第17話 ~ファインの素性~
「ファイン、お前……」
天人だけの魔術と、地人だけの魔術、その両方を行使できたファインに対し、クラウドが注ぐ目線は、まるで未知の存在を見るようなものだ。だが、そうした特例に至れる存在のことを、全く知らぬ彼でもない。眼差しの先で、ばつの悪そうな顔で黙り込むファインの前、クラウドの目線が彼女に刺さるのを拒むかのように、サニーが立ちはだかる。
「……ええ、この子は"狭間"。天人と、地人のね」
ファインをもっと適切に表す言葉は他にもたくさんある。混血児、混合種、ひどいものでは異端種。差別的な言葉を避け、最大限柔らかい言葉で言い表すのは、ファインの親友であるサニーだけだろう。支配者の側に君臨する天人と、それらに下に見られる地人との間に生まれた者とは、決して優しい言葉で人々に受け入れられることがない。とげのないサニーの形容によってなお、胸をずきりと痛めて目を伏せるファインの表情は、サニーによって遮られたクラウドの目には映らない。
「でもね、クラウド……この子は……」
「クラウドさん」
なんとか彼女のことをわかって欲しくて、"対話"に臨もうとしたサニーの横から、隠れていたファインがクラウドの前に乗り出す。どのようにしてクラウドに語りかけようと、話し始めながらも迷っていたサニーの言葉が途絶え、戸惑うクラウドの眼前にファインの姿がある。サニーの後ろで浮かべていたはずの、自らの血に痛む胸への表情も、すでに溶けている。
「黙っていて、本当にごめんなさい。それでも助けて下さったあなたには、何度感謝しても足りません」
クラウドはファイン達を泊めた夜、地術を使ったファインに、地人なのかと一度問うている。そうですよ、と見せかけるようにして笑いかけた一方、素性を隠すために何も言わなかったファイン、隠そうとした彼女が確かにいた。言いふらすことの出来ない素性であることを顕著に表した態度であり、秘匿したことをファインが詫びるほどには、彼女も望んで隠していたということだ。だから、頭を下げている。
続けて紡ぎたい言葉は、ファインの中にもたくさんあった。これ以上私には関わらないで下さい――あれだけ世話になっておきながら? 隠していたことを改めて深くお詫びします――隠したがゆえにクラウドはここまで関わって、もはや取り返しもつかないのに? 謝罪と、今後への関わりについて紡ぎたい言葉の数々を、ファインは一つも口に出来ず、そのまま目を伏せてしまう。クラウドに頭を下げるに際し、体の前で組んだ手をぎゅっと握り締め、離せないままにしてだ。
もう駄目だ、決して対話にならない。サニーが動く方の右手でファインを引き寄せ、もう喋らなくていいと行動で表明する。そのまま抱き寄せられ、サニーの胸元に身を寄せるファインは、クラウドに合わせる顔がないかのように、その目線を落としている。サニーが自らを憂いに満ちた目で見てくる姿には、クラウドも言葉を発することが出来ない。
「ありがとう、クラウド。助けてくれて、本当に嬉しかったわ。私はあなたのことを、ずっと忘れない」
会釈するようにクラウドに頭を下げ、カルムの屋敷の門へと歩いていくサニー。彼女に押されるように、あるいは導かれるようにして、寂しく背中を丸めたファインも去っていく。振り返らないサニーの胸の前、振り返ってクラウドを目にしたファインは、潤んだ瞳で改めて小さく、クラウドに頭を下げていた。立ち止まってそうしようとした彼女を、肩を抱いたサニーが歩む足を止めさせなかったのも見えている。
町長屋敷に乗り込んで、これほど暴れて、今のうちにでも逃げ出すべきはずのクラウド。そんな彼がまるで立ちすくむように、二人を見送ることしか出来なかったほど、二人の背中から感じる悲壮感は色濃かった。
「……大丈夫?」
カルムの屋敷から出るのはそう難しいことではなかった。マラキアという実力者もいる屋敷に乗り込んで、片腕脱臼しつつもその日のうちに出てきたサニーというのは、無い方で言えばカルムに許されたか、有る方で言えばマラキアやガードマンを退けたということだ。庭園内での交戦音も耳にしていた門番がそんなサニーに、何をしてきた屋敷から出るなと威嚇的に言うには、あまりに度胸が要り過ぎる。触らぬ神に祟りなし、門番が容易に二人の解放を許したのは比較的当然の行動だ。
日も沈むより早くから宿を借り、その一室で体を休め、何度もファインはサニーの肩に触れていた。天魔と地術、双方の魔術を行使できるファインは、尽くせる魔力の種類を尽くして、サニーの傷を癒すことに努めた。天魔、風属性の治癒魔術で、サニーの肩を貫く痛みを緩和。風属性の治癒魔術には、対象の痛みなどを風によって体外に逃す、沈痛の効果がある。そして、雷属性の治癒魔術を脱臼したサニーの体に施しながら、二人で力を合わせて、はずれた骨をなんとか結合する。その魔力には、不全状態にある肉体を、元のあるべき形に戻そうとする作用がある。
一度脱臼に至れば、本来違う形になってしまった体が、少なくとも何らかの損傷を発生させている。内出血や、その傷の膿みなどがそうだ。青くなっているサニーの体に、つぷりと水の魔力で穴を開け、水の治癒魔力で、今のサニーの体に内在した、肉体の治癒を妨げるようなもの排出する。内出血して、駄目になった血液などをだ。病魔や不純物を、人の肉体から体外に排出する効果が、水の魔力の司る仕事。
ファインはそうした天人の魔力に加え、地術の魔力を扱うことが出来る。人体を構成する血肉を生成する、土属性の魔力を練り上げ、不足したものを補わせる。こうして体内の傷を塞ぐのだ。最後に、生命の最大の支えとなる体温と熱、すなわちエネルギーをもたらす火の治癒魔力を流し、自己治癒能力を促してひと段落。
「うん、もう大丈夫よ。ありがとう、流石ファインね」
風の魔力で鎮痛、雷の魔力ではずれた肩がひとまず繋げ、水の魔力で治癒を阻害するものも体から追い出し、土の魔力で不全の傷を塞ぎ、火の魔力で回復を促進させる一連だ。回復力を得た上で、痛みも風に乗せて逃がして貰えるサニーは、怪我の大きさに対しては涼しい顔で、ファインに笑顔でお礼を言うことも出来た。それだけ、楽になったのだ。
天人のみが使える、水、風、雷、光属性の魔力。地人のみが使える、火、土、木、闇の魔力。いずれも使えてそれらを的確に使い分ける、怪我人や病人に対するファインの魔術は実に丁寧。しばらくは安静にする時間がどうしても必要だが、脱臼という大きな怪我に対し、短日で完全回復に至れるというだけでも破格だろう。一つのベッドに並んで座り、無傷の右手でファインの頭を撫でるサニーの行動は、親しい友人にそうして貰えることで喜ぶファインに贈る、サニーなりのささやかなお礼だ。ご主人様に褒められた小動物のように、顔をくしゃりと笑顔に満たす姿は、女の子のサニーから見ても胸が温かくなるほど可愛らしい。
こういう彼女の顔を見られるようになるまで、親しくなってからどれだけかかっただろう。今でこそ、当たり前のように見られるファインの柔和な表情を見るたび、サニーは幼い頃の彼女を思い出す。きっとファインは、そういう昔の自分を思い出されることを嫌がるだろうけど、サニーにとっては忘れられない思い出なんだから。
「わ……ちょ、ちょっと、サニー?」
「今日はもう、寝ちゃう? いっぱい頑張って、疲れたでしょ」
ファインを引き倒し、二人同じベッドに横たわり、日の高いうちからにっこり笑って問いかけるサニー。ろくなことがなかった一日だ。とっとと一度眠りについて、色々忘れちゃうのもいいことだと提案するサニーの想いは、ちゃんとファインにも伝わっている。
「……先に、お風呂に入ってからね?」
「一緒に?」
「それはやだ。サニーすぐ体触ってくるもん」
近しい距離で唇を尖らすファインに、あぁ残念とばかりにサニーは彼女を手放し、仰向けに天井を見上げる。サニーもそれなりに疲れた身であり、やはり金を払って寝られるベッドは心地良い。
「お風呂、行っといで。私、その後に入るから」
「いいの? サニーが先でもいいよ?」
「しばらくは肩もそっとしておいた方がよさそうだしね」
内部的な損傷は、冷やすか温めるかの判断が難しい。冷やすのは炎症を抑えるため、それが治まれば温めるのが吉。ファインの魔術で、普通でない速さで炎症は治まりつつあるものの、しばらくは温めることを避け、お風呂にも時間をおいてから入るのがいいだろう。いかに優秀な手当てを受けても、その後の処置も大事な話である。
宿の寝巻き、浴衣に近いそれを持って浴室に向かうファインは、部屋から出るに際してサニーを振り返り、改めて礼を言うかのように微笑んだ。宿までの道のり、助けてくれてありがとうの言葉は何度も言ったのだ。何度も言い続けるのもどうかと思いながらも、しかし絶えない感謝の想いを、こうして何度も表明してくれる辺り、彼女との絆を感じられるサニーも嬉しい。いいんだよとばかりに、笑ってうなずく反応が素直なものだ。
扉を閉じて、ファインが立ち去り、一人になったサニーは溜め息をつく。さて、明日からどうしよう。大変なのは、きっとここからだ。
「混血種だと……!?」
やがて意識を取り戻し、よろよろと地下牢から抜け出したカルムは、大暴れしたクラウドとサニーの残した屋敷内の爪跡に、初めは怒り心頭だったものだ。使用人を呼び出し、あれこれ怒鳴りつけ、怒りを発散させて僅か頭を冷やしたところで、ようやく町長室の椅子に戻って腰を落ち着ける。それからしばらくしてから執事を呼び出し、事情を聞き受ける。常にそばに置くマラキアこそがカルムにとっての最大の側近だが、屋敷内の仕事を一手に纏める男は別に置いてある。
執事が屋敷の者達から聞き集めた情報を総合して、カルムに報告したことはいくつか。クラウドやサニーは、マラキアやガードリーダーをぶちのめすほどの実力者で、とてもじゃないが屋敷の者達では止められなかったというフォロー。そして天魔と地術、二つの魔術を両立させたファインが、天人と地人の血を併せ持つ、特別な存在であるという報告だ。
それを聞いた瞬間、カルムがさらに不機嫌になることは予想できていたのだが、事実なので報告しないわけにもいかない。混血種という、崇高なる天人が下賤な地人と交わって子が生まれるた存在というのは、天人にとっては忌むべき存在である。天人に手を出す身のほど弁えぬ地人、地人如きと結ばれることを選んだ天人という、許しがたい両親の実在を示唆するものだからだ。ファインを生み出した二人の親に対する憤慨とともに、そんなファインがのうのうと大手を振って自分の町を歩いていたことに、カルムの怒りが燃え上がる。執事も天人、そうしたカルムの怒りには、共感できてしまっているからやや同類。
そんな奴が、自分に逆らったどころか、屋敷を荒らして逃げ延びたというのだから、カルムの怒りたるや尋常なるものではない。マラキアも敗れ、あてにならぬとそちらにも舌打ちしつつも、何とか裁きを下してやらねば収まらないところまでその憤怒は高まっている。迷うことなく自分の机の引き出しに手をかけたカルムは、その中から一枚の書類を取り出す。
「天界司法人に通達を送れ……! 今すぐにだ!」
「かしこまりました……!」
この大陸を治める天人達、その頂点に立つ天人の集まる"天界"と呼ばれる場所。それは一国に例えるなら、支配者とその側近が君臨する王朝だ。そこで法の番人を務める天人の司法人というのは、逆らえる者などこの大陸に一人としていない、絶対的存在と言える。カルムがこの町に招こうとしているのは、それだけの権力を持つ人物だ。マラキアも、今は諸事情あって天界から離れたこの町で用心棒めいた仕事を請け負っているが、彼も元々天界の王のお膝元で過ごすことを許された、位高き天人である。
天人という存在が、天人に仇為す地人をどれほど嫌悪しているかは、カルムは自身がそういう人種であることからよく理解している。そしてそれは、間違いでも何でもない。自分をこれだけコケにしてくれた、天人サニーや地人クラウド、特に混血児ファインを、逆らえぬ法の力で裁かねば気が済まないのだ。同じ想いを共有する執事もまた、お偉い様をお招きするための切り札書類をカルムから受け取り、自室に帰っていく。
天界は遠い。近隣都市に、高位裁判所の長を務める立場のように駐在する、天界司法人に来て貰うことになるだろう。直接天界からお偉い様を呼ぶなら日数もかかるだろうが、そうした手筈が組まれるであろうことから、そう日はかかるまい。それまでの間にマラキアと相談し、いかにして連中をより強い厳罰に陥れるかを考えていけばよい。
どうせファインもサニーもクラウドも、今はあれこれ理由をつけて町を出させぬよう、罪人扱いできる立場だ。関所はすでに固めてあるし、仮に3人の誰かが強行突破しても、それはそれであいつらにより深き罪状が加わるから良し。封鎖された関所を強引に抜けることは当然、裁かれるべき罪だから。いかにどうして奴らが裁きから逃れようとしても、天界司法人と手を結び、地の果てまで追って血祭りに上げてやると、今からカルムは血を滾らせていた。




