夜に来る者(4)
エフライサスの領都シリスティアーラにリドルサイファが現れたのは、5月も下旬に入った頃だった。真夜中近く、街の中にリドルサイファは姿を現したのだ。
すでにいくつかの町や村でリドルサイファは目撃されていた。そして、その場所が次第にシリスティアーラに近づいてきたことも報告されており、だから、領都では警備の兵を増やしてリドルサイファの出現に備えていたのだ。
これまでに、リドルサイファが自分から何かを仕掛けてきたことはない。ただ、夜になると現れ、歩き回るだけだ。何もない、街道や山の中、荒野などであれば放置して問題はなかった。しかし、町や村の中では、夜中歩き回るリドルサイファの目的がわからず、人々に不安を与え、生活に支障が出た。実際には何もしていないにもかかわらず、人をさらっていくのではないか、家畜に害をなすのではないかという恐れ、いつその態度を変えて人々を襲うのではないかという不信感が人々の心に芽生え、リドルサイファを放っておくわけにはいかなくなっていた。
夜通し兵士に警戒させ、リドルサイファが現れれば、遠巻きにしてその様子をうかがう日々。迂闊に手を出せば、何をしてくるかわからない以上、リドルサイファが明確な敵対行動をしてこない限り、攻撃を加えることは禁じられたまま、兵士たちはおっかなびっくりでリドルサイファの様子をうかがうだけだった。
そんな兵士たちを気にかける様子もなく、リドルサイファは、一晩中歩き回り、そして夜明けの光とともに、どこへともなく姿を消すのだ。兵士たちの目の前でいきなり姿が消えるのではなく、いつの間にか兵士たちはその姿を見失い、気がつけばリドルサイファはいなくなっているのだ。
そんなふうにして警戒を続けていれば、そのうちにリドルサイファはその町からいなくなり、次の町へと移動していく。別の町や、あるいは街道での目撃情報を聞けば、それで警戒態勢を解くことができるのだ。
しかし、それが領都ともなれば話は違ってくる。本来なら領主のいる場所でもあり、領内を治める行政の中枢でもあるここで、それまでのようにリドルサイファを好きにさせておくわけにはいかず、ほかの町や村とは違った警備体制が敷かれていた。
だから、現れたリドルサイファを迎え撃つためにエラーリアとバルザードが警戒に当たっていた。シリスティアーラから一番近いダルマスクの街にリドルサイファが現れたときから、2人はその日に備えていたのだった。
リドルサイファに攻撃を加えることを決定したのはキルバネラスの騎士団総長アルミークスだった。ルバルザールからリドルサイファについての報告を聞いたゼルフィア公爵は、対応について彼に諮問し、領主、あるいはその代行に危害が及ぶことのないよう断固たる措置をとるべきとの答えを得たのだった。
「そういうこと、なのね」
エラーリアとバルザードがリドルサイファと対決した理由についてルバルザールから説明を受けたマーヤーは、憂鬱そうにため息をついた。
「何もしてこない相手に、剣を向けるなんて」
その言葉を聞いて、ルバルザールが慌てて首を振る。
「何もしてこない、との仰せですが、しかし、リドルサイファは領内に混乱をもたらしております。リドルサイファが歩き回るだけで、平穏な夜が失われ、いつ何が起こるかわからないという懸念と不安が人々の間に広がっております。民の平安を守るためにはリドルサイファを野放しにしておくことはできない、というのがゼルフィア公爵よりの指示でございます」
「一理あるように聞こえるけど」
でもね、とマーヤーは言った。
「シリスティアーラに来るまでは好きにさせていたんだよね? ダルマスクから先は、それまでの道筋でいけばシリスティアーラじゃなく、カルタラックの方へ行くかも知れなかったのに、そっちには誰かを派遣してた? カルタラックだって、結構大きな町だよね」
いえ、それは……とバルザールが口ごもる。
マーヤーの言うように、リドルサイファのこれまでの道筋をそのまま伸ばせば、行く先はシリスティアーラではなくカルタラックだ。にもかかわらず、カルタラックには何の備えもなされていなかった。
「領都とそれ以外の町や村では、重みが違います。それはおわかりになっていただけるかと存じますが」
「うん、わかるよ。領都は政治と行政の中心だし、重要人物だって集まってるから、何かあったら大変なことになるよ。でも、それならはっきりそう言えばいいんじゃない。民のためなんて、難しいこと言わないで」
「は、はい、確かに……」
冷や汗交じりにそう言うルバルザールに、くすりと笑って見せてマーヤーは肩をすくめた。ルバルザールの立場で、ゼルフィア公爵の言葉を否定することなどできないことはわかっている。そして、同じようにマーヤーの言葉も。
「理屈はいいよ。もうやっちゃったことなんだし、ね」
これからの話をしよう。そう言って、マーヤーは部屋に呼ばれて来たエラーリアとバルザードの方へ目を向けた。
「実際にリドルサイファと対決したときのこと、詳しく話してくれるかな?」
「はい、承知しました」
リドルサイファがダルマスクの方から来るのであれば、南の城門をこそ固めるべきだ。そう主張してバルザードは5人の兵士たちと共に城門の内側でリドルサイファを待ち構えていた。
一方、残りの兵士たちはエラーリアの命令でシリスティアーラの主要な道路をパトロールしていた。そうはいっても、毎夜のことともなれば、すべての兵士を一晩中任務に縛り付けておく訳にはいかない。市街に配置できるのは警備兵のうち4分の1ほどだった。そのため、広い領都全体に配置するには十分な数とはいえず、聖職者や魔法使いの手を借りても、目の行き届かない場所はどうしても存在する。そのため、リドルサイファが発見されたときには、すでにシリスティアーラの一番外の城壁の中を彷徨していたのだった。
リドルサイファを発見した兵士が鳴らした警笛を聞いて、同じ階層にいた兵士たちがすぐに集結してくる。そこは、南の城門からは遠い、領民たちの家の集まった住宅街だった。このあたりに住むのは身分の低い平民たちということもあって、主要な施設は何もない。その代わり、外壁を守るための兵士たちの宿舎があって、警笛を聞いた兵士たちが――非番の者も含めて――集まってきた。
「リドルサイファだ」
警笛を吹いた兵士が叫ぶのを聞き、集まってきた兵士たちが武器に手をかける。兵士たちの存在を意に介さぬふうで道を歩いてきたリドルサイファは、井戸のある広場で兵士たちに取り囲まれることになっていた。
20人を超える兵士たちに取り囲まれたリドルサイファは、井戸のそばで足を止め、きょとんとした様子で兵士たちを見渡していたが、やがて、また歩き始めた。まるでそこに兵士たちなどいない、とでもいうように。
その奇怪な姿に気圧されてか、リドルサイファに近づかれた兵士が思わず後ずさる。しかし、彼が気を取り直して剣を抜き、リドルサイファに斬りつけようとしたときだった。
「ここは私に任せろ!」
そう言って前に進み出たのはバルザードだった。その上気した様子から、部下達と共に南の城門から走ってきたのだとわかる。そのままリドルサイファに駆け寄り、剣を抜いたかと思うと、彼は真っ向からリドルサイファに向かって斬りつけた。リドルサイファの全身を包む淡い光に剣が触れ、脳天を切り裂いたかと思った瞬間、バルザードはリドルサイファの体をすり抜けて、その後ろに立っていた。
「なに!」
慌てて振り向くが、リドルサイファはバルザードの攻撃などなかったかのように、そのまままっすぐ歩いて行く。前方に兵士達が立ち塞がるが、リドルサイファを包む光が一瞬揺らめいたかと思うと、次の瞬間には、リドルサイファは兵士達をすり抜け、その向こう側に移動していた。
駆けつけてきたエラーリアは一部始終を目の当たりにし、自分の目を疑っていた。そして疑問がわいた。リドルサイファは実体を持つのだろうか、あるいはただの幻影ではないのだろうか、と。
マーヤーに仕え、また一緒に冒険をしたこともある彼女には、目に見えるものが、見た目通りのものとは限らないことはわかっている。また、マーヤーの冒険の話を聞いて幻術の威力も理解している。もしリドルサイファが実体のない幻であれば、剣で挑んでも無意味なだけだ。
しかし、リドルサイファには、確かにそこに何かがいる、という気配が感じられる。だから、実体のない幻影ではない。触れることはできなくとも、確かにそこには何かがいるのだ。
リドルサイファに近づいて、触れようとして手を伸ばしたエラーリアだったが、しかし、触れることはできなかった。伸ばした手は、どうしてもリドルサイファに届かない。明らかにリドルサイファに届くはずの距離なのに、なぜか彼女の手はリドルサイファに触れることができない――その前方にまでしか達しない。まるで悪い夢でも見ているようなのだ。
そんなエラーリアに何の注意を払うこともなく、リドルサイファは2番目の城壁にまでやってきていた。そして、入り口を探してでもいるのだろうか、城壁の周りを回り始めた。時折城壁の方に目を向け、あるいはその上に視線を向けながら。城壁の向こうに行きたそうな様子だが、しかし、壁を抜けることはできないようだった。
本当に実体がないのであれば、壁すらも妨げにならないのではないか、と思われたのだが、しかしそうではないようだった。幻影のようなリドルサイファといえど、どこへでも自由に行けるわけではないらしい。そう知ったことで、少しの安堵をエラーリアは覚えていた。
「不思議だね……」
2人の話を聞いてマーヤーは、そう言ってため息をついた。
話を聞く限り、リドルサイファは幻影などではない。確かに、何かがそこにいる。また、触れることができないのは、位置誤認の魔法のようなものでもない。
「我が君なら、何かおわかりになりますでしょうか」
そうエラーリアに訊かれ、マーヤーは首を振った。
意図してであれば、バルザードやエラーリアの体験したような状況を幻術で作り出すことはできる。しかし、それにしてはリドルサイファの行動は不可解だ。
バルザード達を翻弄した後でも、リドルサイファは同じ道を歩き続けていて、その様子を目撃され続けている。これでは魔法を使った意味がない。邪魔者を幻惑したなら、さっさとその場を離れ、バルザード達の前から消え去ればいいはずだ。触れられたときだけリドルサイファは不思議な力を見せているが、それ以外はただ歩いているだけだ。
だから、リドルサイファは相手を幻惑しようなどとは考えていないのではないだろうか。触れることができないのは、意図的にそうしているのではなく、おそらくは元々のリドルサイファの性質なのだ。デュコーンに2本の角があるように、クジャクに美しい尾羽があるように、リドルサイファには、触れることができない、という特質があるだけなのだ。
そんなマーヤーの言葉を聞いて、ルバルザールは怪訝な顔をし、バルザードは憮然とした表情を見せたが、エラーリアは、納得したような素振りを見せていた。
「それでは、一体どうすればよろしのでしょうか」
困惑した表情でルバルザールに訊かれ、マーヤーは首をかしげた。
「わからないし……それに、リドルサイファをどうすればいいのか、っていう話だよね」
単に排除すればいいのか。それとも、放置しておけばいいのか。リドルサイファが彷徨する意図を測りかねたままである以上、答えを出すのは難しい。そうマーヤーは言った。
「いえ、放置しておくわけには参りません。領民の間に動揺が出ているのは事実でございますし、公爵閣下の御指図もございます。何らかの対策をして、領民を安心させる必要があります」
民の平安を守るため、というのは、シリスティアーラに警備体制を敷くための口実だけではない、とルバルザールは言った。
「なるほどね」
そう言ってマーヤーもうなずく。そして、ネブラッケインとアルテシーラの方へ目を向けた。
「あなたたちはどうだったの?」
騎士達とは違う、魔法を使っての対決は? そうマーヤーに尋ねられ、2人は口々に語り始めた。




