渡り廊下の告白
### 9-7 渡り廊下の告白
翌朝、授業が始まる前の廊下でユリウスがミユキに声をかけてきた。
「ミユキ・フォン・ヴェルナー、少し時間をもらえるか。二人きりで話がしたい」
ミユキは足を止める。
朝の廊下には人の流れがある。授業の準備をしながら移動する生徒たち、友人同士の声、鞄の音。そんな中で?
「……べつにいいけれど。何の話?」
「昨日のことについて、だ」
昨日、歪みが閉じた直後に一瞬だけ目が合ったときのことを思い出す。あの目の奥に何かがあった——という感触がまだ残っている。
「……人気のないところへ」
◇
渡り廊下の端、朝の光が窓から差し込む場所。
周囲を確認した。人影はない。廊下の両端も見えていて、誰かが来ればわかる。
ミユキとユリウスが向かい合った。
ユリウスは一呼吸の間、目を伏せた。
それから顔を上げ、ミユキを正面から見る。目は逸らさない。
「俺は——オメガ=ℕ・ロジスティクスのスパイとして、この学園に送り込まれた」
沈黙が、一瞬落ちる。
「——っ」
ミユキが息を飲んだ。
「君を監視し、世界を不安定化するのが任務だった」ユリウスは続けた。「昨日の授業中の歪み——俺が設置した装置が起動したものだ。前日に設置を試みた際の、残留物が原因だ」
「あなたが……!」
声が出かけた。ミユキは廊下の向こうを一度確認してから、声を低くした。
「……全部、あなたが?」
「そうだ」
「だが——聞いてほしい。俺は組織の命令にはもう従わないことにした。知っていることを全部話す」
急な申し出に、ミユキは戸惑いを隠せなかった。だが、ユリウスの表情は真剣だった。嘘をついているようには見えない。
『昨日、クララをこの人が助けてくれた。でも、そもそもこの人が原因を作っていた? と?』
息を一度、ゆっくり吐き出した。
「いったい、何が目的なの?」
「信じられないのはわかる。だが、あの子を、クララを害するように命令されたのだ。それは、俺にはできない……」
苦悶するような表情を浮かべたユリウスを見て、ミユキは感情を飲み下すように、小さく顎を引いた。今はまず、彼の話を聞かなければならない。
◇
ユリウスは、知る限りの情報を話した。
「オメガ=ℕ・ロジスティクスは、複数の異世界を意図的に不安定化し、最終的には崩壊させることを計画している」
「目的は転生市場の独占だそうだ。転生によって移動する魂の流通を支配するために——世界そのものを取引材料にしようとしている。崩壊した世界の「素材」を使って新しい世界を作り、転生者を送り込む市場を独占する。そういう計画と俺は聞いている」
ミユキがセラフィエルから聞かされていた話と合致する。こんな情報を一般人が持っているはずはない。ユリウスは確かに組織の人間なのだろう。しかし、なぜ急に話すことにしたのか。なぜ、組織を裏切ることにしたのか。そこはまだわからない。
「具体的な全体図は、末端の工作員には知らされない。俺が知っているのは自分の担当範囲だけだ」
「それで、いったいなぜ急に話をする気になったんですか?」
ユリウスは続ける。
「君は『実験体01』と分類されている。前世でのプログラマーとしての能力が、おそらく世界の構造を変革できると判断され、破壊者として機能させることを期待して、転生させたのだろう」
「私が……実験体」
ミユキの声は平静だったが、握られた手が微かに白くなっていた。
「当初の計画では、君は転生によって世界を破壊するはずだった」ユリウスは続けた。「ところが君は歪みをデバッグして安定化させている。計画が狂っている——組織は、なぜそうなるのか理解できていない」
「それと、もう一つ情報がある」
ユリウスが続ける。
「君の兄——志藤隼人についての話だ」
ミユキが、小さく息を止めた。
「……兄さん?」
「オメガの諜報報告書に記録があった。彼は地球側で組織の情報を収集しながら単独行動している——クロノス神の支援を受けているという情報も、諜報部が追っている」
「近いうちに、この世界に干渉してくる可能性が高いと分類されていた」
ミユキは、ゆっくりと息を吐いた。
夢の中で見えた背中。銀色の装甲。「もう少しだ、待っていろ」という声。
「兄さんは……やっぱり私を探してくれているんだ」
声が、わずかに震えた。
泣かなかった。ただ、目の奥に静かな光が宿った。
◇
しばらく沈黙が続いた。
廊下の外で、遠くから生徒の声が響いた。笑い声。それが遠くなって、静かになった。
「ユリウス」
ミユキが口を開いた。
「あなたを信じていい?」
「……信じてくれとは、言いづらい立場だ」
ユリウスは認めた。
「俺は本当につい昨日まで組織の工作員だった。君に嘘をついていた。装置の件では——君の友人を危険にさらした」
「でも、俺には嘘をつく理由がもうない。組織に戻るつもりがない以上、情報を隠す意味もない」
「昨日、クララを助けてくれたこと」ミユキが言った。「あれは、こちらを信用させるための演技ではないと?」
間があった。
「……昔、守れなかった子がいた」
ユリウスは、そう言った。
「妹みたいに思っていた。その子に危険が及んだとき——俺は間に合わなかった」
「昨日、クララが倒れたとき。気づいたら体が動いていた。頭より先に足が動いていた。自分でも——驚いている」
「……そうだったんですね」
ミユキはそれ以上聞かなかった。
短い沈黙の後、ユリウスが「……そうだ」と静かに言った。
◇
「私の作った世界を、彼らに壊させるわけにはいかないわ」
ユリウスはその言葉に、反射的に口を開いていた。
「……この世界を、作った?」
ミユキは説明する。
「前世ではゲームという、この世界のシステムを作る仕事をしていた。私はその開発者だった。この世界は——そのゲームの設定をもとに構築されている。私は開発者として、自分が作ったものを認識できる」
ミユキは端的に言った。
「だから君はデバッグができるのか。世界のバグを、修正できるのか」
ユリウスは別人のような話し方をした。機械のようだった転入してきたばかりの頃とは違う。自信をもち、落ち着いている。ユリウスは、彼女の話を聞きながら、何度も頷いた。
「前世でプログラマーだった人間の記憶がある」——それだけが組織の掴んでいた情報だった。だが今ユリウスは本当の意味で理解できた気がした。ただのプログラマーではない。この世界そのものを作った開発者だったのだ。オメガの計算が狂った理由も。この少女が歪みをデバッグできる理由も。
しばらく沈黙が続いた。廊下の遠くから、生徒の声が聞こえては消えた。
「……一晩、考えさせて」
ミユキが静かに言った。
「あなたの話は信じるわ。でも——信じた上でどう動くかは、私が決める」
「……わかった」
ユリウスは短く答えた。返す言葉は見つからなかったし、無理に探す必要もなかった。
『まだ、信じきったわけじゃない。でも——あの瞬間、嘘はなかったと思う』
◇
授業の始まりを告げる鐘が、遠くで鳴り始めた。
「行こう」
ミユキが歩き出した。
その瞬間——ユリウスの上着の内側で、通信装置が低く震えた。
着信だ。ガンマからだ。
しかし、ユリウスは応答しない。装置をポケットの奥に押し込んで、ミユキの後ろに続くのだった。
**あとがき**
第9章はここまで、またちょっと間をあけさせていただいて、次回から第10章の予定です。おたのしみにー。




