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第28話 本当の夢を掴む場所

Asteriaの初ライブから三か月後、スターリット・プロダクションの調査報告書が公表された。

 全七十二ページ。

 外部弁護士、労務専門家、未成年者支援の有識者を含む調査チームによる報告書だった。

 そこには、私たちが記録してきたことの多くが、別の言葉で整理されていた。

 RVEプロモーション企画室との契約には、「疑似自然発生投稿」「ポジティブ・ネガティブ双方の反応を含む総話題量」という不適切な文言が含まれていたこと。

 未成年者を含むLumiRiseの本人および保護者に対し、外部会社の具体的な関与やSNS話題化施策の範囲について、十分な説明がなされていなかったこと。

 不仲説や涙、怪我を利用した演出案が企画段階で存在し、一部は現場で実行に移されかけていたこと。

 切り抜き動画の出所については断定に至らないものの、RVE側スタッフおよびスターリット関係者がアクセス可能な範囲から流出した可能性が高いこと。

 奈々の個人配信指示、活動継続確認書への署名要求、黒崎常務による不利益示唆発言が、未成年者保護およびタレントの心理的安全への配慮を欠くものだったこと。

 そして、私への降格、担当外し、自宅待機については、情報管理上の問題を理由としていたものの、安全管理上の現場判断や契約確認要請への反発が背景にあった可能性を否定できないこと。

 報告書の最後には、再発防止策が並んでいた。

 外部プロモーション契約の法務審査義務化。

 未成年者稼働基準の明文化。

 SNS施策におけるネガティブ拡散利用の禁止。

 本人・保護者への契約説明記録の保存。

 体調不良・怪我・心理的不安の申告を理由とした不利益取扱いの禁止。

 ハラスメント相談窓口の外部化。

 そして、タレント本人の意思確認手続き。

 私はその報告書を、自宅ではなくアステルの小さな事務所で読んだ。

 机の上には、初ライブの写真が一枚置いてある。

 Asteriaの四人が、小さなライブハウスのステージで頭を下げている写真。

 照明は派手ではない。

 衣装も豪華ではない。

 でも、四人の背中はまっすぐだった。

 報告書を読み終えたとき、胸の奥にあったものは、勝利の高揚ではなかった。

 安堵に近い。

 ようやく、記録が公的な言葉になった。

 なかったことにされなかった。

 それだけで、少し息ができた。

 午後、スターリットは役員人事を発表した。

 黒崎誠司常務取締役は辞任。

 神田制作部長は降格のうえ別部署へ異動。

 須藤は懲戒処分を受け、営業部から外れた。

 RVEプロモーション企画室との契約は解除。

 レイヴンエンターテインメントの真壁亮司については、RVEの過去役員として関与の痕跡が確認されたものの、スターリットとの裏取引を断定するには至らないとされた。

 ただし、スポンサー向け非公開資料には、真壁が出席した顔合わせ議事メモと、LumiRiseの二次展開権に関する優先交渉案が存在したことが記されていた。

 相沢は、報告書公開の翌日に記事を出した。

炎上を成果にしないために

スターリット調査報告書が示した若年タレント保護の課題

 記事は冷静だった。

 誰か一人を悪魔にするのではなく、構造を追っていた。

 だが、最後の一文だけは、相沢らしく少し強かった。

「裏方の記録」は、若いタレントの声を消させないための防波堤だった。

 私はその一文を読み、静かにパソコンを閉じた。

 その日の夕方、Asteriaの四人が事務所に来た。

 今日の予定は、報告書についての説明と、今後の活動方針の確認。

 それから、少し遅れた初ライブ成功のお祝いだった。

 優芽が部屋に入るなり、紙袋を掲げた。

「ケーキ買ってきました!」

「冷蔵庫に入れてください」

「佐伯さん、まず喜ぶところです」

「ありがとうございます。冷蔵庫に入れてください」

 優芽は口を尖らせたが、ちゃんと冷蔵庫へ向かった。

 奈々は小さな花束を持っていた。

「受付に飾ってもいいですか」

「もちろんです」

 花音はファイルを抱えている。

「今日の議題、まとめてきました」

「助かります」

 澪は報告書の印刷版を持っていた。

 付箋だらけだった。

「読みました」

「全部ですか」

「全部です。腹が立つところが多すぎて、逆に眠くなりませんでした」

「睡眠は?」

「六時間半」

「なら結構です」

 澪は少し笑った。

 四人が席に着く。

 私は報告書の要点を説明した。

 難しい言葉は噛み砕き、事実と評価を分ける。

 どこが認定されたのか。

 どこが断定されなかったのか。

 スターリットが何を変えるのか。

 Asteriaとして今後どう関わるのか。

 説明の途中、奈々が手を上げた。

「あの、切り抜き動画のところ、断定できないって書いてありますよね」

「はい」

「それは、誰がやったかわからないってことですか」

「正確には、誰が投稿したかまでは特定できなかった、ということです。ただし、流出可能性のある範囲はかなり絞られています」

「じゃあ、完全には終わってないんですね」

「はい」

 奈々は少し俯き、それから顔を上げた。

「でも、私たちが嘘の不仲じゃなかったってことは、残りましたよね」

「残りました」

 私が答えると、奈々は小さく息を吐いた。

「なら、いいです。全部じゃなくても」

 澪が静かに言った。

「全部じゃないけど、ゼロじゃない」

 花音が頷く。

「私たちが署名しなかったことも、声明を出したことも、無駄じゃなかった」

 優芽が続けた。

「怪我のことも、報告書に書いてありました。『高負荷動作の制限が必要だった』って。やっと、ただのわがままじゃないって書かれた気がしました」

「わがままではありませんでした」

 私は言った。

 優芽は、少しだけ目を赤くした。

「はい。今は、そう思えます」

 報告書の説明が終わったあと、花音がファイルを開いた。

「今後の活動について、四人で話してきました」

 私は頷いた。

「聞かせてください」

 花音は、いつもの落ち着いた声で話し始めた。

「まず、私たちはAsteriaとして活動を続けたいです。これは四人の総意です」

 優芽、奈々、澪が頷く。

「ただ、急いで大きな会場を目指すより、今は基礎を作りたいです。歌、ダンス、体力、発信、契約の理解。そういうものを一つずつ積みたいです」

「良い方針です」

 優芽が手を上げる。

「ライブは続けたいです。でも、月に何本も詰めるんじゃなくて、足と体力を見ながらにしたいです」

「はい」

 奈々も続けた。

「配信は、四人でやりたいです。一人配信も、いつかできるようになりたいけど、今はまだ準備したいです」

「準備しましょう」

 澪は報告書を閉じて言った。

「SNSは、自分たちで書きたいです。でも、炎上しそうな話題に反応する前に、一度確認するルールは続けたいです」

「続けます」

 花音は最後に、一枚の紙を差し出した。

 そこには、四人で考えた活動方針が書かれていた。

Asteria活動方針

一、四人で話し合う。

二、一人で抱えない。

三、口頭だけで決めない。

四、怖かったら止まる。

五、続けるために休む。

六、ファンに嘘をつかない。

七、名前が変わっても、自分たちの声を大切にする。

 私はそれを読み、胸の奥が熱くなった。

 これは、私が書いた規程ではない。

 四人が、自分たちで作ったルールだ。

「とても良いです」

 私が言うと、優芽が笑った。

「硬いけど、今日は許します」

 澪が言った。

「事実なので」

 奈々も笑った。

 会議の後、私たちはケーキを食べた。

 小さな丸いケーキに、優芽が勝手にチョコプレートを追加していた。

 そこには、白い文字でこう書かれていた。

完全勝利、今日のところは!

 私はそれを見て、思わず言葉を失った。

 花音が肩を震わせて笑っている。

 奈々も口元を押さえている。

 澪は澄ました顔をしていたが、目が笑っていた。

「これ、優芽さんの発案ですか」

「四人の総意です」

 優芽が胸を張る。

「勝手に会社名義で出していません。事前確認済みです」

「どこに確認したんですか」

「花音に」

「内部確認ですね」

「はい!」

 私は少し笑ってしまった。

 完全勝利、今日のところは。

 今の私たちに、これ以上ふさわしい言葉はなかった。

 ケーキを切り分けながら、奈々が言った。

「佐伯さん」

「はい」

「私、最近あまり怖い夢を見なくなりました」

「よかったです」

「でも、怖いことがなくなったわけじゃないです」

「はい」

「怖いとき、言えばいいって思えるようになりました」

 私はフォークを置いた。

「それは、とても大事です」

 奈々は頷いた。

「怖いって言っても、仕事をなくすためじゃなくて、続けるためなんですよね」

「その通りです」

 優芽がケーキを頬張りながら言った。

「私も、足が痛いって言えるようになりました。前は痛いって言ったら、踊れない人になると思ってたけど」

「今は?」

「長く踊る人になります」

 澪が静かに言った。

「私は、言い方が強いって自覚しました」

 優芽がすぐに言う。

「今さら?」

「うるさい」

 澪は少しだけ笑ってから続けた。

「でも、強い言葉を使うことと、誰かを傷つけることは同じじゃないって、少しわかりました。言い直せるようになればいい」

 奈々が頷く。

「澪ちゃん、最近ちゃんと言い直してくれます」

「ちゃんとって何」

「ちゃんとです」

 花音は四人を見ていた。

 そして、静かに言った。

「私は、リーダーって一人で背負うことだと思っていました。でも今は、四人で確認する人だと思っています」

「良いリーダーです」

 私が言うと、花音は少しだけ照れた。

「佐伯さんにそう言われると、少し安心します」

「事実です」

「はい」

 その夕方、アステルの事務所に白石瑠璃が来た。

 手には、小さな鉢植え。

 宮内が持ってきた観葉植物の隣に置くと、事務所の窓際が少しだけ賑やかになった。

「報告書、読みました」

 瑠璃はそう言って、私の前に座った。

「黒崎さん、辞任ですね」

「はい」

「長かったですね」

「はい」

 瑠璃は窓際の植物を見ながら、静かに言った。

「私、スターリットと契約を更新しないことにしました」

 私は彼女を見る。

「決めたんですね」

「はい。でも、すぐにアステルに入るつもりはありません」

「そのほうがいいと思います」

 瑠璃は少し笑った。

「そう言うと思いました。まずは個人事務所で、自分のペースを作ります。必要なときは相談します」

「いつでも」

「美月さん」

「はい」

「私は、あのとき守られた側でした。でも今回、少しだけ守る側に立てた気がします」

 私は言葉を探した。

「瑠璃さんの声は、大きかったです」

「歌以外で声を使うの、怖かったです」

「怖いは」

「確認して進む合図」

 瑠璃はそう言って笑った。

 あの言葉は、いつの間にか多くの人の中に渡っていた。

 夜、私は一人で事務所に残った。

 Asteriaの四人は帰り、瑠璃も帰り、片桐からのメールも一区切りついた。

 机の上には、報告書、Asteria活動方針、アステルの定款、そして小さなケーキのチョコプレートが残っている。

 完全勝利、今日のところは。

 私はそのプレートを見て、少し笑った。

 この数か月、いろいろなことがあった。

 LumiRiseを担当した最初の日。

 過密スケジュール。

 優芽の足首。

 奈々の睡眠不足。

 黒崎の「商品」という言葉。

 神田の降格通告。

 須藤の泣き演出。

 仕組まれた炎上。

 切り抜き動画。

 契約書の小さな文字。

 莉子の証言。

 瑠璃の声。

 会見。

 スポンサーの質問状。

 四人の声明。

 契約解除。

 アステル設立。

 Asteria初ライブ。

 そして、調査報告書。

 振り返れば、どれも派手な勝利ではなかった。

 毎回、少しずつだった。

 控室を変える。

 軽食を出す。

 足を止める。

 文面で確認する。

 記録を保存する。

 署名しない。

 自分の言葉で声明を出す。

 休憩を予定表に書く。

 そんな小さなことの積み重ねが、ここまで来た。

 私はノートを開いた。

 最後の記録を書くために。

調査報告書公表。

RVE契約の不適切文言、説明不足、不仲・涙・怪我を利用する施策案、未成年者保護上の問題、佐伯処分背景の問題が指摘される。

黒崎常務辞任。神田降格・異動。須藤処分。RVE契約解除。

スターリット、再発防止策を公表。

Asteria、アステル所属後の活動方針を自分たちで作成。

白石瑠璃、スターリット契約更新せず個人活動へ。

アステル・マネジメント、最初の活動期へ。

 そこで一度、ペンを止めた。

 最後に何を書くべきか。

 私は少し考え、ゆっくりと書いた。

夢は、誰かに燃やされて掴むものではない。

自分の足で立てる場所で、自分の声で選ぶものだ。

 保存。

 ノートを閉じる。

 窓の外には、東京の夜が広がっている。

 スターリットの大きなビルも、どこかで光っているだろう。

 あの場所も、変わるかもしれない。

 変わらない部分もあるかもしれない。

 私はもう、あの会社の中にいない。

 でも、あそこで声を上げた記録は残った。

 そして、ここには新しい場所がある。

 小さな事務所。

 小さな机。

 小さな植物。

 小さな星。

 でも、そこから始めればいい。

 翌月、Asteriaは二度目のライブを行った。

 会場は前回より少しだけ大きくなった。

 チケットは完売した。

 新曲『星のままで』の最後、奈々は一度も視線を落とさなかった。

 優芽は高いジャンプを入れなかったが、誰よりも楽しそうに踊った。

 澪はMCで言った。

「私たちは、まだ大きなグループではありません。名前も変わりました。使えなくなった曲もあります。でも、ここにいる私たちは本物です。切り取られた一部ではなく、最初から最後まで見てください」

 客席は大きな拍手で応えた。

 花音は最後にこう言った。

「私たちは夢を諦めたわけではありません。夢の形を、自分たちで選び直しました」

 袖で聞いていた私は、思わず目を伏せた。

 本当の夢。

 それは、売上ランキングの一位だけではない。

 大きなステージだけではない。

 スポンサーの数でも、SNSの話題量でも、炎上の規模でもない。

 自分の声を失わずに続けること。

 怖いと言えること。

 休めること。

 納得して署名できること。

 仲間と確認できること。

 ファンに嘘をつかないこと。

 そして、自分の足でステージに立つこと。

 Asteriaの四人は、その夢を掴み始めていた。

 まだ途中だ。

 これからも失敗するだろう。

 迷うだろう。

 怖くなるだろう。

 それでも、止まる合図を知っている。

 確認して進む方法を知っている。

 自分たちの言葉を持っている。

 だから、きっと大丈夫だ。

 終演後、四人は楽屋でまたケーキを用意していた。

 今度のプレートには、こう書かれていた。

本当の夢、更新中。

 私はそれを見て、笑った。

「更新中、ですか」

 花音が頷く。

「夢は、一回掴んで終わりじゃないと思うので」

 優芽が言う。

「毎回更新です」

 奈々が続ける。

「怖い日もあるけど、更新します」

 澪が最後に言った。

「今日のところは」

 四人が一斉に私を見る。

 私は少し考えてから、頷いた。

「はい。今日のところは、最高です」

 優芽が目を丸くした。

「完全勝利じゃなくて?」

「完全勝利は前回使いました」

「出し惜しみ!」

 奈々が笑い、花音が肩を揺らし、澪が小さく息を漏らした。

 その笑い声を聞きながら、私は思った。

 この場所を作ってよかった。

 まだ小さく、危うく、課題だらけの場所だ。

 でも、ここでは誰かの涙を燃料にしない。

 怪我を美談にしない。

 恐怖を売り物にしない。

 そして、裏方を軽んじない。

 私はマネージャーだ。

 ステージの真ん中に立つ人間ではない。

 でも、ステージに立つ人たちが、自分の足で立てるようにする。

 それが私の仕事だ。

 裏方扱いされても構わない。

 裏方だからこそ見えるものがある。

 裏方だからこそ残せる記録がある。

 裏方だからこそ、守れる瞬間がある。

 Asteriaの四人は、ケーキを囲んで笑っている。

 その向こうに、小さな窓がある。

 夜の街の明かりが見える。

 大きな照明ではない。

 誰かを焼く炎でもない。

 星のような、小さな光。

 私はその光を見ながら、ノートを閉じた。

 物語はここで終わる。

 でも、彼女たちの夢は終わらない。

 本当の夢は、掴んだ瞬間から始まる。

 そして今日も、私たちは確認して進む。

 自分の声を失わないまま。

 自分の足で立つ場所へ。

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