しるし(4)
コテージへ帰ってからも、異世界先輩の態度は妙だとニカには映った。
この状況でいつもの調子ではしゃがれるのも、それはそれで困ったものだが、奇妙に大人しいのも、それはそれで気にかかる。
異世界先輩の右こめかみあたりに浮き出た「しるし」も、消えないままだった。
「まあ、なにか現れても、こっちは一応火法が使えるわけだし」
ニカも宇津季も不安に思っていることを察したのだろう。筒井筒はそう言って、四人のあいだに流れる微妙な空気を払拭しようとした。
「そう言えば、あのおじいさんは海神がヘンピトの可能性については言及していなかったね」
異世界先輩も、いつもよりは落ち着いていたが、普段のトーンに近い声でそんなことを言う。
「言わなかったってことは、ヘンピトじゃないのかな」
「さあな。じいさんの口ぶりだと昔からいる存在みたいだが、それが同一の個体だとは限らないだろうし」
「海神と呼ばれるなんらかの種族が脈々とこの地に根付いているから、駆除してもキリがない……とかだったりして」
「B級映画のシナリオか?」
筒井筒の辛辣な感想に、異世界先輩は「えー」と言って不満そうな顔をした。微笑んではいたが、先ほどニカが感じたような、薄ら笑いとは違う微笑だった。
それを見て、ニカは思わず隣に座る宇津季に目をやる。宇津季の眉間にはかすかに力が入っていた。
「それよりも課題やらなくていいの?」
「やるよ。お前もやるんだろ? 他人事みたいに言ってっけど」
「私はつっくんたちより少ないだろうし」
異世界先輩の顔に出た「しるし」にまつわる話は気になるが、それよりも明日には学園へと帰る予定だ。そして連休最終日でもあるから、明後日の朝までに出された課題は終わらせておかなければならない。
ニカは急に現実が押し寄せてきて、少々憂鬱な気持ちになるような、いっとき「しるし」について忘れられることを幸いに思うような、複雑な感情を喚起させられた。
「一番大変なのつっくんじゃない? 龍田くんと美平くんはつっくんに聞けるけど、つっくんはそうじゃないし」
「……俺はこれでも、結構優等生なほうなんだよ」
「知ってる」
ごちゃごちゃと言い合いをしつつ、四人はダイニングテーブルでそろって課題の始末に取り掛かることになった。
その後は昼前にコテージから最寄りのコンビニエンスストアへ行き、「あまりにも遠すぎる」などとおしゃべりしながら弁当を買って帰り、食後はまた課題というスケジュールをこなした。
一番に課題を終えたのは異世界先輩で、余った時間で改めてコテージの内観写真を撮ったり、記事の叩き台を作るなどしていた。
次に課題を終えたのは、自ら「結構優等生」と言っていた筒井筒だ。
ニカと宇津季は筒井筒が課題を先に終えたのをいいことに、自分たちの課題を見てもらうことにした。
後輩の頼みにも嫌な顔をせず引き受けてくれるところは、やはり世話焼きな筒井筒らしい。
筒井筒の指導を受けつつ、もっとも難航していた火法の歴史に関するレポートをニカと宇津季が書き終えたころには、外は夕暮れの色に染まっていた。
異世界先輩はふたりがレポートを書き終えるちょっと前に、コテージの戸締りを確認しに行っており、遠くから雨戸を閉める音が聞こえてきた。
それからややあって、リビングルームに異世界先輩が戻ってくる。
「ちゃんと戸締りしたか?」
「したよー。あと風呂のスイッチ入れてきた。夕食たべ終わるころには溜まってるんじゃないかな」
「じゃあ夕食にするか」
リビングルームに設置された大画面テレビで流すのはバラエティー番組ではなく、ニュース番組だった。
しかしそれは埋め草のようなもので、だれもこの地方のローカルニュースの映像を見ていない。
「……それ、消えねえな」
筒井筒が言う「それ」がなんなのかは、改めて言われるまでもなく、みんなに伝わっていた。
ニカがこっそり異世界先輩の顔を見れば、その右こめかみのあたりは、相変わらずアザのようなものが広がっている。
悪化している様子はないが、色が引くような気配もない。と言っても、アザのようなものが出てから、一日も経っていないのでそれは当たり前かもしれなかった。
「まだ痛いですか……?」
「最初ほどの痛みはないけれど……でもやっぱりちょっと気になるかな」
宇津季が心配そうな声で聞く。
たしかに、このアザのようなもの――「しるし」が現れたときに異世界先輩は「痛い」と言っていた。
今は痛みはさほどないようだが、この「しるし」が消えるまでにどれほどの期間がかかるのかは気になった。
あの地元民らしき老人の口ぶりでは、この土地を離れれば自然と消えるように聞こえたが……。
「あ、そうだ。一応オーナーにもこの話を送っておいたんだけど、海神の話とかは初耳だったみたい」
「じゃあ、あのじいさんの話が本当かどうかはわからずじまいか」
「オーナーは生まれはこのあたりなんだけれど、育った土地は違うから初耳だったみたいだよ。ああ、でもネットであそこの海辺の話はあって、色々と謂れがあるのに海水浴場にしてその後閉鎖したって話は本当みたい」
「……色々話は出てきましたけど、どれが本当でなにが嘘なのかはよくわかりませんね……」
宇津季の言葉に、筒井筒は憂いを含んだ目でうなずき、異世界先輩を見た。
「先に言っておくけど、なにがあっても外に出たりするなよ。海神の話がどこまで本当かはわからねえけど、実際に客は消えてるらしいし、お前の顔になんか変なアザは出てるし――」
「わかってるよ」
みなまで言うなとばかりに、異世界先輩は筒井筒の言葉を食い気味に答えた。
しかしその顔には、薄ら笑いが浮かんでいるようにニカには見えた。




