悲しい色
雨が街の色をグレーにしている。
どんよりした雨雲、その色のように町までもがグレーになっている。
その雨の中を傘もささずに一人の女性が歩いている。
その姿は虚ろな瞳で光を宿していない。
俯いて周囲も見えずに歩いている。
そんな彼女は街行く人たちの視線を一人で集めている。
彼女の名は中森茜。
1ヶ月前に中絶手術を受けた。
その身体を雨粒が打ち付ける。
頭の中は真っ白で何も考えられない。
ただ、「終わったんだ。」と小さく呟いた。
18歳からの恋人。
22歳で終わっていたのだ。
◇◇◇◇
今日、つい先ほど彼・本田翔也の本音を、たまたま居合わせた彼女・中森茜の耳に届いた。
本当に運命の偶然と言うべきか……翔也から今日は会社の同期たちとの宴会があるから会えないと聞いていた。
その宴会が、茜の係の歓送迎会と重なっていた。
彼には「私も明日は歓送迎会なの。」と伝えていた。
宴会場でジュースを飲んでいた茜は、隣に座っている先輩・木本梓に「ちょっとお手洗いに行ってきます。」と言い、席を立った。
御手洗いで用を足してから、大きな声が聞こえて来た。
その声に聞き覚えがあった。
翔也の同期の声に似ていた。
足がその声がする方へ、部屋へ近づいていく。
襖が少し開いていた。
その隙間から翔也の顔が見えた。
⦅ここで同期会やってるんだ。後で一緒に帰れるかな?⦆と甘い胸の動悸を茜は抑えようと手を当てた。
「おいっ! 翔也、どうするんだ?」
「どうするって?」
「茜ちゃん、だよ。中絶したんだろう。」
⦅えっ? なんで知ってるの? 教えたの? 翔ちゃん。⦆
「うん、させたよ。
産まれさせるわけないじゃん。」
「だよな、結婚するのに、他の女が出産なんて……なぁ。」
⦅え………結婚……?⦆
「中絶の費用とか、出したんだろうな。」
「まぁ、それは……だな。俺も金は必要だからさ。」
「出させたのか?」
「結婚費用に要るからな。
その分、ちゃんと手術の日には付き合ったぜ。
まぁ、その日だけで、後の通院とかあったかも、だけど……。
後は行ってない。」
「お前……茜ちゃんが可哀想だと思わないのか?」
「若いから、また次がある。茜にもな。」
「若いって……それでも、キツイぞ。」
「仕方ないじゃないか。
好きだったけど、茜以上に好きな女が帰って来たんだからさ、俺の元へ。」
「それにしても、元カノとより戻してから結婚まで早いな。
1ヶ月で結婚を決めて……もう結納だろう。
結婚式もお姉さんがカトリックということで、一般を受け入れていない教会を押
さえて……どんなに好きなんだ。」
「プロポーズは再会した日だもんな。
茜ちゃんには可哀想だけど、最初から可能性ゼロだよな。」
「それで、どうするんだ?
いつ言うんだ? 茜ちゃんに………。」
「早く言った方がいいぞ。」
「分かってるって、明日にでも言うさ。」
「なぁ、メッセージだけとかは止めろよな。
ちゃんと言ってあげなよ。ビンタくらい覚悟しろよ。」
「ビンタ? 無理無理! そんなこと出来る子じゃないよ。
泣くだけで終わりだ。」
茜は崩れそうになり、ふらふらと歩いていた。
頭の中は真っ白だった。
どうやって係の歓送迎会の部屋に戻ったのか茜は分からない。
気が付くと係の先輩・木本梓の声が頭の上から聞こえて来た。
「どうしたの! 真っ青じゃない。宴会どころじゃないわ。
もう帰った方がいいわ。」
「………はい。」
「係の皆には私から言っておくわね。」
「済みません。私の歓迎会なのに……。」
「いいのよ。ちょっと待ってね。茜ちゃんのバッグ取って来るわ。
駅まで送るから……駅に行ったらタクシー乗り場があるわ。
タクシーで帰ってね。」
「……はい。」
梓が茜のバッグを持って来てくれた。
「大丈夫? この所、体調も悪いようだったし……。」
「済みません。お手数をお掛けして……。」
「気にしない! お互い様よ。」
店を出る前に、あの部屋の前を通らなければならない。
あの部屋の誰にも会いたくなかった。
自ずと俯いた。
「大丈夫? 心配だわ。」
「………………。」
店を出て、梓が一緒に駅まで付いて来てくれた。
「タクシーに乗って帰って。」
「木本さん、私、駅で少し休んでから帰ります。」
「でも………。」
「大丈夫ですから………少し休めば………。
木本さん、戻て下さい。」
「………いいの? ごめんね。戻るわ。」
「はい。そうして下さい。」
「気をつけて帰ってね。」
「はい、木本さん! ありがとうございました。」
「元気になってくれたら、いいの。じゃあね。」
「はい、失礼します。」
電車に乗り、自宅の最寄りの駅に着いた。
着いた時は雨が降っていた。
傘を買うことさえ頭に浮かばなかった。
ただ歩いた。
雨の中を傘を差さずに……。
⦅中絶は女だけに全てを負わせる。
身体も、心も、傷つく。
私が傷ついてないとでも……言うの?
男は何も負わない。
何も無かったかのように過ごせる。
翔ちゃん、何もなかったのよね。貴方は何も負わなかった。
私…………産めるのなら産みたかった、よ。
愛する人の子……産みたかった………。
産ませてくれない翔ちゃん、貴方は私のことなど何とも思ってなかった。
愛したのは私だけ……私だけなんだ………。⦆
歩き続ける茜の身体に激しくなった雨が雨粒を叩きつけている。
茜の止めどなく流れる涙は雨と一緒になって流れ落ちた。
雨の雲の色でグレーに染まった街並みが、悲しい色になって茜を包んだ。




