ネコのトイレ砂買いに行っただけなのに side:妻
私は冷蔵庫の前で腕を組んでいた。
夕飯をどうしようか考えている。
冷蔵庫には豚肉がある。
キャベツもある。
味噌汁の具もある。
よし、回鍋肉でいいか。
そう思ってスマホで時間を確認した。
17時02分。
「……あれ?」
少し首を傾げる。
そういや。
アイツまだ帰ってきてない。
昼過ぎに、
「猫砂買ってくるー」
と言って出ていったはずだ。
ホームセンターなんて往復しても一時間かからない。
買い物ついでに寄り道したとしても、もう帰っていていい時間だ。
「珍しいな」
夫はわりと行動が読みやすい。
突然飲みに行くタイプでもない。
友達と遊び始めて連絡を忘れるタイプでもない。
むしろマメな方だ。
だから少し気になった。
だがまあ、大人だ。
事故でもなければそのうち帰ってくるだろう。
私は包丁を取り出した。
17時10分。
キャベツを切る。
猫が足元に集まってくる。
うちの先住猫たちである。
「ごはんはまだ」
当然のような顔で見上げてくる。
「まだです」
猫に言う。
猫は納得しない。
知ってる。
17時15分。
味噌汁を作る。
スマホを見る。
連絡なし。
「ふーん」
少し気になる。
だがまだ気にしない。
17時20分。
豚肉を炒める。
ジュウッといい音がする。
その時ふと思う。
そういえば今日は嫁のママチャリで行ったな。
夫の車は車検に出している。
だから私のママチャリ。
「パンクでもしたかな」
それなら連絡くらいするか。
じゃあ何だろう。
17時25分。
だんだん嫌な予感がしてきた。
理由はない。
ただ長年連れ添っていると分かる。
あの人はたまに妙なものを拾う。
昔。
捨てられていた本棚を見つけてきた。
昔。
壊れかけたラジオを持って帰ってきた。
昔。
謎の農機具を貰ってきた。
全部「可哀想だったから」という理由だった。
私は包丁を置いた。
「まさかな」
いや。
でもな。
アイツだしな。
17時30分。
玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
聞き慣れた声。
「おかえりー」
私はリビングから返事をする。
そして顔を見た瞬間に思った。
あ。
これ絶対なんかやらかしたな。
分かる。
夫婦にはそういうのがある。
顔に書いてある。
本人は隠しているつもりでも全部出ている。
夫はどこか落ち着きがない。
視線が泳いでいる。
何か言いたそう。
でも言いたくなさそう。
怪しい。
非常に怪しい。
「どうしたの?」
私が聞く。
すると夫は妙に姿勢を正した。
嫌な予感が強まる。
「結婚してくれてありがとう」
「は?」
何言ってるんだコイツ。
私は即座に警戒態勢に入った。
こんなことを言う男ではない。
いや、言うこともある。
結婚記念日とか。
酔った時とか。
だが今日は何でもない日だ。
つまり前振りだ。
100パーセント前振りだ。
「これからも俺とずっと一緒にいてほしい」
あ、駄目だ。
確信した。
何かやった。
かなり大きな何かをやった。
「何それ」
「愛してる」
うわ。
重ねてきた。
完全に黒だ。
私は推理を始める。
「浮気?」
「違う」
即答。
違うっぽい。
「借金?」
「違う」
「会社潰れる?」
「違う」
「リストラ?」
「違う」
じゃあ何だ。
もっと嫌なやつか。
私は腕を組んだ。
「じゃあ何」
夫の肩がびくっと震えた。
そして。
あの大きな体のどこから出しているのか分からないくらい弱々しい声で言った。
「三毛の子猫拾っちゃった……」
私は3秒ほど固まった。
脳が理解を拒否した。
「は?」
「カラスに突かれてて……」
「は?」
「母猫いなくて……」
「は?」
「病院連れてったら生後一か月くらいで……」
「は?」
待て待て待て。
情報量が多い。
まず整理しよう。
猫砂を買いに行った。
帰りが遅い。
そして子猫。
なるほど。
そういうことか。
そういうことかぁ……。
私は天井を見た。
なるほど。
アイツらしい。
ものすごくアイツらしい。
腹が立つくらいアイツらしい。
「そんで?」
「200グラムの三毛ちゃん……」
もう言い方が駄目だ。
完全に情が移っている。
顔を見なくても分かる。
絶対もうメロメロだ。
「どうするの?」
「病院で少し預かってくれてる……」
ほら。
そこまで済ませてる。
つまり拾う段階でほぼ決まっていた。
「その後は?」
「隔離環境作ります」
「どこで?」
「俺の部屋です!」
即答。
準備していたな。
お前。
「飼うの?」
聞くだけ聞いてみる。
すると夫は背筋を伸ばした。
まるで会社でプレゼンでもするみたいに。
「一生かけて愛したいです!」
私は頭を抱えた。
「えーーーーーー……」
長い。
人生で一番長い「えー」だった気がする。
でも夫は諦めない。
「見たら分かるから」
「何が」
「抱いたら戻れないから」
「そんなわけ」
「俺はもう抱いちゃった!」
必死である。
必死すぎる。
だが。
少しだけ気になった。
200グラム。
三毛。
生後一か月。
カラスに突かれていた。
お腹ぺったんこ。
病院預かり。
頭の中で勝手に映像ができあがる。
まずい。
見ていないのにまずい。
私は額を押さえた。
嫌な予感がする。
夫とは別方向の嫌な予感だ。
これは。
見たら終わるやつではないだろうか。
私は観念してため息をついた。
「……写真ある?」
夫の顔がぱあっと明るくなった。
ああ。
終わった。
たぶん終わった。
まだ見てもいないのに分かる。
この時点で私はもう半分負けている。
そして数秒後。
スマホの画面に映し出された、骨と皮みたいな小さな三毛猫を見て。
私は残り半分も、きれいさっぱり負けたのだった。




