保健室での会話
### 7-7 保健室での会話
訓練場での事件から数時間後——。
ミユキは学園の保健室にいた。
グスタフ教授に付き添いを頼まれたのだ。
「ヴェルナー嬢、シャルロッテ嬢の様子を見ていてほしい。魔力消耗が激しいようだが、命に別状はない。しかし一人にしておくのは心配だ」
「分かりました」
そう答えて、ミユキは保健室に入った。
保健室は白を基調とした清潔な部屋だ。ベッドが三台並び、窓からは柔らかな午後の光が差し込んでいる。薬草の香りが微かに漂い、静かで落ち着いた雰囲気だ。
一番奥のベッドに、シャルロッテが横になっていた。
濃い茶色の髪をおろし、顔色は少し青白い。魔力を使い果たした疲労が、はっきりと表れている。
ミユキがベッドに近づくと、シャルロッテは目を開いた。
「……あなた……」
弱々しい声だった。
訓練場での高慢な態度とは、まるで違う。
「大丈夫ですか?」
ミユキは優しく声をかけた。
シャルロッテは、しばらく沈黙してから——。
「……助けてくれて、ありがとう」
顔を背けて、ぶっきらぼうに言った。
◇
ミユキは椅子に座った。
シャルロッテの隣のベッドの脇に置かれた、小さな丸椅子だ。
「いえ、当然のことをしただけです」
「……当然、ですって?」
シャルロッテが、少し驚いた表情で顔を向けた。
「わたくしが……『辺境の侯爵令嬢に助けられて、屈辱だわ』とか、そう思ってる……って、あなたもそう思うんでしょ?」
自嘲気味な口調だった。
ミユキは首を振った。
「いえ、あれはあなたのミスではありません」
「……どういう意味?」
「もとにした魔法陣に後から改変されていた痕跡がありました」
ミユキの言葉に、シャルロッテの目が見開かれた。
「本当に……?」
「ええ。誰かが意図的に暴走するよう仕組んだ可能性があります」
シャルロッテは、じっとミユキを見つめた。
疑いの目ではなく——何かを確かめるような視線。
「……あなたは、嘘をついてない……ように見えるわ」
「嘘をつく理由がありませんから」
ミユキは穏やかに答えた。
◇
しばらく沈黙が続いた。
保健室の窓から、学園の中庭が見える。生徒たちが談笑しながら歩いている。平和な日常の風景だ。
シャルロッテが、唐突に口を開いた。
「……あなた、本当に辺境の侯爵家の娘よね?」
「はい。そうですよ」
「なぜそんなに魔法理論に詳しいの? 辺境では、高度な魔法理論を学べる環境なんてないはずよ」
好奇心と、少しの警戒が混ざった声。
ミユキは少し考えてから答えた。
「家庭教師の先生はいましたが、ほぼ独学です。魔法陣は……論理的に考えれば理解できます」
「論理的……?」
シャルロッテが眉をひそめた。
「魔法は感覚だと教わったけど」
「感覚も大事です」
ミユキは頷いた。
「でも、構造を理解すればもっと安定します。魔法陣は一種の設計図ですから」
「設計図……」
シャルロッテは、その言葉を繰り返した。
「確かに、そう考えれば……魔法陣の複雑さも、納得できるわね」
彼女の表情が、少しだけ柔らかくなった。
◇
再び沈黙。
今度は、先ほどよりも柔らかい空気だった。
シャルロッテが、ベッドの上で体を起こした。
「……私、プライドが高すぎて、ちょっと無理な魔法を使おうとすることがあるの」
自嘲的な笑みを浮かべる。
「あのリリアーナの愚かなドジ、私は絶対に真似しないって思ってたのに……結局、失敗するのは同じね」
シャルロッテが自嘲気味に言う。
「リリアーナさんのは天然ですけど、あの一生懸命な姿は……誰も憎めないんですよ」
ミユキは優しく言った。
「……確かに。あの大きな瞳で不安そうに見回されると、つい心配になるわね」
シャルロッテは少し複雑な顔をした。
「あなたの場合は、向上心の表れでは?」
「向上心……?」
シャルロッテが、驚いた表情でミユキを見た。
「ええ。もっと強い魔法を使いたい、もっと上手になりたい。そう思うからこそ、無理をしてしまう。それは向上心でしょう」
「……慰めなんていらないわよ」
シャルロッテは顔を赤くして、視線を逸らした。
でも——。
その表情は、少し嬉しそうだった。
◇
ミユキは立ち上がって、窓の外を見た。
夕日が学園の建物を染めている。
「シャルロッテさん」
「……何?」
「魔法陣の理論、もっと学びたいですか?」
ミユキの問いに、シャルロッテは一瞬戸惑った表情を見せた。
唇が、小さく震えた。
何かを言いかけて——でも、言葉が出ない。
「……私が?」
ようやく出た声は、小さかった。
「あなた……辺境の侯爵令嬢に……教えてもらうなんて……」
プライドが、まだ抵抗している。
グリムハイム家は王都の名門侯爵家だ。格式も高く、魔法技術でも名高い。
一方、同じ侯爵とはいえヴェルナー家は辺境領。王都の貴族から見れば、格下として扱われることも多い。
「私……グリムハイム家の娘なのに……」
シャルロッテの声が震えた。
「家名に恥じないよう、完璧でいなければならないって、ずっと言われてきたの」
「失敗は許されない。弱さを見せてはいけない」
「でも——」
彼女の目から、一粒の涙が零れた。
「今日、私は失敗した。助けられた。辺境の侯爵令嬢に……。そんなの……プライドが許さない」
ミユキは、静かにシャルロッテの隣に座った。
「シャルロッテさん」
「……何?」
「プライドを守ることと、成長することは——矛盾しませんよ」
ミユキの言葉に、シャルロッテが顔を上げた。
「学ぶことは、恥ずかしいことじゃありません。むしろ、誇るべきことです」
「でも……」
「家名のために完璧でいる必要はありますか?」
ミユキが優しく尋ねた。
「それとも、あなた自身が成長したいと思いませんか?」
シャルロッテは、黙って考え込んだ。
長い沈黙。
やがて——。
「……学びたい……わ」
小さな声だった。
「本当は……もっと魔法を知りたい。もっと上手になりたい」
「でも……辺境の侯爵令嬢に教わるなんて……家族に知られたら……」
「誰にも言いません」
ミユキが微笑んだ。
「これは、私たち二人だけの秘密です」
シャルロッテの目が、揺れた。
プライドと、向上心。
家名への忠誠と、自分の成長への渇望。
その間で、心が揺れている。
そして——。
「……ええ。学びたいわ」
ついに、素直に答えた。
その声には、決意が込められていた。
「私、あなたのこと誤解してたかも」
「誤解……?」
「辺境の侯爵令嬢だから、大したことないって思ってた」
シャルロッテは正直に言った。
「でも……あなた、すごく優秀ね。そして……優しい。年下のはずなのに、なんだかとっても、わたくしよりずっと大人みたい。魔法の説明も、まるで先生みたいで……」
「い、いえ、そんなことありませんよ」
ミユキは慌てて否定した。
「本当よ? 落ち着いてるし、言葉遣いもしっかりしてるし……十五歳には見えないわ」
「そ、それは……」
ミユキは言葉に詰まった。
『まずい……また大人っぽく振る舞いすぎた?』
魔法の説明をする時、つい論理的で丁寧な口調になってしまう。それを説明するわけにもいかない。
シャルロッテは、ミユキをじっと見つめた。
「また魔法の話、聞かせて」
今度は——迷いなく、まっすぐに頼んだ。
「もちろんです」
ミユキは微笑んだ。
その時——。
シャルロッテも、小さく微笑んだ。
高慢な表情が消え、年相応の少女の顔になった。
◇
やがて、保健医が戻ってきた。
「シャルロッテ嬢、魔力が回復してきましたね。もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
シャルロッテがベッドから降りる。
まだ少しふらついているが、自力で歩ける程度には回復している。
「ヴェルナー嬢、付き添いありがとうございました」
保健医がミユキに礼を言う。
「いえ」
ミユキは頷いた。
シャルロッテが、保健室の扉の前で立ち止まった。
振り返って——。
「ヴェルナー嬢……いえ、ミユキさん」
初めて、名前で呼ばれた。
「今日は……本当にありがとう」
そう言って、小さくお辞儀をした。
プライドの高い彼女が、素直に頭を下げた。
ミユキは驚いたが、すぐに微笑んだ。
「どういたしまして」
シャルロッテは、少し照れたように笑って、保健室を出て行った。
◇
ミユキは一人、保健室に残った。
窓の外を見る。
夕焼けが、少しずつ暗くなっていく。
『シャルロッテさん……友達になれるかもしれない』
ミユキは思った。
ゲームでは、シャルロッテは主人公リリアーナに嫌がらせをする悪役側脇役の一人だった。
でも——。
今のシャルロッテは、素直で向上心のある少女だ。
『ゲームのキャラクターじゃなくて、一人の人間なんだ』
窓の外、大月が昇り始めている。
静かで美しい夜の始まりだった。
でも——。
ミユキの心には、まだ小さな不安が残っていた。
『魔法陣を改変した人物……誰なんだろう』
答えのない疑問が、胸の中で渦巻く。
『気をつけないとな……』
ミユキは小さく呟いた。
そして、保健室を後にした。
廊下を歩きながら、ふと振り返る。
誰もいない——はずだった。
でも——。
夜の学園は、静かで——どこか不穏な雰囲気が漂っている。
ミユキは足を速めて、寮への道を急いだ。




