エルサーナ叙事詩3 〜ルーレアート
エルサーナが十二歳のとき、草原の一部族アルーサの汗エルラスは、正妻であるラルフィンとの間に生まれたエルサーナより六歳下の弟であるエルラシオンのために教師を都から招こうと考え、一人の若者をラグーンに派遣した。
数ヶ月後、アルーサにやってきたのはルーレアートという十七歳の若者であった。
ルーレアートはこの春、首都ラグーンで実施された高等官任用試験で不合格となった経歴の持ち主であった。
帝国政府の高等官になるためにはこの試験に合格する必要があり、帝国全土から集まってくるよりすぐりの秀才たちに対して合格者の定員は毎年、十人にすぎなかった。
したがってこの試験に合格することはすなわち、近い将来帝国政府の最高級の官職に任命されることを意味した。
エルラスより派遣された使者がルーレアートを見いだしたのは高等官任用試験の合格者発表が行われた当日、発表の場にほど近い盛り場であった。
そこでルーレアートは親友とおぼしき若者を前に快気炎を発していた。
「ラジアスよ。やはりお前だけが合格だったな」
「ああ、残念だったな。ルーレアート」
「なあに俺のもつ知識は試験にはあわぬ。別に試験のことなど考えずに、ただひたすら自分の好きな書物ばかり読み続けていただけだからな。それでも帝国の高等官任用試験くらい簡単に受かると想っていたが甘かったか。
それにしてもラシアスよ。お前はさすがだ。十七歳にして合格とはな」
「何を言っている。いつも俺のことを、「よくそんなくそ面白くもない書物ばかり黙って読んでいられるものだ」と言って莫迦にしていたくせに」
「なになに、それはコンプレックスの裏返しというやつよ。そういう地道な努力ができる人間が最後に勝つのが世間というものだ」
「地道な努力か」
ラシアスはふっと視線を宙に遊ばせた。
「ラサリオン殿下」
「ん」
「ラサリオン殿下のことはどう考える」
「ああ、あの方は特別だ」
「俺はなルーレアート。どうしても合格したかった一番大きな理由は、合格すればいずれ殿下を間近で見られるようになるだろうと想ったからだ」
「成る程。だがそれだけではないはずだな」
「もちろんだ。言うまでもない」
「ふむ」
「ルーレアート。お前はどうする。また来年受けるんだろう」
「ううむ、あと一年試験に受かるために時間を使うというのはたまらんなあ」
エルラスより派遣された若者はこの会話をすぐ近くで聴いていた。そして、二人の席に来てルーレアートに用件を伝えた。
勿論、試験に合格し穏やかな風貌をしたラシアスの方により大きな魅力を感じていたのは事実であったが、帝国の高等官任用試験に合格した若者がわざわざ草原にくるはずもない。
したがってルーレアートの方に狙いを絞ったのだ。
「草原の王子の教師か」
そこには言いしれぬロマンの香りがあった。
ルーレアートは草原に向かった。
初めてエルサーナとエルラシオンの兄弟を見たとき、ルーレアートの体を衝撃が走った。
エルラシオンは知的で穏やかな風貌の少年であった。
が、何よりもエルサーナである。
その人間離れした美。肩まで伸びた黄金の髪、青い瞳。
その姿を見たときルーレアートはまだ見ぬラサリオンのことを想った。
最初の講義のとき、座するエルラシオンの傍らにエルサーナが立っていた
話し始めようとするルーレアートに向かってエルサーナは言い放った。
「私にはこの世界のことは全て判っている」
「何が、何が判っておられるとおっしゃるのです」
「人は生まれ、そして人は必ず死ね。人にできることは、ただその与えられた生をおのれが信じ、おのれが愛することのために美しく生きるということだけだ」
ルーレアートは言葉を返すことが出来なかった。だが、まだ訊かねばならないことがある。
「では、世界は、世界とは何なのです」
「世界というのは人が存在するこの宇宙のことか、それともアナイオンのことか」
「両方です」
「宇宙とは時間と空間で成り立つもの。人は時間と空間を元にして思考する。人は宇宙を超えたものを思惟することはできぬ。その存在は宇宙を超えることはできぬ。アナイオンは人と宇宙を超えたものに仮に付けられた名だ。だがそれは人の想像の及ぶべき世界ではない。世界などということばで呼ぶことも本来許されぬことだ。そのアナイオンとこの世界をつなぐものがナルセラーサだ」
この方は全てをご存知だ。
「教えて下さい、エルサーナ王子。この世界は何のために存在するのです。人間という存在にはどういう意味があるのです。私はそれだけが知りたくて万巻の書物を読みました。しかし判りません」
「人の知りうることではない」
エルサーナは講義が行われようとしているゲルを去った。
エルラシオンはこのやりとりに何も口をはさまずじっと腰をかけたままだった。
「エルラシオン王子」
「はい」
「あなたもここを出て行かれるのですか」
「いいえ、先生」
エルラシオンは穏やかな容姿に似合わずはっきりと答えた。
「どうか講義を始めて下さい。私は学びたいのです」




