天才の噂と戦略変更
### 7-8 天才の噂と戦略変更
入学から一週間が経った。
学園での生活にも、少しずつ慣れてきた——はずだった。
しかし——。
「ねえ、あれがヴェルナー家の次女よね」
「魔法陣を即座に修正したって聞いたわ」
「辺境の侯爵家なのに、なんであんなに優秀なの?」
廊下を歩くたびに、ひそひそ話が聞こえる。
ミユキは、できるだけ視線を下に向けて歩いた。
『ああ、またか……』
ここ数日で、ミユキの噂は学園中に広まっていた。
理論授業での完璧な解答。
暴走した魔法陣の即座の修正。
シャルロッテを助けた一件。
などなど……全てが、生徒たちの話題になっている。
「魔法陣デバッガー」
「論理の魔女」
そんな異名まで付けられていた。
ミユキは、廊下の突き当たりまで来て、ふと立ち止まった。
大きな窓から、学園の中庭が見える。
噴水の周りで、生徒たちが談笑している。
平和で、美しい光景だ。
◇
「あ、あの、ミユキさん!」
背後から、明るい声がかかった。
振り返ると——金髪の少女が駆け寄ってきた。
リリアーナ・ローゼンベルク。
この世界の主人公だ。
『リリアーナ……! あちらから近づいてくれた!』
前世のゲームでは彼女は悪役令嬢イザベラと対立し、イザベラは破滅エンドを迎える。
だから——彼女と友好的な関係を築くことが、破滅回避の最優先事項だった。
でも——。
『それだけじゃない』
リリアーナは、優しい子だ。
ゲーム・プレイヤーの意思で操作されているわけではなく、ちゃんと血の通った普通の人間なのだ。
そして、何よりも——ミユキにとって、リリアーナは大切な存在である。
こんな子を虐めるなんて——そもそも考えられない。
「あ、リリアーナさん」
ミユキは笑顔で応える。
リリアーナは少し息を切らしながら、ミユキの前で立ち止まった。
「探しました……あの、この前は本当にありがとうございました!」
「この前……?」
「シャルロッテさんの暴走事故です。ミユキさんが止めてくださらなかったら、訓練場にいた全員が危なかったんです」
ミユキは驚く。
『この子、本気で皆のことを案じてるんだ……』
リリアーナは真剣な表情で続けた。
「先生もおっしゃっていました。あのレベルの魔法陣暴走を即座に停止できるのは、上級魔導師でも難しいって……」
「そんな、私は当然のことをしただけです」
ミユキは控えめに答える。
リリアーナは少し首を傾げた。
「でも……本当にすごいです。魔法理論の授業でも、ミユキさんはどんな質問にも答えられるし……」
「理論は、パターンを覚えれば大丈夫なんですよ……」
「そんな簡単じゃないです! 私、実技は何とかなるんですけど、理論がさっぱりで……」
リリアーナは困ったように笑った。
「先生の説明を聞いても、魔法陣の構造がどうして安定するのか、よく分からないんです。式は暗記できるんですけど、応用が全然できなくて……」
ミユキは——思わず身を乗り出した。
「そ、それはきっと、構造の根本を理解していないからです! 魔法陣って、論理構造の組み合わせなんです。だから、基礎パターンさえ理解すれば、応用は自然と……」
言葉が溢れ出る。
リリアーナは、目を丸くしていた。
「……ミユキさん、すごく熱心ですね」
「あ……ごめんなさい」
ミユキは慌てて口を閉じた。
前世の職業病だろうか。
プログラミングでも、魔法理論でも——興味のある分野になると、つい熱く語ってしまう。
でも、リリアーナは笑っていた。
「いえ! すごく分かりやすかったです! 今の説明、授業よりずっと理解できました」
「えぇ? 本当ですか?」
「はい! あの……それで……もし良かったら……なんですけど……」
リリアーナは少し遠慮がちに言った。
「私に、魔法理論を教えてもらえませんか? もちろん、お忙しいのは分かっています。無理なら構いませんし、平民の私に払えるような対価でしたらちゃんとお支払いします……」
『うん、これは良い流れ……!』
ミユキは心の中で小さくガッツポーズをした。
主人公との友好関係を築く——最高のチャンスだ。
「はい! 喜んで!」
ミユキは食い気味に明るく答えた。
「対価なんてぜんぜん必要ありません! むしろ、私も勉強になります。人に教えることで、自分の理解も深まりますから」
「ほ、本当ですか!?」
リリアーナの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい。それに……」
『なんと言っても、私が教えたいんだ』
ミユキは少し恥ずかしそうに付け加えた。
「お友達と一緒に勉強できたら、楽しいですし」
「お友達……」
リリアーナは、少し驚いたように目を見開いた。
そして——満面の笑みを浮かべた。
「はい! ありがとうございます、ミユキさん!」
「こちらこそ、よろしくお願いします、リリアーナさん」
二人は、笑顔で握手を交わした。
その瞬間——ミユキは確信した。
『これで、破滅フラグは大きく回避できたはず』
でも——それ以上に。
『リリアーナと、本当に友達になれるかもしれない』
『友達……そう、友達だ』
胸の中に、温かいものが広がる。
でも——同時に、複雑な感情も湧き上がってくる。
『私にとってリリアーナは……それ以上の存在でもある』
前世で、彼女の設定を真剣に作り込んだ。
まるで、大切な誰かの成長記録を書くように。一つひとつの設定に、意味を込めた。
彼女を生み出した者として、幸せを願わずにいられない。
『だから——彼女が笑ってくれることが、何より嬉しい』
その想いが、胸の奥から湧き上がってくる。
友達としての喜び——でも、それだけじゃない。創造者としての、言葉にできない温かさ。
それが、何より嬉しかった。
「じゃあ、さっそく明日の午後、図書館で待ち合わせましょう!」
「はい! 楽しみにしています!」
リリアーナは元気よく手を振って、走って行った。
ミユキは、その背中を見送った。
胸の奥が、温かい。
『よかった……』
◇ ◇ ◇
その夜——。
寮の自室に戻ったミユキは、一人で机に向かっていた。
クララは、友人たちと夕食に出かけている。
部屋には、静寂が満ちていた。
ミユキは、深く息を吐いた。
『もう脇役っぽく隠れてられないな……』
理論授業で指名されて、正解を答えた。
暴走した魔法陣を、即座に修正した。
シャルロッテを助けた。
全部——職人気質が抑えられなかった結果だ。
『まあ、いっか。これが私だし』
前世で、プログラマーだった時もそうだった。
バグを見つけたら、放っておけない。
非効率なコードを見たら、最適化したくなる。そのことで先輩プログラマーと衝突することもあった。
それは——この世界でも変わらなかった。
『魔法陣は、プログラムと同じ。バグがあったら、直したい。非効率な構造を見たら、改善したくなっちゃう。これは、しょうがないか』
ミユキは、窓の外を見た。
大月と小月が、夜空に浮かんでいる。
静かで美しい光景。
前世のゲームでは、悪役令嬢イザベラの破滅ルートには、いくつかの共通点があった。
主人公リリアーナへのいじめ。
攻略対象への執着。
婚約破棄イベント。
全て——主人公を敵視し、周囲と対立したことが原因だった。
それなら——。
『対立しなければいい。むしろ、味方になればいい』
リリアーナとは、友達になれたと思う。
シャルロッテも、もう敵意を向けてこないだろう。
ルームメイトのクララとも、良い関係だ。
攻略対象たちとも——恋愛ではなく、対等なパートナーとして関われば問題ないはず。
『私は私のやり方で、この世界を生きていこう』
ミユキは、心の中で誓った。
『誰も傷つけない。誰とも対立しない』
『そして——この世界で、幸せに生きるんだ』
胸の中に、温かいものが広がる。
不安はある。
前世の家族は、もう会えない。
でも——この世界には、新しい家族がいる。
母、父、姉、兄。
友達もできた。
クララ、リリアーナ、シャルロッテ。
セシリアやエドワードも学園にいる。
『前に進むだけよね』




