VS.握手会へのお誘い
某研究室から逃げ去った五十鈴響子が落ち延びた先は、大学近郊に存在する学生向け喫茶店。親友の百井直美を連れて店内に跳び込み、冷房の冷気が直接当たる席で火照った体を冷やしている。
「二郎さんに訊ねなければならない重大な話があるのに、訊ねる雰囲気にならない。どうしたらいいと思う、モモ?」
「ごめん、キョーコ。私は今、第二ヒーロー様の活躍を布教するのに忙しい」
悩みを聞いて欲しい相手である百井は、忙しくスマートフォンを操作している。五十鈴の話を半分以上聞いていない。どうも、動画サイトにアップされている第二ヒーローの雄姿を再生し、回数を稼ぐ作業に集中しているらしい。
なお、動画は百井本人が撮影、投稿したものである。
「おかしいのよね。投稿した直後はすごい勢いで再生されていたのに、今日はほとんど再生されていない」
「……第二ヒーローの正体が他人にバレないように、おじい様にお願いして、検索順位が低くなるように細工したからね」
「何か言った、キョーコ?」
「だから、どうやったら二郎さんと話ができるかって話」
夏場に相応しいクリームソーダを飲みながら五十鈴は再度問いかける。と、百井はようやくスマートフォンの画面から目線を外した。
「絶縁宣言した男に未練タラタラ?」
「状況が変わったからっ。だって、二郎さんがまさか……だって知らなかった訳だし」
「ごにょごにょ言っちゃって。キョーコらしくなく、ウジウジと。あんな冴えない男のどこが好きなのか」
「いや、男として好きとかではなくて。確かに、私は一面しか見えていなかったから、見直した所がなくはないけど。ただの無謀な人とも違う気がするから」
「恋は盲目と言ったものね。第二ヒーロー様と比較したら、あの男なんてミジンコ以下よ」
「……はぁぁ。私も知らなければ気楽でいられたのに」
深い溜息で、テーブル席の天板に額をぶつけそうになる五十鈴。
研究室で目撃してしまった男同士のふれあいに衝撃を受けて、脳が熱暴走していたのだろう。相談するべき相手を間違えた五十鈴は、冷えたクリームソーダを飲んで体を更に冷やし、冷静さを取り戻そうとしていた。
二郎の正体が第二ヒーローであると知らない親友は頼りになら……頼れない。
第二ヒーローがチームで動いているのに対して、スケーリーフットはバックアップはあれど基本的に一人。孤軍奮闘しなければならない五十鈴にとって現状は過酷そのものであった……が、予想外の人物から助力を得る。
正確には助力とは言い難い、正反対の何かだったが。
「……キョーコのスマフォ、鳴ったよ?」
「えっ」
五十鈴のスマートフォンが、設定した覚えのない着信音で鳴り響いた。そのため、五十鈴は着信に気付かず、百井から指摘されてから初めて自分のスマートフォンを取り出す。
なお、五十鈴の知らない着信音とは、過去にヒットしたホラー映画で使用された着信音だ。
待機状態にあったスマートフォンの液晶上に、LIFEの通知があった事を示す受信メッセージが表示されている。
『幼馴染:私の男、二郎を男から奪還しろ。さもなくば……、お前の正体をバラす』
顔色を青いソーダ色に染めた五十鈴。気分が悪くなったと百井に伝えて、化粧室に駆け込む。実際、気分がかなり悪そうだ。
個室の鍵をかけて閉鎖空間を確保。
五十鈴は、間違いであって欲しそうにLIFEを起動して受信メッセージを見直した。が、友達登録した覚えのない人物からのメッセージがしっかりと記録されている。
意を決して、五十鈴は返事を書き込んだ。
『五十鈴:私の正体って、その前にアナタは誰ですか? 二郎さんとどういう関係が』
『幼馴染:モース硬度11以上の女。お前に質問する権利はない。私の言う通りに動け』
実に高圧的な態度であり、不快感が強い。
五十鈴が握り締めるスマートフォンのガラスに縦ヒビが生じるが、まだ動いている。
『幼馴染:女に寝取られるのもありえないが、男に取られるのも、ありえてたまるか。あの馬鹿に異性の素晴らしさを思い出させろ。男の性を揺さぶれ。さもなくば、お前がヒーローだと世間にバラす。死ぬ気でやれ』
何様かは分からないが、直観的に通信相手が女だと五十鈴は察する。
五十鈴が握り締めるスマートフォンに横ヒビが生じるが、まだ動いている。
『幼馴染:安心しろ。お肌の固い、お前ごとき女の色香に期待していない。お前が誘惑したところでアイツは一切動じない』
他人と比較して優位性があるとは自惚れていなくとも、他人にそれを指摘されたくはないのが女である。
五十鈴の握り締めるスマートフォンに斜めのヒビが生じて、そろそろ限界だ。
『幼馴染:遺憾ながらあの馬鹿はアイドル、石田ミカのファンだ。ライブか何かに誘い、男の事など忘れさせろ。それがお前の使命だ。一週間以内に任務を完遂しろ』
『五十鈴:指図に従う理由は、ない』
『幼馴染:スケーリーフットの正体が女だったというのは、さぞマスコミの喰いつきがいいだろう。未練がましく普通の人間のように大学生を続けられるのも、今日が最後になるだろうな』
最終的に、五十鈴の握り締めるスマートフォンがクモの巣状にヒビ割れた。どうして動いているのかが不思議なぐらいの損傷だ。
返事を書き込む指を停止させて、数分。
謎の幼馴染なる人物の脅迫に、奥歯を噛み締めながらも五十鈴は……屈した。大都会で活躍するヒーローの癖に、顔の見えない相手の言いなりだ。スケーリーフットの正体が自分だと知られた動揺が大きかったと見える。
『五十鈴:…………クっ、一度だけだ。今回だけだぞ』
『幼馴染:失敗は許されないと思え』
結果的にではあるが、五十鈴は二郎と会う切っ掛けを得たのだった。
八月の日差しの厳しい日の午後。
理由はさっぱり分からないが、五十鈴から石田ミカの握手会に誘われた。
戦闘服のマッサージ効果で予定よりも早く動けるようになり、一人で大学構内を歩いていると急に話しかけられたのである。五十鈴には二度と会話できないレベルで嫌われているものと思っていたのだが、女心は分からない。まだ夏なのに。
「石田ミカの握手会があって。ある方から、二郎さんがファンだと聞いたので誘おうかなと」
「石田ミカ、ですか。確かにファンと言えばファンですが、今はちょっと時期が」
アイドルの握手会に女と出かける。デートになるのかは分からないが、特に予定がなければホイホイと誘いに乗っただろう。実際、石田ミカは可愛い。
だが、エヴォルン・コールの一部に居場所を知られている状態で、私的な用事を優先する程に俺はおちゃらけていない。
苦渋の決断となったが、俺は五十鈴のお誘いを断った。
「大変心苦しいのですが、今回はパスします」
「やはり、二郎さんは男の方が好み!?」
「いえ、男も女も関係はないと思うのですが……」
けれども、五十鈴は何故か諦めない。妙な熱心さで五十鈴は俺を誘い、腕まで掴んでくる。
「頼みます。私のためだと思って、お願いします」
「一人で行くのが嫌なら、親友さんを誘えばいいじゃないですか」
「モモは動画の再生回数を稼ぐのに忙しいんです!」
「俺も調整作業があって忙しく」
「二郎さんでなければ駄目なんですっ! 私の未来と大都会の平和がかかっているんです。握手会に行きましょう」
女とは思えない力強さで暗がりに押し込まれていく。
五十鈴はどうも気付いていなさそうだが、ちょっと顔と顔が近くはなかろうか。普通の女に不慣れな男としては、緊張してしまうぞ。手までしっかり握られてしまって、どうしよう。
「二郎さん。一般論となりますが、男は異性の手を握りたいと思うものでしょう?」
「そ、それはそうですが。現在進行形で」
「それなのに、アイドルの握手会に行きたくないと二郎さんは言いました」
「別に行きたくない訳では」
「つまり、二郎さんは一般論の埒外。ノーマルではない領域に属する系の人なのでしょうか?」
なかなかの暴論だ。アイドル握手会にノーマル判定を行う作用があるなんて、大都会はどうなっているのだ。
明らかに五十鈴は冷静さを失っていた。いったん、彼女から離れるべく壁を背に移動しようとしたのだが、五十鈴はなんと片足を股座に押し込んで、強引に俺を逃がさない。
この距離感は、幼馴染が相手でも発生した例はないのだが。
セミロングの髪から漂う香りさえはっきり分かる至近距離に、ただただ、たじろぐ。目がやや鋭く、そこも決して欠点とは言い難い女性が迫っている。人間の見た目をしていない怪人と睨み合っている方が何倍も緊張せずに済むぞ。
ただの男子大学生が、ここまで熱烈に誘惑されていながら誘いを断る事などできるだろうか。
「……わ、分かりました。握手会に行きます」
「助かります。これで、大都会はヒーローを失わずに済みました」
呆気ない事に、快諾と同時に五十鈴は密着状態を解いていく。
もう少しだけ、返事を遅らせてもよかったな。




