55牙
殺す気だ……。
誠は思った。
渓谷の底は、岩だらけだがかなり広い平地だった。
アクトレスは動き回って、それぞれに隙を作って各個撃破してくると誠は考えていたが、それは読み違いだったらしい。
どうも一気に皆殺しを目論んだようだ。
颯太がバラバラと仲間を渓谷の底に下ろしていく。
カブトやユリコ、大が黒犬を取り囲むが、黒犬はクククと笑った。
「おやおや。
出涸らしのカブトやパワー頼りのお嬢ちゃんであたしが抑えられるのかい?」
黒い犬が、ニマリと笑う。
擬人化したアニメならありうるだろうが、現実に見せられると背筋を冷たい電気が走る。
だがカブトは挑発に乗らずに、火球を口から吐いていく。
自分のペースで戦えているようだ。
ユリコもジャキンとチタン製の棒を伸ばし、ピタリと黒犬に向かって構えた。
棒術に忠実に戦うつもりらしい。
その奥には大や小百合、ハマユが囲み、福とユリは美鳥や川上、井口が守るかたちになっていた。
颯太の誠は、空中からアクトレスを抑えていた。
簡単には飛ばせない構えだ。
芋之助はしばらくは動けない。
幽霊の一人に影の身体を付けて、見張ってもらっている。
猫と偽猫は壁面を駆け下りてきていた。
黒犬は嬉しそうにクククと笑ったまま、
「あんたもワンパターンだね」
とカブトに笑い、
不意に巨大な前足を振り下ろした。
前足は火球で留められるはずだが、アクトレスの前足は火球が爆発しても止まらない。
カブトは、回転受け身のように、前足を倒れながら避けた。
そのままカブトに向かおうとするアクトレスだが、チタンの棒が前足を叩いた。
手の甲の部分を軽く叩いた感じだが、黒犬はギロリとユリコを睨んだ。
「順番待ちも出来ない馬鹿な娘は嫌いだよ」
とアクトレスは唸り出す。
ユリコは薄く笑い。
「じゃあ、来なよオバハン……」
ユリコの返答も終わらないうちに、牛のような巨大な黒犬はユリコに飛びかかった。
ユリコはカウンターのように棒を突き出すが。
黒犬は、まるで瞬間移動のように左に飛ぶと、そのままユリコの首根っこに牙を突き立てた。
慌てて小百合が髪を伸ばし、大も黒犬を横から抱えようとするが、不意にアクトレスはカラスになって颯太に向かった。
誠は蒸気の壁で身体を隠したままユリコの首の止血を急いだ。
防護服を着ているため、傷は深くはないが、数カ所、鋭利なナイフで刺されたように傷を負っていた。
女子の傷なので、誠は少し時間を戻して傷を消した。
だが失われた血が戻るわけでは無いので、しばらくは動けない。
颯太とカラスは互角に戦っていた。
アクトレスのカラスは、こうして見ると颯太の化けた誠と同じくらいに大きい。
猛禽としても、かなりの大型種のようだった。
影の手と手足で果敢に接近戦を挑んだ颯太だが、隙を突かれて額に鋭い嘴の一撃を受けた。
血を吹き、颯太は墜落する。
井口のトンビが追跡するが、アクトレスは気にもとめない。
このまま殺し合いになれば、間違いなく僕たちは全滅する!
誠は気がついた。
あの芋之助やユリコも太刀打ちできない影繰りに、みんなでかかったとしても、とても歯は立たない。
誠は岩の割れ目から影を滑って、ガラスの背に飛び乗った。
そのままカラスの首を裸締めで絞めるが……。
「ほう、隠れていると思ったが、やっと出てきたかい?」
やはりアクトレスにはバレていた。
カラスを背後から裸締めしていたはずなのに、いつの間にか黒犬の顔が誠の目の前にあった。
まともにやって勝ち目は無い。
今まで、誠は何人かの伝説的な影繰りを倒してきたが、それは相手が誠を知らないから出来たことだ。
アクトレスは熟知している。
だから、致命傷を受ける前にアクトレスの体内から細菌を駆除する。
それ以外には、誠に勝ち筋は無かった。
幽霊も使ってアクトレスの体内を探る。
だが……?
黒犬の巨大な牙が誠の頭を噛み砕く。
誠はアクトレスの体内に入り込むしかなかった。
細菌が見つからない。
脳内にも、心臓にもコロニーは無い。
おかしい……。
と、思った瞬間!
誠は、誰かの部屋にいた。
シングルベットの柄から、男の部屋のようだ。
パンクバンドらしき男たちのポスターが貼ってあった。
しかし、その男たちの衣服は、何処か時代遅れのような気がする。
本棚には漫画が並んでいるが、誠の知る漫画は無い。
誠はバンドもファッションも漫画もほとんど読まないが、颯太たちが大好きなので今はある程度の知識はある。
だが……。
誠の知らない物ばかりだ。
と、学習机に写真があった。
あっ。
少年が嬉しそうに列車と共に写っている。
知っていた。
というか、知識はある。
富士。
いわゆるブルートレインと言われた、東京から九洲を結んだ寝台列車だ。
だいぶ昔、多分昭和か平成の初期に廃線となっている。
「よく知ってるね」
穏やかな声がして振り向くと、小柄な誠よりは身体がしっかりしているが、おそらく年齢は同じ頃の少年がドアを背に立っていた。
「あなたは……?」
「星輝。
君は小田切誠君だね」
「え、何故、それを?」
「よく知っているさ。
姉が気に入った少年は皆、よく知っている」
なんとなく星輝が誰だか分かってくる。
「アクトレス教官の弟さん?」
星輝は頷き、
「僕は姉を支えるつもりだったけど、ドジを踏んでしまった。
それから、これは、と思った少年を見つけると姉に働きかけた。
だが、僕も姉も、相手に無理な期待をかけ過ぎていた」
どうやらアクトレスが関わった少年を必ず殺す、というのは、星輝の意識も関与していたようだ。
「ただ君だけが、何とかここまで生き延びてくれた。
その能力のお陰でね」
「えーと、幽霊として教官の中で生きていた、ということですか?」
「君なら分かるだろう。
幽霊は生きてはいない。
ただ、僕は姉の肉体があったから、最低限に長い時間を過ごして来れただけだ。
だが、もう限界だった。
最後まで姉を守れてよかったよ。
後は、君に任せる」
「え、ちょっと!」
星輝は消えた。
と、同時に、誠は黒犬の顎の中で意識を取り戻した。
いや、死ぬ一瞬だけ出会えたからって……、何が良かったと言うんだ?
誠は死を覚悟するが。
黒犬は、ポイ、と誠を吐き出した。
「もうちょっと男臭いと良いんだけどね」
黒犬がアクトレス教官に戻った。
ぐへ……、と石に叩きつけられた誠は、しかし。
「教官は大地母神には侵されなかったんですね?」
アクトレスはにやりと。
「侵されたさ。
だが、あたしの心には星輝がいて、そんなもんははじき飛ばすのさ」
星輝は誠の前では消えたが、こうして見ると、能力の一部はアクトレスの中に、今でも残っているようだった。
(ギリギリだったけどね。
君が、こんな能力を持っていたお陰で助かったよ)
へっ、と見上げると、星輝は誠の幽霊の一員になったようだった。
「さて、これで部隊は集合した」
アクトレスが誠たちを見下ろした。
「おおよその情報も手に入れた。
何としても、その人の生る木を潰さないといけない」
「だけど、ありゃあ簡単に潰せるようなもんじゃないぜ?」
カブトは言うが。
「それは何とかするが、問題は大地母神だろうね」
なにしろ相手は万能の神様で、影繰りが倒せる相手ではなかった。
「皆でかかるしかない」
傷の癒えた芋之助が言うが、アクトレス教官は、
「いや、いたずらに戦っても被害が増えるだけだ。
あたしと誠で当たる」
誠にとっては青天の霹靂だが、アクトレスには逆らえない。
「え、でも、それじゃあ僕たちは木を倒すんですか?」
信介が驚いた。
「相手は木だ。
土の温度を下げれば活動は弱まる」
アクトレスの指示に、小百合が、
「あたしたちはハマユを守るのね」
納得した。
「あらぁ、それは困るわねぇ」
渓谷の空中に大地母神が浮いていた。
何故か赤い振袖を着ている。
「誠。
奴の身体にこれを入れろ」
アクトレスは小ぶりな袋を誠に渡した。
金属が入っているのか、ずしりと重い。
「あたしゃ奴を引きつける!」
言うとアクトレスは黒犬に変わり、渓谷の岩壁を駆け上がった。
誠は、再び颯太の偽誠を作り、自分は岩の隙間に潜った。
アクトレスが岩を蹴り、大地母神に襲いかかる。
風船のように、大地母神はくるりと回り、黒犬を避けた。
誠は影の手を素早く伸ばして、大地母神の背中に袋を入れる。
もしかすると偽猫のように透過出来ないかと頭を過ったが、難なく袋は大地母神の体内に入った。
ニヤリ、と黒犬は笑い、空中で回転すると、身体の向きを百八十度変え、大地母神の腹を思いっきり殴った。
と……。
大地母神が痙攣し、落下した。
岩に落ちると、大地母神は粉々に砕けた。
「え、どんな魔法なんですか!」
誠は驚く。
影の力なら、とてつもなく強力な力だ。
ケケケとアクトレス教官は笑い、
「アマ○ンで買った叩くと凍る冷却剤、って奴さ。
神さん、科学にゃ疎いようだな」
そう言えば、そんな物もあった気はするが、日常、誠の周囲にはそんなものは無かった。
「よし、森を破壊するよ!」
アクトレスは叫び、走り出す。
ここからはマラソン行軍のようだ。
渓谷を走り、やがて他よりはなだらかな急斜面を駆け登る。
誠が影の手で運ぶことも出来たのだが、
「それは桃源郷で散々やってきてるんだろ?
それなら、罠を張られていてもおかしくはない。
影繰りの戦いはワンパターンじゃあ駄目なんだよ」
岩登りはキツかったが、誠たちはそのために毎日訓練しているのだ。
誰も脱落することなく、隊列も乱さずに行軍は続いた。
それでも信介の地図があるため、半時もしないで森に近づいていた。
大地母神はいなくなったが、あの無敵人間たちは大量に出てくるはずだ。
何とかハマユさんを皆で守って、立体地図の示す森の中心まで進み、木を枯らさなければならない。
幸い、今は芋之助さんや猫に偽猫ちゃん、アクトレス教官までいるので、前よりはきっと上手くいくはずだ!
高い渓谷をよじ登ると、山の稜線のような場所に出、先に進むと階段が天に向かって伸びていた。
かなりシュールな光景であり、また、階段には手摺も無いため、もし誠が空を飛べなかったら失神物の恐怖の階段だった。
端的に言えば一枚の板が、階段状に折れ曲がっただけのものなのだ。
しかし、最恐のアクトレス教官が睨みを利かせているせいもあり、皆、涼しい顔で登っていた。
足元を見るとさすがに冷や汗が出る。
前を歩く川上の背中を見ながら、できる限り無心に誠は歩いた。
だが、無人とはいえ誠は最後尾であり、当然の役目があった。
何らかの理由で階段を落ちる仲間がいたら、誠が救う、という役だ。
先頭を歩くアクトレス教官から、芋之助、ユリコ、カブトと目を配りながら進まないといけない。
無論、完璧を期すため幽霊たちに手伝ってもらっている。星輝も早々に役目に就いていた。
はるか青天の先に黒い穴があり、階段は底に向かって一直線に伸びている。
もう、既に山の稜線から感覚では百メートル近い高度であり、風も強い。
普段から空を飛んでいる誠の感覚は、かなりの精度と言えるはずだ。
先頭のアクトレスが黒く穴に入った。
と……。
突然、闇が巨大な手の平となり、アクトレスを掴むと、穴の中に引き釣り込んだ。
「ほほほ。
馬鹿ですね。
あの程度で神が死ぬとても思っていたのですか!」
大地母神は高らかに笑った。




