第八話 南へ
特命を与えられたカールレオン・グリューンは慎重に、ともにセムリナ公国へと赴くメンバーを選び出した‥‥。
とはいえない。
幼なじみで、軍学校の同期だったシェルフィ・カノン。
所属は違うが同じアイリン軍のアイシア・ミルヴィアネス。
たまたま暁の女神亭にいたラヴィリオン。
適当という言葉を図にすれば、だいたいこんな感じになるのではないか。
という勢いである。
「ホントにこんな面子で大丈夫なの?」
とは、リンネ・ファルンの台詞だ。
花木蘭の愛弟子たちと幾度も冒険を繰り広げた事のある彼女としては、なんとなく子守を押しつけられた気分だろう。
実際、本国へと帰還したイブレットやアロス。
ドイルにいるティアロットなどと比較すると実力不足の感は否めない。
比べてはいけないと知りつつ、溜息を吐いてしまうリンネだった。
もっとも、カールレオンにだって考えはある。
伊達に軍学校を繰り上げ卒業したわけではない。
アラバスターでもコンビを組んでいるシェルフィとは阿吽の呼吸だし、女将軍からの評価も高いアイシアは作戦立案の大きな助けになるだろう。
意味のないように見えるラヴィリオンだが、彼らは民間人を装うのだからこういう人材がいた方が良い。
軍人だけで組むと、どうしても癖が出てしまう。
リンネに関しては集団でも個人でも動けるので遊撃の位置におく。
と、これがカールレオンの考えた布陣であるが、事実より解釈が少ないという例はそう滅多になく、
「あうん?
だれとだれが?」
「うち女神亭を出たらまずいようなきがするんやわ」
「セムリナって何が美味しいんでしょうかぁ?」
まあ、誰がどれを言ったかは改めて記すまでもないだろう。
セムリナ公国。
中央大陸南部に存在する国である。
国土面積はドイル王国にほぼ拮抗し、主な産業は海上貿易。
そして、世界最強の海軍を持つ。
指揮官の名はサミュエル・スミス。
SSSの異名で知られる若き用兵家だ。
その声望は、アイリンの花木蘭、ガドミール・カイトスと肩を並べる。
ただ、陸軍力はそれほどでもなく、一月のアザリア要塞攻略戦も結局は失敗している。
「セムリナは二万近くの兵を失い、アイリンは五千人ほどを戦死させた。
他人事ならご苦労な話ではあるけどな」
「あわせて二万五千ですよ。
苦労などという一言で済ませないでください」
上司の台詞に眉をひそめる美貌の騎士。
リアノーン・セレンフィアという。
SSSの副官であり、後輩であり、婚約者でもある女騎士だ。
「その程度の認識さ。
王にとっての兵などな」
平和なときには納税者のひとり。
戦時下においては兵士という名の駒のひとつ。
多くの場合、国王にとって民衆とはそんなものだ。
「‥‥リストグラ陛下はそのような御方ではありません」
「まったくその通りだ。
リアン。
だからこそ私はあの方に仕え、あの方の軍旗を誇らしく掲げもってきた」
しかし、リストグラ公王はアイリンに無謀な攻撃を仕掛けた。
バールの鬼姫の口車に乗せられたのだ。
平和を好む王をして戦いに走らせる。
恐るべき策謀力といえる。
「逆説的だが、もしアザリアを陥していたら、事態はかえって退っ引きならなくなっていただろうな。
我が誇るべき陸軍が弱くて良かった」
苦笑するサミュエル。
「二万の犠牲が、良かった、ですか?」
やや非難するような光が、リアノーンの瞳にちらついた。
本当は彼女にもわかっている。
あのまま戦いが拡大していけば、犠牲者は一〇倍にも一〇〇倍にもなるだろう。
サミュエルがいちはやく本国に戻り、強力に撤兵を促したからこそ二万の犠牲で済んだのである。
死んだ命のことは仕方がない。
否、本当は仕方がないで済む話ではないが、泣いても喚いてもそれは戻ってこないのだ。
生者にできることは、犠牲を拡大しないことと彼らの死を無駄なものにしないこと。
ただそれだけだ。
「陛下はあの敗北で充分にお懲りになった。
もう大丈夫だ」
「国内は、ですね」
「そう。
国内は。
そして国外の方も、もう手を打ってある。
数日のうちに結果が出るさ」
悪戯小僧の笑みを浮かべる。
「閣下」
咎めるようにリアノーンが呼びかけた。
首をすくめるSSSという異名をもつ傭兵家。
どこまでも恋人には弱いのだ。
セムリナパレスをうろうろカールレオンたちは、奇妙な噂を耳にした。
曰く、
「サミュエル・スミスが近く王家の娘と結婚する。
その前祝いとして大将に昇進する」
という。
「ちょっと信じられない話だな」
首をかしげるカールレオン。
拠点にしている酒場である。
「そうなん?」
アイシアもまた小首をかしげるが、これはカールレオンの言葉に対してである。
「SSSにはたしか恋人がいたはずだ。
それが王族と結婚なんて」
「そっちの方がおかしいわ」
簡単に斬り捨てる少女。
王族や貴族の結婚が恋愛の結果であることの方が珍しい、といういうより異常だ。
常に政略が絡んでいるのだから。
自家がより有利になるように、自国の利益が増すように。
当然のことである。
三〇歳違い四〇歳違いの国王夫婦など珍しくもない。
だからこそ、心の飢えを満たすために幾人もの愛妾や情人を抱えるものなのだ。
しばしば吟遊詩人たちの謳う騎士物語に、妻ある男と夫ある女の路ならぬ恋が登場するのは、こういう背景がある。
「うん。
あたしもそう思う。
レオ」
シェルフィがアイシアの言葉を支持する。
このようなとき、女の方が現実的なのかもしれない。
「そのSSSって人は、有名人なんですかぁ?」
ラヴィリオンが問う。
ちらりと視線を送るリンネ。
その程度のことも知らないのか、と、表情が語っていた。
「情報と認識の不足は死を招くわよ」
「ぇぅ‥‥」
「あなたが一人で勝手に死ぬなら良いんだけどね。
私たちを巻き込まないでよ」
厳しすぎる言葉だろうか。
だが事実なのだ。
非公式なものではあるが、彼らはアイリン王国の使者なのである。
致命的な失敗を犯せば彼ら自身が命を失うにとどまらない。
アイリンとセムリナが正面から戦う契機を作ってしまうかもしれないのだ。
それを思えば、事前情報は可能な限り集め慎重に行動する。
しなくてはならない。
観光気分丸出しのラヴィリオンに対してリンネが手厳しくなるのは、むしろ当然だったろう。
遊びではないのだ。
「あなたが下手を打ったときは、私は逃げさせてもらうわよ。
悪いけど」
といいつつ、もしラヴィリオンが危機に陥ったとき、彼女は自分のみを挺しても少女を守るに違いない。
そういう人物だということを、カールレオンもシェルフィも知っている。
「とりあえず、うちらは情報を集めるだけで良いきん。
分析と判断は木蘭さまの仕事なんよぅ」
「けど、SSSの真意が知りたいよね。
この時期に結婚と昇進って怪しくない?」
「タイムリーすぎるってか?」
国際間の緊張が高まっているこの時期に、軍高官の人事異動をおこなう。
大将。
これはSSSが格式の上でも木蘭やカイトスと肩を並べたことになる。
セムリナはアイリンと戦うつもりなのではないか。
アザリアの小競り合いなどではなく、SSS率いるセムリナ戦略機動艦隊がアイリーンに押し寄せるのではないか。
予想は戦慄を孕む。
しかも現在のセムリナにはセラフィン・アルマリックがいる。
アイリン最強の軍艦乗りだった女だ。
カールレオンとシェルフィは、味方としても敵としても知っている。
強さも恐ろしさも。
セムリナ海軍の力は倍になり、アイリン海軍の力は半減する。
厳密な数字とは関係なく、セラフィンの評価とはそれほどに高い。
海鷹は、もうアイリンのためには羽ばたかないのだ。
「いっそSSSを暗殺しちまうか。
その方が面倒がなさそうだ」
不穏当な発言をするカールレオン。
「そいつは少しばかり困るな」
突然、何者かの声が割り込む。
はっとして身構える一同。
視線の集中砲火を浴びて立っていたのは浅黒い肌と金色の髪をもつ青年だった。
「テオドール・オルロー‥‥」
小さく、シェルフィが呟いた。
SSSの邸宅はセムリナパレスの高級住宅地にあった。
令名の割には平凡な屋敷だが、もちろん一般のそれとは比べようもなく豪壮だ。
「うちの上屋敷よりでけーなー」
とは、カールレオンの感想である。
じつは一行の中で、アイシアについで二番目に良家の出身の若者なのだ。
そう見えないのは本人の気質がいっこうに貴族らしくないからだろう。
気ままな次男坊の特権ともいえる。
ちなみに長男の方は、責任だの相続問題だのでひいひいいっている。
「武器は預からせてもらうよ」
ごくさりげなくテオドールが言い、一行はいとも簡単に武装解除されてしまった。
「まあ、ここでゴネても仕方ないからね」
内心で呟くシェルフィ。
まずはSSSと会わなくてはなにもできない。
話すにしろ、戦うにしろ。
やや緊張したアイシアとリンネも同じ事を考えていたのだろう。
テオドールが苦笑している。
元気なことだ。
気負いが空回りしなければいいが。
もちろん口にも顔にも出さずに一行を上司のもとへと案内する青年騎士だった。
「ずいぶんとはやかったな。
相変わらず鋭い読みだ。
あの人は」
サミュエルの言葉。
面食らう一同。
にやりと笑った若き提督が続ける。
「衝撃のニュースによって各国の密偵たちが集まってくるまでは、あと一〇日はかかるだろうと思っていたのだが、ニュースを出す前に動いたようだ」
「‥‥じゃあ、あの情報はニセモノ‥‥?」
「半分は本当さ」
「王族と結婚っ!?」
「いや、そっちでなくて」
愕然として抜けたことを言うラヴィリオンに、ふるふると手を振ってみせる。
列国中最年少の大将ということか。
「それはおめでとうございます」
アイシアの言葉に皮肉を感じないものがいるとすれば、五歳の幼児くらいだろう。
「各国の密偵を集めてどうするつもりなんですか?」
「アイリンにとっては朗報だと思うぞ。
我らセムリナは大同盟を抜けてアイリンを支持する」
驚愕が音もなく広がり、カールレオンもシェルフィもリンネも立ちすくむ。
いまSSSはなんと言ったのだ!?
「それはどういう‥‥」
「言葉通りだ。
もうセムリナとアイリンが戦う理由はなくなった」
酷薄にすら響く言葉。
「なくなった!?」
「自分たちでアイリンに攻め込んでおいてっ!」
激昂するカールレオンとシェルフィ。
もともとセムリナが先に手を出したのだ。
それをまるで他人事のように。
「アザリアで何千人も死んだんだぞっ!」
「セムリナ軍はもっと死んでいる」
「それはそっちが手を出したからでしょ!」
「まったくその通りだ。
抵抗しないで要塞を明け渡してくれたら、誰も死なずに済んだのにな」
「な‥‥っ!?」
なんという言い草だろう。
手を出しておいて、被害が出たのはアイリンのせいだと言っているのだ。
「まあ、済んでしまったことは仕方がない。
これからは良好な関係を築きたいものだな」
サミュエル唇がつり上がる。
「殴った側が言う台詞ですか?
それ」
シェルフィの手が震えた。
恐怖ではむろんなく、怒りのために。
「おや?
それではこのまま緊張状態をつづけるかね?」
人の悪いことを言ってテオドールに視線を投げる。
心得ている青年騎士が窓のカーテンを開いた。
「‥‥‥‥」
「すご‥‥」
絶句するリンネと、口に手を当てるラヴィリオン。
窓から見える港には大小の軍艦がひしめいていた。
咄嗟には目算できないほどの数だ。
「セムリナ海軍戦略機動艦隊だ。
いつでもアイリーンに向けて抜錨できる」
低い声で言うテオドール。
そして付け加える。
「世界最強の剣だ。
この切っ先が君たちの国に向かないことを祈っているよ」
舞い落ちる沈黙。
本当は、シェルフィにもカールレオンにもアイシアにもわかっている。
SSSの‥‥セムリナの申し入れを断ることはできない、と。
アザリアでの戦いはなかったこととして、セムリナと友好を結ぶしかないのだ。
そうしなければアイリンはバールとセムリナの両国との二正面作戦を強いられる。
ましてセムリナ艦隊にはセラフィンがいるのだ。
「俺たちじゃ‥‥」
「あたしたちじゃ‥‥」
まだ、勝てない。
唇をかみしめる。
「木蘭さまにはなんとお伝えすればいいですか?」
押し殺すような声をアイシアが絞り出した。
悔しいのは彼女も一緒だ。
「ご随意に。
レディ」
「‥‥では、SSSは嫌なヤツでしたと伝えます」
睨みつける。
穏やかな微笑で受け止めるサミュエル。
南の国の暑い夜が、じっとりと更けてゆく。