外伝・・・イラン「存在意義は何ですか?」
この世界の「イラン」は隣国の御蔭で悲惨な国家と成っています。
さて、この世界の20世紀のイランは悲惨な運命を辿って要る事は読者のみなさんはお気づきであろう。
そう、「イギリス」に指図され「トルコ」には「攻められ」挙げ句の果ては「ソ連の進攻」で「国家解体」と本当に哀れな末路を辿って居ります。
だからこそ、第二次世界大戦後多くのイラン人の感情は「ファシズムとイスラム主義」が非常に強く芽生えて仕舞う事が叶って仕舞いました。
まず、其の感情が芽生えた理由が「イギリスの内政干渉」で有った。主な内政干渉は「資源(石油)の価格規定」をイギリスの石油会社が勝手に決めて仕舞った事である。
そして、イギリスによって「イラク侵攻=「アラビア連合」への進攻」をしろと言われて仕方が無くて攻め入りました。
当然の事トルコ政府は「イランがイラク侵攻をしたのは「イギリス」が恐喝をしたせい」と大々的に「イスラム連合加盟国(クルド、パレスチナ以外)」や自国の国民に伝えました。
当然多くの「イスラム連合の加盟国」は「イギリス政府」への怒りと「イラン帝国」への憐みと「どうしてイギリスに立ち向かわなかったのだ。」と言う募りが「イスラム連合」の「イラン帝国」に対する評価で有った。
早い話「イスラム連合内での「イラン帝国」」は「植民地主義の犠牲者」と言う感情論が流れて「昨日のイランが明日の我が身」と言う散々な評価を貰いました。
さて、その後の「イラン」は「中立宣言」と「アラビア連合軍のイラン領横断」の許可を貰いそして、「イギリス帝国連邦「インド帝国」に進攻をしました」是より「第1次世界大戦「南アジア戦線」」が開始しました。
最初は「アラビア連合」は「ドイツ製の2号戦車(史実のスペイン内戦時に活躍をした。)」を使って現在の「パキスタン」に進軍をしました。
そして、パキスタンでは事前に「アラビア連合」のスパイが「今こそ(イスラム)の名の元に「イスラム連合」に帰順せよ!!」と扇動をして「インド帝国のイスラム兵」が一勢に反乱を起こして、イギリス軍およびインド帝国軍は総崩れと成りました。
そして「インド帝国」は滅びる一因は何も「アラビア連合軍」だけでは有りません、実は「フランス共和国」が「フランス領インドシナ」の住人を使い「タイ王国」を越える許可を貰い「ビルマやバングラデシュ戦線」を築き挙げくに
「マレーシアやシンガポール及びブルネイ」にも「フランス軍」が進攻をしたので3正面作戦をしなくては行けなくなりました。
だから、「東南アジア」の「英仏」に「インド兵」を送ると「インド帝国」が「アラビア連合」に陥落をする恐れが有りますので、かといって「インド帝国」を「アラビア連合」で守って要ると「フランス兵」が「インド帝国」に侵略される恐れが有るから、「イギリス政府」は万事休すと言う状態であった。
さて、それでイギリス政府は「オーストラリア・ニュージーランド・大日本帝国」に救援命令を出しました。
それで、3カ国全てが条件付きで「対仏参戦」をしました。結果的に「フランス領インドシナ」はイギリスの手に落ちる事と成りました。
さて、時は流れて「第一次世界大戦」の終番にかかりました「第1次世界大戦」の「イラン帝国」は基本的に「帝政ドイツ・フランス・オスマントルコ」により「安定統治」の元でいました。
実の事言えば「同盟諸国」は「死傷者」を余り出していませんでした。では「同盟諸国」は「第1次世界大戦」の際何をしていたのかは「本土の活性化」様は経済力を上げるために「普段通りの生活」をしとりました。
本来「同盟諸国」が余り戦争をしないのは「連合国」を「経済破綻」をさせるべく「戦争」で相手側を「参った!!」と言わすまで其のまま「本格的な戦争」をしませんでした。
そして時は流れて「第1次欧州戦争」が行われていると「オスマン・トルコ」が逆に「中東戦線」や「アフリカ戦線」、「南アジア戦線」で「3正面作戦」をしなければ成らなくなりました。
「イスラム連合」に対して「宣戦布告」をして攻め入る事と成りまして、逆に今度は「イスラム連合」の方が「3正面作戦」をしなくてはならない状態となりました。
さて、その後のイランは「第1次欧州戦争」と同様に「イギリス帝国」の軍門下で入って居ましたとさ
だが時は流れて「第2次欧州戦争」と言う戦争が開始をさせられました、此の時「イラン帝国」は「連合国軍シンパの将校」による「軍事クーデター」により「完全にイラン皇族」は「スイスへの亡命」をしなければ成りませんでした。
そして、「連合国支配下のイラン」は「第二次欧州戦争」の際に「欧州連合国軍」と一緒に「ソ連への侵攻」をしました。
主な侵攻地域は「中央アジア」の「カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、」と「西アジア」の「グルジア、アゼルバイジャン、」に侵攻をしました。
の際に「イスラム世界」内でも「打倒連合国」の動きが活発になりました。
其れにより「イラン帝国」は「第1次欧州戦争」の際には「インド自治共和国」及び「パキスタン自治共和国」及び「ビルマ共和国」、「マラヤ共和国」等の「イギリス帝国の自治国家連合軍」に「イスラム連合の領土侵攻の「通り道宣言」」をしてくれと言われました。
だが「イラン帝国」は「イギリス帝国」の「軍門」に下っていて「先程述べた」提案を「YES」と言わなければ成りませんでした。
だからこそ此の世界での「イラン帝国」は大変に隣国に恵まれておりませんでした。




