第60話 毒眼竜アザハル
「うっ、こっ、ここは……」
今にも崩れ落ちそうな瓦礫の山。闇夜に溶けゆく仄かな朱色──クラウス・ジルモアが意識を取り戻した。彼が仰向けのまま、黒煙の揺らぐ夜空に手を伸ばしたそのとき、パシッっと小さな手が握った。
「よかった、このまま目覚めないじゃないかと思って心配したよ」
声に視線を向ける。赤毛の女の子が僕の手を握り笑っている。そういえば、僕は壺の匂いで倒れたんだっけ? ということはひょっとして、彼女が助けてくれたのだろうか?──クラウスはゆっくりと体を起こし、「君は?」と尋ねる。
「私はアーリナ。あなた、頭の方は大丈夫?」
「ああ」とさりげなく返しつつも、いきなり初対面で失礼なことをいう子供だ、と、クラウスは思う。
「それにしてもあの毒壺、すっごい湯気上がってるもんね。さては思いっきり吸い込んじゃったんでしょ? ここにくるまで目も逝っちゃってし、思わず笑っちゃった」
やはりこの子は失礼極まりないお子だ。目が逝ってるとか、僕がまるで薬漬けみたいじゃないか。それに、人が死にかけてるのに笑っちゃったってなんだ──。
「ゴホンッ!」
クラウスは、わざとらしく咳ばらいを挟んだ。とにもかくにも先ずは礼だ。状況から鑑みるに彼女が助けてくれたのは間違いない。どんな時であろうとも礼節を重んじ、心を乱さぬことこそが『ミサラ様の教え』であると、彼は自らに今一度戒めた。
「君が僕を助けてくれたんだね……心から感謝する。でも、ここは危険だ。一刻も早く、君はこの町を離れたほうがいい」
「それはできないよ。だってあなたたち、悪者なんでしょ? 目を覚ましてくれて助かったわ。企みを聞き出せなくなるところだったもの」
「んっ? 君は何を言って……」
突然、不穏の帳がおりた。後ろから両腕をガッチリと掴まれ、隻眼の男が右肩から顔を覗かせる。そしてもう一人。二本の刃を摺り合わせながら近づく少年の姿があった。
「ったく、口を割るのかそいつ。他はてんでダメだったみたいだぜ。それにアーリナ、この辺は粗方片づいたが急いだほうがいい」
「分かってるけど、やっと目を覚ましたとこなの」
「ところで嬢ちゃん、こいつの拷問は任せてくれるか? 俺の町を滅茶苦茶にしやがって……」
どうも様子がおかしい。明らかに僕が疑われている。クラウスは額に大粒の汗を浮かべ、「君たち、何か勘違いをしているんじゃないか?」と警戒する声音を置いた。
「勘違い?」
クラウスの右肩で琥珀色の眼光が鋭く光った。圧倒的な威圧感。クラウスの二の腕をすっぽり覆うほどの大きな手が、肉に食い込むほどの力で締め上げる。
「くっ、ちょ、ちょっと待ってくれ……頼む、僕の話を訊きたいんだろ!」
男の大きな吐息で、クラウスの金髪が揺れた。掴まれた腕が解放され、隣にドスンと大男が腰を下ろした。
「ならばさっさと話せ悪党。だが偽りを述べようものなら、その喉、矢で射抜いてやるからな」
彼らが僕のことを敵視しているあたり、王国騎士団こそがこの町を襲った元凶であると考えているのは疑いようもない。襲撃してきた騎士と刃でも交えたのか、あるいは、そのような輩が凶行に及ぶ場面を目撃してしまったのだろうか。
クラウスは生唾で喉を鳴らし「落ち着いてくれ」と前置きして語りだした。
「急がねばならないのは僕も分かっている。だから率直に言おう。この町の惨状を生み出したのは、王国騎士団副団長アザハル・カリファスだ。あの男は、バジリスクを盾にこの町を潰そうとしている」
「それで、目的は何だ? なぜそうまでして潰そうとする。守るべきはずの町ではないのか! お前ら騎士団は──」
「違う! 断じて騎士団の総意などではない。現に僕は守るために来たんだ!」
「守るためか……なあガトリフのオッサン。そういやあ前もバジリスクがきて、そんときは騎士団にも被害が出てたんだよな?」
「ああ少年、別個体の時の話か」
「おそらくそれも違う。これには僕の推論も混じるが、別個体などいやしないんだ」
ザラクとガトリフのやり取りをクラウスが否定した。彼はここまでに多くの民を救いながら、言質を取っていたのだ。
民たちは一様にして同じことを言っていた。突如として騎士が液体をぶちまけたとか、バジリスクから離れた場所に石像を転がす者達もいたと。
そして極めつけは、前回襲撃の際、蛇の首元に何かをぶら下げるアザハル本人を目撃したというのだ。無論、今回現れたバジリスクの首元に同じ首飾りがついていたということも確認している──。
そもそもバジリスク自体が数千年に一体生まれるかどうかの希少な魔物。王都バルムトの古文書にそう記されている。そんな魔物が同時期に二体も、このドレイク自治区に現れるなど考えにくい。
クラウスはこれら全てを隠すことなく彼らに伝えた。騎士という立場を考えるのならば、本来口を噤むべきことなのだろう。だが、一つの町が、いやこの国自体が危機的状況を迎えている今、そうも言ってはいられなかった──そしてもう一つ。壺から立ちのぼる匂いで確信した。あれは紛れもなく、僕の知る毒だ。
「それと壺のことだが、あれはアザハルが作った毒だ」
「副団長が毒? そんなん作って一体何してんの? 騎士じゃなくて闇魔術でもやってんの?」
アーリナは首を傾げ、クラウスは眉を顰めて答えた。
「あの男の隠された二つ名は『毒眼竜』──剣に自ら生み出した毒を塗って戦う。だからこそ、あの匂いでハッキリしたんだ」




