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永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
始皇帝編
1/53

永遠の始まり

 煌々と灯された宮廷の大広間には、肉の焼ける香ばしい匂いと、酒の芳醇な香りが入り混じっていた。金の燭台の光が長卓に反射し、そこに並ぶ料理の数々をさらに輝かせる。




 羊の丸焼きは皮がぱりりと音を立て、焦げ目の下からじゅわりと肉汁が滴り落ちる。蒸し上げられた豚肉は切り口から透明な脂をきらめかせ、薄切りにされるたびに湯気がふわりと立ちのぼる。銅鍋では香辛料を利かせた羊肉の煮込みがくつくつと泡を立て、八角と葱の香りが鼻腔をくすぐった。山盛りに積まれた果物――柘榴の赤、棗の深紅、葡萄の紫――は宝石のように光り、甘酸っぱい香りで酔わせてくる。




 雑役に紛れて給仕をしていた一人の男は、目をぎらぎらさせて料理を見つめた。彼の普段の食事といえば、粟や稗を雑炊にした粘つく灰色の粥ばかり。具といえば刻んだ野草か、たまに骨付きの鶏のかけらが浮かんでいれば幸運だった。脂の匂いすら滅多に嗅いだことはない。




 それがどうだ。目の前には山盛りの肉と酒、見たこともない菓子や果物があふれ返っている。腹の虫はとっくに暴れ出し、唾は勝手に喉を伝った。




「ちょっとくらい……いいよな」




 誰も聞いていないと知りながら、男は小声で呟いた。杯を運ぶふりをして、ついに長卓へ手を伸ばす。その指先が触れたのは、黄金の器に盛られた一粒の宝石のような玉だった。




 琥珀色に透き通り、光を浴びてきらきらと輝いている。蜜で固めた飴細工にしか見えなかった。




「おお……これは絶対に甘い菓子だ!」




 歓喜とともに、男はそれを口に放り込んだ。


 だが――舌に広がったのは甘露ではなく、容赦ないえぐみと苦みだった。草の汁を濃縮したような不快な味が喉を焼き、思わず咳き込む。




「ぐえっ……にっ、苦っ! 菓子じゃない! な、なんだこれ!」




 その叫びに、周囲が一斉に凍りついた。


「ば、馬鹿な……仙薬を……!」


「不老不死の薬を……あの下働きが!」




 ざわめきが大広間を駆け抜け、ついに玉座に座す始皇帝の耳に届く。


「何事だ」


 低く響いた声に、廷臣も兵も一斉に震え上がる。




 一人の侍医が震えながら進み出た。


「へ、陛下……そ、この男が……御前に供えられた不老不死の仙薬を……」




 誰もが首が飛ぶと思った。広間に張り詰めた空気が、殺気を帯びる。




 だが始皇帝は、しばし無言で男を凝視したのち、突如として腹の底から豪快に笑い出した。


「ふははははは! 菓子と間違えて仙薬を食らうとは! 愚か! 愚かだが、愉快至極!」




 廷臣たちは顔を見合わせ、どう反応すべきか迷った。だが帝は笑い止まらぬ様子で玉座から身を乗り出し、杯を高々と掲げた。


「よいぞ! わしは気に入った! そなたの名は〈愚楽〉だ。愚かにして楽しい者――わしの宴に欠かせぬ道化よ!」




 呆気にとられていた男は、やがてにやりと笑った。


「愚楽……か。いい名だな! 俺は今日から愚楽だ!」




 広間は再びざわめきに包まれたが、先ほどとは違う。畏れと笑いが入り混じり、空気は妙に温かい。




 始皇帝はなおも笑い、広間中に響き渡る声で言い放った。


「愚楽よ、わしの退屈を笑いで追い払え! 永遠に生きようとする帝に仕えるのは、永遠の馬鹿であるお前がふさわしい!」




 その瞬間、一人の下働きの人生は大きく転がり出した。


 彼は「愚楽」と名を与えられ、やがて永遠の旅を歩むことになる。



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