第61話 紫華京とクラウスの説得
毒眼竜アザハル。副団長の悪評について、クラウス自身も以前から耳にはしていた。陰湿なうえに腹黒、なおかつ狡猾な男として知られている。だが、それもあくまで噂。騎士としての仁義を通し、彼はこれまで心の内に留めていた。
まさかここまでのことをする男だったとは──。おそらく、この毒について知っているのも、アザハルに忠誠を誓うごく少数の者達に限られるだろう。
無論、クラウスにはアザハルに対しての忠誠心など微塵もない。彼にとっての忠誠心は、今となっては騎士団の所属すらも外れた『光の魔剣士ミサラ・グレイシアス』ただ一人にあるのだから。
そんなクラウスがなぜ、あの毒がアザハルによるものだと気づけたのか……。今日に至るまでの副団長の言動、同調する騎士たちの不穏な動き、『紫華京』の匂い──。
紫華京とは、その名のとおり紫の花びらが美しい花。だが、その花を咲かせることは滅多になく、希少さゆえに恐れられることも少なかった。当然、その匂いを知る者も花同様に稀だろう。
クラウスが知っているのは、幼少時代にその花を摘んで帰り、母親からこっぴどく叱られた苦い記憶が残っていたからだ。彼は今回、壺から立ちのぼった毒素を無防備にも吸い込んでしまった。生死の淵を彷徨うほどに脳を揺らされた結果、忘れかけていた花の香りを鮮明に思い出したのだ。
自ら摘んだ紫華京の花の香り、そして、アザハルとすれ違った際に鼻を掠めたあの匂い。これらが一本の線として繋がり、確信は確固不動の域へと達した。
「頼む、僕を信じて欲しい。アザハルは毒を撒いて石像を転がせと、自らに忠義ある部下にだけ命じていたようだ。その間、何も知らぬ他多くの騎士は、城の警備に回されている。要はここにいる騎士のほとんどは、アザハルの命で動く国賊どもだ」
クラウスの強き意志で満たされた瞳に、アーリナもまた真剣な眼差しで応えた。あの目は、決して嘘などついていない。彼女がガトリフに目をやると、ただ静かに頷いた。どうやら彼も同じ思いのようだ。
ガトリフはクラウスに視線を落とし、「ならばここからどうする?」と尋ねた。
「ああ、それなんだが、先にバジリスクをどうにかして捕らえられないかと思っているんだ……いや、厳密には蛇がつけてる首飾りだ。いくら民たちからの証言があったとしても、やはり物証は押さえておきたい。ただ、僕一人では──」
「ぎしゃしゃ?」
「……へっ?」
そのとき、彼の目の前に身の丈ほどの蛇が姿を現した。首を横に倒し、不思議そうに見つめる蛇につられて、クラウスもまた首を捻った。
「ねえ、首飾りってあれのことでしょ? 魔石つきの首輪だけど」
確かに首飾りというには可愛げのない、紫色の魔石がついた重厚な鉄製の首輪がそこにあった。依然として瘴気のようなものが溢れ、彼らは辺りで拾った荷車に乗せてここまで運んできたのだ。
クラウスは目を丸くし「ということは、この蛇……」と口をあんぐり。これに三人揃って『バジリスク』であることを告げた。
「え、ええーっ! い、いやまあ、たっ、たしかに小さいけど特徴は……あ、あるかな……」
クラウスはおどおどと蛇の周りを慎重に見回し、アーリナの目に視線を重ねる。
「どう? まあバジコはともかく、必要なのはあの首輪の方でしょ?」
「バジ、コ?」
困惑するクラウスに、彼女たちはここまでの経緯を話すことにした。どうやら悪党ではないっぽいし、いざとなればこっちは三人で、彼は一人、どうにかなると思ったから。
あまり時間がないので端折って説明──。
「で、こんな感じなんだけど理解できた?」
「あ、ああ……でも、魔物を従えるって、君は一体何者なんだい? 一体どうやって……」
「ま、まあそれはいいじゃない。私が連れて帰るし、王都には迷惑かけないから」
「ん? いや、ちょっと待ってくれ……何を言っているんだ、連れて帰るって。伝説の魔物だぞ。悪いが、バジリスクは王国騎士団の管理下に置く。このまま引き渡してもらおう」
互いに多くの話を分かり合えたが、やはり最後の焦点はバジリスクに向けられていた。バジリスクとは、北の海域に封印されし強大な力を持つ魔物。その封印が解かれ、今はラーズベルド王国の脅威となってここに存在しているのだ。
クラウスからすれば、一刻も早く捕らえて、その措置を王国評議会に委ねることこそが責務であると考えている。けれども、アーリナはそれを全力で拒否した。
「ぜ~ったいに嫌! バジコはもう私の仲間! この光る斧で斬ったら、邪悪な心はなくなるの! だから大丈夫なの!」
「ったく、次から次に何なんだ。確かに光っているようだが、そんな効果のある魔製装備など訊いたこともない。仮にそれが真実ならば、その斧も渡してもらおう。国家の安全に関わる」
アーリナとクラウスがいがみ合い、それに呆れたザラクとガトリフは「やれやれ」と溜め息を零す。一方バスケスは首輪を積んだ荷車の近くで、ただ暇そうにぼうっとしていた。
クラウスが斧を取り上げようと手を伸ばせば、アーリナがガブリと噛みつき、何とも見苦しい攻防が繰り広げられた。ガトリフが見かねて「いい加減にしろ!」と一喝するも、「ガトリフさんはどっちの味方なのよ!」と間髪入れずに反撃を受ける。
しかし続く言葉で、この大騒ぎが何事もなかったかのように静まり返った。
「絶対に渡さないわ! ミサラに貰った大切な斧なの!」
「このっ、ん……」
子供相手にムキになっていた正義の騎士クラウス・ジルモア。ミサラという神の言葉を耳に捧げられ、騎士としての振る舞いを今一度戒めた。
「い、今……ミサラ様って、言ったのかい?」
「はぇ? う、うん……そうだけど……」
アーリナの返事に、クラウスは下瞼で受けきれないほどの涙を浮かべた。よもやこのようなところで、その麗しき神の名を訊くことになるとは──。
(いや、そういえば……この子の名はたしか『アーリナ』だと言っていたな……そ、そうだ! ミサラ様はクルーセル家へ奉公に──)
曇に曇っていた彼の心はミサラを中心に浄化された。代わりに得たのは、透きとおるほどの真実と希望溢れる光であった。自然とその頬は緩み、アーリナからしてみれば、急にニヤケ顔となった彼を前に気持ち悪さを覚えてしまった。
「確かめたいんだが、ミサラ様とは元騎士、光の魔剣士のことに相違ないな?」
「え、そ、そうね……」
「そうか、君だったのか! フィットリア家のご令嬢アーリナ様。なるほど……ミサラ様なら、そのような神の斧を生み出したとしても何ら不思議ではない。あの方は神なのだからな。よしっ! アーリナ様、バジリスクは貴方に任せましょう。そしてこれより、私は貴方にも忠誠を誓います!」
「はぇ?」「は?」「おいおい、嬢ちゃん……」
青天の霹靂とも呼べるクラウスの方針転換に、三人は揃って呆気に取られた。その頃、少し離れた荷車の傍でバスケスは「まだっぺかあ」と鼻をほじほじ愚痴っていた。




