真夜中の襲撃者(1)
マーヤーとフィシスは次の街を目指して街道沿いに旅していた。駅舎が少なく、野宿のことも多いが、フィシスはそれに不満を言わない。むしろ、駅舎に泊まるより、火を焚いてその側で休む方が好みのようでもあった。
その日も、街道から少し離れた森の中で、2人は野宿の支度をしていた。適当な広さの空き地。街道が見えないくらいのところに場所を占めたのは、フィシスの希望を入れてのことだ。できるだけ、森の中の方がいい、とフィシスは言い、マーヤーも賛成した。夜中、街道を行き来する不審な連中を避けるためにも、それは好ましく思えた。
コイン・トスで見張りの順番を決め、そろそろ寝ようかというときだった。最初の見張りに着くため、辺りを見回していたフィシスが小声で言う。
「マーヤー、誰かが来るよ」
「うん、…1人や2人じゃない」
フィシスの感じたのと同じ気配をマーヤーも感じ取っていた。
跳ね起きて、焚火を消す。同時に、マーヤーは自分に暗視の魔法をかけた。フィシスにこの魔法の必要がないのはわかっている。この数日で、彼女が猫のように夜目が利く――少しでもの光があれば、昼間のようにものが見えることはわかっていた。魔法ではない、僧団の修行で身についた能力なのだ、とフィシスは言っていた。
「誰かな?」
「さあ…」
そう答えつつも、楽観できる事態でないことをマーヤーは感じていた。夜陰に紛れ、気配を殺して近づいてくるのが、友好的な者のはずはない。フィシスと出会ってから、初めて出会う敵意のある相手だ。
「フィシス、武器は使える?」
聞くまでもないか、と思いつつも一応尋ねてみる。思った通り、フィシスが首を振る。森の中で拾った棒を杖代わりに持っている以外、彼女は空手だった。戦闘になれば、フィシスの力は当てにできない、とマーヤーは計算した。
「戦いになる?」
「…多分ね」
そうマーヤーが答えたとき、茂みが揺れ、人影が近づくのがわかる。
派手に枝を揺らし、音を立てて近づいてくるのは、気配を断つだけの腕がないからか、あるいはマーヤー達が襲撃に気付かないと思い込んでいるのか。だとしたら、見くびられたものだ。それとも、相手はマーヤー達の実力を読めないほどに技倆が低いのだろうか? そんなことを思いながら、マーヤーは相手の動きを注視した。
灌木の枝が、相手の身体にしがみつくようにまとわりついている。枝を避けようとしているのに、枝の方で、相手の身体を捕えようと動いているかのようだ。それを何とか避けながら、人影はマーヤー達の方へ近づいてくる。まるで、木が邪魔をしているような錯覚をマーヤーは覚えた。自然、動きが不自然になり、余分な音を立てることになるのだ、とわかる。
月のない夜だ。それでも、相手はマーヤーたちの居場所を正確に把握している。暗視の魔法か、あるいは魔法の道具か。暗闇の中でも見えるよう、視力を強化しているのに違いない。そう当たりをつけたマーヤーは、自分と相手の間に、光輝の魔法で太陽と見まごうばかりの光球を作り出した。幻影とは違う、本物の、少し視線を向けただけで目が痛くなるほどの光。
ぎゃっ、という叫びが上がる。
いきなり目の前に現れた巨大な光量に、暗闇を見通すために極限まで増幅された視力は耐えきれない。真昼のように照らされた中に、茂みの中から転がり出、目を押さえ、苦痛にのたうつ男の姿が照らし出される。くすんだオレンジのケープに身を包み、ショートスォードを持った姿はシーフのようだ。剣を取り落とし、目を焼く激痛にもがき苦しんでいる。
マーヤーはフィシスを促して、シーフの来たのとは反対の方へ駈け出した。同時に、魔法を解いて光を消す。一瞬のうちに訪れた闇が、のたうつシーフの姿を消し、マーヤー達の姿を効果的に隠す。
「止め、刺さないの?」
「しない、そんなこと」
倒れた男の後から、また何人かが近づいてくるのがわかる。夜の森の中は自由に駆け抜けるのは難しい。やってくる相手を迎え撃つため、マーヤーは十分な間合いを取って身構えた。
「わたしから離れないで」
そう言うと、マーヤーは茂みの中から現れた相手に対峙した。既に魔法の用意はできている。
剣士らしい男が2人。それに、聖職者とおぼしき出で立ちの女。黒ローブを纏った残りの1人は魔法の使い手のようだ。聖職者の頭上には、満月の明るさほどの光球が浮き、周囲をぼんやりと照らしている。その光は、マーヤーとフィシスの姿を浮かび上がらせ、また、マーヤーたちに襲撃者達の姿をはっきりと見せていた。
剣士が剣を構えて2歩、そして1歩、と速度を変えながら距離を詰めてくる。聖職者らしい女は後方で支援に回る構えで、魔法の使い手は何やら呪文の詠唱を始めている。
そんな彼等の目の前で、マーヤーとフィシスの姿が、いきなり何人にも増えた。目の前にいた2人の両脇に、新たなマーヤーとフィシス、そして、そのまた左右にマーヤーとフィシスの姿が現れる。
目の前でいきなり増えた相手の姿に、剣士たちの歩みが止まり、魔法使いの詠唱が途切れる。
「急いで!」
マーヤーがフィシスを促して駆け出す。
襲撃者の前に並ぶマーヤーとフィシスはすべて幻影だ。本物の2人は、不可視の魔法で姿を消し、彼等から距離を取っていた。
修道士の作る光球の薄明かりの中、幻影との入れ替わりは襲撃者達に気付かれていない。闇の中でなく、薄明かりでぼんやりと姿が見えていたことが、かえって入れ替わりをわかりにくくさせていた。
だが、ただ立ち並ぶだけで何の行動も起こさない幻影では、いつまでも襲撃者の注意を引きつけておくことはできない。剣の一撃、あるいは魔法の一発も受ければ、幻影は消えてしまう。
幻術にだまされたことに気付いた襲撃者達が2人を探し始めるまでに、さほど時間は掛からなかった。しかし、不可視の魔法で姿を消している2人を見つけるのは容易ではない。彼等の様子から見て、見えないものを見通す魔法の心得はないようだった。
「反撃はしない?」
「しないから!」
小声で訊いてくるフィシスに一言だけ、きっぱりと答える。
こんなところで、無用の犠牲を出するつもりはない。
彼等がどんな素性で、どんな理由があって襲ってきたのかがわからない以上、下手に手出しして取り返しのつかない事態を招くことは得策ではない。
「襲ってきたのに?」
「何かの間違いかも知れないでしょ?」
「そんなこと言ってる内に、殺されたら?」
「あの連中の腕なら、大丈夫」
その言葉通り、マーヤーは相手の実力を正確に見極めていた。寝込みを襲われでもしない限り、彼等の腕でマーヤー達には傷一つつけることはできない。正当防衛を叫んで、反撃しなければならない必然性はない。
「ずいぶん余裕だね、マーヤー」
感心したようにフィシスが言う。
「もっと強い相手なら、反撃する?」
「逃げられそうになければ、考える」
そうしたくはないけど、と思いながらマーヤーは答えた。
今は1人ではない。フィシスがいる。フィシスに危険が及ぶようなことになれば、戦わなければならないだろう。しかし、当面、その必要はなさそうだ。しばらくする内、2人は、完全に襲撃者達の手の届かないところにいた。
「これで、ひとまず大丈夫、かな」
「でも、こんな状態で、今夜、寝られる?」
フィシスの心配はもっともだ。野宿をするには火を焚かないわけにはいかない。そうなれば、また、彼等に見つからないとも限らない。今夜だけではない。明日の夜も、また次の夜も、襲撃者への警戒を解くわけにはいかない。
「まあ、なんとかするけど」
それでも、マーヤーは落ち着いた口調でそう答えたのだった。
「どこか、木に囲まれたスペースがあるといいんだけど」
歩きながら、マーヤーが言う。
「木?」
「そう。野宿できるくらいの広さで、周りに5、6本の木が生えてるとこ」
それを聞いたフィシスが、マーヤーの手を引っ張った。
「なら、こっちの方だよ、きっと」
そう言うと、先に立って歩き始める。しばらくして、たどりついたそこで、2人は野宿の支度を始めた。
空き地を見つけた、というよりは、マーヤーの言ったことを聞いたフィシスが、ほどよく開けた場所へ、まるでその場所があることを知っていたかのように導いていったのだった。
「ここなら大丈夫なの?」
「そう、ちょっと仕掛けをするから」
そう言うと、マーヤーはすぐ側の木に近寄ると、その幹に触れ、少しの間呪文を唱えた。詠唱が終わった途端、木の幹に小さな緑色の光が浮かび、それが、不可思議な図形を形作る。数秒たつと、図形は木の中に埋もれるようにして消え、目に見えなくなる。同じ図形を、マーヤーは、空き地の周りの木々に施していった。
それを見ていたフィシスが、興味深げに訊く。
「魔法?」
「そう。変な奴が近寄ってこない魔法」
そう言って、マーヤーは焚火の近くにより、フィシスを引き寄せた。
「この火の周りにも、魔法をかけるから」
そういって、集団隠蔽の魔法をかける。近くにいる限り、他からは焚火も、マーヤー達の姿も見えることはない。
「寝てていいよ。わたしが見張ってるから」
意識を失えば術の解ける不可視の魔法と違い、集団隠蔽は魔法の掛かったものの近くにいる限り、眠っても術の効果は失われない。この場合、焚火の側にいれば――周囲に生えた木の中から出ない限りは。
もし、さっき襲ってきた奴らが近くにやってきたとしても、木々に施した魔法と、集団隠蔽があれば備えは万全だ、とマーヤーは踏んでいた。
既に時刻は真夜中近い。幼いフィシスを寝かせてやりたかった。僧団で鍛えられた彼女に、そんな気遣いはいらないのかも知れないが、それでも、そのかわいらしい顔を見れば、優しい気持ちにならずにはいられなかった。
「おやすみ…」
そう言ってフィシスが目を閉じる。しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。その様子を見てマーヤーは、ほっと息をついた。




