山小屋のコゼット(3)
灯のない寝室は真っ暗で、昇りかけた月の光が差し込んでくるのが唯一の明かりだった。
(そうか、もうじき満月なんだっけ)
明るい光を見て、マーヤーはそう思い出した。
窓を閉めるようには言われていない。月が高くなるにつれ、部屋の中は次第に明るくなってくる。そして、月の光の中、1人の人影が現れ、小屋の方へやって来るのにマーヤーは気づいていた。
(ようやくお出まし、か)
小道を登って、ではない。茂みを踏み分け、木立の陰から姿を現したのは、がっしりとした体つきの精悍そうな男、と見えた。男のいる位置は木々に月の光を遮られていて、姿形ははっきりとは見えない。じきに、マーヤーのいる部屋からは死角になって見えなくなる。程なくして、男が小屋の扉を強く、どん、どん、とたたくのが聞こえた。
(やっぱりそうだ。…でも、こんな夜中に、山道をたった1人で?)
付近に狼の気配はない。男が、途中何にも脅かされずにやって来たのは間違いなかった。
扉が開いて、コゼットが男を招き入れる。かすかに響いてきた音で、それがわかる。
(じゃ、のぞかせてもらおう、かな…)
視覚を飛ばし、聴覚を研ぎ澄ませる魔法を同時にかける。探査の魔法の中でも比較的よく知られた魔法。その知名度とは裏腹に、使い手は多くない。熟達すれば、遙か遠くの物事まで見通し、聞き取ることができるが、マーヤーにはそこまでの技量はない。せいぜい壁1枚へだてたところの出来事を見聞きできるくらいだ。それでも、隣室の様子は手に取るようにわかる。
テーブルを挟んで2人は向き合って座っていた。テーブルに置かれたろうそくの火に照らされ、暗がりに浮かぶ2人の顔は、影が揺らめいて、共に険しい表情に見える。
「…また来たのね、ジャベール」
「そうだ、約束だからな。お前は俺の花嫁だ」
「約束だなんて。あなたが勝手に言っているだけのことなのに」
「お前の父親に言ったのだ。必ずお前を幸せにすると」
「その言葉を信じた父を、あなたは殺した!」
「仕方ないだろう、俺を殺そうとしたのだから」
「…けだものだわ」
そういうコゼットに、ジャベールは不敵に笑いながら答える。
「いくら俺がお前のことを思っていても、だ、お前の父親だからといって大人しく殺されるわけにはいかん。自分の命を守るのは当然のことだ」
それには答えず、コゼットはジャベールの顔をにらみつける。平然と彼は言葉を続けた。
「それでも、こうしてお前は俺を迎え入れる。逃げ出しもせずに、俺を待っている」
「逃げられないようにしたのは誰なの。昼も夜も、あなたの仲間が見張っている」
「お前に危険が及ばないようにしているだけだ。俺の忠実な家来達が、お前をいつも守っているのだ」
「どこにも行かせないようにしてるくせに」
「大切なお前を、危険なところへ行かせるわけにはいかないからな」
「一番危険なのは、あなただわ、ジャベール」
ふふ、とジャベールが笑う。
「俺が危険なのは、俺に逆らおうとする奴にだけだ。従順な相手には、俺はこの上なくいい男なのさ」
そう言って顔を近づけるジャベールに、コゼットはびくりとして後ろへ下がる。
「明日の晩だ」
ジャベールは、宣言するようにそう言い放った。
「満月が空高く昇る頃に、お前を迎えに来る。そして婚礼だ」
口をかんだまま、コゼットは答えない。
「楽しみにしているがいい。着飾って待っていろ」
そう言って、ジャベールは木箱をテーブルに置いた。
「…何なの」
「花嫁衣装さ。気がきくだろう、俺は。どこにも行けない花嫁のために、こうして気を遣ってやってるのだから」
そう言って、にやりと笑うと、ジャベールは席を立った。
「誰かを頼ろうとしているのはわかっている。昼間、俺の家来が手もなくやられたようだからな」
そういう彼の様子には、いらだった風はなく、泰然とした余裕が漂う。
「望むなら、どんなことでもするがいい。どんな障害でも、俺は乗り越えてみせる。お前に俺の力と、思いの強さを見せてやる。何があっても俺のお前への気持ちは変わらないとわかるだろう。そして、お前を手に入れるのだ」
力強く言うジャベールの前で、コゼットは何も言わず、ただ、握りしめた両手が震えているばかりだった。
「では、な」
静かにそう言うと、ジャベールはコゼットの前を辞した。
扉を開けて出て行くジャベールを、マーヤーは魔法の視界で追う。空高く昇った月の光が、小屋から出たジャベールを照らし出す。
(…あ!)
銀色の月光を浴びたジャベールの姿が、見る見るうちに変わり始めるのをマーヤーは見た。精悍な顔が、分厚い胸板が、逞しい腕が、たちまちの内に銀色の毛に覆われ、同時にまっすぐ伸びていた背が前屈みに倒れると、その手足が獣の四肢と化す。
(狼だ…)
ライカンスループ。獣変人。
話に聞いたことはあったが、見るのは初めてだった。
普通の狼の倍はある巨体。そして、その体からは思いもよらないほどの素早い動き。変身したジャベールは、あっというまに、木々の影へと消えていったのだった。
魔法を解いて待っていたマーヤーの元へ、コゼットが戻ってきた。手には燭台を持ち、ろうそくに照らされた顔は、心なしか青ざめて見える。
「…そういうことだったの」
そう言ったマーヤーに、コゼットは小さくうなずいて見せた。
「…つまり、わたしにあの狼男をなんとかしてほしい、ってこと?」
違います、とコゼットはマーヤーの言葉を遮った。
「ジャベールは強い。あなたを危険にさらすわけにはいきません」
え、と驚くマーヤーに、コゼットが言葉を続ける。
「ジャベールとわたしの結婚は、父の言い出したことでした。だから、ジャベールの正体を知った父は、何とかしてジャベールを追い払おうとしました。そのため、冒険者達を雇ったのです」
マーヤーはうなずいた、そういう荒事を引き受けるのを生業にしている者達はいくらでもいる。冒険者と呼ばれる者達であれば、迷宮の探索や怪物との戦いに慣れ、狼男の1人くらい簡単に倒してみせるだろう。
「剣士と魔法使い、全部で5人のグループでした」
そう言って、コゼットは顔を伏せる。
「何度も修羅場をくぐった冒険者達で、獣変人と戦った経験も幾度もあるとのことでした」
その表情から、結果は簡単に想像がつく。
「熟練の戦士達のパーティーが、ジャベールと、彼の呼び寄せた狼の群にあっという間に蹂躙され、食い散らされて、後には粉々の骨しか残りませんでした」
おそらくは一部始終を見たのだろう。そう語るコゼットの体は小刻みに震えていた。
「わたしの父も、ジャベールに…」
「…そう、だったの」
だから、あなたもこのまま立ち去って、とコゼットは言った。
(…そんなこと言われて、はいさようなら、なんて、できないよ?)
そんな思いで首を縦に振らないマーヤーに、コゼットは言った。
「狼に追われて逃げてきたのでしょう? ジャベールは、狼よりもずっと恐ろしい相手です。…だから、命を粗末にしないで」
だから、コゼットの言葉にマーヤーは首を振った。
「わたしに、やらせて。きっと狼男を追い払ってあげるから」
その言葉にコゼットが目を丸くする。
「これでも、何年か冒険者をしていた、…それに、わたし、とても運がいいの」
「運だなんて、そんな…」
「冒険者に必要なのは、実力と、それに運。運がなければ、力を出せない。運があれば、力は何倍にもなる」
「あなたは、死ぬことになってもいいのですか」
「決めたから。魔法を使うこと選んだときに。誰かの夢を守れる人になる、って」
「誰かを犠牲にしたくありません」
「守れる人を見捨てることは、できないの」
しばらく2人は互いの目を見つめ合っていた。が、やがてコゼットが言った。
「…わかりました。あなたの気持ちが無駄にならないことを祈ります」
それから、マーヤーは、コゼットの父の連れてきた冒険者達がどんな戦い方をしたかを聞いた。
山の中でジャベールと対峙した冒険者達は、2人いた魔法使いの1人が電撃の魔法を放つことで戦いの火蓋を切った。
しかし、狼に変身したジャベールは、魔法をものともせずに突進して来、前衛の剣士達を飛び越えて後ろにいた魔法使いに飛びかかったかと思うと、次の瞬間にはその喉笛を食い破っていた。
それと同時に周囲から何匹もの狼が集まってきて剣士達に襲いかかり、剣士達は狼の牙から身を守るのが精一杯となる。
もう1人の魔法使いが、猛烈な冷気をジャベールに浴びせた。冷気と共に、無数の氷の刃がジャベールの全身を貫く。が、ジャベールが全身を震わせると、体に刺さった氷はすべて弾き飛ばされ、ジャベールの体を覆う体毛は、一滴の血にも濡れてはいなかった。
呆然とする魔法使いに周りから数匹の狼が飛びかかり、魔法使いはたちまちの内に血まみれの肉塊と化す。瞬殺だった。悲鳴を上げる暇すらない。
残る剣士達も、次々とジャベールに襲いかかられ、抵抗する間もなく命を落としていった。ある者は狼と戦っている内に背後から首をかみ砕かれ、またある者は、ジャベールに剣を向けようとして、狼たちに四肢をかみ裂かれ、その場に倒れて命を落とした。
それは、ほとんど一方的な虐殺だったという。
「魔法でも傷を負わないジャベールを相手に、あなたはどうするつもりですか」
顔を寄せてそう尋ねるコゼットに、マーヤーは、しかし笑みを浮かべて見せた。
「わたしの魔法は、それとは違うから」
そう言って、昼間、茂みの中にいた狼を眠りに落としたときのことを思い出させる。
「物を壊したり、体を傷つけるだけが魔法じゃないよ?」




