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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 天下遼遠にして
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第一話 留守居役として

 周喩の南郡攻略が正式に決定したのだが、その人事で一つ問題があった。


 魯粛がその中に含まれていなかったのである。


「公瑾よ、ワシを外す理由を教えてくれんか?」


 その事で魯粛は、周喩に直接問いただす為に彼の元を訪ねていた。


 赤壁でもそうだったが、魯粛は参謀として周喩を支えてきた実績がある。


 それこそ正式に配下に加わっていない孫策の時代から、裏にも表にも協力を惜しまなかった。


 ここで重要な戦から外される事になるとは、想像もしていなかったのである。


「いくつかの理由はありますが、最大のところは諸葛亮の態度です」


「孔明の態度の悪さは今更じゃろうに」


「いえ、気になったのは態度の悪さではなく、こちらの提案に対する反応の無さと言いますか、そう言うところです」


 そう言われると、確かに諸葛亮の態度には気になるところがあった。


 その前に劉備の態度も作為的なところがあったし、戦の準備の話だと言うのに主力である関羽と張飛がいなかった事も、今にして思えば不自然である。


 言うまでもなく趙雲も天下に屈指の名将である事は魯粛も知っているが、劉備軍の主力はやはり関羽と張飛であり、関羽などは兵士達からの信頼も劉備軍随一だろう。


 曹操との戦いに温存する様な戦力ではない。


 あの時はあくまでも話し合いの為に邪魔になりそうだから外していたと思っていたが、そう思わせる為にあの二人を隠していたと考えた方が自然だろうと、今では魯粛もそう考えている。


「本来であれば諸葛亮は、こちらが連戦になるとか赤壁での被害も皆無ではないのだから、ここは自分達に任せて欲しいと主張するところだったとは思いませんか?」


「……そうじゃのう、玄徳にしても孔明にしても、目の前の馳走には飛びついて独り占めする様な輩じゃからのう」


「ところが、こちらに全て任せますと言って高みの見物。まるで我々が絶対に勝てないと知っているかの様でした」


「……言われてみれば、確かにそうじゃな」


 南郡の城を守る曹仁も、曹操軍の武将の中では極めて優秀である事は誰もが認めるところであるが、それでも周喩を相手に百戦百勝を誇れると言う事はない。


 むしろ百戦した場合には、まず間違いなく周喩が勝ち越す事になるだろうと魯粛は思っている。


「つまり、我々が必ず敗れると言う根拠が孔明にはあると、公瑾は思っておるのじゃな?」


 魯粛の質問に、周喩は頷く。


「具体的にどんな事かと言うところまで看破出来てはいませんが、南郡を守る曹仁もどんな大軍に対しても余裕で守れると言うほど兵力を有している訳ではありません。その上で曹操軍にとっても劉備軍にとっても都合の良い護り方は、我々の後方攪乱ではないかと私は警戒しているのです」


「それは山越で使った手ではないのか?」


「いえ、山越は本来であれば赤壁の時に動くはずだった手でしょう。曹操との連携がうまくいかなかったせいで山越の動き出しが遅れた事と、祖郎達が頑張ってくれた事もあって戦の最中に悩まされずに済んだと見るべきです。私自身、この策が曹操や劉備の本命であるとは言えませんが、後方に憂いを抱えたままでは遠征など出来ません。そこで柱として留守居役を任せたいと思っていました」


「……ふむ、それが全てでは無さそうじゃが、今のところはそれで納得する事にしよう。して、公瑾の見立てでは南郡の城は取れそうなのか?」


「今のところ、順当に行けば八割方勝利出来ると言う自信はあります。が、何であれ曹仁は油断出来る様な相手ではありませんし、曹操が無策のまま曹仁に南郡の城を任せているとも限りません。諸葛亮も劉備もこちらの敗戦を期待しているとなると、不安要素を完全に解消させる事は不可能です」


 周喩は魯粛が思っていた以上に警戒している様だった。


 最終的に勝利したが、赤壁での戦いは最初の奇襲こそこちらが先手を取ったものの、それ以降はこちらの思惑通りに事が運んでいるかの様に見えて、全て曹操の手の平の上で踊らされていただけだった。


 その神算鬼謀たるや、周喩や諸葛亮と言った異才の軍略家ですら手玉に取るほどである。


 おそらく何らかの策があり、先に行動する孫権軍がその策にハマる、と諸葛亮は予想しているのだろう。


「いっその事、南郡の城は劉備軍にくれてやってはどうじゃ?」


「それは出来ません」


 魯粛としては悪く無いと思うのだが、周喩に即答される。


「劉備は曹操以上に危険な梟雄。江夏に閉じ込めておくべきであり、南郡など与えては龍を大海に放つ様なものです。また、曹操の目も江夏に向けておけばこちらも動きやすくなります」


「まぁ、劉備が梟雄である事はワシも認めるところではあるが、盾はそれなりに強固で無ければ盾としての役割を果たさぬぞ?」


「私が盾に求めている事とは、何度も攻撃に耐えうる事ではなく相手との距離を詰める間だけ敵の矢雨に耐えられれば十分なのです。故に江夏で十分であり、南郡は過剰だと判断しています」


「盾一つを取っても、ワシと公瑾ではここまで違うか。とはいえ、軍略においてワシは公瑾に及ばぬから、ここは公瑾の言い分が正しいのじゃろう」


「そんな事はありませんよ」


 以外な否定の仕方をされて、魯粛は驚く。


「軍略の才に優れている者の言い分が必ずしも正しい訳ではありません。もし曹仁に敗れて南郡を得られなければ、私の空論より遥かに優れた軍略を示したと言う事になるのですから」


「妙に不吉な事を言うのう。此度の出征、やはり無理をせずとも良いのではないか?」


 周喩の言葉に不穏の気配を感じ取り、魯粛は改めて提案する。


「そう言う訳にはいきません。曹操の支配力は並大抵のモノではありません。今を逃せば、荊州を得る機会は二度と巡ってこないでしょう。この千載一遇の好機を前に、多少の無理や危険など考慮に値しません」


 結局魯粛は周喩の説得は出来ず、留守居役を引き受ける事になった。



 周喩が軍を率いて南郡へ出征した後、孫権が家臣達を率いて魯粛の元を訪ねてきた。


「何じゃ、こんなにゾロゾロと引き連れて」


「はっはっは、公瑾からお前さんが拗ねていると聞いてな。先の戦いにおいて十分過ぎる働きをしてくれたのに、他の者達と比べて扱いがぞんざいだったかなと思って、改めて祝いに来てやったのだ」


「拗ねておらんし、あの戦は大都督の天才的な軍略と諸将の獅子奮迅の働きによるもので、ワシは大してなんとしとらんわい」


「お? らしくないくらい謙虚じゃないか。悪いものでも食ったか?」


「たわけ。ワシは誰よりも安くてイイ物食っとるわい。ワシは事実を歪める事は好まんだけじゃ」


「はっはっは、言うじゃないか。安い物を高く売る商人のクセに」


 孫権は笑いながら言う。


「大たわけめ。ワシをその辺の悪徳商人と一緒にするでない。ワシは良いモノを安く仕入れて買いやすい値で売っているから信頼があり、商売の手を広げて行けておるのじゃ。安いモノを高く売るなど、その場限りの収益しか見ておらん三流じゃぞ。一緒にするでないわ」


「商売論には厳しいな。ぶっちゃけると、俺が飲みたいからその理由にお前さんを利用しているだけで、祝うつもりなんかハナからサラサラ無いけどな!」


「ぶっちゃけ過ぎじゃな」


 楽しそうな孫権に、魯粛は眉を寄せて言う。


 孫権の砕けた態度に魯粛は好感を持っているが、張昭などは苦い顔をしている。


 一応の名目としては魯粛を労うと言う事になっているが、魯粛に近しい武将武官達は出征してこの場におらず、孫権が集めた家臣達はどちらかといえば魯粛に不満を持っている文官達ばかりだった。


 が、それを気にする魯粛ではないし、孫権もまったく気にしていない様だった。


「こうして飲み会が開けるのも、元はといえば最初から抗戦を主張していた魯粛のお陰と言えなくもないな。ここにいる者達は、師父も含めてほとんどが降伏を主張していたしな」


「仲謀、その言い方は良くないのう」


 楽しそうに笑う孫権に、魯粛は苦言を呈する。


「子布はともかく、他の文官面々を悪く言うのは良くない。あの戦力差では降伏を考えるのは当然じゃろうし、それ自体は間違ってはおらんのじゃ。悪く言うのは子布だけにしておけ」


「何で儂だけは悪く言っても良いのだ?」


 張昭は魯粛を睨む。


「ワシに限らずじゃが、子布に強く主張されては反対出来る者も少なかろうに。子布の事じゃから、反対する者は殴るとか言うたのじゃろ?」


「誰が言うか! 殴るぞ、貴様!」


「ほらの。コレに文官先生方が反対出来るはずも無かろうに」


「確かにな。悪く言うのは師父だけにしておこう」


「主君も悪い輩とは距離を置くべきですな」


 張昭は苦々しく呟く。


「だが、主君自らが家臣を引き連れてわざわざ祝勝の為に迎えに来てやったんだぞ? 家臣としてこれ以上の栄光は中々無いだろう? もっと恩に来ても良いんだが?」


 酔って上機嫌になった孫権が、魯粛に絡んでくる。


「この程度で浮かれてどうする。ワシの目指す、ワシに相応しい主はこの程度ではないわい。そうじゃのう、青い傘の馬車でワシの事を迎えに来る様になってからじゃな。その時に同じ事を言ってもらうのを楽しみにしようかのう」


 魯粛の言葉に、張昭だけでなく、他の文官の面々も驚かされる。


 青い傘の馬車と言うのは、皇帝にのみ許された馬車の特徴である。


「いくらなんでも不遜が過ぎよう」


 張昭の推挙で新たに孫権軍に参加した文官の一人である厳畯げんしゅんが、険しい表情で魯粛に言う。


「不遜? この程度の気概無くしてこの乱世が乗り切れると思っておるのか? 此度曹操は漢の丞相となったそうじゃが、その命令を唯々諾々と受け入れると? 失墜した漢の権威に従うにしても、それは私利私欲によって地位を得た曹操に与する事を良しとする訳ではなかろう?」


「おいおい、子敬。文官達をあまりイジメるなよ?」


 魯粛の言葉に反論出来ない厳畯を助ける様に、孫権が笑う。


「だが、青い傘の馬車の事は不遜に過ぎるとは俺も思うがな。確かにその気概は必要かもしれないと思うが、それを口に出すのは違うんじゃないか?」


「ふむ、大人になったモンじゃのう」


「師父のお陰だよ。認めるのはシャクだけどな」


 孫権が楽しそうに笑うのを、張昭は諌めるべきか認められていると取るべきか悩んで、複雑な表情を浮かべている。




 この後、孫権は本拠点を『建業』と定めた。


 それは『王業を建てる』と言う孫権の意思表示であり、天下人への第一歩を踏み出す意思の現れでもあった。

孫権と魯粛の会話


実は一番書きたかったシーンでもあります。

演義のお人好し魯粛からは考えられない不遜なセリフですが、正史魯粛を一番わかりやすく表している会話だと思います。

さすがに孫権もこの時は魯粛の不遜に言葉が無かったみたいですが、後に

「魯粛だけは最初から皇帝になる事を勧めていた」

と言っていますので、影響力はかなりのモノだったのでしょう。


このタイミングで本拠地を『建業』としたと本編では語っていますが、実際にはもう少し後になります。

孫権の覚悟の現れでもある名前ですし、ここを逃すと本来のタイミングでは魯粛いないので、ここに入れ込みました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 この頃の孫権ならまあ、若さ故の過ちはあるが、まあ、安定感はあった。 張昭、張紘、顧雍らが亡くなり、年を重ねるにつれて、認知を患い、おかしくなりました。
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