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山小屋のコゼット(2)

 峰を越えようとしたマーヤーは、山の中腹にある小屋に目をとめた。

 小屋の周り、半径20メートルほどには木がなく、開けた場所になっている。そこから(ふもと)に向かって、木々の茂る中を細い道が延びているのがわかる。


 (こんな山の中で暮らしている人がいるんだ…)


 そう思ってあらためて周囲を見回してみる。小道を下った先がどこに続いているのかはわからない。近くには集落も見当たらないし、街道らしい広い道も見つからない。山の向こうも森が広がっていて、その先も荒れ地が続いているだけだ。

 そして振り返ったとき、さっきやり過ごしてきた狼たちが、山の方に向かってかけてくるのが見えた。

 マーヤーの残してきた幻は、いつまでも残るようなものではない。時間がたち、マーヤーの集中が解ければ、消えてしまう。獲物を見失った狼たちは、別の獲物を求めて、また移動を始めたらしかった。

 狼たちの足は速い。もう少しすれば、森に辿り着くだろう。


 (まさか、わたしを追って…なんてことはないよね?)


 その方向が、マーヤーと同じになったのは、偶然だろう。空中を移動してきた以上、においをたどられたりはしないはずだ。もともと狼たちは山へ向かう方角に移動していたのだから、元のルートに戻っただけのはずだ。

 しかし、このまま狼たちが山へ入れば、下にある小屋に辿り着くかもしれない。

 なんだか、狼を連れてきてしまったような、そんな気がしてしまった。そんなはずがない、とはわかっているけれども。

 森へ入ったからといって、狼がそのまま山へ登るとは限らない。だが、マーヤーには、なぜかそんな予感があった。

 だから、気になって、そのまま通り過ぎる気になれないまま、マーヤーは小屋の方へと降りていった。

 小屋のあたりは、少し霞がかったような、霧か靄のような雲が包んでいた。視界を遮るほどのものではないが、そこを抜けるとき、なにか異界がかったような奇妙な感覚を感じた。

 微かなめまい。ほんの一瞬だけ感じたそれを、気のせいだと思ってやり過ごす。

 小屋から見えないよう、小道を少し下ったところ、小屋からは木の陰になった場所へ降り、そこで不可視の魔法を解く。緩やかな上り坂を、小屋に向かってゆっくりとマーヤーは登っていった。

 昼下りの、1日で一番暖かい時間。とはいえ、秋が深まってそろそろ肌寒さを感じる季節の今は、こんな山の中に暮らしていれば冬支度の追い込みで忙しいはずの時期だった。

 だが、小屋の側には、冬に備えた(まき)の蓄えも見当たらず、そばにある物置は扉が開け放されていて中がほとんど(から)なのがわかる。


 (誰も住んでなかった…かな?)


 そう思って小屋の方へ目を向ける。窓には木板が下ろされ、中の様子を見ることはできない。が、廃屋にしては荒れた様子もなく、外観も小ぎれいで、きちんと手入れがされているのがわかる。

 戸口の方へゆっくりと歩み寄る。そして、閉ざされた扉の向こうで、かすかな物音がするのを、確かにマーヤーは聞いた。


 (やっぱり、誰かいる)


 もしかして、不審者だと思って警戒されているのだろうか?

 そんな思いが浮かぶが、すぐにそれを打ち消す。

 小屋にいる誰かは、マーヤーがやってきたから、戸や窓を閉ざしたわけではない。

 マーヤーが来る前から、こんな状態だったということは、小屋の住人が恐れている相手は、他にいるのだ。

 思い切って、扉をたたいてみた。

 思った通り、返事はない。

 「誰か、いませんか」

 声にも応じる様子はない。

 が、扉の向こうでこちらを伺っている気配は感じる。扉の向こうに、誰かがいるのは間違いない。

 「狼が来るかも。十数匹の群が」

 ここへやってきた理由、この小屋が気になった理由を告げる。と、その声に反応したのか、がたっ、という大きな音が扉の向こうで聞こえた。

 「西の荒れ地から来て、山の麓の森まできた。ここまで登って来るかも」

 そういったとき、中からか細い声が聞こえた。

 「あなたは…誰?」

 「通りすがりの…旅人」

 「旅の方が、こんな山の中へ?」


 (あ、怪しまれた…)


 「狼に追われて逃げてきたから」

 そういったとき、扉が開いて、1人の少女が顔を出した。

 「狼に、追われて…?」

 その目は、しかし、マーヤーを見てはいない。マーヤーを通り越し、後ろの木々の方へと向けられている。

 「…え?」

 思わず、そちらを振り返る。そちらが風下だったから気づかなかったが、かすかに揺れる茂みの向こうに、動物らしい影が見えた。

 「狼…」

 「あなたを追ってきたのは、あの狼?」

 違う、と首を振る。今の今まで、そこに狼がいるなどと思いもしなかった。

 街道で会ったのとは、別のやつだ。

 マーヤーに気づいてか、狼はゆっくりとこちらへ歩いてくる。茂みをかき分ける音が大きくなり、やがて、普通のやつより一回りも大きな狼が姿を現す。

 らんらんと光る目が、マーヤーの姿を捉え、少し開いた口から、鋭い牙がのぞく。

 走ったところで逃げられない。空へ上がれば、小屋の中の少女が危険にさらされる。


 (でも、狼は、1匹だけ、か)


 これならなんとかなりそうだ。そう思うと、気分が落ち着く。

 隙をうかがうように近寄ってくる狼に、マーヤーは、眠りを誘う魔法をかけた。

 一度に数匹までなら、眠りに落とすことができる魔法だ。先ほどのような群が相手では、全部を一度に眠らせられないため、魔法を逃れた狼に襲われてしまうし、他の狼を相手にしている内にせっかく眠らせた狼が目を覚ましてしまい、勝手が悪いが、1匹だけならその気遣いはない。

 身を低くして、マーヤーに飛びかかる姿勢を見せていた狼が、そのまま、地面に頭を落とし、動かなくなる。

 「何、…何をしたの?」

 「眠らせただけ。…もしかして、あなたの飼ってる狼?」

 ちがう、と少女は強い口調で言った。

 「なら、とどめを刺した方がいい?」

 そう尋ねたマーヤーに、少女は小さく首を振って答えた。

 「殺さないで。…殺せば、他の狼がやって来るから」

 「他の?」

 そう怪訝に尋ねるマーヤーを、少女は小屋の中へと招いた。

 「入ってください。中で説明します」

 そう言いながらも、彼女の目は、ちら、ちら、と眠る狼の方に向けられていた。


 「あなたは、魔法使いなのですか?」

 テーブルの前の椅子を勧めると、少女はいきなりそう切り出してきた。

 「ええ、そう」


 (まあ、訊くよね、いきなり魔法使っちゃったんだから)


 「魔法使いが、狼に追われてここまで来たのですか?」

 「ええ、たくさんの群だったから」

 そう言いながら、マーヤーは目の前の少女を見つめた。年の頃は、マーヤーよりもいくらか上といったところか。背もマーヤーよりは幾分高く、ほっそりとした美人だが、どこかはかなげで、表情には影があった。

 はっきりした発音で、よく通る声だが、口調はどこか固い。

 「1匹ならなんとかできても、十数匹もいたら、敵わない」

 「…そうなのですか」

 「あなたは、ここに1人で?」

 そう聞きながら、マーヤーは、まだ名乗っていないことに気がついた。

 「あ、わたし、マーヤー。旅の魔法使い」

 「わたしの名前はコゼット。はい、ここにはわたし1人です」

 「こんな山の中に1人?」

 ええ、と答えながら、コゼットは目を伏せた。

 「1人でここで暮らせるの?」

 冬支度の様子のない小屋の中を見回しながらマーヤーは訊いた。

 「近くに、人里は?」

 そう尋ねながら、マーヤーは近くに村などなかったのを思い出していた。案の定、コゼットは黙って首を振るだけだった。

 「もう少ししたら、冬よね?」

 ええ、と小さな声でコゼットが言う。

 「冬が来る前に、どこかの村へ行った方がいい」

 そういうマーヤーに、コゼットは首を振る。

 「行けないのです、どこにも」

 「どうして? 1人でここで冬は越せないでしょう?」

 「…が来るから」

 最初の方が聞き取れず、聞き返したマーヤーに、コゼットは大きく(かぶり)を振ると、うつむいて顔を両手に埋めた。

 「何が来るの? …わたしに力になれることがあるなら言って?」

 そう言うと、コゼットはしばらくじっとしていたが、やがて、顔を上げると、目をマーヤーの方に向けた。

 「今は、話せません。…でも、今夜、ここに泊まってもらえますか」

 思い詰めたその声に、マーヤーは黙ってうなずいた。

 やがて、日が沈み、簡素な夕餉を済ませると、マーヤーは寝室に案内された。

 狭い部屋だが、ベッドが2台並んでいる。どちらもきれいに整えられ、いつでも使えるようになっている。


 (1つは、彼女の。もう1つは…客用、なわけはないよね)


 「だれか、もう1人住んでるの?」

 マーヤーの問いに、コゼットは目を伏せて首を振る。

 「父は、亡くなりました」

 その言葉と仕草に、マーヤーはどきりとする。

 「ごめん、悪いこと訊いたかな…」

 「いいえ、すぐに話すつもりでしたから」

 「え?」

 「もう少し夜が更けて…月が頭の上に昇る頃、ここを訪ねてくる人がいます」

 「ここに?」

 はい、とコゼットは小さくうなずく。

 「あ、もしかして、その人のために用意してたベッドだった?」

 コゼットは強く首を振って答える。

 「違います! そんな、そんな相手じゃありません」

 「そ、そうなの」

 面食らって言うマーヤーに、コゼットが言葉を続ける。

 「あなたは、ここで静かにしていてください」

 「え、ええ…、邪魔にならないようにしてる」

 そういうマーヤーに、コゼットはかすかな笑みを浮かべて訊いた。

 「魔法使いなら、隣の部屋の様子を、気づかれないようにのぞくことができますか?」

 できないことではない。あまり得意、というわけではないけど。そう答えたマーヤーに、コゼットは言った。

 「では、どうか、ここにいてください。でも、決して声を出したり、この部屋から出たりしないでください」

 「…わかった」

 そううなずくと、コゼットは、何があってもここにいるように、と、もう一度念を押して部屋から出て行った。

 残されたマーヤーは、しかし、コゼットの様子が気になって仕方がなかった。

 思い詰めたような、ものの言い(よう)。終始沈んだままの、ほとんど表情の変わらない(かお)。恐れているのか、緊張しきっているのか。


 (夜にこんなところへやって来るお客、なんて、普通じゃないよ? しかも、わたしにここに隠れていろ、ってことは、そのお客はこの部屋には来ない。だから、泊まらずに、また帰って行くんだよね?)


 昼間から、狼の出るようなところだ。夜道が安全なはずがない。そんなところを行き来できるのは、よほどの凄腕の武芸者か、あるいは魔法の心得のあるものだろうか? でなければ…、と、考えたマーヤーは、もう1つの可能性に思い当たる。

 コゼットは、隠れて様子を見ていてくれ、と言った――のに違いない。その上で、何が起きても介入しないでくれ、と言ったのだ。


 (うん、きっとそうだ。…だから、それに従おう、っと)

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