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救世主教団(1)

(うそ、信じられない……)


 それが最初の印象だった。

 どこの町や村にもある、守護神の神殿。

 この里では、里の一番外れに神殿がある。それは小さな里では珍しいことではない。

 神に仕えるものが俗世の喧騒を少しでも避けようとして集落から離れたところや、山の中などあえて不便な場所に住むことはよくある。

 小さな里では、それでも人々とのつながりを保つために、多少遠くの、しかし行き来の不便のないところに神殿を建てるのは、祀る神の性格にもよるが、ごく一般的なことだ。道沿いの、里への入り口にあたるここに神殿があるのは、別におかしなことではない。

 この里の守護神はフィルグハルト。農業を守護し、麦の実りを恵む神。高位神のような華々しい神話や勇壮な伝説こそないが、平和な営みを求める人々にとっては広く信仰されている神のはず。


(なんなの、このさびれようは。

 そりゃぁこんな小さな里だもの、そんな大きな建物じゃないのはわかるし、農業神だから、木を組んでで作られた神殿なのはいいよ?

 でも道にはごみや汚物がころがってるし、入り口前の階段だって掃除してないんじゃない?

 フィルグハルトの神殿だって、いくら華美にしちゃいけないからって、外側がこんなに薄汚れてちゃ、神聖さのかけらも感じないよ。

 入口から、中の燈明が見える、ってことは、ちゃんと人がいる、ってことよ?

 これでよく神罰が下らないものね。)


 そんな思いが湧くが、考えてみても仕方のないことだ。


(ま、いいっか……。)


 わたしの守護神でもないし。そう思ってマーヤーは神殿の前を通り過ぎた。

 信仰心がないわけではない。でも、自分の()はわかっている。そのままマーヤーは里へ向かって歩き続けた。


 およそ2時間も歩いただろうか。道から少し離れたところに畑が広がるのが目に入り始めた。行くほどに、畑で働く人々の姿がちらほらと見えだし、家畜や家禽の声が聞こえる。

 取り立ててなんというほどのこともない普通の里だが、今までほとんど人里へ出たことのないマーヤーには、とても物珍しい光景に思えた。大抵は、冒険の際に通り過ぎるだけで、こんなふうに景色を楽しんだことなど滅多にないからだ。春まだ浅い昼下がりの太陽は柔らかく温かい日差しを投げかけてくるが、時折吹く風はまだ肌に冷たく、それがかえってマーヤーには心地よかった。

 そのうち、家が立ち並ぶ場所が見えてくる。その中、道沿いに建つ大きめの建物は宿屋だろうか。道に向かって看板らしきものが張り出しているのが見える


(こんな里にも宿屋があるの)


 それは、ちょっとした驚きだった。記憶が間違っていなければ、ここはまだ大きな街道からはかなり外れたところで、頻繁に旅人の行きかう場所ではなかったはずだ。だから、旅客用の宿は期待しておらず、日のあるうちに街道まで出られなければ、日の暮れかかったところで野宿をするつもりだったのだが。


(……そろそろ日が落ちかけてるな。今日の宿はあそこにしようか)


 近づいてみると、それは真新しく、ほかの家々とは違ったつくりの建物だった。街道沿いの町にあってもおかしくないほどの、威容ともいうべき外観は、この里にはおよそ似つかわしくないものだ。外から見ても、一度に数十人が泊まれるだろうことがわかる。

 扉を開けて中に入ると、しかし中は閑散としており、食堂を兼ねたホールの中、十数卓も並んだテーブルには客の姿はなく、奥のカウンターで、初老の女が暇そうにしているだけだった。

「いらっしゃい。」

 女はマーヤーの方を向くと、愛想のよさそうな声で言った。彼女がここの女将(おかみ)なのだろう。

「こんにちは。泊まれますか?」

「ああ、だいじょうぶですよ。今日は他のお客もありませんからね。……おひとりですか?」

 にこにこしながら言うその様子は、いかにも誰かが来てくれてよかった、といった様子が見て取れた。

「ええ、わたしだけ」

 そうですか、と愛想よく言うと、カウンターから出てきて女将はマーヤーを差し招いた。

「いい部屋が空いてます、お安くしときますよ」

 言いながら、先に立って奥にある階段の方へ歩いていく。

「個室は鍵付きで一晩6カシーテ、食事は1階でなさってください。このあたりに、ほかに食事のできるところはありませんから。ろうそくは1本1カシーテ、湯は桶1杯10ヤラン、水は一瓶で7ヤランでお出しできます」

 6カシーテ……銀貨6枚か。あんまり安くないけど、まあいいわ。そう思いながら、マーヤーは女将の後について階段を上がった。

 まだ新しいからか、階段の作りはしっかりしていて、2人が昇って行っても、音を立てることもない。同じように壁や天井も、少しも傷んだ様子がなかった。(あか)()りにあけられた廊下の突き当りの窓も、木格子がしっかりとはまり、頑丈に作られているのがわかる。廊下の両側には、いくつもの扉が並び、また枝分かれした廊下があって外から見たとおり、大勢の客を泊められるようになっているのが見える。

「ここは、こんなにお客があるの?」

 こんな鄙びた里で。そう口にはしないものの、不思議そうに尋ねるマーヤーに、女将は胸を張って答えた。

「ええ、月に1度ね。たくさんのお客様がお泊りになるので、これだけの作りになっているんですよ。でも、今日はその日ではありませんから」

 自慢げに女将は答えた。

 そう言って、マーヤーの方に顔を寄せ、優しげな目で女将が微笑む。

「あなた、運がよかったわ、2日後だったら、泊まれる部屋がないところだったのよ」

 案内された部屋は3階の奥だった。

「食堂が開くのは、日没から。ここでは季節に関係なくそう決まってるんです。それから、食堂のろうそくが3回燃え尽きるまでが食事のできる時間です。普段の日はそういうことにしてますから、遅れないで来てくださいね。ろうそくが3回燃えきったら、食堂は閉めてしまいますからね」

 そういうと、女将はマーヤーに鍵を渡した。

「部屋の中に南京錠がありますから、それを使って内側で錠をかけてください。食事で部屋から出るときは、南京錠を、入り口のこの金具にかけて錠をしくださいな。そうすれば、誰も中には入れませんから。

 ……では、ごゆっくり」

「ありがとう」

 礼を言い、扉を閉めると、室内は真っ暗になった。毎日女将が入って掃除をしているのだろう、空気のよどんだ様子も、黴臭さもない。

 木板の降りた窓を開けると、夕刻の、黄金色の光が部屋を明るくし、冷たい風が入り込む。遠くの山間に日が沈みかけているのが見える。

 部屋は8畳ほどの広さで、寝床にはたくさんの干し草が積まれた上にシーツがかかり、その上にわら布団が載っていた。部屋の隅には排便用の壺が置かれ、壁には燭台が据え付けられているが、ろうそくはなかった。

 少し大きめのチェストの上に、女将の言ったように南京錠が載っている。女将から受け取った鍵を合わせ、それで錠が開くことを確認する。

 師の形見の杖をチェストの脇に立てかけると、ブーツを部屋履きに履き替え、旅装マントを脱いで荷物と一緒にチェストに収め、床に敷かれていた座布に足を投げ出して座る。部屋履きは分厚くやわらかい布でできており、軽くて歩きやすく、くつろいだ気分にさせてくれる。

 「今日も1日、頑張りました、と」

 両手を広げ、大きく伸びをして、つぶやく。

 窓からは山の稜線が次第に赤く染まっていくのが見える。

 住み慣れた小屋を出てから、まだ10日。別に、どこか行くあてのある旅ではない。薄れた記憶の中のあの場所は、もし見つかるならそれでいい、という程度のもの。過去を忘れて、のんびりとした普通の暮らしのできる場所が見つかればそれでいいだけの、気ままな旅だ。


 いつもの習慣で呪文書を開き、ページをめくる。

 そこに書かれた魔法を見るためではない。呪文書は、ただ魔法を書き留めてあるだけのものではない。魔法の修行中にあった出来事、気づいたことなどの記録にも使う。そして、マーヤーは毎日の出来事を記録するよう、師からの指示で習慣づけられているので、魔法を忘れようと決めた今も、折に触れてページを開き、気に留めたことを書き続けているのだ。

 魔法を当たり前のように使っていたころと違い、夜間の照明に不自由する今は、日没前に日記をつけるのが常となっていた。

 魔法を使えば光を作り出すのはとても簡単なことだが、魔法なしではそうもいかない。魔法のある生活に慣れすぎているせいかもしれない。少しずつ、慣れていかなくてはいけないとは思うのだが、ランプやろうそくの明かりでは、文字の読み書きにはどうしても不自由が付きまとう。何度か冒険に出、鍛えていたおかげで、多少は夜目が効く方だが、それでも細かい文字は書きづらいし、何よりもランプの油やろうそくは高価なのだ。


(里の入り口の神殿。やっぱり気になるなぁ…。ここみたいな畑のたくさんある里で、フィルグハルトなんて、そんな軽くみられるような神さまじゃないはずなのに。普通なら、里の人が来て、掃除や手伝いをするものでしょ?

 そういえば、神殿から里までの道は、ところどころ、土が柔らかくて足跡の残りやすいところが何か所かあったのに、轍も、足跡もついてなかった。つまり、だれも、神殿に行ってない、ってこと?)


 そう思い返しながら日記をつけるうちに、夕刻の光が消え、あたりが次第に青っぽい薄闇に包まれ、薄暗くなってくる。マーヤーは呪文書を閉じると、チェストの中に呪文書をしまい込んだ。


(そろそろ、ごはんかな?)


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