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旅立ちの朝(2)

 彼の名はドゥクス。マーヤーに魔法を教えた師であるスワレートが彼女につけた守役――助言者だ。日々の暮らしで助言が必要になったとき、あるいは仲間と冒険に出たマーヤーが判断に迷ったときの助けとなるように、と。

 いつも笑みを絶やさない、人の良さそうな好々爺といった姿。そんな彼の姿は他の者には見えず、声も聞こえない。それもそのはず、ドゥクスはマーヤーの心の中にだけ存在する疑似人格なのだ。

 ドゥクスはマーヤーの潜在意識が人の姿を取ったもの。マーヤーの想像の産物、と言っても良いかもしれない。ドゥクスはマーヤーの望んだ時だけ現れる。意識して呼んだ時だけでなく、無意識にドゥクスを望んだ時にも現れる。

 ドゥクスはさまざまな知識を必要に応じてマーヤーに告げてくれる。マーヤーが判断に困っているときにも助言をくれる。しかしそれは、どれもがマーヤーの記憶であり、マーヤーの思考なのだ。

 旅立つか、ここにとどまるか。

 マーヤーが悩んだとき、彼は助言をくれた。

 ここに――ヤトラの森にとどまり、これまで通りの生活を――今まで通り仲間達と連れ立って冒険を繰り返す日々を選ぶべきだ、と。ここはマーヤーの冒険のための基地(ベース)だ。必要なものはそろっている。優れた魔法を身につけたマーヤーは、すでにひとかどの冒険者なのだし、冒険を続けることで魔法の腕も一層磨かれるから。

 しかし、マーヤーはもう一つの道があることも知っていた。ここを出て、冒険者仲間と別れて、今までと違う暮らしを求めることもできるのだ、と。冒険に明け暮れる日々に別れを告げ、平穏な日々を送る。魔法さえも捨てて、どこか小さな村でひっそりと静かに、しかし平和に。

 そしてマーヤーが選んだのは、ドゥクスの助言とは違う未来だった。

 それは、ドゥクスとの決別を意味した。

 助言者に頼らず、自分だけで考え、自分で自分の未来を決める。もはや師のつけてくれた守役は必要ない。

 ドゥクスはスワレートの魔法で作り出された存在だ。そしてドゥクスはマーヤーの潜在意識そのものだ。だからドゥクスと別れるためには、スワレートの掛けた魔法を解くか、あるいはドゥクスを殺さなくてはならない。

 しかし、マーヤーの魔法の腕は、師であるスワレートには、遠く及ばない。だから、魔法を解くことはできない。従って、ドゥクスと別れるためには彼の死が必然となる。

 無論、架空の存在であるドゥクスは物理的には殺せない。だが、ドゥクスを倒す場面(ところ)を強くイメージし、それを自分の心に深く印象づければ、自分(マーヤー)の心はドゥクスの死を受け入れ、二度とドゥクスは現れなくなる。

 そんなマーヤーの決意は、彼女の潜在意識そのもであるドゥクスには、隠すことはできない。マーヤーが決めたのと同時に、それはドゥクスの知るところとなっていた。

 だから。

 小屋を焼き、旅立ちが決定的となった今、ドゥクスは現れた。

 マーヤーを止めるためではなく、彼自身を殺させ、マーヤーの決意を確たるものとさせるために。

「来なよ。手加減はなしだぜ」

 ドゥクスに言われ、マーヤーは身構えた。いつの間にかドゥクスの手には小ぶりの剣があった。それをマーヤーが目にした瞬間、ドゥクスが動き、斬りつけてきた。すんでの所でそれをかわすと、マーヤーは飛翔の魔法を使って空へ舞い上がった。

「行くよ!」

 マーヤーがドゥクスの方へ指を向ける。その先から次々と何本の針が飛び出してドゥクスを襲う。剣を振るってそれを受け流すドゥクスだったが、ついに何本目かの針が彼の胸に突き刺さり、ドゥクスはがっくりと膝を折り、剣を取り落とした。

 マーヤーの使う魔法は、幻術だ。だから、ドゥクスに突き刺さった針も幻で、実際に何かのダメージを与えるわけではない。しかし、それを受けたドゥクス自身もマーヤーの心から生み出された幻なのだ。幻同士であれば、マーヤーの魔法はドゥクスにダメージを与えることが可能だ。

 倒せた? そう思ってマーヤーがドゥクスの方に一歩歩み寄る。しかし、ドゥクスは何事もなかったように立ち上がった。

「だめだめ。まだお前は覚悟ができていない」

 そう言って首を振ったドゥクスは全くの無傷だ。

「それじゃ……!」

 そう言ってマーヤーが右手を挙げる。同時に彼女の周りに無数の小さな光が現れる。光は少しずつ膨れ上がって大ぶりのメロンほどの大きさになる。そしてその色が白から黄、赤と変わって行き、燃えさかる炎に変わる。炎はマーヤーを球状に取り囲むように広がって、そしてゆっくりと上空に上がっていく。

 そんな様子をドゥクスは首をかしげて見つめる。

「えい!」

 マーヤーの掛け声と同時に、無数の火球がドゥクスめがけて降り注いだ。その一つとして、狙いを外すものはない。すべての火球が吸い込まれるようにドゥクスの前身に降り注ぎ、次々と爆発してあたりに轟音と熱波をまき散らした。

 今度は……どう?

 そう思ってドゥクスのいた方へ目をやれば、今度も全くダメージを受けた様子のないドゥクスが、ゆっくりと立ち上がってくる。

 うめくような声を上げるマーヤーに向かい、ドゥクスがあきれたように言う。

「俺を倒すのが目的じゃないだろう?」

 ドゥクスの告げたそれは挑発ではない。助言だった。それゆえ彼の言葉を聞いてマーヤは気がついた。マーヤーが望むのは、ドゥクスなしで生きること――一人で旅に出ることなのだ、と。

 だから。

 ドゥクスを倒すことではなく、一人で旅立つ意思を強く念ずるのだ。

 ドゥクスを倒す、という思いから連想する戦いのイメージではなく、一人で道を行く自分マーヤー自身を思うのだ。

 そのために、ドゥクスの存在を振り払う。

 広げたマーヤーの両手から、猛烈な風が吹き出した。それがまともにドゥクスを襲い、1枚の木の葉のように空に舞い上げる。ドゥクスの姿はあっという間に小さくなって、そして見えなくなる。

 これで……終わった?

 そう思ったとき、マーヤーの前にドゥクスが姿を現す。

「まだだな。こんなことじゃ逃がさないぜ」

「う……」

 それなら。マーヤーは不可視(インヴィジブル)の魔法で自分の姿を消した。ドゥクスの前からマーヤーの姿が消える。

「はは、何をしてる」

 マーヤーの耳にドゥクスの声が響く。マーヤーの心の中にいる存在相手に、姿を消しても無意味。そうドゥクスが言う。

 今度はマーヤーは飛翔の魔法を使って空へ飛び上がった。しかし、ドゥクスはぴったりと離れずについてくる。

 逃げられない。逃げようとしても、ドゥクスはマーヤー自身の心の中にいる。

 だから。

 そうなのだ。マーヤーがドゥクスのことを意識する以上、ドゥクスは消えない。マーヤーの心にドゥクスがいる限り、ドゥクスは不滅なのだ。

 空中に浮いたまま、マーヤーは目の前にいるドゥクスにではなく、自分の心に意識を向けた。

 自分の心の奥深くにダイブし、強く念じる。

 旅立つのだ、一人になって。

 助言者は――自分の甘えはもういらない。自分は一人で生きていくのだ。

 誰かに頼ることはもうしない。

 助言者にこれまでのことへの感謝を捧げ、別れを告げて――そして瞑想に入る。

 助言者に知恵を求めた時と同じように、誰もいない遙かな世界に思いをはせる。

 求めるのは助言者の言葉ではなく、未来に広がる未知の世界。

 少しずつマーヤーの心が静かになり、あらゆる思いが失せていく。

 そしてドゥクスはマーヤーの心を反映する存在だ。だから、マーヤーが旅立ちを選択し、ドゥクスとの決別を強く意識すれば、それはそのままドゥクスの運命となる。マーヤーが決定すれば、ドゥクスが勝つことはあり得ないのだ。地面に倒れるドゥクスを見て、マーヤーはゆっくりと彼の側に降り立った。

「よくやった」

 自分を見下ろすマーヤーを見上げ、ドゥクスはそれだけを言った。そしてその姿形がぼやけ、次の瞬間には完全に消滅していた。

 それは、ドゥクスとの決別のイメージ。マーヤーの心からドゥクスを消したことを象徴するイメージで、その瞬間にドゥクスとの別れは決定づけられたのだ。

「さようなら。そして……ありがとう」

 今まで自分を助け、助言をくれ続けていた彼に、マーヤーはそっと別れと感謝の言葉を告げた。


 歩き始めた時、今ひとつの彼女を旅に駆り立てた理由が心の中に浮かび上がってきた。

 それは、幼いころから、記憶の底に見え隠れしていた不思議な情景。

 常日頃は、心の奥底に隠れているが、時折意識の上に現れてきて、マーヤーの心を揺さぶる、不思議な記憶。


(あれは、一体どこなんだろう。

 行ったことのない場所。見たことのない景色。

 なのに、小さなときから、覚えている、どこか知らない場所。

 見渡す限り、地平線まで続く、広い草原。薄紫の混じった雲。雲間から射して、地上に降り注ぐ日の光。

 別の方へ眼を向ければ、見たことのない形の山々。山の上の方が白くなっているのは雪をかぶっているから、かな……。だとしたら、ずいぶんと高い山。

 ゆるやかに流れる大きな川。向こう岸に小さく見えるたくさんの家。…このあたりの家とは違った形の家。そして、とても大きな、光に包まれた塔)


 どこの国か、いつの時代なのかもわからない。物心ついた時からマーヤーの記憶にあったその情景は、彼女が成長するにつれて薄れるどころか次第に鮮明さを増し、最初は山々や草原、緩やかに蛇行して流れる川の情景だけだっだものが、時を経るごとに、近辺の村や町、そこに住まう人々の姿など、より多くの光景があふれてくるのだった。


(御師様や、冒険仲間とは、はっきりと違った顔立ちと、見たことのない服装のの人たち。

 聞いたことのない言葉。

 記憶の中の言葉は、いくつか、思い出せる。思い出して、口にもできる。……でも、意味はわからない。……それとも、思い出せないだけ?

 御師様にもわからない、って言ってた。ただ、アミューセラス、古い、昔の国で使われていた言葉に似ている……発音が似ている、って御師様は言ってた。似ている、っていうことは、同じじゃない、違う言葉だ、っていうことなのかな。

 アミューセラスは、もうなくなった国。そこの言葉を使う人は、もういないし、だれも覚えていないんだ、って)


(あれは、どこなんだろう。

 どこかに、本当にあるのかな、あの場所は…。

 どうして、そんなところを知ってるんだろう。

 ……夢、なんかじゃない。

 夢で見たことなんてないから。

 ただ、時々、頭の中に浮かび上がってくるの)


 記憶の中の邦は、マーヤーがこれまでに見たどの町や村とも違っており、人々の服装や、店に並ぶ野菜や果物も、彼女が実際に見たことのないものが多かった。

 そして、記憶の中でマーヤーが住んでいた神殿。それは彼女の知るどの神をまつるものとも違った様式で築かれたものだった。そこで捧げられる祈りは、彼女が聞いたことのあるどの神の名とも違った名の神を称えるものだった。


(その(くに)で、わたしのいたのは、神殿。

 現実に存在する神殿とは、形も、大きさも、造りも、中にいる人たちの様子も違うけど、神殿だ、ってことはわかる。

 とても大きな神殿で、大きな街の真ん中にあって、100人以上の人がそこにいた。神殿で暮らして、神様に仕えてた。わたしもその中の1人。

 神殿の中には神様の像がたくさん並んでいて、その一番奥にあった真ん中の一番大きなのが、一番偉い神様の像。……きっと、そう。

 神様の名前は、一つも思い出せない。

 はっきりしてるのは、わたしの知ってる、どの神様でもない、ってこと。

 たくさんある像の、どの神様も、わたしの知らない神様。だけど、その神様たちを、たぶん、全部、わたしは知ってた……今は思い出せないだけで。

 わたしは、そこで、神様に……一番偉い神様に祈ってた。

 それは、この世界を作った神様。そんな神様は、今、どこの神殿でもまつられてない。

 神さまの教えを学んで、神殿に来る人に話してた……気がする。

 どんな教えだったのかな……。思い出せないよぉ)


(神殿では、魔法も習ってた。

 魔法は……神殿で習った魔法は、あんまりよく思い出せないけど、記憶を頼りにやってみることができたのもあった。そんな時、御師様は、ものすごくびっくりしてたっけ。そりゃそうだよね、教えてもらってないはずの魔法を使って見せちゃったんだから。それに、そんな魔法は、御師様も知らない、って言ってた。

 だから、あれは……あの邦の記憶は、わたしの妄想なんかじゃない、ってこと。

 ……中には、うまくいかなかった魔法もたくさんあるけど、そのうち、できるようになるかもしれない。……あぁ、魔法は、もうやめるんだっけ)


 記憶にある光景がどこかにまだあるのなら、あるいは、すでに失われた国であっても、その手掛かりになるものがどこかにあるのなら、探してみたい、という希望が、マーヤーにはあった。

 それが、過去に栄えていたというアミューセラスかどうかはわからない。だが、マーヤーは自分の記憶の中のその国のことを、密かにアミューセラスと呼んでいた。

 旅に出た今、いつもは忘れているその邦のことが急に思い出されてきたのだ。


(でも。

 ……記憶の中のアミューセラスを探すのと、静かな暮らし。どっちを取るか、って言ったら。

 ……うん、今は、普通の暮らし。記憶の中の邦は、もし見つかったら、ラッキーかな、くらい。だって、魔法と結びついた記憶なんだから)


 平凡な暮らしへのあこがれと、記憶の底の未知の世界への熱望。あるいは矛盾する2つの希望に駆り立てられ、マーヤーは森を後にしたのだった。


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