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降り始めた雪が吹雪へと変わるまで、そんなに時間はいらなかった。山の天気が変わりやすいと聞いたことはあったものの、ここまで急変するとは思わなかった。
視界を幾重にも隠す雪のカーテンのせいで、一メートル先すら見通す事が出来ない。ホワイトアウトって奴だろうか。もう、自分が真っ直ぐ進んでいるのか、それとも道を間違えているのか分からなくなっていた。
さすがに不安になってくる。
「……ウグイス。歩いても歩いてもキミの言っていた木が見えないよ。ボクとしては真っ直ぐ歩いてきたつもりなんだけど」
垂れかかった鼻水をすすって、無理やり鼻の穴に戻しながら言った。
「ウグイス?」
背中の少女からの返事が無くて、思わず立ち止まった。
耳を澄ますと、吹雪と風の合間に小さな寝息が聞こえる。
何だ寝ちゃってたのか。こんな時によく眠れるものだ。
ずり落ちかけたウグイスを、体を揺すって位置を直してやる。
立ち止まっていると、すっかり冷えてしまった体をいやでも思い返される。
皺に雪が積もった上着と、水気で重たくなったズボン。パンツまでぐっしょりだ。足元に至っては、冷たいも痛いも通り越して既に感覚が無い。
極力それを無視する事にして、ボクは再び雪道を歩き始める。
吹雪が止む気配は一向にない。嫌になる。
吐き出す自分の吐息だけが唯一の温もりだった。
「……ん、春雪……?」
背にわずかな身じろぎを感じた。ウグイスが目を覚ましたようだ。
「おはようウグイス」
「……寝ちゃってたわ。何だかとても眠くて」
そう言うウグイスは本当に眠そうだ。肩越しに見れば眠たげに目を擦っている。
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「ん、ごめんなさい春雪。もう少し眠かせて。後少しだから――」
言葉を言い終えるよりも先に、寝息が聞こえてきた。
ボクは長い溜息を一つ。
やれやれ。後少しって、一体どれだけの距離の事を言うんだよ。
前方に広がる白一色の世界を見て心底うんざりする。
それでも歩くしかないのだけど。
もう何度目になるか分からない諦めと、後悔の念を心に深く刻むと、さらに何度目になるか分からない新たな気持ちで一歩を踏み出した。
――と、
「!」
雪を巻き上げながら、先ほどの風とは比べ物にならない程の強い風が吹いた。
一瞬の事に対応が間に合わず、足元がすくわれ、次には雪面に深く顔を埋めていた。
痛い。
「げほっ!」
冷たい。
「――う~っ~っう~」
止まない雹と身を切る寒さが突風となってボクを打つ。
前髪や眉毛なんかきっと凍ってしまっているに違いない。
たまらず目を閉じ、歯を食いしばって風をこらえようとし――
――そうだウグイスを――
――ウグイスを守らなきゃ――
――冬の寒さから彼女を守らなければ――
自分の体が冷え切って初めて気づいた。
確かにある、消えそうなほどにかすかな温もり。
冷たい風に飛ばされ、消えてしまわないよう、両手でしっかりと抱きしめる。
白い凶暴な風の向こうに、桜の大樹を見た気がした。
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いつからだろう。
どうしようもなく惹かれていたのだ。
ずっと憧れていた。
ずっと待っていた。
言いようの無いほどの懐かしさと寂しさ。
ああ、この懐かしさ。
なんなのかと思ったら、濃密な死の気配だったのか。
だからこんなにも寂しいのか。
だからこんなにも悲しいのか。
この左手に自ら刻んだ、ボクが持つ唯一で確かなサイン。
狂った世界で壊れた歯車。
もう終わりにしよう。
いつものように――
いつもより少しだけ強く、
押し当てて、
引くだけだ――