エピローグ
「優里、はいこれ。お土産」
いつきから受け取った袋の中から顔を出したのは、サンタクロースの帽子をかぶった『シャドウ』のぬいぐるみ。クリスマスの時期だけ販売される限定ものだった。
「わぁ、いつき、これ、よく手に入ったね。ありがとう」
そう言って、ぬいぐるみを抱きしめてみせる私。そこが、ファストフード店の中であることを忘れてしまっていた。
「気に入ってもらえてよかった。なにしろ、それを手に入れるのに、三十分も待ったんだからね」
いつきは、カフェラテを啜りながら、目を細める。
「え~っ、せっかくの彼氏とのデートだったのに、なんだか悪いよ……」
眉をハの字にする私に、いつきは、
「彼ったら優しいから、『いつきの友達のために僕も付き合うよ』って言って、一緒に並んでくれたんだ」
と、今度は笑顔で言った。
「そっ、そうだったんだ……でも、ありがとう。大切にするからね」
「うん、それにちゃんと、ツリーの前で、『優里が大切な人と出会えますように』って、優里のことをお願いしておいたからね」
前のテーブルに身を乗り出すように話すいつきに、私は少し頬を赤らめながら、「うん」と頷いた。
まわりの席では、冬休みに入ったと思しき女子高生たちが、友達同士でスマホの画面を見せ合いながら、何やら楽しそうに話している。そんな彼女たちの姿に視線を遣った後、いつきが徐に口にした。
「そう言えばさ、私、『アメリカンパーク』の中で、不思議なことがあったんだ」
「不思議なこと?」
口をポカンと開けて、訊き返す私。
「多分、他人の空似だと思うんだけど、パークのツリーの前で、優里にそっくりな人を見たの。その人が身につけていた服も、いつも優里が好んで着ていそうな紺のニットに、薄い色のスカートだったし……でも、優里がパークの中にいるはずはないしね」
「へぇ、私によく似た人かぁ……」
そう軽く聞き流すように答えながら、私はクリスマスイブの日のことを思い出していた。
いつきが見たという私によく似た女性、それは恐らく私のことだろう。実はイブの日、私は一人で『アメリカンパーク』に行った。それは、弟との約束を果たすため。
イブの日の『アメリカンパーク』は、家族連れやカップルたちで混雑していた。エントランスをくぐり抜けた後、私は一人でアトラクションに乗ろうかと思ったけれど、まわりの喧騒に気が引けてしまった。だから、ショップを見てパーク内を散策してからは、ずっとクリスマスツリーのそばのベンチに腰かけて、道行く人たちをぼんやりと眺めていたのだった。
そして、いつしか日が暮れて、ゲストたちが見守る中で点灯されたクリスマスツリー。肩を寄せ合いながら、思い思いの時間を過ごすカップルたちに紛れて、ツリーの前に立った私は、そっと目を閉じて、鏡の中で見たあの男の子の姿に思いを馳せた。
『天国で過ごしている私の弟と、会えますように……』
イブの日のクリスマスツリーに込める願い事としては、少しそぐわないことだったかも知れないが、もしも弟が今も一人でどこかを彷徨っているのとしたら、血の繋がった姉として、きっちりと弟がいたことをこの目で確かめて、弟の冥福を祈りたかった。
いつきは、彼氏と『アメリカンパーク』で過ごしたことを、話したくして仕方がない様子だった。『シャドウ』と『ルナ』と一緒に写真を撮ったことや、一番人気のアトラクションに予約なしで乗れたことなどを、時間が過ぎるのも忘れて話していた。
店を出た頃には、すっかり日が暮れていた。温かいお店の中に長時間いた私は、吹きつける北風に思わず身を縮める。そのままいつきとは別れて、私は一人家路へと就く。星たちが輝く冬の澄み切った空のもと、丘の上へと続く坂道を上りきったところにある私の家、ガレージの奥に自転車を停めると、何げなくポストを覗いた。
ポストには、何通か郵便が届いたままになっていた。門灯の明かりに近づけて、それらを確かめてみる。電気料金の変更を知らせるハガキや、初売りを予告する家電量販店のダイレクトメールに混じって、私宛ての茶封筒が入っていた。
裏を見てみると、祖母の名前が書かれていた。祖母なら、こないだも会ったところだった。私に何か用事があるのなら、何も郵便で送らなくても、手渡ししてくれればよかったのにと思いつつ、茶封筒の封を破ってみる。中に入っていたのは、『シャドウ』と『ルナ』のイラストがプリントされている白の封筒。その表には、祖母の住所と私の名前が印字されている。どうやら、祖母の家に届いた私宛ての郵便を、祖母が転送してくれたようだった。
それにしても、不思議だった。どうして私宛ての封筒が、祖母の家に届いたのだろう。一体誰がこの手紙を出したのかが気になって、裏の差出人の名前を見てみる。
『〝アメリカンパーク〟開園十五周年記念メモリアルイベント事務局』
「えっ、なにこれ……十五周年記念? 確か、今年は開園三十周年を迎えたはずだけど……」
そう、開園三十周年に合わせて、今年、新エリアがオープンしたはずだったし、いつきがお土産に買ってきてくれた『シャドウ』のぬいぐるみにも、『30th Aniversary』の記念タグが取り付けられていた。開園十五周年と言えば、私がまだ五歳の頃。その頃に行われたメモリアルイベントと私とが、どう関係していると言うのだろう。
私は、とりあえず他の郵便とともに、その封筒を鞄の中にしまうと、家の中に入った。入るなり、母から、
「おかえり。夕飯できているわよ」
と、声をかけられたので、私はそのままダイニングへと向かう。
母が用意していたのは、あつあつのおでんだった。この時期は、温かいものが恋しくなる季節。私は、いつものように母と向かい合って、おでんをつついた。
食べ終わって、部屋に向かおうとしたとき、ふと鞄の中に郵便を入れっ放しにしていたことを思い出した。
「あっ、お母さん、郵便入っていたよ。はい、これ」
どちらも必要のなさそうなものだったが、私が持っていても仕方がなかったから、とりあえず母に渡した。
「あら、今日は年末のお掃除で忙しかったから、すっかり忘れてしまっていたわ」
そう答えて、母はこれといって表情を変えることなく、郵便を受け取る。
その母に向かって、私はそれとなく探りを入れてみた。
「ねぇ、お母さん、私って幼い頃に、『アメリカンパーク』に行ったことってあったかな」
母は、飲んでいたお茶でむせそうになりながら、
「どっ、どうしたの、急に……」
と、答えた。その慌てぶりがあまりにも不自然だったので、私は瞬時に「これは何かある」と思った。だけど、そのことにはあえて触れずに、
「少し前にいつきと一緒に、『アメリカンパーク』に行ってきたでしょ。それで、最新のアトラクションに乗れて楽しく過ごせたんだけど、いつきが言うには、その代わりに子供の頃に体験したアトラクションがなくなってしまって、寂しい思いをしたみたいだったんだ。私は、特に何とも思わなかったから、記憶が残っていない幼児の頃に連れて行ってもらったことがあったのかなって、ふと思っただけ」
と、とっさに言い繕った。
母は、視線を宙に泳がせながらも、腕を頬に当てて考える素振りを見せている。
「行ったこと、あっかかしらね……。もう昔のことだから、忘れちゃったわ」
「そっ、そうなんだ……」
母が答える声は明らかに震えていて、動揺していることが見て取れたが、私はその様子を見ただけで十分だった。やはり、私が五歳の頃に行ったことがあったのだ。十五周年記念の『アメリカンパーク』に……。
それから、自分の部屋に戻った私は、鞄の中から、さっきの封筒を取り出した。耳を澄ませて、母が二階に上がってこないことを確かめると、中身を切ってしまわないようにゆっくりとハサミで封を開けた。
中から出てきたのは、A4の紙。タイトルには、『十五周年記念イベントの写真の送付』と書かれている。
「えっ、写真の送付?」
そう呟きながら首を傾げた私は、封筒の中にもう一枚、紙が入っていることに気づいた。タイトルに書いてある写真とは、どうやらそれのことだろうか。はやる気持ちを抑えて、続きの文章を読んでみる。いかにも堅苦しい言葉を連ねた、会社から客に宛てた文章だった。
そして、すべてを読み終わった私は、なぜ、この封筒が家に届いたのかがわかった。この写真は、いわばタイムカプセルだったのだ。当時の『アメリカンパーク』が、パークを訪れた子供連れのゲストに声をかけて、家族写真を撮っていた。それを十五年後に、その家族の元に届けるという計らいだったのだ。なぜ、十五年の月日かと言えば、十五年経てば、当時子供だった人は、立派に成長して大人になっている。大人になったときに改めて昔の写真を眺めることで、家族とともに過ごした温かい時間を思い出して欲しいという、パーク側の想いが込められているようだった。
震える指先で、封筒の中から写真を取り出す私。
取り出した一枚の写真、そこには、まだ若い出で立ちの両親とともに、あどけない姉弟が映っていた。髪をおさげに結って、紺のセーターに黒のスカートをはいた私と、『シャドウ』と『ルナ』のイラストがプリントされた白のトレーナーに、ベージュのズボン姿の男の子、間違いなく私が鏡の中で見た弟だった。やっぱり、私に、弟がいたのだ。これで、間違いがなくなった。
突然向けられたであろうカメラを前に、やや顔を強張らせている私とは対照的に、弟は、念願だった『アメリカンパーク』に来た喜びを噛みしめるかのように、優しく笑っている。その澄んだ瞳は、はるか遠くの未来を見つめているようで、その後に弟を襲ったであろう悲劇のことを思うと、いたたまれない気持ちになった。
ふと、弟の手元に視線を向けた私は、思わず「あっ」と、声を出した。弟が大事そうに持っていたもの、それは『シャドウ』のぬいぐるみだった。サンタクロースの帽子をかぶったそれは、恐らくクリスマスの期間限定で発売されたものだろう。
前から、ずっと気になっていた。家のリビングのテレビのサイドボードに飾られた、埃まみれになったぬいぐるみ、母が誰かにお土産としてもらったものだとばかり思っていたが、実は弟が大事にしていたものだったのだ。まさに、弟の生まれ変わりのようなそれは、片ときも私のもとを離れずに、私が大きくなるのを見守ってくれていた。『大丈夫、僕は、お姉ちゃんのことを、いつまでも見守っているよ』と、優しく微笑みながら……。
私は、持っていた写真を封筒の中に戻すと、それを机の抽斗の中にしまった。それから、裏返しにしたままになっていた姿見を表向きにすると、そこに二十歳になった自分の姿を映し出す。私の後ろに弟の姿はもはや現れなかったが、私は鏡に向かってニッコリと微笑むと、心の中の弟に向かって、声をかけた。
「ゆうちゃん、私の弟でいてくれて、ありがとう……」
鏡に光が当たって、何かが反射したように見えた。




