バルサノ一座(3)
朝になり、一座は出発した。
結局、寝つかれないままだったマーヤーは、馬車の中で何度も生あくびをかみ殺していた。
荷にもたれて座っていると、馬車の揺れが心地よく眠りに誘う。それに負け、うとうとしていると、隣に座り込んだジャネットが、マーヤーの体に手を回してくる。
ジャネットの手がマーヤーの髪をなで、一瞬はっとするが、また眠りに引き込まれる。
マーヤーが目を覚まさないとみてか、ほおに触れたり、手を握ったりしてくる。それでも眠気が勝り、マーヤーは動こうとしない。
いたずらっぽい笑いを浮かべ、ジャネットの指がマーヤーの唇に触れると、マーヤーはようやく薄目を開ける。
「…ジャネット、顔が近いよ?」
「いいの、気にせず寝てなさい」
そういって髪をなでおろされ、また、マーヤーは眠りに落ちていく。
ジャネットに寄りかかって、マーヤーは寝息を立て始める。そんな様子をを見つめて満足げにジャネットが微笑む。
そんな2人をじっと見ていたジュリアンに、ジャネットは声をかけた。
「ねえ、あなた、誰か心に思ってる人がいるんでしょ?」
「え?」
いきなりそう言われて、返答に詰まったジュリアンがジャネットの顔を見つめる。ふふ、とジャネットが笑う。
「昨夜、一緒のテントにいた人がね、カードで未来を占うの」
「占いですか。ああ、そう言えばそんな人がいましたね」
「ええ、その人。その人が言うのよ。あなたには、密かに思い続けてる人がいる、って」
昨夜のニーナの占いを思いだしながらジャネットが言う。その記憶が、自分の好みに合うように変わっているのは、ジャネット自身も意識していないことだ。
「そんなことを?」
「ええ、彼女の占いは当たるのよね、あなたも見たでしょう? 彼女が旅の男性を占って、何でもずばずば当てちゃったのを」
「ああ、確かにそうでしたね」
「そうよ、だから、もうわかっちゃってるの。あなたはその人のことが気になってて、他の女性なんて目に入らない、って」
ずいぶんと失礼な物言いだが、ジュリアンはそれに取り合うことなく、口元に笑みを浮かべるだけだ。
「かないませんね、そんなふうに言われては」
「でも、それにしては、わたしのマーヤーのこと、じっと見てるじゃない」
「マーヤー…、その方をですか」
「そうよ。ずいぶんと熱いまなざしよね」
「そんなことは…いや、そうかもしれませんね」
「あら、認めちゃう?」
「誤解しないでください。あなたのお連れの方に思うところがあるわけではないのですよ。ただ…」
「ただ? ただ、何かしら?」
「昔知ってた人に似てる気がしました。もし、僕がその方を見つめていたとしたら、その面影を追っていたのでしょう。不快な思いをさせたことはお詫びします」
「そうだったのね。…でも、気付いたから目に入ったんじゃないのかな?」
「気付いたから…? どういうことでしょう、それは」
「ああ、占いなのよ。気付かなければそれっきりだけど、気付けば見えてくる、ってね」
「何か、よくわかりませんね」
「わたしもよ。だって、わたしが占ったわけじゃありませんからね」
しれっと言ってのけるジャネットに、ジュリアンは苦笑するしかなかった。
「それで、どうなるんです?」
「どうなる、って?」
「占いです。どんな結果が出ましたか」
ああ、とジャネットがうなずく。
「残念だったわね。思う人には出会えずじまいみたいよ」
「そうですか、それは残念です」
「まあ、所詮は占いですものね。あまり気にしない方がいいと思うわ」
そうですね、と答えるジュリアンにジャネットはにっこりと笑ってみせた。
昼頃、馬車を止めて休憩を取ると、また一座は進み出す。直に、道は峠にさしかかる。
ようやく目を覚ましたマーヤーは、正面に座るジュリアンに目を向けた。彼を見ても、もう何の感慨もわいてこない。あれはもう終わったことなのだ、と不思議に冷静になっている自分にも、何も感じない。
ジャネットが笑みを浮かべながら肩に手を回しているのを感じながら、されるに任せておく。うるさいなあ、と思うものの、払いのけようという気にもならない。眠気はもうなかったが、なにか、億劫な気がする。
そうしてぼんやりとしていたとき。
先頭の馬車から声が上がる。
はっとして顔を上げると、緊張した面持ちのジャネットの姿が目に入った。
「出たわ、山賊よ」
一瞬で頭が切り替わる。冒険者としての習慣が、こんな時でも顔を出す。急いで立ち上がると、馬車から降りて声のした方へ駆け出す。
見れば、先頭の馬車を取り囲むようにして20人ばかりの男達が立ちはだかっている。手に手に武器を取り、こちらの方へ近づいてくる。
一座の者のうち、何人かが馬車から降りて、それに向き合う。剛力自慢の男、ナイフ投げの名手の女、剣戟を見せるのを業とする男。曲がりなりにも戦う技を持った者の数は、片手にも満たない。それでも、むざむざと山賊達の手にかかるよりは、と他の座員たちも馴れない武器を手にして馬車から降りる。
「なによお、人数が多ければ、山賊達が避けてくれるんじゃなかったの? 話が違うんじゃない」
「そんなこと言っても仕方ないよ、今さら」
馬車に隠れて身を伏せる2人の耳に、武器を捨てて降参しろ、という声が聞こえる。ふざけるな、とそれを一喝したのはバルサノの声だ。
「まずい。…行くよ、ジャネット」
街道脇の木に身を隠しながら、山賊達のいる方へと向かう。
やっちまえ、という声が上がるのと同時に、山賊達が前に進み出る。その勢いに、一座の者達が思わず後ろに下がる。武器は持っていても、実際に戦闘の場に出馴れているわけではない以上、どうしても体が勝手に動いてしまう。
残酷な笑いを浮かべて進み出た山賊達は、不意に足下の地面が崩れ、深い裂け目となるのを見た。一番先に出ていた何人かが裂け目に落ち、残りの者が慌てて足を止める。
何が起きたかわからない、といった面持ちで、一座の者達はその様子を見つめている。その目の前で、裂け目からすさまじい勢いで炎が噴き出す。炎は、風にあおられでもしたように、山賊達の方へ火先を向け、襲いかかる。何人かが炎に包まれ、絶叫と共にその場に倒れる。
「やるわね、マーヤー。今度はわたしの番よ」
炎から距離を取って身構える山賊達の1人の顔の前に、いきなりまばゆい光球が現れる。その目を刺すばかりの激しい輝きに視界を奪われ、恐ろしい悲鳴が上がる。武器を取り落とし、目を押さえて地面に転げ、のたうち回る。
な、なんだ、と言いながらそれを見つめる別の1人の前に、同じ光球が現れ、同じように光の地獄に彼を突き落とす。
次々に仲間が光球の餌食になるのを見、5人が同じように倒されると、山賊達の恐怖は限界に達した。一斉に向きを変えて叫びを上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
「逃がさないから…!」
駈けだした山賊達が、急に足をもつれさせて、次々とその場に転び、倒れていく。1人、また1人と地面に転がって身動き1つしなくなる。
麻痺の魔法。必死で逃げようとする相手を、次々と狙い撃つジャネットの目は肉食獣のそれを思わせた。見る間に山賊達は魔法の餌食となり、気がついたときには無事に立っている者は1人もいなかった。
マーヤーの作り出した幻影も消え、後には気を失って倒れる山賊達の姿だけがあった。
あっという間に山賊達をやっつけてしまった2人の魔法使いの手際に、一座の者達は声も出ない。つい少し前には、死をさえ覚悟して対峙していた相手が、赤子の手をひねりでもするように、簡単に一掃されたのだ。助かった、という自覚さえわいてこない。只々、呆然として見ているだけだった。
そしてそれは、一座と一緒にいた旅人達も同じだった。もちろん、ジュリアンも。
戦う力のない彼は、他の旅人達と一緒に、後ろに下がって一部始終を見ていたのだった。その顔に浮かぶのは、戦慄。今まで一緒にいた少女達が、比類なき魔法の使い手だと知った驚き。彼女たちの使う魔法の威力への恐れ。
その一方で、遠い日に、あの人から聞いていた魔法の話、その記憶がよみがえる。
マーヤーの使う魔法。
ジャネットの使う魔法。
2人の使う魔法は、全く違う。人により、使う魔法も、使い方も違う。そして、マーヤーの使った魔法は、あの日、森で聞かされた話そのままのもの。
しかし、その威力。そして迫力。話で聞くのと、実際に見るのでは天地程の隔たりがあることをジュリアンは思い知っていた。
そして、人々の目の前で、ジャネットは倒れた山賊達に次々と止めを刺していく。自分たちを殺そうとした相手に情けをかける必要などない、とその目が語っている。マーヤーも、自分で手を下しこそしないものの、ジャネットを止めようとはしない。
「片付いたわ」
「お疲れ、ジャネット」
ジャネットが山賊達の命を奪うのに使ったのは、衝撃を与えて人の生命活動を停止させる類の魔法だった。さすがに、刃物を使って体を傷つけて命を奪うのは気が進まないし、返り血を浴びるのも好ましくない。
「ごめんね、始末を任せて」
「なーに、このくらい、どうってことないわ。それよりも、マーヤーがやめろ、って言わなかったのだけ、ちょっと意外だったかな」
「この状況でそれはないよ? 捕まえて連れて行くのは無理だし、逃がすのは問題外」
「そりゃそうよね。手伝ってくれないから、てっきり殺したくないんだと思ってた」
「生き物を殺す魔法、得意じゃないだけ」
「そっか、マーヤーは幻術専門だったもんね」
ちょっと違うけど、まあそんなものだ、とマーヤーはうなずく。
そんな会話をしながら戻ってきた2人を見るジュリアンの顔には、2人を受け入れられない気持ちがありありと見える。一瞥してそれを見て取ったマーヤーは、ふっ、とため息をつく。
(やっぱり、そうだよね。本当の魔法、見ちゃったら)
それでも、ジュリアンには、確かめたい気持ちを押さえられない。馬車へ戻ってきたマーヤーに尋ねる。
「君は、もしかして…」
「ちがうよ? わたしは、あなたの思ってる人じゃない」
出かかったジュリアンの言葉を遮ってマーヤーが言う。
ジュリアンは、黙ってうなずくだけだった。
翌日、馬車はペフリア村に到着し、便乗していた旅人達は、一座と別れてそれぞれの道へと去って行った。
「あんな人と一緒になれてたら、マーヤーの言う普通の暮らしが手に入ったんじゃない?」
また、2人だけで歩き始めたとき、ジャネットが言う。もちろん、彼女の言うのはジュリアンのことだ。マーヤとジュリアンが夜中に話していたことは、もちろんジャネットは知らない。
「そうかもしれない…一緒になれたら」
「そうでしょ。追わなくてよかったの?」
本気で言っているのではない、とわかる口調だった。答をわかった上で、ジャネットはそう言っているのだ、と。
「あの人は、分かれ道に立ったとき、わたしを取らなかった。…ううん、分かれ道ですらなかったかも」
ジャネットが黙ってうなずく。
「あの人は、自分の暮らしを守ることを選んだ。…何もかも捨てて、わたしのところへは来なかった」
そして、寂しげに微笑む。
「今度も、あの人はわたしから顔を背けた」
あのとき――山賊達を倒したマーヤーを見たときのジュリアンの表情を、はっきりと思い出す。
「あの人とは、一緒にはなれない」
そういったマーヤーに、ジャネットが冷たく言う。
「それなら、普通の暮らしは手に入らない。そうじゃないの?」
マーヤーに、衝撃が走る。
「あの人…ジュリアンは、きっと、あなたの知ってる誰かなのね? わかるわ、顔に書いてあるから。でも彼はあなたを選ばない。そういうことでしょう?」
「…そう」
「普通に暮らす人は、魔法使いや冒険者を選ばない。…ああ、そんな顔しないで。わたしが決めつけてるんじゃないわ」
ジャネットの言うことは間違っていない、そうマーヤーは思った。そして、ラルシャのことを思い出す。平凡に暮らすため、魔法をきっぱりと捨てた彼女のことを。
彼女の思いを見て、マーヤーは普通の人になることを諦め、魔法使いを選んだのだ。
しかし、冒険者ではない。自ら危険に飛び込み、魔法をふるって運と実力を試す生き方はしない。そう決めていた自分の中には、やはり平凡な――普通の暮らしへの憧れがあったのだ、と気付かされる。
(未練だな、やっぱり)
思わず自嘲が笑みとなって浮かぶ。忘れたつもりでもやはり断ち切れていなかった望み。迷わないと決めたつもりでいても、知らないうちに心の中に潜んでいた思い。それに向き合わされたばかりか、それが空しい願いと気付かされるとは。
「…そうね、ジャネットの言うとおり」
(でも…、それで何が悪いの? 魔法使いが普通の暮らしを望んで)
手に入るなら入れればいい。手に入らなければ、こだわらなければいい。ファービュアスの予言が当たるにせよ外れるにせよ、進んでそれに縛られる必要もない。
未来を変えたはずのケインの世界が変わらなかったように、予言が当たっても、それでも違う未来が来ることもあるかもしれない。所詮、マーヤーにわかるのは今、たった今、目の前にある――認識しているこの瞬間だけなのだから。
「…未来はなるようになるから、それでも」
「なるようにしかならない、んじゃなくって?」
「ちがうよ、なるようになる――するんだよ」
「普通の暮らし?」
「さあ…わからない。でも、普通の暮らしでなくても、いい」
その言葉をどう受け取ったのか。ジャネットは笑って、後ろからマーヤーに抱きかぶさってきた。マーヤーの頭をつかんで、がしがしと掻きむしるようにして揺さぶる。
「そうよね、そうだわ、きっと!」
何がそうなのかわからなかったが――それでも笑って見せたマーヤーだった。




