拾壱 雲吉の失敗談
その夜、微熱が出た。肺炎にならずにそれ位で済んだのは、全く爺ちゃんのお蔭だ。
そうそう、爺ちゃんの名前をまだ言っていなかったが、雲吉と書いて、くもきちと読む。
前にも書いたが、おれの実家は昔は庄屋であったが、戦後の農地改革ですっかり没落してしまった。
おれの曽祖父に当たる、爺ちゃんの父親は、これも苗字が悪いからだと嘆き、爺ちゃんが産まれた時に、運吉と名付けようとした。すると曾祖母が、それでは悪戯小僧どもにウンチと呼ばれてからかわれてしまうと、泣いて反対したらしい。
それで苦し紛れに、運を雲に換えたうえで、くもきちと読ませるようにしたらしいが、それでもやっぱりあだ名はウンチだったと、爺ちゃんは笑っていた。
爺ちゃんは、まだ子供だったおれに、色々あやかしどもの話を聞かせてくれたあと、よく口癖のように言っていた。
「だから、女には気を付けないといけないよ」と。
例えば、こういう話だ。
夜道を歩いていると、不意に木の陰から女が現れて、声を掛けられる。
「いったい、妖怪と人間というのはどっちが偉いのだろう」
横を向いているうえに手ぬぐいをかぶっているので、顔はよく見えない。しかし、尻のほうから尻尾が覗いている。
それでうっかり相手を侮って、「そりゃあ、人間に決まっている」などと答えてはいけない。
「なぜだい?」と必ず問い返される。
「なぜでもさ」
「ちゃんと理由をお言い。訳も言わずに一方的にそんなことを言われると、どうにも理不尽だと思えてしようがないんだがね」
「いくら理不尽だと言われたって、やっぱり人間のほうが偉いに決まっている」
「じゃあ、妖怪と人間はどっちが怖いかい?」
「そりゃあ、人間に決まっている」
「なぜだい?」
「なぜって、妖怪には知恵というものがない。知恵のある人間のほうが、どうしたって怖いに決まっている」
「しかしそれでは、どうにも理不尽だとしか思えないんだがね」
そんな押し問答が延々と続くので、最後は降参して逃げ出すしかない。すると、道をすれ違う人、すれ違う人がなぜか皆大笑いしている。
いつの間にか兵児帯と褌を抜き取られていて、天下の往来で大恥を掻かされるというわけだ。
実を言うと、わしも若い頃、これにやられたことがあるんじゃ。
こいつは数ある妖怪の中で最も質の悪い妖怪のひとつで、「理夫人」だとか「狸夫人」だとかいう名で呼ばれておる。
だから、決して女と議論してはいけないよ。
と、こういう風にいつも話は終わるのだった。




