十三歳の秋——研究の日々と家族の団結
## 第五章:成長の二年間
### 5-1 十三歳の秋——研究の日々と家族の団結
秋が深まっていた。
冒険者ギルド訪問から、早三ヶ月が経つ。
ミユキのためにしつらえられた研究室こと小さな書斎は、魔法理論書と実験ノート、そして新たに始めた研究ノートで埋め尽くされていた。窓の外では、庭園の木々が赤や黄色に色づき始めている。
◇
「お嬢様、前回課題となっていました『多重魔法陣の安定化』実験はどのような成果が上がりましたか?」
アルノルトが、穏やかな声で尋ねた。
週例の、毎週水曜日の午後にミユキの書斎で行われるこの授業は、もはや研究の進捗報告会のようになっている。
ミユキは、分厚いノートを広げた。
「三つの魔法陣を同時発動させる安定化実験を、二十回繰り返しました」
ページには、びっしりと魔法陣の図と、実験結果のデータが記されている。
「結果、魔力供給のタイミングを0.3秒ずらすことで安定化に成功しました」
「なんと……驚異的です」
アルノルトは、ノートを見つめながら呟いた。
「普通は数ヶ月、いや、数年はかかるだろう研究を……」
「プログラミングの並列処理の考え方を応用したんです」
ミユキは、つい前世の専門用語を口にしてしまう。
「複数のプロセスが同時に走る時、リソースの競合を避けるには——」
「プロ……グラミング?」
アルノルトは、聞き慣れない単語に首を傾げた。
「あ、えっと……古代魔法の理論書に書いてあった概念です」
ミユキは慌てて誤魔化す。
『しまった……また前世の知識が出てしまった』
アルノルトは、納得したように頷いた。
「なるほど、古代魔法の知識ですか。お嬢様の博識には驚かされます」
◇
午後の授業が終わり、ミユキはアルノルトと共に庭園へ向かった。
理論だけではなく、実際に魔法を発動して検証する。それが、ここ数ヶ月でミユキが学んだやり方だった。
庭園の一角、実験用に確保されたスペース。周囲には防御魔法陣が張られ、万が一の暴走にも対応できるようになっている。
庭師オットーが、少し離れたところから見守っていた。
「準備はよろしいですか?」
アルノルトが、確認する。
「はい。始めます」
ミユキは深呼吸をして、精神を集中させた。
地面に描かれた三つの魔法陣——火、水、風。それぞれが独立した魔法陣だが、中央の制御魔法陣で統合されている。
ミユキは、制御魔法陣の中心に指を置いた。
『魔力を注入……まず火、0.3秒後に水、さらに0.3秒後に風』
魔力が流れ込む——第一の魔法陣が輝き始める。
炎が立ち上がる。
0.3秒後——第二の魔法陣が発動。
水が湧き出る。
さらに0.3秒後——第三の魔法陣が発動。
風が吹き荒れる。
三つの魔法が同時に発動し——そして、調和した。
火と水と風が融合し、虹色の光を放つ。
美しい光の渦が、庭園に広がった。
「お嬢様、素晴らしい!」
オットーが、感嘆の声を上げた。
「これは……」
アルノルトは、言葉を失っていた。
「魔法学会に論文として提出すべきです」
アルノルトは、冷静さを取り戻して提案した。
「いえ、まだ理論が完全ではありません」
ミユキは首を横に振った。
「誤差ゼロで完全に同時発動も可能なはずです。もっと効率的にできるはずなんです」
アルノルトは、ミユキの横顔を見つめた。
『この完璧を求める向上心……天才というだけでなく、職人の気質だ』
◇
夕方、書斎に戻ったミユキは、今日の実験結果をノートに記録していた。
窓の外は、すっかり夕焼けに染まっている。二つの月——グローセモント(大月)とクラインモント(小月)が、薄く空に浮かんでいた。
『多重魔法陣の時間差同時発動は成功した』
『だが、まだ改善の余地がある』
ペンを走らせながら、ミユキは思考を整理する。
『もっと魔法陣をプログラマブルに、フレキシブルに……それでいてシンプルにする方法は……』
『一つの魔法陣で、複数のパラメータを制御できるように……』
新しいページを開き、タイトルを書く。
『プログラマブル魔法陣——変数を使った汎用魔法陣の理論』
『これが完成すれば、誰でも効率的な魔法が使える』
前世の記憶が蘇る。オープンソースの精神。知識は、独占されるべきではなく、共有されるべきだ。
『前世では、私のプログラムはゲーム仕様の中に閉じ込められていた』
『でも、ここでは違う。魔法陣の理論は、人々の役に立てる』
ミユキの手が止まった。窓の外を見ると、二つの月が輝いていた。
『セラフィエル様の言葉……「お前のスキルが、この世界で役に立つように」』
コンコンと、扉をノックする音がした。
「お嬢様、お夜食をお持ちしました」
アンナの声だ。
「どうぞ」
アンナが、温かいココアとクッキーを盆に載せて入ってきた。
「無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう、アンナ」
ミユキは、温かいココアを一口飲む。甘くて、ほっとする味。
『家族に分かってもらえて……本当に良かった』
アンナが去った後、ミユキは再び研究ノートに向かった。
深夜、ミユキは研究ノートを閉じた。
窓の外では、二つの月が静かに夜空を照らしている。
『今日も、前に進めた』
ペンを置いて、ミユキはベッドに向かった。明日も、新しい研究の日が始まる。
◇ ◇
数日後の夜。
セバスチャンは、書斎の机の上に、開いたままのノートを見つける。
ミユキの研究ノートであった。
老執事の目が、ページの端に書かれた言葉に止まる。
『variable(変数)』『function(関数)』『if-else(条件分岐)』
『これは……この世界にない概念だ』
『「プログラミング」という言葉も、アルノルト先生が首を傾げていたと聞く』
『お嬢様が言っていた「古代魔法の理論」という説明……それは本当か?』
『……古代魔法の記録は、多数存在するが……』
『だが、このような思考体系……見たことがない』
王国騎士団の副団長でもあった彼は、古い戦術書、魔法文献、多くの書物を目にしてきた。
それでもなお、この言葉たちは——全く未知のものだ。
『まるで、別世界の知識体系のようだ』
『魔法の理論ではなく、何か……別の秩序を持つ体系』
『お嬢様は、一体どこでこの知識を……』
『まさか……』
執事は、そっとノートを閉じた。
その翌日の夕刻、セバスチャンは侯爵の執務室を訪れた。
「旦那様、お嬢様のことで、お話があります」
◇ ◇
その夜、侯爵家の書斎に、ミユキ以外の家族が集められた。
エルヴィン、カタリーナ、ソフィア、フリードリヒ——そして、セバスチャン。
ミユキだけが、呼ばれていない。
訝しむ兄姉に向かい、「セバスチャン、話してくれ」とエルヴィンが厳粛な声で促した。
セバスチャンは、メモを取り出す。
「はい。お嬢様の研究ノートに、この世界には存在しない言葉が記されておりました」
「『variable』『function』『if-else』——これらは、お嬢様が『プログラミング』と呼んでいる概念です」
「プロ……グラミング?」
カタリーナが、聞き慣れない言葉に眉をひそめた。
「はい。お嬢様が前世で使われていた……おそらく、魔法陣を構築するための特殊な思考方法かと」
セバスチャンの言葉に、カタリーナは驚く。
「前世って……」
「ああ、私からセバスチャンには先ほど伝えてある」
エルヴィンは深く頷いた。
ソフィアとフリードリヒは、顔を見合わせる。
「前世……?」
フリードリヒが、戸惑いの声を上げた。
「セバスチャン、それはどういう意味だ?」
エルヴィンは、深く息を吸い込んだ。
「私から話そう。ソフィア、フリードリヒ。お前たちには、まだ話していなかったが……」
侯爵は、厳粛な表情で二人の子供を見つめた。
「ミユキは……転生者なのだそうだ」
書斎に沈黙が落ちる。
「転生……者?」
ソフィアが、目を見開いた。
「ああ。前世の記憶を持ったまま、この世界に生まれ変わった存在のことだ」
エルヴィンは、簡潔に説明した。
「三ヶ月前、ミユキは私たちに告白した。前世では『志藤美幸』という名で、こことは別の魔法のない世界で『プログラミング』という技術を使っていたそうだ」
「その知識が、ミユキの魔法理論の源だ」
ソフィアとフリードリヒは、顔を見合わせた。
「そう……。薄々……気がついていました」
ソフィアが、静かに口を開いた。
「倒れたあの日から、ミユキは変わった。でも、それでも、ミユキはミユキ。私の妹です」
「俺も同じだ」
フリードリヒが、力強く頷いた。
「過去がどうであろうと、ミユキは俺たちの妹だ」
カタリーナが、優しく微笑み、セバスチャンも深く頷いた。
エルヴィンは、家族を見回した。
「うむ。その通りだ」
「だが、この秘密が外部に漏れれば、ミユキは危険にさらされるだろう」
「転生者の存在は、伝説に包まれている。一部の学者は研究対象として興味を持つにちがいない。王宮も、関心を示すかもしれない」
「また、場合によっては何者かに利用されるかもしれない」
フリードリヒが、拳を握りしめた。
「そんなことは、させない」
「ああ」
エルヴィンは、息子の言葉に力強く頷いた。
「だからこそ、この場で確認しておきたい」
「ミユキは転生者である——この秘密を、我々だけで守る」
「セバスチャン、お前も、この秘密を共有し、守っててくれるか?」
老執事は、深く頭を下げた。
「もちろんでございます。旦那様。お嬢様がどのような方でありましても、私の務めは変わりません」
「お嬢様を、この家族を、全力でお守りいたします」
カタリーナが、優しく微笑んだ。
「ありがとう、セバスチャン。あなたがいてくれて、心強いわ」
エルヴィンは、妻の言葉に頷き、さらに続けた。
「もう一つ、重要なことがある」
「驚くべきことだが、この世界は、ミユキが前世で開発していた『乙女ゲーム』の世界なのだという。そのゲームには主人公『リリアーナ・ローゼンベルク』と、五人の攻略対象——第一王子アルベルト、騎士カイル、学者セオドア、商人マルコ、転入生ユリウスが登場する」
「そして……『悪役令嬢イザベラ・フォン・ヴェルナー』——これがミユキのゲームとやらでの設定名なのだそうだ——は、主人公をいじめ、結果として破滅する役割が物語として与えられているらしい」
再び、沈黙が書斎を支配する。
「ミユキが……破滅?」
ソフィアが、険しい表情で呟いた。
「そんなこと、絶対に許さない」
「ああ。だからこそ、ミユキは前世の知識で、その運命を回避しようとしているのだ」
エルヴィンは、深く頷いた。
「リリアーナ・ローゼンベルクという娘が、いずれ学園に登場する」
「ゲームとやらの設定のイザベラは彼女と険悪になるのだそうだ。だが、ミユキはあえて彼女と友好的な関係を築こうとしている」
「そして、悪役令嬢としての破滅へ至る道筋を、全て回避しようとしている」
「いいか、我々は、ミユキのその努力を、全力で支える」
フリードリヒが、力強く頷いた。
「当然だ。ミユキは、俺たちの妹だ」
「ゲームのシナリオなんて、関係ない」
セバスチャンが、静かに口を開いた。
「旦那様。一つ、よろしいでしょうか」
「何だ、セバスチャン」
「お嬢様の技術は、王宮からの関心を集めているとか」
エルヴィンは、頷いた。
「ああ、プログラマブル魔法陣理論——そして、あのバイクに搭載されている魔動機関。ミユキの研究は、王国の魔法や技術発展に大きく貢献する可能性がある」
「だが、それは同時に、ミユキが政治的な価値を持つようになることを意味する」
「特に、学園に入学後は人間関係も複雑になるだろう」
カタリーナが、心配そうに呟いた。
「ミユキは、まだ十三歳なのに……」
「ああ、なので、まだ時間はある。ゲームの舞台は王立魔法学園の高等部。そこにミユキが入学する前に、出来る事はすべて準備し、可能な限り手を打っておく」
エルヴィンは、妻の手を取った。
「この秘密を、ミユキを、我々で守らねばならん」
セバスチャンが、深く頭を下げた。
「承知いたしました。お嬢様を、全力でお守りいたします」
ソフィアとフリードリヒも、頷いた。
「私たちも、ミユキを守る」
エルヴィンは、家族を見回し、静かに微笑んだ。
「ありがとう。みんな」
「これからも、ミユキを——我が家の娘を、よろしく頼む」
その夜、侯爵家の書斎での秘密の会議は、静かに幕を閉じた。
ミユキの秘密を守るために、家族と執事が、固く団結した夜だった。




