚えがある事ばかりで、ヴァルターが知っている聖女と、ベルナルドが知っている聖女が同じ女であるかのように錯覚する程だった。


「リフィってのは、聖女に付けられる名なのか?」

「先々代の聖女も同じくリフィと呼ばれていたそうだ。そして恐らく、これは想像ではあるが」


 先々代の聖女もって事は、その聖騎士も同じようにこの村に移り住んだのだろう。その人もやっぱり、『もしかしたら』と思って離れられなくなったのだろうと、容易に想像できた。


「聖女の名は恐らく、サクリフィキウム。神語で『生贄』と呼ばれるのではないかと思っている」

「サクリフィキウム……」

「だから、リフィと呼ばれるのではないかと」

「……リフィ」


 と言う事は、あの氷山に眠っている聖女たちは皆、リフィと呼ばれていたのだろうか。それとも、別の呼び名があったのだろうか。


「違う名を、付けてやれば良かった」

「ああ」


 ベルナルドをバーナードと勘違いし、バービーと呼び続けたリフィに、どうして別の名を付けようと思わなかったのだろう。今更、違う名を付けて呼んだ所で、アイツには聞こえないってのに。


「ヴァルターさん、アルカってのは何なんだ」

「……その名の通り、棺だよ」

「棺……」


 確かに、あの大地自体が棺のようだったと思い返し、ベルナルドは背筋をゾクリと震わせた。


「なんで、聖女があそこに?」

「そこまでは判らなかった。ただ、昔から神力を持って生まれた女が聖女となり、あの地で眠りに付く為に育てられるらしい」

「なんで……、おかしいだろ!」


 リフィは、何も知らなくて。

 見た事の無い物を嬉しそうに眺めてて。

 そんで、笑ってた。


「おかしいだろ……、アイツ、笑ってたぞ」


 穴の中に入って行く時だって、いつもみたいに笑ってたんだ。

 

「全部、解ってたのか?解ってて、笑ってたのかよ?」

「……ベルナルド、リフィとはそう言う物なのかもしれない」

「アンタのリフィも笑ってたってのかよ」

「ああ、そうだ」

「なんで、何で笑えるんだよ」


 ヴァルターの話を聞きながら、時に憤り、遣る瀬無さを抱え込み、そして後悔する。


「ずっとな、最初から全部知っていたらと、後悔している」

「俺もだ、ヴァルターさん」

「……私は、アルカへ渡る前に、先々代の聖騎士から教えてもらったんだ。あの地で聖女が眠りに付くと。氷の棺に閉じ込められる前に、助けてやって欲しいと、そう言われた」


 ヴァルターさんはそれを聞いて、あの氷山の広間に一緒に入ろうとしたけれど、弾かれたのだと言う。


「神力が関係しているのではないかと思うんだが。結局、リフィとトーフェが入って行くのを見送り、そして、リフィが凍り付いて行くのを眺めている事しか出来なかった」


 寂しそうにそう言ったヴァルターさんに何も言う事が出来ず、ただ黙って俯いた。神殿で働いている者達には階級がある。働いている年数で決められる物ではないと解ってはいたが、あれは恐らく、神力で階級が決まるのだろう。


「なんで、神力がある奴をアルカに?」

「あそこは、キアス神降臨の地だそうだ」

「神が降臨されたってんなら、もっと、何つうか……」

「ああ、おかしな話だとは思う。だが、私が調べる事が出来たのはそこまでだった」

「どうやって調べたんだ?」

「神殿で、禁域に入り込んで禁書を盗んだ」

「……すげえ事したんだな」

「どうでも良かったからな。自分がどうなろうと、リフィとトーフェが帰って来るのなら、それで」


 盗み出した禁書を開いて、アルカがキアス神降臨の地である事を読んだ時、踏み込んで来た聖騎士達に捕らわれたと笑った。


「神殿を追放されてな。結局行く所なんてないから、せめてリフィとトーフェの近くにいたくてここに居ついた」

「……聞いたら教えてくれると思うか?」

「無理だろうな。お前の時も偽物の聖女がいたのだろう?」

「ああ、いた」

「その聖女が、聖女として巡礼の旅を終えて神殿に戻った。だから、神殿はアルカに聖女がいるとは認めない」

「本物はリフィだろう!?」

「それでもだよ、ベルナルド。各神殿がある町で聖女として活動していたのは偽物の方だ。それは万人が認める真実なんだよ」


 それでも、各神殿で祈りを捧げ、神力を使って疲弊して、疲れたって言いながら引っ付いて来たのはリフィの方だ。


「……俺、偽物がいて良かったって、護衛として楽だって言ったぞ」

「私もだ、ベルナルド」


 だって、知らなかったんだ。

 俺は何も、知らなかったから。


「……帰りに、唐揚げ作ってやるって言ったんだ」


 アイツ、解ってたから食べたいって言ったのかな。

 作った唐揚げを、美味いって笑いながら食べたのは、自分がアルカに閉じ込められるって知ってたからなのかな。


「ヴァルターさん、明日、もう一度船を出して貰えるか?」

「ああ」

「……ありがとう」


 翌朝、良く晴れた事に感謝しながらヴァルターさんの船に乗り、船頭歌を聞きながらアルカに向かった。


「なあ、この歌」

「二度目に気付くんだよ。これは聖騎士が作った物だってな」

「やっぱりか。聖騎士ってのは、代々未練たらたらじゃねえか」

「そうなるように出来てんのかもな」


 そう言って笑い合いながら、凍て付いた大地に足を踏み入れる。


「……変わらねえな」

「そう簡単に変わるなら楽でいいやな」


 ヴァルターと二人、氷を踏みしめながら歩き続けた。リフィ達が眠る氷山に辿り着き、それを莫迦みたいに口を開けて見上げた。


「……これが、神が降臨した地ってか?」

「融かす事も、削る事も出来ない氷だからな」

「そんで女を欲しがる神ってか。碌なもんじゃねえだろ」

「そうだな、そう思う」


 存分に神を扱き下ろしてから、氷山の穴の中へと入り込んだ。

 聖女たちが眠りに付いているその広間は静謐で、キンと凍った空気で満たされていた。

 あの時と全く変わりなく、リフィは氷の中にいるし、ジェットは冷たい氷の上に寝そべっている。


「んだよ、やっぱまだ寝てやがったのか」


 まったく、こんな寒い所でよく眠れるなと声を掛けたが、起きる気配がない事に笑ってしまう。そう言えば、ジェットの毛皮のコートを持って来たんだったと思い出し、背負ってきたリュックの中から取り出して掛けてやった。


「……リフィのも持って来たんだがな」


 下から突き上げるように上に伸びている氷に閉じ込められているリフィに、どうやったらコートを掛けてやれるだろうかと悩んでしまう。


「ヴァルターさん、ここでどんだけ火を焚いても、この氷は融けないんだろう?」

「……ああ」

「だよなあ。皆絶対やってんだろうなって、それは解ってんだよ」

「そして、もしかしたらと一縷の望みをかけて火を焚くんだ」

「……じゃあ、やるか」

「ああ」


 ヴァルターとベルナルドは、持って来た薪を組み上げ、広間で焚火を作った。ちゃんと火も点いているし、手を伸ばせば暖かいのに。


「……床の氷も融けねえんだな」

「ああ」


 どれだけ火を燃やし続けても、火が点いたままの薪を押し付けようとも、アルカの氷は少しも融けなかった。


「なんか、方法はねえのか」

「出来る事は皆試した。だから、後はお前がやると良い」

「おい……」

「思い付いてはアルカに来て、全て試して来た。無駄だと言われても、自分でやらなきゃ納得できなくてな。けどもう、何も思い付かないんだ」

「けど、さ」

「ベルナルド。もし……、もし、お前の方法で氷が融けてリフィ達が目覚めたら」


 ヴァルターは、そう言いながら自分のリフィを見上げてた。

 そしてベルナルドへと振り返って、コートのポケットから箱を取り出した。


「これを、渡してくれないか?」

「……そう言うのは自分で渡すからこそ意味があるんだぜ」

「そうか……、そうだな」


 取り出した箱をポケットにしまい込んだヴァルターと、一晩中焚火に当たりながら広間で過ごした。何を話すでもなく、ただ、ずっと自分のリフィを見上げながら。


「ヴァルターさん、俺、もう一度神殿に行って来るよ」

「禁域に入るとすぐに捕まるぞ」

「団長脅して知ってる事吐かせて来る」

「……団長は、何と言うんだ?」

「アンタと知り合いみたいだぜ?ディートフリートってクソジジイだ」

「ディート、か。クソジジイなのか?」

「ああ、クソジジイで充分だぜ」


 焚き火を消し、朝日を浴びる氷の棺たちを見つめてから歩き出す。

 あそこからリフィを出すんだと決意しながら。


「世話になったな」

「また来るんだろう?」

「ああ。必ず」


 神都に戻ったベルナルドは、その足で団長の元へと押し掛けた。

 何も知らないと言い張る団長にくっ付き、しがみ付き、投げ飛ばされ蹴り飛ばされても、諦めなかった。やがて根負けした団長から話しを聞き出す事に成功する。


「アルカに聖女を送るのは、神意だ」

「なんで神が女を欲しがるんだよ」

「知らん。ただ、強大な神力を持つ者は全て、女子として産まれて来る」

「なら、なんで本物の聖女がアルカで世界の為に死んでるって言わねえんだよ」

「神への祈りの場に不必要だからだ」

「犠牲の上に成り立ってるんだと知らせりゃいいだろうが」

「それでは神殿が立ち行かなくなる」


 ならば潰せば良い。

 そして、ベルナルドは一人、戦い始めた。

 考えて考えて、考え抜いて。幸い、各地の裏通りの宿屋で顔を見せ、丁寧に接して来た事が功を奏する。

 アルカから戻って来た振りをしながら、聖女が偽物で、本物の聖女はアルカで氷の棺に閉じ込められていると、悲し気に言うだけで済んだ。


 女達は同情しながらベルナルドを慰める為、大袈裟に騒いでくれる。

 噂に尾ヒレが付き、背ヒレが付き、尾ヒレが三叉になった頃、ベルナルドはヴァルターの元へと戻った。


 二度目にここを出た時より随分と人が多いその町に驚きつつも、騒ぎになっている神殿を横目に見ながらヴァルターの家へと急ぐ。

 

「よお、生きてるか?」


 畑を耕していたヴァルターに声を掛けると、驚いた顔を向けた後ニタリと笑った。


「お前、やらかしたな?」

「何の事だ?」


 ヴァルターと同じようにニタリと笑いながら答えたベルナルドに、ヴァルターは家に入るよう促した。


「悪いな、また世話になる」

「構わない」


 手土産代わりに持って来た物を出しながら、各地で女達に泣き付いたと言ったら笑われた。


「神殿に戻った時に神官に、何で祈りを捧げるんだと聞いたらさ」

「ああ」

「祈りを捧げる事で、神に近付くんだって言うからさ」

「ああ」

「なら、大陸中の人間が祈ったら神の所に行けんじゃねえかと思ってさ」

「……行くのか?」

「ああ。ちょっと殴って来る」


 そう言って右手の拳を左の掌にぶつければ、ヴァルターがクツクツと笑い出し、終いには声を上げて笑っていた。


「そん時は歴代の聖騎士の分も頼む」

「おう」


 巡礼の旅の最後の地、アルカには聖女が氷の棺に閉じ込められていると、各地で吹聴して来たのだ。実しやかに広められたその話を確かめようと言う物好きたちが、この最北端の町へと集まって来ている。

 そして、最初の物好きがアルカへと渡り、氷の棺に閉じ込められている聖女たちを見て帰って来て、噂が真実だったとさらに話が広がったのだ。


 もう神殿が何を言おうとも、実際に目の当たりにした人がいる限り、動きようもないだろう。緘口令を敷いた所で、真実だったと認めた事になるからもう遅いのだ。

 アルカへの立ち入りを禁じた所で、あそこに見張りでも立てない限り人の出入りは止められないし、あの地で人が生きて行ける訳でもない。

 やっぱり、持つべきものは噂好きな女の知り合いだな。


「なあ、俺もアルカに渡りたいんだが」

「言うと思ったがな。明日にならんと船が無い」

「ちっ。まあいい、船が戻って来たら頼む」


 人が増えたと言っても、アルカへの中継点としての話しで、それでも宿が足りねえってんで、作っている最中らしい。抜け目のない商人のお蔭で色んな品物が入って来るようになったらしいし、バラ撒いた噂のお蔭で暫くの間、町は安泰だって話しだ。


 ベルナルドにとっては寒い気温でも、この地に慣れたヴァルターからすれば暖かい季節なのだと言う。


「これで暖かいのか。ああ、じゃあもう一年経ってんのか」


 ジェットが同じ事を言って驚いた覚えがある。

 ついでに、歯をガチガチ鳴らしながら歩いていたリフィの事も思い出し、クツリと笑みがこぼれた。


「あ。もらった休暇、終わっちまう」

「……休暇だったのか?」

「ああ。旅の間休みが無かったからくれって、一年貰ったんだ。けど、帰ったら除籍されてそうだよなあ」


 自分がした事は神殿の不利益になる事だ。

 本物の聖女の話しを広め、アルカの真実を広め、各神殿にはその真偽を問う人達で溢れ返っている。実際にアルカに渡った人達も、話しを広めるのに一役買っていて、既に大陸中に広がったと言っても過言ではないだろう。


「ヴァルターさんは、神殿がどう動くか判るか?」

「……そうだな。この町を完全に掌握する事が先決だろう。ここからしかアルカに渡る事が出来ないからな」

「だよな。けど、ここまで人が集まってしまっては、接収した所で無駄だろう」

「ベルナルドだけならともかく、大陸中の人間の口を抑えつける事など出来ないだろう。となると、まずは船を壊す」


 ヴァルターさんのそれに眉を顰めた。


「時間稼ぎだよ、ベルナルド。船と言う物はそう簡単に出来る物ではない。船を最初から作るには材料が必要だ」

「……ああ」

「幸い、この街の周囲には深い森がある。だがこの森は、神殿の持ち物なんだよ、ベルナルド」


 薪を取るのは死活問題でもあるし、代わりに神殿の薪も作って貰っているからと、持ちつ持たれつの関係でやって来たと言う。だが、新しい船の為の材料となったら、木を切り出す事は許さないだろう、と。


「そう来るか。けど、時間を稼いだところでどうすんだ?結局アルカに本物の聖女がいるのは変わらない」

「偽の聖女を押し出すんだよ。アルカに渡らなければ、これ以上の話しは広がらなくなる。やがて新しい話題に飛びついた人々は、アルカの話しを忘れて行く。偽聖女に騙してごめんなさいと涙ながらに言わせて表に出し、偽物だけど精一杯祈らせて頂きますとでも言えば決まりだ」


 ヴァルターの言葉に、偽聖女の顔と身体付きを思い出し、そりゃ確かに決まるだろうなと溜息を吐き出した。


「ヴァルターさんの時も、偽物の方は女らしい体型だったのか?」

「まあな。すごい美人で華奢だが、女性らしい体型だった」

「……伝統か」


 リフィが産まれた時に、偽聖女候補の選別でもあるんだろうな、きっと。

 同じように神殿の奥の奥で育てられて、顔と身体付きで選ばれるのか。そんな目で見られたら、金が好きになっても仕方がねえだろうな。


「って、のんびりしてる余裕ねえじゃん。船、守らなきゃ駄目だろ」

「心配するな、もう手は打ってある」

「早いな」

「この町に人が来るようになって既に四カ月だ。遅いんだよ、ベルナルド」

「仕方ねえだろ、世話になった宿屋全部回って来たんだ。これだって早い方だぜ?」


 そして、昼を過ぎて戻って来た船に乗っていた人達が、口々に氷の棺に閉じ込められていた聖女たちと、広間の隅でミイラになっている司祭たちの話しをしていた。

 それを聞きながら、ヴァルターに促されて船に乗る。


「……今からアルカに渡ったら、戻れねえぞ」

「いいんだ。夜をアルカで過ごす事にしてるんだ」

「凍らねえのか?」

「お前だって一晩過ごせただろう?」


 少し大型の船と、ヴァルターの小型の船の二隻は、再びアルカへと向かって出港する。ヴァルターの話しによれば、あの氷山の穴の前、ベルナルドが二人を待っていたあそこで夜を過ごしているらしい。

 ただし、荷物を置きっぱなしにするとそのまま凍り付くのだそうだ。


 原理も理由も解らないが、そう言う事だから気を付けろと言われた。


「そこ、理解出来たらアルカに住めるのにな」

「そうだな」

「……祈りの聖句を唱えた事はあるか?」

「………………」


 無言になったヴァルターを見れば、顔を背けて肩を揺らしているのを見て、その姿がジェットと重なった。


「駄洒落じゃねえよ!」


 思わず大声で言ってしまった事で、ヴァルターはとうとう声を上げて笑いだした。あれだ、アルカって名が悪いんだ、俺が悪い訳じゃねえ。


「すまなかった」

「……気にするな」


 そして、アルカへと入った俺達は皆で氷山を目指す。

 皆歩き慣れているようで、ベルナルドが一番遅かった。まだ聖騎士の癖にと揶揄われながら、三度目となった氷山の前に立つ。


「……融けねえな」


 ずっと日が差さない訳ではない、それどころか遮るものが無いから日当たりは抜群だ。だと言うのに、なぜ融けないのか。


「キアス神って、呪いの神か?それとも、神と名乗る悪魔なのか?」

「我々人にとってはどちらも同じだろう」

「……違いない」


 自分が何故聖騎士となったのかと聞かれれば、答えは決まっていた。

 生きて行く為である。

 まあ、そんな理由から聖騎士になっただけなので、ベルナルドには神を信じる心はあまり育たなかったのであった。


「おお、すごいもん考え付いたんだな」

「寒い所でその寒さを凌ぐための知恵だな」


 獣の皮を縫い合わせ、それをテントにして氷の上に止めて風を凌げるようにした物だった。急ごしらえだったのか、一人で入るには丁度良いと言った大きさだったが、上手く行けばこれもあの町の収入源の一つになる事だろう。


 空が白んで来た頃、まだ寝ている皆を起こさないよう起き出し、ベルナルドは氷山の穴の中へと入り込んだ。

 色んな人が入り込んでいると言うのに、広間は全く変わらずそこに在った。


「……おい、クズ司祭。いい加減目を覚まさないと、目ん玉溶けちまうぞ」

「それは洒落になってないぞ、ベルナルド」

「驚かすなよヴァルター!ああくそ、気付かなかったぜ」

「ハハハ、ひよっ子が」

「うるせえな、無駄に年を取らなくて良かったなこの野郎」

「おや、ベルナルドは褒めてくれるのか」

「うるせえ、クソジジイ」


 ジェットの身体の横に膝を付けていたベルナルドの隣に、ヴァルターも膝を付いた。ヴァルターはジェットを見下ろした後、その隣にあるミイラをじっと見つめる。


「……トーフェさん、か?」

「ああ。埋めてやりたいんだがな」


 ジェットを見下ろしながらベルナルドも頷く。

 ヴァルターは、せめて司祭の遺体だけでも町へと連れ帰り、きちんと埋めてやろうと思ったそうだ。けど、司祭の身体を抱えて広間を出ようとすると、阻止されるらしい。

 最後の祈りにヴァルターが入れなかった時とは逆で、広間から出して貰えなくなるのだと。


「この間、このコートを掛けているのを見てな、布なら大丈夫なのかと理解したから。遅くなって悪かったな、トーフェ。寒かっただろう」


 ヴァルターはトーフェの身体を持って来た毛布で覆い、その後先代達の司祭様に敬意をと言いながら、同じように布で覆って行った。手伝いながら気づいたが、司祭たちの身体は既に氷に縫い止められており、そう遠くない内にジェットもこの広間に閉じ込められるのだろうと理解した。


(かしら)、そろそろ行きましょう」


 穴の向こうから野太い声が聞こえたのを機に、もう一度ジェットに祈りを捧げた後、リフィを見上げた。同じようにリフィを見上げていたヴァルターと頷き合った後、町に戻る為に船へと乗り込んだ。




 そんな風に過ごして来て十年。


 大陸の最北端の町は、アルカへと渡る人たちで溢れ返っている。

 氷の中に閉じ込められた聖女の事は、物語にされて世界中に散って行った。ある時は冒険譚、ある時はラブロマンス、ある時は神学論として。

 神殿は最悪な事に、偽聖女を罪人として処分しようとしたのだが、あの時くっ付いてた護衛のボンボンと恋仲になってたらしく、そっちの力でどうやら有耶無耶になったらしい。

 あの女、随分臭覚が効くようだ。良い男を捕まえたもんだと思う。


 話しを聞いた時に慌てて神都に戻って、最悪偽聖女を攫って逃げようとしていたベルナルドは、目の前でボンボンと偽聖女の涙涙の愛の劇場を見せられ、ついでにその話も広めてやろうと、戻りながらあちこちで吹聴して来た。

 真実の愛を貫いた二人を祝福しないなんてと、また突き上げられた神殿はやっとアルカを真実として認めてくれたのだった。


 今となっては懐かしい。


「リフィ。アルカが氷結の大地と呼ばれたのは、もう昔の事になってるぞ」


 氷の棺に閉じ込められている聖女に会いに来た者達は、知らず知らずの内に祈りを捧げた。その祈りが力となり、アルカの氷が融けたのではないかとヴァルターが言っていた。

 今では必ず巡礼の旅の最後にアルカへと渡る事で、アルカに祈りの力が集中したのだと想像している。


 結局神殿はアルカが何故不思議な氷で覆われていたのか、神力を持つ聖女が氷の中に閉じ込められるのか、それを外部に漏らす事は無かった。


 アルカに町が出来、神殿が建てられ、氷山の聖女たちの為に祈りが捧げられるようになったのは六年前の話しだ。ベルナルドも今はアルカに住居を作り、そこに住むようになっていた。

 ヴァルターは、二年前にベルナルドに箱を託して逝ってしまった。


「なんで……、ここの氷だけ融けないんだろうな」


 アルカの大地が蘇り始めていると言うのに、氷山だけは変わらずそこに在る。融けない氷を融かそうと、色んな人が色んな方法を試したと言うのに、傷も付かず、融けもしないその氷に、神の意志を感じ、ますます祈りを捧げる人が増えた。

 リフィの足元の氷に額を付け、その冷たさに目を閉じる。


「……俺のリフィ。やがてこの氷も融けるのだろうと、希望を持ってから随分待った」


 何度声を掛け、何度布団を引っぺがした事か。

 毎朝毎朝男に世話を焼かれるなんて、年頃の女としてどうなんだと疑問を持たなかった訳ではない。


「早く起きろ、腐れ女祭」


 ごんと音を立てて、ベルナルドの右拳が氷にぶつかった。

 帰って来い。


 夜明けの光りが差し込んで来た広間の中で、聖女を閉じ込めた氷だけが煌めいていた。それを眩し気に目を細めて見上げた後、ベルナルドは背を向けて歩き出す。

 また明日と呟いてから、広間から一歩足を踏み出した。


「バ…………ビ、」


 微かに聞こえたその声に全身が耳になった気がした。

 目と口は限界まで開いており、足が震えて来る。振り返りたいのに、身体が思うように動かず、ベルナルドはバクバクと音が鳴り響いてでもいるかのような心臓に、落ち着けと言い聞かせる。


「バー、ビ、」


 振り返ったベルナルドは朝日が氷に当たって乱反射する広間の中、陽の光を浴びながらそこに戻って来たその人を目にして駆け出した。


「遅いんだよ、腐れ女祭……」


 ぎゅっと腕の中に閉じ込めた身体を二度と奪われないよう、ベルナルドはキツく、キツく抱き締めた――。




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