外伝・・メキシコ「苦心の8年間」
この世界のメキシコは「第二次米墨戦争」が起きて居ます。
さて、アメリカ合衆国の南側に「メキシコ合衆国」が有ります。さてこのメキシコは「第二次米墨戦争」が残念ながら起きております。
その前に此の世界での「第1次米墨戦争」を語らなければ行けません。この世界での「第1次米墨戦争の原因」は「英米戦争」の際に「メキシコ帝国」が「アメリカ合衆国」に「宣戦布告」をして最終的には負けてしまった。
だが此の世界では「米墨戦争」と「米英戦争」は殆ど同じ時期に行われておりました。
だからこの2つの戦争を合わせて「第1次北米戦争」と呼ばれております。
その前にこの「米英戦争時」の「メキシコ」は「議会君主制」を取っておりましたし何より「メキシコとアメリカ」は「相互不可侵条約」を結んでおりましたし。
何より「テキサス共和国」を「緩衛国家」と事前に結ばせておりました。では何故「メキシコ帝国」は「義勇軍の派遣」をしたのでしょうか?
答えは簡単で「アメリカ合衆国」が「イギリス帝国」に勝てる訳がない思っておりましたし、「史実の世界にはない」国家に「フランキア王国」が関係をしてきます。
そもそも此の世界では「メキシコ帝国」は史実の「メキシコ第1帝政」や「メキシコ第2帝政」の方では無く「ヌエバ・エスパーニャの副王」が「スペイン王国」に対して反旗を翻した結果「メキシコ帝国」が出来ました。
さて此の世界での「メキシコ皇帝」の「初代皇帝」に成ったのは史実の「カルロス4世」でした。
では何故「元スペイン皇帝」が「メキシコ皇帝」に成ったのだろうか?答えは非常に簡単である。
「歴史改変のつけ」だと思えばいいです。此の世界での「ナポレオン」は早い段階で「スペイン侵攻」をしました。
それで「スペイン王家」は「メキシコ」等の「南米のスペイン植民地」に「亡命」をしました。
だから「本国スペイン」の「新王家 ボナパルト朝スペイン」に対して反抗をする為に「スペインの南米植民地 又の名を「スペインの副王領」」を「独立」させました。
そして此の世界での「ボナパルト朝 スペイン王国の崩壊」は「1850年代」まで待たなければ行けませんでした。
そして「南米領及び中米のスペイン領」は全て「ボナパルト朝 スペイン王国」を見限りましたので史実より早く「1800年3月21日」に「メキシコ帝国」は「独立宣言」を掲げました。
さて此の「1800年代の北米」の世界は「アメリカ合衆国」は「最初の13州+フロリダ」しか有りませんでした。
この「フロリダ州」は「メキシコ帝国」が「アメリカ合衆国」に売りつけた物である。
そして「アメリカ中部」は「フランス帝国領」で有りました。何故「フランス帝国」は「アメリカ合衆国」に史実なら「売却」はしずにいたかを書かなければ行けません。
理由1は「史実以上にフランスが北米経営に着手をした事」理由2は「フランス王国の欧州情勢の非介入だった事」です。
其の事により「フランス領アメリカ」は「アメリカ合衆国」と「メキシコ帝国」のより良い「緩衛地帯」と成っておりました。
そして此の世界で非常に面白いのが「フランス革命」により「ブルボン王朝のフランス王家」は「フランス植民地」に対して「亡命先」にしました。
其の事により「フランスのブルボン王家」は「アメリカの大地」で「ケベック王国」として細々と「本土復帰」を夢見ておりました。
だからこそ「ボナパルト朝フランス」は「ブルボン王朝フランス王家」に有る「嫌がらせ」をする事をしました。
その行為は「仏米同盟」である。
では何故「ボナパルト朝」は上記の「仏米同盟」をしたかを書かなければ成りません。
理由1は「対メキシコ対策」が関係をしております。
先程も述べたとおりに此の世界の「メキシコ帝国」は「旧スペイン帝国の皇族」が「ボナパルト朝スペイン帝国」に対する「抵抗目的」で「メキシコ帝国」を作りました。
だから「アメリカ合衆国」が「メキシコ帝国」と「相互不可侵条約」を結んだ日には「フランキア王国」は「2正面作戦」をしなければ成りませんでした。
だから先手を打ち「フランキア王国」は「アメリカ合衆国」に対して「相互不可侵及び相互扶助条約」を結ぶ事に成りました。
そして理由2は「イギリス帝国」の「北米の植民地経営の邪魔をさせる為」と実の事言えば「メキシコ・イギリス相互扶助及び攻防支援条約」を先ほどの「相互不可侵条約」より早く「1805年6月21日」に結ぶ事に成りました。
だからこそ「フ米不可侵条約」は「1807年7月21日」に結ぶ事に成りました。
では歴史のその後を書かなければ行けません。先程の「フ米不可侵条約締結」から「5年」が過ぎて史実と同じく「米英戦争」が行われました。
其れにより「メキシコ帝国」は「対米宣戦」と「対フ宣戦」と「英国支援」を宣言をしました。
この「メキシコ帝国」が何故に「イギリス帝国」と「軍事同盟」を結んだかを書かなければ行けません。
理由1は「アメリカ合衆国への権勢」である。意外と知られていない話此の世界での「キューバ」等の「スペイン領のカリブ海の島々」は「ボナパルト朝スペイン」が出来た際に「メキシコ帝国」の方に「帰順」をしておりました。
理由2は「フランスの権勢」の為にそのライバルである「イギリス」を使い「フランスの影響力」がある国を減らす事が「メキシコ帝国」は望んでおりました。
其れにより「この世界」の後の世界史では「露墨戦争」や「露英戦争」「米英戦争」、「英フ戦争」と「第1次米墨戦争」や「墨フ戦争」と言われてすべて合わせて「第1次北米戦争」と呼ばれるようになりました。
この「第1次北米戦争」は大きな歴史的な意味を持つ事に成りました。理由を上げるならば「嘗ての植民地が宗主国に勝つ」や「共和制国家が帝政国家に勝つ」この大きな意味合いが「第1次北米戦争」には見え隠れをします。
そしてこの戦争の凄さは何を隠そう「戦争時気の長さ」が凄いのであります。なんと此の戦争は「25年間」も断続的に続いておりました。
さて此の戦争で「メキシコ帝国」は「テキサス州」と「ニューメキシコ州」と「カルフォルニア州」を分捕られた挙句に「帝政の破棄」に成りました。
結果的に「メキシコ帝国」は此の戦争により没落の道を歩む事に成りました。
さて話を戻すが、「第二次米墨戦争」が起きた理由は「ドイツの貿易、石油の国有化」が大きな理由だと言われています。
まず、「ドイツの貿易」に関しては別にアメリカも「ドイツ」と貿易をしていました。
なら何故貿易をしたから「戦争だ―!!」と言う状態に成ったのかは「必要以上の貿易をすると「ドイツ」の力が復活をする」と言う「危惧」から、
アメリカ合衆国は「おい「メキシコ」よ「ナチスドイツ」との貿易額を今の2分の1まで減らせ!!」とアメリカ政府(正確に言えばユダヤの財界の連中)が言いました。
当前メキシコ政府は「解りました。(チクショー何時かその傲慢な態度を圧し折ってやる!!)」と無く無く「ドイツ」の貿易額を減らし替わりに「日本やポーランド」にシフトをしました。
さて、メキシコには事実と違い「独逸人」が非常に多いそうで人口の「4分の1」がドイツ系のメキシコ人でしたので「中米のドイツ」と揶揄をされています。
その「ドイツ系メキシコ人」が多い理由は本来は「アメリカ合衆国」に行く筈だった「ドイツ移民」がアメリカ合衆国には行かずに「メキシコ」に移住したからと1880年代から「ドイツ帝国」による「メキシコ移住事業」多く理曲です。
だから、「アイン・シュタイン」も「オッペンハイマー」も「メキシコ国籍」を持っております。
さて、石油の国営化は「アメリカやヨーロッパ石油会社の株をメキシコ政府」が直々に買う事が この世界での「石油の国有化」の意味である。
当然の話「資本主義」の観点から見て「セーフ」で有るから、メキシコの対応を見てアメリカは「「メキシコ」は最近やたら賢く俺達を挑発して居るな、ソンジャ、イっチョ戦争をしますか」と言う状態に成りました。
勿論、何か大義名分が無ければ「対メキシコ戦争」がする事が叶いません。だからアメリカは「メキシコ政府の上層部は「ドイツ帝国」の指揮官だった人間が支配していた。
当然の事多くのメキシコ人はこの事を知らない、メキシコ上層部は「この事を何も知らないメキシコ人を使って」早い話を言うなれば「対米戦争をする気だ。」とアメリカのマスコミは囃したてました。
当然の事多くのアメリカ人は「独逸人は本当に卑劣だ。」と言う反独感情が非常に強かったです。」
そして「アメリカ合衆国」の方が「メキシコ系がアメリカ合衆国に来る理田が「ドイツ系が職を奪った」だからアメリカに行かなければ成らなかった。」
そして、アメリカの「自由」はまやかしだと「ドイツ人系メキシコ人」が「メキシコ」で「他のメキシコ人」が「反米教育」をしているんだ。
と「ガセネタ」を「アメリカのマスコミ」はアメリカ人に伝えました。だからこそ「反墨運動」が非常に高く成りました。
さて「第二次米墨戦争」が起って仕舞った理由は「ニューメキシコ事件」と
「テキサス事件」と「カルフォルニア事件」や「ワシントン事件」及び「ニューヨーク事件」を述べなくてはいけない。
両事件は内容が非常似ていて否全部一緒で「メキシコ系の民族過激派が「ラテン系の地位向上」と「旧米墨戦争で取られた地域に住んでいる「メキシコ人」の差別撤廃」を掲げた集団が白昼堂々に集団的な虐殺テロをした事件」である。
当然アメリカ国民は「反墨」機運が高く成りまして、この事件の裏側には「ドイツ系メキシコ人」が裏で操る事をしていたんだと「アメリカ人」は本気で思っていました。
当然この事件の黒幕は「メキシコ政府」では無くて「アメリカ政府のタカ派」共が考え実行をさせた事件で有った。
こうして、「1933年11月27日10時20分」にアメリカによる宣戦布告により「第二次米墨戦争」が切って落とされました。
さて、「第二次米独戦争」は当初アメリカ政府は「4か月も有れば降伏をするだろう。」と非常に楽観視をしました。
だが、戦争は「3年」も及びました。如何してメキシコ軍は「アメリカ」に対して事前に戦争が起きる事を知っていました。
そして、ドイツ軍の軍事技術を「メキシコ軍」は持っていましたから初番はメキシコ軍の方が「アメリカ合衆国」の方が押されていて「テキサス、ニューメキシコ、カルフォルニア」又の名を「旧メキシコ領」を占領する事が可能と成っていました。・
だが、時は中盤に成って行くと「カナダ、ブラジル、イギリス、フランス」が「アメリカ側」に参戦をしていき。「メキシコ軍」は次第に劣勢に成って行きました。
こうして、メキシコ軍は敗戦と成りました。この戦いを「北米戦争」と日本や多くの第三国では呼ばれる様に成りました。
メキシコ政府は第二次世界大戦の最初の方は「連合国」として、「アフリカ戦線」や「南米戦線」で仕方が無く「有色人種」と戦いました。
そしてアメリカが劣勢に成って行くと「1942年9月11日」に「軍事クーデター」が発生をして「親米政権」が崩壊と成り、メキシコは「対米戦争」の突入をする事と成りました。
メキシコの教科書には「911」と言えば、この「軍事クーデター」を指す事が多く成りました。
これにより「アメリカ合衆国」は隣国が敵国に成り「3正面作戦」をしなくてはならなくなりました。
これにより、このメキシコ軍のアメリカ進攻をメキシコは「第三次米墨戦争」と言い世界の国々は「北米戦線(メキシコ+ソ連+EUVSアメリカ+自由諸国の亡命軍+カナダ)」と言う様に成りました。
こうして、メキシコは三度目で「アメリカ合衆国」に勝つ事が出来ました。




