第二十三話 分身
「よし……できた」
小さく息を吐きながら、櫻田はスマホを差し出した。
「やっとですか?」
麗奈が呆れたように受け取る。
「もしも、なにかあったら電源ボタンを五回押すんだぞ」
ベッドの上で、櫻田は軽く指を立てる。
この二時間、ずっと麗奈のスマホをいじっていた理由――それが、この緊急SOSの設定だった。
「ゲートの中でも使えるし、位置情報も外に送られるらしい。かなり便利だ」
「えー、私Aランクですよ?そんなのなくたって大丈夫ですよ」
軽く肩をすくめる麗奈。
だが櫻田は首を横に振る。
「保険なんて、いくらあってもいいだろ」
「それは……まあ、そうですけど……」
少しだけ言葉に詰まる。
「ハンターは死と隣り合わせなんだ。いつ何が起きるか分からない」
一拍置いて、視線を逸らす。
「ほら、最初に会ったときも……俺がいなきゃ――」
「はいはい!分かりました!」
麗奈が慌てて遮る。
「危なくなったらちゃんと連絡しますって!」
「……ならいい」
櫻田は小さく頷いた。
***
「……和田の場所が分からないなら、意味なかったかもな」
病室から飛び降りてから、どれくらい走っただろうか。
櫻田は人気の少ない通りで足を止め、小さく呟いた。
ただ、走っているだけだ。
目的地もなく、当てもなく。
今櫻田は、和田を探している。
だが――そんな簡単に見つかるわけがない。
分身に探させることも考えたが、今は無理だ。
ゲート探索用に魔力を薄く分配しているせいで、分身は最低限の行動しかできない。
人の顔を判別するような複雑な処理は、到底無理だった。
「やっぱ……俺にできることなんてなかったのか?」
自嘲気味に笑う。
そのとき――
――プルルルル
スマホが震えた。
「ん?」
画面を見る。
麗奈からの着信。
だが――普通の通話じゃない。
「緊急SOS……?」
眉をひそめる。
「なんだ?間違えたのか……?」
だが、嫌な予感が胸をよぎる。
迷う理由はなかった。
すぐに通話ボタンを押す。
「もしもし?大丈夫か?」
『見つけました』
「……はい?」
一瞬、意味が理解できない。
『早く来てくださいね』
「え、ちょ――」
言い終わる前に、通話が切れる。
「……なんだったんだ?」
間違いではない。
あの声は、明らかに意図的だった。
「見つけたって……何を?」
すぐに送られてきた位置情報を確認する。
ここから少し離れた地点。
走れば――
「……十分くらいか」
距離が、微妙に遠い。
「とりあえず……」
櫻田は目を閉じ、意識を集中させ、その近くにいた分身の一体へ命令を送る。
普段は命令通りに動くだけの存在だが、意識を集中すれば自分の体のように操作もできる。
「和田も探さなきゃいけねえのに……」
小さく舌打ちする。
それでも足は止めない。
櫻田は麗奈のもとへ、全力で走り出した。
***
「チッ……めんどくさいことになったな」
和田が舌打ちをした。
その視線の先には、地面に倒れている麗奈。
「どういうことっすか?」
後部座席の男が、不安そうに身を乗り出す。
和田はため息混じりに答える。
「さっきあの女、スマホの電源ボタンを五回押しやがった」
「……それが?」
「緊急SOSだ。位置情報付きで外に発信される」
一拍置いて、静かに言い切る。
「つまり――俺たちの居場所がバレたってことだ」
「えっ!?マジっすか!?」
男の声が裏返る。
「警察来るんすか!?」
「警察だけならまだマシだ」
和田は空を見上げる。
わずかに目を細める。
「……来てるな」
「え?」
「でかい魔力が、一直線にこっちへ向かってる」
短く断言する。
「おそらくSランクだ」
「やばくないっすかそれ!?」
「やばいに決まってんだろ」
即答だった。
迷いは一切ない。
「とっととずらかるぞ。中野、スキルは使えるか?」
「……できないことはないっすけど、数秒が限界っす」
「十分だ」
「ここに来るまで最低でも十分はかかる。その前に移動すれば、追跡は振り切れる」
合理的な判断。
それだけで動く。
「行くぞ」
和田たちは車へ乗り込む。
エンジンがかかり、低い振動が伝わる。
アクセルを踏もうとした――その瞬間。
「――……」
車の前に、“何か”が立っていた。
「……は?」
中野が間の抜けた声を出す。
フロントガラス越しに見えるのは、一人の男。
仮面をつけている。
不気味なほど、静止している。
「そこの人、邪魔っすよー。どいてくださーい」
軽い調子で声をかける。
だが――
動かない。
ピクリとも。
「……なんっすか、これ」
中野の声が、わずかに低くなる。
「人間……っすよね?」
そのとき。
「……お、おお……い……」
かすれた声が響く。
まるで、喉の使い方を思い出しているかのような、不自然な発音。
「お、お前……わ、和田……かかか……?」
仮面の奥は見えない。
だが、その違和感は明らかだった。
「……」
和田の目が細くなる。
そして、吐き捨てるように言う。
「クソ……」
「予想はしてたが……やっぱりお前かよ」
一歩、前に出る。
「櫻田」
「……麗奈はどこだ」
分身の声は、最初こそ不安定だったが、徐々に自然さを取り戻していた。
「麗奈?さっき俺らを止めてたやつか」
和田が肩をすくめる。
「そいつなら、あっちで寝てるよ。早く行ってやったらどうだ?」
わざとらしい言い方。
「そんなことしたら、お前らが逃げるだろ」
即答だった。
「俺らなんかより、彼女を優先したらどうなんだ?」
「彼女じゃねえよ」
短く否定する。
そして――
ゆっくりと刀を抜いた。
分身の夜断。
本物には遠く及ばないが、それでも十分すぎる切れ味を持つ。
「それに――」
「あいつだって、お前を捕まえるのを優先すんだろ」
刃先が、まっすぐ和田を捉えた。




