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【改稿版】ひだまりのFランク冒険者  作者: みなと劉


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第一話「万年Fランクの午後」

 王都の城壁からほど近い、緑の濃い街道沿い。

 朝靄がまだ薄く漂う早い時間から、一人の青年が草むらの中でしゃがみ込んでいた。

 丁寧に、しかし慣れた手つきで、露に濡れた葉を一枚一枚摘み取っている。

 急ぐ様子はまったくない。

 むしろ、摘んでは香りを嗅ぎ、嗅いでは籠に入れ、ときおり空を見上げながら鼻歌を零す、そんなゆったりとした作業だった。

 彼の名は、リルド。

 冒険者ギルドに登録して数年。

 Fランクから一度も昇級しようとしない、ある意味で王都のギルドが誇る「名物」である。

 昇級試験の案内を受付から渡されるたびに「ああ、ありがとう」と笑って受け取り、翌日にはきれいさっぱり忘れている。

 誰かに急かされても、どこか悪びれる様子もなく、ただのんびりと笑うだけだ。

「よし。今日の『風見草』はこれで全部かな」

 籠を確かめ、ぽんぽんと葉を整えてから立ち上がる。

 背中に背負った籠には、今日の依頼分の薬草がきっちりと収まっていた。

 依頼の達成精度だけは、妙に正確だった。

「さて、次は川だ」

 足取り軽く、リルドは近くを流れる小川へと向かった。

 午後の日差しが川面を照らし、水が金色に光っている。

 彼はその岸辺に腰を落ち着けると、靴を脱いで水に足先をつけ、それから何をするでもなく川底の石を眺め始めた。

 これが彼のもう一つの「依頼」だった。

 といっても、誰かに頼まれたわけではない。

「綺麗な石を集める」というのは、リルドが自分に課した完全に個人的な仕事である。

 丸くて平たいもの、光に透かすと色が変わるもの、手のひらにちょうど収まる重さのもの。

 彼には彼なりの選定基準があり、その基準を満たした石だけが、懐の巾着に招かれる栄誉を得る。

「ちょっと扁平すぎるかな……いや、でもこの透け方は珍しい。合格」

 真剣な顔で石を吟味するリルドを、川面を渡る風だけが見ていた。


---


 穏やかな時間が続いたのは、それからしばらくのことだった。

「はぁ、はぁ……っ! おい、そこの君! 危ない、逃げろ!」

 背後の森から聞こえてきたのは、荒い息遣いと切迫した怒鳴り声だった。

 リルドが振り返ると、装備を血と泥でぐちゃぐちゃに汚したDランクの冒険者が三人、草をかき分けながら飛び出してくるところだった。

 その表情は蒼白で、足がすでに震えている。

 そして彼らの背後、揺れる木々の間から、巨大な影が姿を現した。

 フォレストベア。

 二足歩行をする凶暴な魔獣で、本来であれば森の奥深くにしか生息しない危険な種だ。

 それがこんな街道沿いの浅い林に出現しているのは、明らかにイレギュラーな事態だった。

 体高は優に二メートルを超え、爪の一薙ぎで木の幹を容易く裂く怪力を持つ。

 Dランクのパーティーが満身創痍で逃げ回るのも、無理はない。

「早く! 聞いてるか、Fランク! お前じゃ相手にならない、逃げろ!」

 必死に叫ぶ冒険者の声を耳に入れながら、リルドは石積みの作業をいったん止めた。

 せっかく五段まで積み上げていた小石の塔が、魔獣の低い咆哮が引き起こした微振動でゆっくりと崩れ落ちたからだ。

「……もう」

 リルドは小さく息をついた。

 崩れた石を恨めしそうに見てから、よっこらしょと立ち上がる。

 急ぎ足ではなく、あくまで普通の歩調で、彼はフォレストベアの方へと近づき始めた。

「おい、何をやってる! 正気か!」

 冒険者の一人が叫んだが、リルドはもうそちらを見ていなかった。

 視線はまっすぐ魔獣の額に向けられている。

 フォレストベアはリルドに気づき、唸り声を上げながら前足を振り上げた。

 その一撃が地に落ちれば、人間一人など跡形もなく消えるだろう。

 しかし、リルドはよけなかった。

 腰に下げた短剣の鞘を、すっと腰から引き抜く。

 そのまま何の構えも取らずに魔獣の懐へと踏み込み、振り上げられた前足の腕を軽くかわしながら、鞘の先端で魔獣の眉間を、ごん、と一回だけ小突いた。

 それだけだった。

 乾いた音が一つ響き、体重五百キロを超えるフォレストベアは白目を剥き、ゆっくりと地響きを立てて横倒しになった。

 呼吸はある。

 ただ完全に意識だけが刈り取られ、大木のように倒れている。

 急所の位置と、そこへの力の入れ方を完璧に把握していなければ不可能な、神業と呼ぶほかない一撃だった。

 だが、リルドの顔には凄みも達成感もなく、ただ「終わった」という、家事でも片付けたような淡泊な表情があるだけだった。

「死んでないから安心して。一時間くらいしたら目を覚ますと思うから、それまでにギルドへ連絡しておいたほうがいいよ。イレギュラー出現は報告が必要だろうし」

 それだけ言うと、リルドはくるりと背を向け、川辺に戻った。

 崩れた石積みの前にしゃがみ込み、また一段目から積み始める。

 冒険者たちは、誰一人として言葉を発せなかった。


---


 日が西に傾き、街道が橙色に染まる頃、リルドはギルドへと足を運んだ。

 受付カウンターに近づくと、顔見知りの受付嬢がいつものように書類から顔を上げ、苦笑まじりに声をかけてきた。

「お疲れ様です、リルドさん。薬草の依頼ですね。……それと、今日もまた別の人たちから話を聞かされましたよ。『凄まじいFランクがいた』って、Dランクのパーティーが大騒ぎしてましたけど」

「へえ。大変だったね、その人たち」

 リルドは籠を差し出しながら、のほほんと答えた。

 受付嬢が「……それだけですか」と疲れたような顔をするのを見て、リルドはきょとんとする。

 奥のギルドマスター室の扉が、ほんのわずかに開いていた。

 強面で知られるギルドマスターが、書類の隙間からリルドを静かに観察している。

「やれやれ」と小さく息をつきながら、しかし口元には僅かな苦笑が浮かんでいた。

 もっとも、リルドはそちらに気づく様子もない。

「あ、これ見てください」

 報酬の銅貨を受け取りながら、リルドは懐から小さな石を取り出した。

 丸みを帯びた、どこにでもあるような河原の石だ。

 受付嬢が「はあ」と首を傾けると、リルドは石を窓の灯りに向かってそっと透かした。

 光が石の内部でわずかに散り、淡い緑がかった色が浮かび上がった。

「夕陽に透かすともっと綺麗なんですよ。今日一番の収穫かな」

 そう言って目を細めるリルドの横顔には、どんな武勲の報告にも劣らない、心底満ち足りた色があった。

 最強の力を持ちながら、彼は今日もFランクとして、世界で一番贅沢な一日を終えていく。

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