第二話 周喩対曹仁
南郡の城は、必ずしも攻めやすい城ではない。
荊州南部を睨む城として、守りに適した城の造りである。
そこを守るのが、人材豊かな曹操軍の中にあっても『武将の鑑』とまで称される名将、曹仁と言う事もあって簡単には攻め落とせる城ではない事は周喩にも分かっていた。
だが、一つ守る曹仁が抱えている問題があった。
その能力や評価と比べて、何故か曹仁は実績に恵まれていないところがある。
曹操が南下を始めた時には先鋒を任され大軍を率いながらも、少数の劉備軍に敗れてしまった。
赤壁の決戦でも本来であれば先鋒として活躍するはずだったところを、前線から外され後方の城の守備と言う閑職とも言える役職に回された。
結果としてそれは曹操軍の全面崩壊を防ぐ事に繋がったのだが、それは曹仁が望んだ手柄では無かったはずだ。
おそらく、と言う言葉が付く事は周喩も自覚しているが、曹仁は勝利に飢えているだろう。
南郡の城を守り通す事でも十分なのだが、曹仁にとってそれが勝利と感じられるだろうか。
そこに隙が出来る可能性は極めて高い。
周喩の思惑を裏付ける様に、曹仁は南郡の城から打って出て布陣していた。
その布陣には特に作為めいたところは見受けられない。
もし罠などと配置しているのであれば、あえて隙のある布陣するものだが曹仁の布陣は逆にこちらに攻勢をかけるつもりである事が見て取れる。
周喩自身は冷静かつ謙虚な人物ではあるが、『あの』孫策を補佐していた人物なのでどちらかといえば攻勢に長け、戦術も攻勢を好む傾向があった。
仮にこの時に周喩が自分の得意とするところで一気に押し込んでいたら、案外すんなりと決着は着いていたかもしれない。
だが、この時の周喩は全軍総攻撃による短期決戦と言う戦術を取らず、様子を見る事にした。
一つには魯粛にも話した、曹操の策と言う懸念である。
曹操は行動こそ大胆ではあるが、元来細心で注意深い男であり、自ら動いて状況を打破する性格もあって攻勢ばかりが目に付くが、無謀無策に攻めると言う事はなく守りには万全を期している事が常であった。
例え守将の曹仁に絶対の信頼を預けていたとしても、無策のまま好きにしろと言う事は有り得ない。
何らかの策を授けている事は疑いようがなく、その正体も分からないままに全軍突撃を命じられるほどに周喩は無謀な賭けを好む性格ではなかった。
「我が名は牛金! 孫権軍の惰弱な田舎者ども! 今からでも遅くない! 頭を垂れて丞相に従うが良い! そうでなければ無駄に命を落とす事になるぞ!」
曹仁軍の先鋒らしき若い武将が、高らかに言い放つ。
「……牛金?」
曹操軍の武将らしいが、その名に聞き覚えの無かった周喩は副将である呂蒙や参謀の程普に尋ねてみたが、二人共知らないらしく首を振っている。
「おそらくは曹仁が現地で見つけた者なのでしょう。曹仁は曹操を模倣するところが目に付きますので、先鋒を任せたと言う事はそれなりの武勇を持つ者なのでしょうな」
程普の言う事に、周喩も頷く。
が、真意が読み取れない。
ここで挑発してくるのは、こちらの攻勢を誘っての事なのだろうが、見る限りでは相手に何かしらの守りの備えがある様には見えない。
「軽々に無名の者の挑発に乗るべきではないでしょう。むしろ向こうがそのつもりであれば、こちらもやり返してみましょうか。丁奉に相手をさせてみましょう。もし苦戦する様なら徐盛を、全体の指揮は蒋欽に取らせてみます」
相手が無名の武将と言うのであれば、こちらからも実績十分な程普や凌統ではなく若手の丁奉らに任せて様子を見る事にする。
丁奉にしても徐盛にしても勇猛果敢にして、若いに似合わず冷静沈着な知勇兼備の武将であり、周喩達の次の世代を支える武将として期待されている。
だが、智将としての側面を持つ丁奉や徐盛であったからこそ、今回は牛金と曹仁の狙いに対して後手を踏む事になった。
牛金が無謀な突撃に来たのだが、あまりに無謀で後続の続く気配が無かった為に丁奉は意図を読み取る事が出来なかったのである。
まさか最初から勝利ではなく、自身の命を省みる事無くただ敵に損害を出す為だけに突撃してきたなどと、智将であれば逆に考えもしない蛮勇だった。
それでも丁奉は長く牛金を自由にさせていた訳ではない。
同じく素早く反応した徐盛と連携し、囲み込んで牛金を殲滅させようとした。
「拙いな、乗せられている」
周喩は観戦しながら眉を寄せた。
「乗せられている? 確かに先手は取られましたが、あの部隊は全滅なのでは?」
呂蒙が周喩に尋ねるが、周喩は首を振る。
「すぐに曹仁が動く。意識が牛金の小隊に向きすぎているから、曹仁軍の攻撃で丁奉、徐盛は相当な被害を受ける事だろう。それに蒋欽が出てこちらにとって不利な総力戦をさせられる事になる。すぐに甘寧と凌統に両翼から圧力をかけさせましょう。牛金には逃げられそうですが、損害は抑えられるはずです」
周喩の言った通り、丁奉と徐盛は牛金を囲みこそしたものの、それを見越していた曹仁からの攻撃にあって包囲を維持する事が出来なくなった。
蒋欽もすぐに兵を動かしたが、その出鼻を曹仁の部隊に抑えられ丁奉と徐盛に近付く事も出来ず、せっかく包囲していた牛金の小隊に逃げられる事になった。
さらに曹仁が丁奉、徐盛の部隊に攻めかかろうとした時、凌統と甘寧の部隊による挟撃に来た事を察知した曹仁は素早く兵を引いたのである。
「蒋欽も十分に成長していますが、さすがに曹仁の相手は荷が重かったみたいですね。相手を甘く見た私の失策です。一度兵を立て直し、作戦を練る事にしましょう」
初戦は曹仁軍の勝利と言う形で互いに兵を引き、夜になって周喩は軍議の為に武将達を招集した。
「大都督、先鋒を任されながらの失態。全て俺の責任です」
蒋欽が丁奉や徐盛の前に立って、周喩に謝罪する。
「もし責任があるとすれば、それは任せた私の責任です。謝罪の必要はありませんが、もし本当に謝罪したいのであれば言葉ではなく、今後の勝利によって行う事を心がけて下さい」
「御意」
蒋欽達は周喩に頭を下げた後に、末席へ戻る。
「今日の結果でも分かる通り、曹仁は知勇兼備の名将であり、その旗下には死をも恐れぬ猛将がいます。正面から戦っても勝利する事は出来ますが、その後の南郡城攻略まで考えるとそれは下策と言わざるを得ないでしょう。誰か何か案はありますか?」
周喩は周りの武将に意見を求める。
誰しもが認める名将である周喩が指揮するからこそ、誰もが指示を待ってしまう傾向が強くなってきている事は周喩自身が自覚している。
今後の孫権軍の成長を考えれば早めに対処が必要な問題だと思っていた。
その為に周りの意見を求める事も、多くしようと心がけている。
「では、一つ良いですか?」
呂蒙や程普ではなく、最初に口を開いたのは甘寧だった。
「南郡の城自体もそうですが、城の守りを固くしている要点の一つに地形があります。特に夷陵の城との連携が実際以上に南郡を守り易くしています。なので、まずは夷陵から攻め、南郡の守りを削る事が南郡城攻略においても必要ではないでしょうか」
甘寧の提案に、呂蒙と程普も頷く。
「……では、誰が夷陵を攻める?」
「俺が行きます。自分で提案したのだから、俺がもっとも適任でしょう」
甘寧が進んで引き受けるが、夷陵の重要性は守る曹仁軍の方が分かっているだろう。
この任は決して簡単な事ではないのだが、甘寧はまったく恐れる事も無く平然としている。
「よし、それでは甘寧に三千の兵を与える。見事、夷陵を落としてみせよ」
甘寧は投降してからこれまで凌統の副将とされてきたが、この時から一軍の武将として任される事になった。
その日の夜も明けない内から甘寧は出陣し、誰も予想出来ないほどの速さで夷陵城を陥落させたと言う報告が届いてきた。
「……罠、か」
誰しもが甘寧の武勇を称える中、周喩は冷静に状況を把握していた。
甘寧は孫権軍の立場でこそ凌統の副将だったのだが、それ以前から錦帆賊の頭目として名前を馳せていたし、赤壁の本陣を凌統と共に少数の奇襲で陥落させている事から名の通った武将である。
夷陵の城は重要な要の城であり、南郡の攻略においては外せない拠点。
それ故に南郡攻略の際には、誰かが夷陵攻略に向かってくる。
陥落させる為にも、別働隊には相当な実力を持つ武将に任せる事になるだろう。
その武将を城に閉じ込めて、救援に向かってくる軍を討つもよし、救援に兵力を割いた本隊を叩くもよしの柔軟かつ強力な手である。
重要拠点である夷陵を、敢えて捨てて罠に使ってくる。
……これが曹操の策、か? 確かに誰にでも出来る策ではない。
「大都督、甘寧は今後も我々にとって必要不可欠な武将です。急ぎ救援を向かわせないと」
「それこそが敵の狙い。それを悟らせずに向かう必要がある」
「いや、おそらくそれを警戒させる事が敵の真の狙いでしょう」
程普が冷静に言う。
「夷陵の城とて、決して小城ではありません。それを囲み込むには相応の兵力が必要です。こちらを分断する事が目的の策でありながら、分断した後の本陣を攻めるには敵兵力は不足しています。つまりこの策は夷陵を餌に武将を閉じ込め、その救援に来た部隊を削る事こそが本命。つまり、こちらの主力を救援に向けて逆に曹仁軍を削るべきでしょう」
「確かにそうですが、もし本陣を攻められてはこちらも窮地に陥ります」
十中八九、程普の言う通りであると周喩も思う。
しかし、『もし』の方が来た場合には夷陵の城こそ手に入れても本陣を落とされ、今度は本隊ごと城に閉じ込められて全滅する事になる。
「大都督、心配はいりません。俺が留守を守りましょう」
凌統が留守居役を志願する。
「兵など俺の部隊だけで十分。大都督は存分に曹仁軍を蹴散らして来て下さい」
「だが、もし敵主力がこちらの本陣を目指してきたらどうする?」
その代案が無ければ、凌統の申し出を受ける事は出来ないと周喩は考えていた。
「その時にはこの本陣を捨てて、無人となった南郡の城を奪い取ります。敵軍はこちらの本陣を得たとしても、南郡と夷陵の城を失って撤退するしか無いでしょう」
「なるほど、赤壁の再現か」
周喩の言葉に、凌統は頷く。
程普の言った様にもし夷陵の囲みの方が囮で、敵本隊がこちらの本陣を攻めた場合には救援を出しているこちらの本陣は手薄になり、守る事は困難と言えるだろう。
が、夷陵の囲い込みを維持しながら兵力を捻出する事は難しく、こちらに二択を迫っていると同じく向こうも二択を選ぶ必要がある。
そこに凌統は、盲点となる敵城の奪取と言う選択肢を出してきた。
実際に南郡の城を奪取する必要は無い。
こちらが本陣を捨てて南郡の城を奪いに来た、と思わせるだけで良い。
それによって、曹仁はこちらの本陣や夷陵の囲い込みにかまけている場合ではなくなるのだ。
「凌統の策、見事なり。本陣の守り、確かに任せた」
「御意」
凌統に本陣の守りを任せ、周喩は甘寧を救出するべく夷陵へ向かう。
「大都督、この細道ですがもし南郡の城へ撤退する時の退路とも言うべき道。俺はここに伏兵として伏せようと思いますが、いかがでしょうか」
呂蒙が道中に提案してきたので、周喩はその場で採用した。
周喩も同じ事を考えていたと言う事もあるが、呂蒙の気付きも早かった事も周喩が即決した要因の一つである。
それによって周喩は包囲する曹仁軍に総攻撃を仕掛ける事が出来た。
曹仁も善戦したが、想定以上の兵力を投入された事や完全包囲を受けて士気が下がっていると思われていた甘寧の軍が、まったく士気の下がった様子も見せずに城から打って出てきた事もあって、曹仁は劣勢である事を理解して無理に戦いを続ける事無く撤退した。
その時、呂蒙の伏兵によってさらに被害を拡大させられた曹仁は、兵力を減らしながら南郡の城に入った。
結果として南郡攻略戦は一勝一敗となったのだが、主導権は孫権軍が掴む事が出来た。
もちろん、ここから孫権軍を根底から揺るがす様な事が起きるなど、天才的な軍略の才を持つ周喩ですら予想もしていなかった。
演義では噛ませ対決
演義の南郡攻略ですが、この時のブチギレ大都督周喩の酷さは中々のモノです。
牛金をけしかけられて曹仁に敗れる事になった蒋欽を
「負けたヤツに用はない!切れ!」
ってな感じでキレ散らかしてます。
周りがとりなして蒋欽は生きながらえましたが、それはそれは面倒な人です。
一方の曹仁も最初こそいい感じだったのですが、何故かその後が後手後手で結果的にはまったく良いとこ無しの結果を招いてます。
本来なら周喩も曹仁も破格の名将なのですが、演義では最上位噛ませなので結構悲惨な戦いになってます。
しかも後半にはもっと酷い事が待っていると言う、ホントに可哀想な二人です。




