『モダン・タイムス』と機械の笑い
映画館の前には「チャールズ・チャップリン最新作『モダン・タイムス』」の文字が光っていた。
街の空にはスモッグが漂い、工場の煙突がどこまでも並んでいる。
人々は失業に疲れ、ポケットの中の硬貨を確かめながらチケットを買っていた。
愚楽もその列にいた。
コートの袖は擦り切れ、帽子の縁もほつれていたが、顔だけは晴れ晴れとしている。
「また、あいつが転ぶんだろ? なら、見に行かなきゃ」
館内は満員だった。
スクリーンが白く光り、無声のチャップリンがベルトコンベアの上でナットを締めている。
歯車が回り、人が飲み込まれ、工場がひとつの巨大な胃袋のように動いていた。
愚楽は目を丸くした。
「すげぇ……腹が減ったら機械に入ればいいのか!」
隣の客が吹き出した。
だが、スクリーンの中では笑えない現実が映っていた。
チャップリンが歯車に巻き込まれ、工場の中をぐるぐると回りながらも、必死に笑わせている。
愚楽の目には、その滑稽さよりも、どこかの痛みが焼きついた。
映写機の光が彼の頬を照らす。
愚楽は呟いた。
「機械は働くけど、笑わねぇんだな……」
映画の終盤、チャップリンが少女と手を取り、夜明けの道を歩いていく。
字幕には「Smile!」とあった。
観客の誰もが静まり返り、そして拍手が起こった。
愚楽も立ち上がり、帽子を胸に抱えた。
「笑え、か……。腹が減ってても、笑えってか。あいつ、どこまで馬鹿なんだ」
そう言いながら、目が潤んでいた。
映画館を出ると、街は夜霧に包まれていた。
遠くの工場の煙突から、細い煙がまだ上がっている。
愚楽は近くのパン屋に寄って、硬くなったパンを買った。
手で割って、隣にいた少年に半分を差し出した。
少年が戸惑うと、愚楽は笑って言った。
「パンは腹を満たすけど、笑いは心を満たすんだ。どっちも半分ずつ分けたらちょうどいい」
歩道を歩くうち、廃工場の鉄柵越しに巨大な機械が見えた。
ベルトが止まり、鉄の歯車が眠っている。
愚楽は柵の前に立ち、ぼんやりと眺めた。
「こいつら、もう動かねぇのか」
答える者はいない。
だがその無言の鉄に向かって、彼は笑いかけた。
「機械は笑わねぇ。でも、笑わせる奴がいれば、まだ世界は大丈夫だ」
その時、風が吹いて、古びた歯車がかすかに動いた。
キイ、と音を立てて、光を反射する。
まるで笑っているように見えた。
愚楽はパンをもう一口かじり、頬張ったまま空を見上げた。
「腹も心も、油が切れちまう前に笑っとかなきゃな」
遠くで夜の汽笛が鳴った。
チャップリンが映画の中で歩き去った道と同じ方向へ、愚楽も歩き出した。
機械仕掛けの世界の中を、たったひとりの馬鹿が、笑いを携えて進んでいく。




