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悪女は今日も勘違いをされている ~私にとって優しいは最悪の褒め言葉です~  作者: 赤羽夕夜


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2/2

悪役令嬢の新たな誕生

「退屈ねぇ……」


硬質な石の素材でできた、荘厳な印象を持つ大広間には、甘ったるい香水と笑い声に満ちていた。


磨き抜かれた大理石の床。上を見上げると、天井から吊るされた巨大なシャンデリア。金や銀、宝石に飾られた貴族たち。


王都でも有数の名門が集う春季夜会は賑わいを見せていた。


その会場のバルコニーのひとつに、セレフィーナ・ノーティスはいた。


退屈そうにワイングラスを傾け、質の悪い味に眉を顰めては行儀悪く、不味いと言いながらバルコニーからグラスの中身だけを捨てる。


夜風に靡いて煌めく金色の髪の毛。ルビーの輝きすらかすむ鮮やかな赤い瞳は傲慢に細められ、贅沢の限りを尽くした真紅のドレスを翻し、会場に戻る。


王国随一の悪役令嬢と名高い公爵令嬢が、再び夜会の会場に舞い戻ると――。


「セレフィーナ様が戻られたわ。お美しい……」


「あまり近づいては駄目よ。昨晩も男を泣かせたらしいし。関わるとあなたの婚約者まで骨抜きにされてしまうわ」


「相変わらず派手だな……、全身で一体いくらするんだろうか」


「この間宝石店を買い潰したから、見た目以上に金がかかってるぞ」


セレフィーナの背後で、遠巻きに囁き声が広がる。


だが、当人は気にも留めず、むしろ聞こえるように言えと思っている。


「つまらない人間たち。だから相手にされないのよ」


空のグラスを給仕に返して、セレフィーナは吐き捨てた。


わざと聞こえるように言ったセレフィーナの言葉に、言い返されたと思った貴族たちは背を丸めて縮こまる。


「――はッ」


情けない姿に、鼻息を鳴らした。


顔がいいだけ。

家柄がいいだけ。

媚びることしかできない人ばかり。


その程度で自分に釣り合うとか、届くとか思われるのが腹立たしい。


――その時だった。


視界の端に、妙に冴えないものが映り込む。


「何、あれ」


会場の壁際、窓に近い場所に、場違いなほど地味な薄青のドレスを纏った、銀髪の女性が立っていた。


猫背で、伏せられた顔。ろくに手入れもされていない銀髪は、この夜会に参加するという上では不相応な格好だった。


一瞬、手入れをしていないカーテンかと思うほど、暗く、見苦しい雰囲気にセレフィーナは露骨に顔を顰めた。


近くで談笑をしていた令嬢たちは、空気が変わったことに生唾を飲み込む。


不機嫌なセレフィーナに近づいてはいけないという暗黙の了解に、令嬢たちはバレないように徐々に距離を取りながら、嫌な予感が的中しないようにと祈った。


嫌な気配に気づいた銀髪の令嬢は、伏せていた顔を上げる。


高いヒールの音を鳴らしながら、セレフィーナは速足でその令嬢の前まで寄る。


気付いて、逃げるまでの時間がなかった。


異様な気配に周囲の視線がセレフィーナに集まり、令嬢は怯えたように肩を震わせた。


怯えた様子に構うことなく、セレフィーナは冷たく見下ろして言い放った。


「――見苦しいのよ」


誰も口にしなかったことを、直接的に伝えたセレフィーナの言葉に、和やかだった夜会の空気が凍る。


「ひッ……」


突然の侮辱の言葉に、銀髪の令嬢――エミリア・フォードンは、小さく息を呑んだ。


周囲の貴族たちも、セレフィーナの機嫌を損ねないように、しかし、内心ではまた始まった、と思い息を潜める。


セレフィーナによる、気に食わない者への公開処刑は、いつものことだった。


善意で止めに入ろうとする人間は、この場では皆無だった。


何故か――この場で一番の発言権を持つのが、社交界でも盤石な地位を築いているセレフィーナで、彼女が他人の意見を聞くとは思えない。


周囲は、セレフィーナの行動をハラハラしながら見守った。


「手入れされていない髪の毛。艶がないし、手入れ不足。せっかく綺麗な銀髪をしているのに台無しね。後、なに、その辛気臭い顔。せっかくの夜会なのに、気分が台無しになるわ。そのドレスも。まだ、そこのカーテンの方がいい生地を使っているわ」


「ご、ごめんなさい……」


「謝れば解決する問題なら、こんな醜い姿を、私の前で晒さないで」


冷たい声が、エミリアの心の突き刺さる。容赦のない言葉に周囲は青ざめた。


気弱そうなご令嬢にかけるべき言葉ではない。けれど、セレフィーナにとっては知ったことではない。


酷い、という言葉が飛び交いそうになるも、周囲から息が詰まる音が聞こえると、セレフィーナが威圧するようにその方向を睨みつける。


泣き出しそうなエミリアを庇う者はいない。本気で不機嫌なセレフィーナを止める者はいない。


唇を噛んで涙をこらえるエミリアに、薄く喉で嗤う。


「不細工な格好。あなた、鏡、見たことある?」


「あり、ます……」


「見て、それ? あなた、家が貧乏なのかしら?」


エミリアは、自分の頬に手を当てて、窓ガラスに映る自分の情けない姿を見て、セレフィーナの言葉を噛みしめる。


――乾燥した肌、唇、目の下の隈に、櫛で梳かしても隠し切れない艶がない、伸びきった髪の毛。母親が若い時代に来ていたドレスのおさがり。


常に最先端を追い、自分の美を貫き通すセレフィーナと並ぶと、惨めな格好なのが嫌でもわかってしまう。


夜会の華やかさから切り離された影のような恰好に、エミリアは、セレフィーナの言葉まもっともだと気を落とす。


「……ッ」


――私には、価値がない。


エミリアは心の底からそう思っていた。


珍しい銀の髪色。愛嬌がある姉と比べられる日々に、社交界からの視線を過度に気にする母に華がないと。いつも言われて、育ってきた。


暮らしも豊かな方ではないので、将来有望な殿方に嫁がせるために姉の品位維持に集中するという家の方針上、エミリアはいつも後回しにされてきた。


次第に、自分に魅力がないから無関心なのだろうと自分を蔑むようになり、全てに対して努力を怠ることも、なにかを願うこともやめた。


友人も、こんな髪色で根暗な性格では、できないと、人付き合いも避けてきた。


こんな調子だから、社交界でも、独りぼっちで、いつも、エミリアは肩身の狭い思いをして生きてきた。


だから、セレフィーナの冷たい言葉で、こんなにも傷つく。


エミリアは、痛く脈打つ心臓の上に拳を置いて、ざわつく感情を抑える。


――こんな、無様な泣き顔を晒したら、またお母様に怒られる。


弱みを見せまいと、肩を縮こまらせて気持ちが落ち着くのを待った。


「――はぁ」


それでも、エミリアの目じりからぽろぽろと涙が零れ落ち、セレフィーナはわざとらしくため息をついた。


セレフィーナを不快にさせてしまった失態に、エミリアは唇を噛んだ。


セレフィーナは社交界で、他の貴婦人、令嬢と比べても一目置かれている。彼女の気分ひとつ損ねれば、夜会はもちろん、お茶会、ひいては王族主催の行事にすら顔を出しづらくになるほどだ。


エミリアのような、下級の貴族がセレフィーナを敵に回すということは、社交界では死と同然の扱いだった。体裁を気にする母親に、どんな目に遭わされるか――。


だから、緊張で熱くなった身体が、急激に冷めていく。


――もう一度謝ろう。


エミリアは勇気を出して、口を開きかけた時だった。


「明日の午後、うちに来なさい」


「……え?」


エミリアにとって、予想もしなかった返答だった。


動揺を隠しきれず、瞬きを繰り返しながら顔を上げる。


エミリアの双眸に、セレフィーナの不機嫌に唇を尖らせた表情が映る。


「聞こえなかったの?……こんな格好でうろうろされたら迷惑だから。少しはその壊滅的な見た目をマシにしてあげると言っているの」


腕を組んで肩を落とす。


呑み込みが遅いエミリアに、呆れて深くため息を吐いてから持っていた扇子を口元に当てる。


セレフィーナの言葉にやっとなにが起こったのかエミリアの理解が追い付き、頭を下げる。


謝罪とお礼の両方の意図が込められた動作。セレフィーナは背を向けて、去り際に言葉を吐き捨てる。


「視界に入るなら、せめて多少は整えなさい。惨めったらしい」


セレフィーナは周囲を取り巻いていた貴族たちを睨みつけると、人波を割って去っていく。


エミリアは呆然とその背中を見送り、胸の中に満ちる暖かいなにかを感じた。


「セレフィーナ様」


ひとつ、その人物の名前を口にすると、喉が歓喜で震える。


悪女と揶揄されるあの狂暴なセレフィーナ・ノーティスの不機嫌の餌食になるのではないかと怯えていた。いつも、頭を低く、身の丈に合う生活を心がけていたエミリアは、生まれて初めての感情に、胸の中がいっぱいになる。


非難と感嘆が交じるざわめきが鼓膜に落ちる。


――その感情が嘘ではないと確信するのは、エミリア宛に届いた茶会に参加した時だった。



…………。


その日――若い令嬢だけの気兼ねないお茶会として主催していた、ミル・シュークリーム令嬢は不機嫌だった。


王都を初め、王国の同盟国の主要都市にスイーツ店と砂糖の販路を持つシュークリーム子爵の茶会は、茶菓子がとても豪華で上級の貴族でさえも、美食にあやかろうとこぞって参加を希望する。


エミリアは、その茶会に今日、姉のレミリアと参加をしていた。


――いつものように、彼女の引き立て役として、レミリアと母親の意向があり参加をするのだが、控えめな性格もあってかいつも彼女は虐めの標的にされていた。


ミルはその筆頭で、茶菓子が進む話題作りとしてだけにエミリアを招待していたのだった。


人は群れる生き物。結託すれば、強い者には容易には逆らえない。人の不幸こそ、ミルが用意した自慢の茶菓子に沿える甘味。


エミリアの困り果てた顔が、会話が最も弾む、極上の砂糖菓子なのだ。


その光景を見て、同情し、可哀そうねと彼女の姉と一生に薄笑いを浮かべて見つめるのがいつもの茶会の過ごし方。


――だったのに。


(――なによ、あの恰好!)


エミリアは以前と比べると見違えるように美しくなっていた。


最低限の手入れしかしていない、乾燥した白髪は、艶やかで絹糸のようにまっすぐ伸びている。


ハーフアップでまとめられた髪の中央には、彼女の灰青の瞳と同じ色の、アイオライトの髪飾り。


華奢な体型を隠す野暮ったいドレスは、レースを上品にあしらった漆黒の生地のドレスとそれに合わせた装飾品に様変わりしていた。


――さらに、態度までも違っていた。


人と話す時は、丸まった背中をしゃんと伸ばし、俯き気味だった表情は意志が籠って相手を見据えている。男爵家の貴族とは思えないくらいの堂々っぷり。


その変貌に、彼女を知る招待客は皆、息を呑んだ。


ミルはレミリアに目配せをしている。タイミングを見て、彼女に難癖をつける算段なのに、今日に限ってはその隙がない。


レミリアも困惑をして、エミリアと同じ灰青の視線を彷徨わせた。


レミリアより、ミルの方が家格も身分が上。レミリアも、ミルの機嫌を損ねたくない。


ミルの機嫌は絶不調に下がっていく。レミリアは、なんとかしようと、乾いた喉を茶で湿らす――そこで、思いつく。


茶葉が、いつも飲んでいるものよりも香りと苦みが強い。


思いついたレミリアの表情がいやらしく歪んだ。


「エミリアはいつも内気だったから、今日のように明るいと紅茶の味も刺激的に感じるわ」


「そうね、お友達として少し心配だったのだけれど、せっかくの最高級お紅茶だから、味わって飲めるほどの余裕が出てきて嬉しいわ」


レミリアの言葉に同意する、ミルの歪で愉悦に満ちた声が華やかな庭園に響き渡る。


「ああ、でも。エミリアにはわからないかしら?」


誰かが思った。――ああ、また始まった。


ミルの茶会を何度も参加している令嬢たちは察して、視線をエミリアに集中させた。


今日は、どんな惨めな姿を見せてくれるのだろうという期待が込められた視線だ。


エミリアは、落ち着いて紅茶を飲んで、しゃんと背筋を伸ばす。


静かにカップをソーサーに戻した。


いつもなら、ここで涙を浮かべ俯くはずだったエミリアはもういない。日頃の虐げられた姿からは想像もつかない洗練された所作いたことに、傍観者の一人である令嬢は気づいていた。


しかし、それを指摘するものは誰もいない。


静かな炎を灯した灰青の瞳に気づいた者もいない。


エミリアの視線は緩やかに細められた。


「――こちらの茶葉、最高級の東方産のダージリンの春摘みのものですね。素晴らしい茶葉ではございますが、少々苦みもあるのが残念です。煮だす時の茶葉の量が多いせいでしょうか? 私は、もう少し茶葉が少ない方が好みですわ」


ミルの歪んだ笑みが一瞬で凍り付いた。


茶会に参加している令嬢たちにも、さっと冷たい沈黙が走る。


それは、あまりにも自然で、それでいて致命的な一撃。


最高級のスイーツを誇るシュークリーム子爵家の茶会。そこで出された紅茶も一級品であることはエミリアも理解しているはずなのに、「淹れ方が悪い」「苦みが強すぎる」と、堂々と、しかも洗練された所作で言い放ったのだ。



レミリアがエミリアを貶めるために振った「刺激的な味」という言葉を、エミリアは「子爵家の給仕の技術不足」、ひいては「主催者であるミルの管理能力の低さ」へと見事にすり替えてみせた。「なんですって……?」ミルの声が、怒りで低く震える。


いつもなら今頃、恐怖に怯え、謝罪の言葉を口にして震えているはずの獲物。しかし、漆黒のドレスに身を包み、ハーフアップの髪でアイオライトを輝かせるエミリアは、怯えるどころか、その灰青の瞳でミルを真っ向から見据え返した。


「言葉通りでございます、ミル様。せっかくの最高級の茶葉ですもの、適切な量と時間で淹れれば、このような雑味のある苦みではなく、高貴な香りが引き立ちましたでしょうに。若い令嬢ばかりのお茶会だからと、少々手を抜かれてしまったのかしら……と、少し寂しく思いましたの」



エミリアはふっと、憐れむような、しかし完璧に上品な微笑を浮かべた。


「お友達として、子爵家の名誉のために申し上げたまでですわ」


かつて自分をなぶり殺しにするために使われた「お友達」「心配」という甘い言葉を、そのまま鋭利な刃にして、エミリアはミルとレミリアの胸元へ突き返したのだった。


怒りで震えるミルと、レミリアを視界端に、先日のセレフィーナとのやり取りと特訓を思い返す。


脳裏に蘇るのは、漆黒のドレスとこのアイオライトの髪飾りを授けてくれた、稀代の悪女――いいや、才女のセレフィーナの不敵な笑み。


乾燥していた髪を絹糸のように磨き上げ、丸まっていた背筋を叩き直してくれた、地獄のような特訓の日々。


最初は夜会で見せた貧相な格好が不愉快だからという理由で、私を拾い上げた。


その言葉通りに、ドレスをアクセサリーを、そして見た目からすべてをセレフィーナが作り上げてくれた。


それをドレスルームにあるソファーに座り、喉を潤しながら肩眉を吊り上げて言い放つ。


『やっぱり、容姿が整っていても性格で全てが台無しね。こんなマナーも態度も悪い子が、未だ私の視界に入るのは、許せないわ』


セレフィーナは仕えていたメイドにカップを渡し、見違えたエミリアの顎を掬いあげる。


『私が労力を使ったのに、馬鹿にされるのは我慢ならないわ。――あなた、次はどこの集まりに参加するの?』


『シュークリーム子爵令嬢の、お茶会です』


『……お茶会は戦場よ。茶葉の知識、湯の温度、砂糖の精製度――すべてを武器になさい』


その教えは、今、完璧にエミリアの血肉となっていた。


『どうして、ここまでしてくれるのでしょうか?』


『私が磨いたダイヤにケチつけられたくないからよ。私のセンスが悪いって言われるのは我慢ならないの』


そう答えた瞬間に、セレフィーナの整った唇が、酷く艶やかに歪んだのを覚えている。


『……あの傲慢な脳内砂糖菓子どもの鼻を明かしてやるのに、これほど面白い素材はないわねぇ。……いいでしょう。面白そうだから、躾てあげる』


その言葉の通り、施された英才教育は、今や完璧にエミリアの血肉となっていた。


「……私の、お茶会が、手を抜いていると言うの……!? 男爵家の、分際で……ッ!」


ついにミルが、怒りで我を忘れて立ち上がった。激しい屈辱のあまり彼女の指先はガタガタと震え、テーブルの上の銀のティーポットに手が伸びる。


周囲の令嬢たちが「まさか」と小さく悲鳴を上げた。しかし、エミリアは一歩も引かない。


ハーフアップに揺れるアイオライトを煌めかせ、冷徹なまでの美しさでミルを真っ向から見据えた。


「身分を盾に声を荒げるのは、己の無能と不作法を周囲に証明するようなものですわ、ミル様」


エミリアの静かで、それでいて庭園の隅々にまで通る凛とした声が、逆上しかけたミルをその場に縫い付けた。もう誰も、この漆黒のドレスの令嬢を「虐めの標的」などとは呼べなかった。


――それでも、エミリアは怖かった。


そのティーポットの中身が自分に向けてぶちまけられることも、投げられて当たったら、きっと痛いだろうなと言う恐怖を押さえた。


ドレスの下で華奢な足が僅かに震えている。


これまではずっと、ミルの不機嫌な声一つで縮こまり、涙を堪えて俯くだけの、無力な存在だったのだから。恐怖が完全に消えたわけではない。けれど、エミリアは逃げなかった。


ここで一歩でも引けば、セレフィーナが施してくれた魔法が、この美しい漆黒のドレスも、誇り高く輝くアイオライトの髪飾りも、すべてがただの幻になってしまう。


(私はもう、あの日までの惨めな人形じゃない)


エミリアは小さく息を吸い、さらに背筋を伸ばした。恐怖を気迫で覆い隠し、怯えを一切見せない灰青の瞳で、ポットを掴もうとするミルの手を、あえてじっと見つめ返す。


その手が振り上げられた時だった――。


「あらぁ? 随分と面白そうなことをしているのね。私も混ぜてくれないかしら?」


「せッ!セレフィーナ・ノーティス公爵令嬢ッ!」


「それに、宰相補佐のルシアン・アークライト様ッ!?」


胸に小さな花の飾りが無数にあしらわれた純白のドレスに身を包んだセレフィーナが姿を現した。白磁の肌に、白いドレスが、眩しいほどに輝く金色の髪の毛の主張を際立たせている。


その隣には、彼女が買い物をしたであろう紙袋を両手合わせて8個を下げ、その片方の手で、セレフィーナに向けて日傘を傾けている、何とも言えない表情を歪めたルシアンがセレフィーナを睨みつけている。


「なんで俺が」


「あら、人のデートの邪魔をしたのだから、それくらいの埋め合わせはすると言ったのはあなたでしょう?ご自分の言動に責任を持ちなさい?」



ルシアンは不機嫌そうに眉間を寄せ、ため息を吐きながらも、その日傘の角度は一ミリもセレフィーナから逸らさない。


荷物持ちをさせられ、睨みつけてはいるものの、その甲斐々々しい仕草は二人の奇妙な信頼関係を物語っていた。王国の最高峰に位置する公爵家の令嬢。


そして、若くして国政を担う敏腕の宰相補佐。あまりにも規格外な二人の突然の臨席に、庭園の空気は一瞬で氷結した。


ポットを振り上げた姿勢のまま、ミルは完全に硬直している。


「せ、セレフィーナ様……! ど、どうしてこちらに……っ」


引きつった笑顔で声を震わせるミルを、セレフィーナは一瞥すらしない。


彼女の美しい真紅の瞳が見つめているのは、ただ一人。漆黒のドレスを纏い、恐怖に耐えて背筋を伸ばしきったエミリアだけだった。


セレフィーナは、ルシアンが差す日傘の下を優雅に歩み進め、エミリアの前でぴたりと足を止める。


「あら、良い石を選んだ甲斐があったわね。そのアイオライト、今日のあなたの瞳にとてもよく似合っているわ。エミリア」


そう言って、セレフィーナは満足そうに目を細め、不敵な笑みを浮かべた。それは、地獄のような特訓を乗り越え、たった一人で戦場に立ち続けた愛弟子への、これ以上ない合格通知だった。


「ひっ……あ、あの……!」


背後で、レミリアが恐怖のあまり椅子から滑り落ちるように腰を抜かす。ミルが掴んでいたティーポットは、あまりの動揺にその手から滑り落ち、ガシャンと鈍い音を立ててテーブルの上で横倒しになった。


最高級の紅茶が、ミルの高価なドレスへと容赦なく染みを作っていく。しかし、それを気にする者はもう誰もいなかった。


テーブルの上で横倒しになったティーポットから、どくどくと溢れ出た褐色の液体が、ミルの高価なドレスを容赦なく汚していく。


しかし、ミルは自身のドレスの惨状にすら気づかないほど、恐怖で完全に我を失っていた。


「……あら、お行儀の悪いこと。お茶会でそんなにみっともなく取り乱すなんて、シュークリーム子爵家の教育はどうなっているのかしら? まぁまぁなお家柄のわりには、中身が随分と空っぽなようで、見ていて退屈極まりないわ」


セレフィーナは、横倒しになったポットと、ミルの引きつった顔をゴミでも見るかのような冷徹な視線で見下ろした。


その言葉は、優雅でありながらも、ミルのプライドを完膚なきまでに切り刻む刃だった。


「ひっ、あ、あの、セレフィーナ様、これは……!」


言い訳をしようと必死に声を絞り出すミル。しかし、その視界に、ルシアンが冷ややかにため息をつく姿が映り、彼女はそれ以上言葉を紡げなくなった。


宰相補佐の鋭い眼光は、子爵家の今後の存続さえも危うくさせるほどの重圧を放っていた。その傍らで、腰を抜かしたままのエミリアの姉・レミリアは、ガタガタと歯を鳴らして怯えている。


セレフィーナはふっと楽しげに口元を綻ばせると、エミリアの方を振り返り、美しい真紅の瞳を細めた。


「ねえ、エミリア。私、これからお友達とお茶をするの。もし、よろしければご一緒にどう?これ以上、あなたが付き合う必要なんてないんじゃないかしら?」


「――ええ、その通りでございますね、セレフィーナ様」


エミリアは深く、そして完璧に洗練された所作で一礼した。ドレスの下で震えていた足は、もう完全に止まっている。


背後に立つ偉大な才女の加勢が、そして何より、自分自身の力で一歩を踏み出したという事実が、エミリアの心に確固たる誇りを与えていた。


ハーフアップに揺れるアイオライトの髪飾りを煌めかせ、エミリアは、ドレスを汚して立ち尽くすミルと、地面にへたり込んだミルとレミリアへと、緩やかに視線を向けた。


その表情には、もはや怒りも、怯えもない。ただ、哀れな者を見つめるような、圧倒的な気品に満ちた微笑みだけがあった。


「ミル様、お姉様。本日は私のような者を、素晴らしい『お勉強』の場へお招きいただき、誠にありがとうございました」


エミリアの凛とした声が、静まり返る庭園に心地よく響く。


「最高級の茶葉も、淹れ手と、そこに添えるお砂糖の質が伴わなければ、ただの苦いだけの泥水になってしまう……。そのことを、身をもって教えていただきましたわ。子爵家の素晴らしい『おもてなし』、決して忘れません」


エミリアは最後に、淑女としての完璧なカーテシーを披露した。漆黒のドレスの裾が、美しく波打つ。


「それでは皆様、どうぞその『刺激的なお味』を、心ゆくまでお楽しみくださいませ。お先に失礼いたします」


誰もが息を呑み、言葉を失って見送る中、エミリアは静かに踵を返した。その隣へとごく自然に並び、満足そうに微笑むセレフィーナ。


そして、大量の荷物を抱えながらも、二人のために先導するように歩き出すルシアン。王国の頂点に立つ二人に守られるようにして、エミリアは騒然とする庭園を堂々と、優雅に後にした。


あの日までの惨めな人形は、もうどこにもいない。社交界という新たな戦場で、最も美しく輝くダイヤモンドが……。


――否。


新たな悪役が、今ここに誕生した瞬間だった。


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