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王弟殿下の歪んだ想い

【Side ケネス】



ヒトを好きになるという感覚は、新鮮で鮮烈なものだった。

自分の中で天と地が入れ替わるかのような……世界に色がつくかのような……目の覚める感覚。


ツィーナ・ハダル・アケルナー。


悪友ドゥーべの後妻の、精巧な少女人形。結婚披露の宴で見かけた、上等な置物。

葬儀で再会した時も、その印象は差程変わらなかった。成長して、可憐な美しさは増していたけれど、貴族らしい微笑みが無機質で。

ただ、なんとなく……柔らかな肌を持つ極上の人形を無垢なまま飾っておくのももったいなくて、いつもの癖で声をかけた。せっかく素晴らしく仕上がった人形だ、一度遊んでみようか、と。


そう、けれど──今では、違う。

今では、生き生きとして瑞々しい、可憐な花のような……麗らかな春そのもののような……わたしの光。今では、わたしの生きる意味と言っても過言ではない。


恋は落ちるもの。そう言ったのは誰だったか。

彼女は人形なんかではなかった。彼女は──春の女神。


『わたくしはケネス様を新たな兄として慕わせていただきます』


シャウラのキツい赤の頭を柔らかく抱き、聖母の如き微笑みを浮かべた彼女。その温かな、愛情溢れる瞳がこちらを向いた後に紡いだ言葉に、わたしは鈍い痛みを覚えた。

あんなにも、蕩けるような優しい視線でシャウラを見るのに──。


「兄」という響きの、なんと遠いことか。「兄」では、ああして彼女の懐に入れない。


『わたしがなるのは、あなたの夫だ』


対等でありたい。そう切実に思った。

女神を崇め、尊重し合うのではなく。同じ血潮の流れる人間として。


わたしの抱くこの気持ちを、彼女にも抱いて欲しい。

家族としての慈愛ではなく、唯一無二の伴侶として、その初々しく潤んだ瞳で見つめて欲しい。

その白い頬を薔薇色に染めて、可愛らしい花弁はなびらのような唇で愛して欲しい。


こんな気持ちを抱くのは初めてだった。

まるで、自分が初心な少年に戻ったかのようで可笑しくなる。そんな頃は一度もなかったというのに。


寄ってくる女達をイミテーションの恋人にして、享楽的に生きてきたのは昔からだ。

国王への道を約束されていた兄と違って、わたしには確かな未来がなかった。周りの状況によって、如何様にも変わる駒。厳しい修練だけが課される、国のための予備の道具。

自分でも何者かわからないようなわたしだ。女達にとっても、所詮、偽物イミテーションの恋人にしかなり得ない。

それがわたしの普通だった。

成長するにつれて寄ってくる女が増え、今度は、この外見を利用するように指示を受けた。兄の為に。女達から情報を、忠誠を、富を集める。


「国王陛下がお待ちです」


愛しいツィーナの元からトンボ帰りさせられた王城では、兄の侍従の一人が待っていた。その顔に浮かぶ優越感にげんなりする。

たかだか侍従風情に王族が逆らえない。その事実がそれ程までに嬉しいのだろうか。王の威を借る小男は、相変わらず歪んでいる。……いや、王城はこんな小物ばかりだ。今すぐツィーナの元に……駄目なら自分の離宮に帰りたい。


柔らかな陽射しで温められたわたしには、いつも以上に王城の醜悪な冷たさが目に付く。

なぜ世の中はこうも不要なもので溢れているのか。


無駄に広く豪奢なだけの、空っぽの城。

その回廊を歩みながら、愛しい面影で心を満たす。

若葉のような明るい瞳に浮かぶ親愛の情。以前よりも深く、そして、穏やかだった。シャウラに向けるものとは違う、確かな信頼の込められた眼差しが、幸せそうにわたしを見て……。

わたしの髪のような淡い金糸を織り込んだドレスに包まれて微笑む彼女。この上なく愛らしいその姿は、思い出すだけでも幸せな気持ちにしてくれる。早く、実物のわたしで彼女の全てを包んであげたい。全てを、わたしの色に染め上げて。わたしだけを、瞳に映して。

彼女の全てをわたしのモノに──。


「王弟殿下をお連れしました」


硬いノックの音に、否応なしに現実へと引き戻された。ここではわたしには名なぞない。王の弟、それがここにいるわたしの価値。


「……遅かったな」


執務机から顔を上げてこちらを見る兄が早速、感情のない声で八つ当たりを繰り広げる。


おまえがフラフラと出歩くせいで執務が滞った。

おまえが余計な行動を取ったせいで諸侯が浮ついて迷惑だ。

おまえにローバーをつけたせいで私は城から出られない。

おまえが……おまえのせいで……。


(よくもまあ、そんなに愚痴を言う暇があるものだ)


賢君として名高い兄王を疎ましく思っているのは、国広しといえど、わたしだけかもしれない。いや、政略結婚の末の飾り物である第二王妃ももしかしたら……。けれど、兄がこうして醜い本性を晒すのはわたしに対してだけ。第二妃がどうであろうと、わたしが兄を苦々しく思うのはお互い様というものだ。


幼い頃からの習慣というのは恐ろしいもので、兄はそうした自分の態度に欠片も疑問を持っていない。むしろ、弟を虐げる代わりにその他の平穏が保たれるのならば安いものだと、そう教え込まれて信じているに違いなかった。


「今宵はエーガス侯爵の元に行くように」


もはや聞き流すのが恒例になった雑言が終わり、本来の要件が告げられた。ここで退室するのがいつもの流れ。だが、


「陛下、御報告がございます。わたしは亡アケルナー公爵夫人ツィーナ・ハダル・アケルナーを迎えようと存じます」


今日は引き下がれない理由があった。

ツィーナと出会ってしまった今、どうでも良い女と添うなど真っ平だ。貴族のご機嫌取りももう十分。兄の言うことを聞くのも、だ。


ギロリと音がしそうな眼差しに射抜かれる。反論されるとは思ってもいなかったのだから、当然かもしれない。

不快を隠さない瞳に、アケルナー母子との違いを痛感する。これが、形だけの家族というもの。ツィーナとシャウラには感じない嫌悪感。シャウラを、「勝ち取った新しい家族」だと訴えたツィーナの気持ちが今ならわかる。

わたしとこの男の関係は、本当の家族とは言い難い。


「……アケルナー……おまえが今日訪ねた未亡人か。だが、くだんの夫人に関しては、次期アケルナー公からも婚約承認の要請が出されている」


(…………カウスか。やはりな)


煽ったのが自分だという自覚はある。あの時はまさか、自分がこんな想いを抱こうとは夢にも思っていなかった。


「承認なさったのですか?」


「まだだ。可能ならあの家には正統な血筋を継いで行って欲しいからな。マーシャルとカルタスを動かしてあるが、どうなることか」


マーシャル公爵家とカルタス侯爵家。いずれも伝統と格式の高い旧家で、若い娘がいたはずだ。確かわたしの婚約者候補にも名前が上がったが、今更縁を深める必要がないほどの親王派のために立ち消えたのだったと記憶している。


この優秀な国王は、貴族を家系図や勢力図で考える。遠縁とはいえ王家の血を引く公爵家には、伝統なり血筋なりを担ってもらいたいと思っているのが丸分かりだ。


(愚かしい。……だが、だからこそ、利用できる)


王家の求心力が落ちることがあってはならない。だから、最終的にカウスが断固拒絶すれば、望まぬ婚姻を強いることはないだろう。


「でしたら、尚更先にわたしが彼女を娶ってしまいましょう。彼女はドゥーべに嫁いで五年にもなるのに、子をなせませんでした。一代大公となるわたしにはちょうど良いと思えますが、アケルナーの為にはならないでしょう」


子をなせない女は公爵の正妻には相応しくない。暗にそう告げるとともに、自身は血脈をなさず王の陰に徹するとの意志を示す。頭の固い兄に上策だと聞こえるように。

真実は白い結婚であり、ツィーナの心身には欠陥も落ち度もないことを知っているが、それを目の前の男に教えてやる気は毛頭なかった。兄がツィーナに何かしらの興味を持つことなど、あってはならない。許せない。


「ふむ……。だが、それでは王家の横暴ととられるだろう」


ツィーナの実家は次代では子爵に上がるだろうと言われている。跡取りは彼女の、年の離れた実弟。資金力が豊富で、しかも安定しているハダル男爵家は、新興貴族とはいえ、将来がなかなかに有望だ。

兄のことだ、当然、ツィーナの婚姻の背後関係に気付いている。その財力を一代大公わたしを経由することで得られるのなら……王家は、彼らを中枢に食い込ませることなく、資金源を得られるだろう。


(ツィーナを引き合いに出すには相応しくない汚い話だが……。権力というのは本当に醜いな)


「彼女さえその気になれば……」


「うむ。女性は売り買いされる物ではないからな。当人の想いは優先せねばなるまいて」


「女性は誠実さを求めるようです。わたしはしばし、ご令嬢方との逢瀬を控えたいと思いますが?」


「……仕方あるまい。エーガスには私から連絡をしておく」


内心で快哉を叫びながら、深々と兄に頭を下げた。簡潔に退室の挨拶を済ませ、離宮に戻る。こんな所、一秒たりとて長居したくない。


しかし途中でふと、思い立って方向を変えた。晩餐には早く、しかし夕刻と呼べる時間。今なら彼女が居るだろうと確信を持って。


義姉上あねうえ


向かった先は空中庭園。

城下を一望できるその場所は、平時は憩いの場として、有事の際には魔術師達の戦場いくさばとして使用される。

低い常緑樹が植えられたこの場所から暮れゆく城下を眺めるのが、彼女はことのほか好きだった。迫り来る夕闇に全て飲み込まれていく様が心を落ち着けるのだ、そう言って。


「あらケネス。珍しいわね」


ここに来るのが。顔を合わせるのが。この時間に妃候補達の元に向かわないのが。

一言に幾つもの意味を込めて彼女は笑った。子鹿色の長い髪を風に靡かせた、王妃にして我が義姉あねルシータ。


「いらっしゃると思いました」


大きな息子が2人もいるようには見えない、妖艶な美女。ふんわりと儚いツィーナとは正反対の、迫力と存在感のある女性だ。


「わたくしに何か用? なぁに、また粘着令嬢に愛されてしまったのかしら」


「違いますよ」


やけに断定的な言い方に苦笑する。つまり、彼女はそんな令嬢の情報を掴んでいるということか。


「おかしいわね。ま、いいわ。ニカラ伯爵令嬢には気をつけなさいな」


周りにヒトがいないのを確認し、さらに口元を扇で隠して言う義姉に、「これは騎士団に警備強化の連絡をしておくべき案件だな」と思わされた。この後、ローバーを呼び出してあるからちょうど良い。


「ご忠告痛み入ります。

ところで今日は義姉上にお願いがありまして」


「ふーん? 今度は一体何をしてシャルサスを困らせるのかしら」


ニヤニヤとヒトの悪い笑みを浮かべる義姉と国王シャルサス……兄の夫婦仲は悪くない。けれど彼女は性格的に男前とでも言うべき苛烈なヒトだ。そして、わたしと兄や母の関係性を問題視してくれる、貴重なヒトでもあった。


「あのヒトをやり込めるならもちろん協力するわ」


「兄上には今話してきましたよ。わたしの臣籍降下についてです」


わたしの生きる道はそのまま、彼女の二番目の息子の生きる道だ。その不幸を少しでも変えたい義姉上とわたしは、幼い頃から結託して来た。


『シャルサスは嫌いじゃない。でも、ケネスに対する態度は許せないし、ケネスみたいな不運な子を産むために結婚するなんて嫌』


年端も行かないわたしに現実を教えてくれたのが、義姉上だった。当時はそれを恨みもしたが。


「もしかして……?」


「そうです。ついに出会いました」


「っ!! おめでとう!!」


義姉あねにだけは、自分の口からきちんと報告しておきたかった。多少歪んだ形とはいえ、わたしを案じ続けてくれている、彼女にだけは。


主語を省いた端的な会話は、長年の付き合いの賜物ではあるが、王族としての保身でもある。人払いしていても、ここは屋外だ。遠くから聞き耳を立てようとする者が、唇を読もうとする者が、いないとは限らない。

婚姻相手だとか、意中の人だとか。決定的な言葉は出すべきではない。


「まだ外堀は埋まらないのですがね」


義姉は前々から、わたしに恋人ができることを望んでいた。偽物ではない、真実心を許せる相手を。

それがわたしの幸せへの貴重な道であり、いずれ、歴代の第二王子の目指すべき道標になるのだから、と。

政略結婚を強いられ、死ぬまで王家の駒として働かされることなどあってはならない、と。


「任せておきなさいな。……うふふ、本当に良かったわねぇ!」


その場で飛び跳ねんばかりに喜ぶ義姉に、思わずわたしの口元も緩んだ。

ツィーナと出会い、彼女を知った今、わたしにとって一番の女性はもちろんツィーナだ。けれど、この義姉も確かに、わたしの中で他の女達とは一線を画している。恋愛感情を持ったことはないが、それなりの思慕は抱いているのだから。


「気にならないのですか?」


どんな女性を、伴侶に選んだのか。


「ケネスの目を信頼しているもの。それに、シャルサスも知っているのでしょう?」


同じ王家の駒であり政略結婚をさせられた自分を、この義姉は卑下も哀れみもしない。「わたくしには自由があるもの」、そう言って。

彼女は確かに、兄との婚姻以外はすべて自分で決めてきた。兄にも、現皇太后にも尊重され、愛されているのは間違いない。……そう。あの兄は、与えられた運命のままに義姉に惚れ、愛しているのだ。幼さの残る日、「女は愛すより、愛された方が幸せなんですってよ」と諦めを乗せた、彼女の乾いた笑顔が忘れられない。


夕闇の中、強く光る琥珀の瞳に微笑みかけた。


「義姉上もきっと、気に入ると思いますよ。……では、また」


スッと義姉との距離を詰めてそのまますれ違う。近付いた一瞬、義姉にだけ聞こえるよう、ツィーナの名を囁いた。


これで十分。

これで、義姉が足りない外堀を埋めるために動いてくれる。兄の許可が出ていることを確認して来たあの口振りからして、数日中にはツィーナの元に茶会の招待状が届くはずだ。


(カウスが足掻いても、もう遅い)


あの若者がツィーナに惚れているのは葬儀の日、一目でわかった。義親子おやこの禁断の恋か、と思ったのも束の間、彼女の方には恋情が欠如していることもすぐにわかった。

そもそもドゥーべと彼女の間には書類の関係以上は何もなかったのだし、ドゥーべ亡き今、あの彼らが恋仲になったとて支障はない。だから……少し揶揄った。


まさか、そのツケが今の自分に回って来るとは予想だにしなかったのだが。


「ローバーは来ているか?」


王城内は誰かしらヒトがいる。下働きに側仕え、文官に騎士たち……壁際で頭を下げてわたしが行き過ぎるのを待つ者が多すぎて、特に護衛をつける必要を感じない程の環境だ。

だが、離宮には信頼できる人間のみを最低限、置いていた。騎士団の詰所を門番代わりに使うのもその為だ。余計なものを内部には入れたくない。


「はい。お帰りをお待ち申し上げております」


老齢の侍従長に問いかければ、スムーズに書斎を示してみせる。歓待するための呼び出しではないと、雰囲気から察したのだろう。満足を示ために頷けば、長い付き合いの彼は満更でもなさそうな笑顔を浮かべた。


「酒を」


「かしこまりました」


間もなく日が暮れる。日中わたしについていたローバーの勤務も、日没とともに終わるだろう。


「待たせたね」


足音で気付いていたのか、書斎に入れば騎士団の頂点に立つ男が立ち上がって待っていた。

生まれ持った長身と鍛え抜かれた筋肉で人一倍嵩張る青年だ。けして狭くない室内が、普段より息苦しく感じられた。


「いえ、つい先程参りました」


堅苦しい立ち姿の厳つい彼にソファーを勧め、自分もその向かいに座る。程なくして侍従が強めの酒と肴を数品、机に並べて出て行った。


「ロックで良いかな?」


「は、ありがたく」


義姉の瞳よりも濃い琥珀色の液体をたっぷり注いでローバーの前に置いてやる。この男が蟒蛇うわばみなのは有名だ。自分の分には、氷と炭酸水を入れて薄めた。


「で?」


「ごほっ」


訊かれることなど1つしかないとわかっていただろうに。

内心、大きくため息をつく。


(この男もか……)


「……失礼致しました。まさか……殿下にそこまで単刀直入に訊かれるとは思わず」


「男同士で駆け引きするのは好きではなくてね。機嫌取りなど飽きてしまったよ。それで?」


「ごほっ! ゴホ……ンンッ」


これだけ動揺されれば嫌でもわかる。

片や、この男を見るツィーナの目に動揺は欠片もなかった。つまり、想いは一方通行。


「いつから彼女を知っている?」


わたしは彼女の夫になるのだ。どんなことでも知りたいと思うし、一方で、愛されない男を不憫にも愉快にも思う。


ゆっくりとグラスを傾けて待てば、慌てて立て直したローバーが目をさ迷わせながら口を開いた。

謹厳実直の暑苦しい騎士団長のこんな姿は珍しいが、相手がゴツゴツとした男では可愛くも楽しくもない。それにしても、酒が入った気管は相当痛むだろうに……頑丈過ぎて呆れてしまう。


「チーニャ……いえ、ツィーナ・ハダルが産まれた時からです」


(その愛称呼びはわざとか?)


脳筋にそんな駆け引きができるとは思わないが、苛立つのは事実。万が一にも調子づかせないよう、サラリと流した。


「わたしがバックス家の養子であること、殿下はご存知かと思いますが……」


そこから始まった彼の半生語りは簡潔だった。個人的にもローバーの複雑な生い立ちにはそれほど興味はないから構わないのだが、ツィーナとは十数年ぶりに再会したばかりだという点が気になった。もちろん、幼い頃の彼女の逸話も気になるところだ。


「ふむ。『ポールお兄ちゃん』か」


舌っ足らずに喋る幼いツィーナは、さぞ可愛かったことだろう。

ホッと息をついてグラスを煽るローバーは、既に話しきった気でいるらしい。しかし、ここからが本番だ。


「それで?」


半分程に減ったグラスに酒を足してやりながら問いかける。


「いえ、それで全てですが……」


「恋情を抱いたのはいつだ」


「ぐけきょっ!?」


何かが激しく喉に詰まったような奇妙な音が響いた。それから、激しく咳込む音も。


「し……しつれ……」


恐らく「失礼しました」と言いたいのだろうが「ゲホゴホ」しか聞こえない。本当に、王族の前で大失態だ。

まぁ、こういった素直な反応が見たくてカマをかけたのだから、叱責などする気はない。


「産まれた時から知っていて、子守り係のように面倒を見ていた……それだけではおまえのその動揺の説明はつかないよね? 再会する前から好きだった? 幼女を十数年、思い続けた?」


「な!? いえ、そんなっ」


「自分を頼るいたいけな赤ん坊を、邪な目で……」


「殿下! さすがにそれは……! それに、当時はわたしも年端も行かない子どもですよ!?」


なんでみんなして変態扱いするんだ、と不穏な言葉を呟いているが、それについては「おまえの見た目のせいだろう」としか思えない。巨躯で強面のローバーと可憐なツィーナでは、事件の香りしかしないのだ。良くて、騎士と救出された令嬢。悪ければ可能性は無限大。


「では、再会を果たし、美しく成長した姿に見惚れた、と?」


「っ……!!」


わかりやすい男だ。

剣の強さも統率力も国内随一なのは確かだが、これ程までに分かりやすくて良いのだろうか。有事の際に裏をかかれてしまいそうで不安になった。……いや、元々読みやすいタイプだったとはいえ、ここまでひどくなかったような気もする。色恋沙汰に無縁だったが故、なのかもしれない。


「い、いえ、別にわたしはチー……アケルナー夫人にそのような想いを抱いては……」


「彼女だけは他の女性と違って見える。彼女とずっと一緒に居られたら良いのに、と思う。彼女に触れたい。ふと気づくと彼女を目で追ってしまう。……心当たりがあるだろう?」


「わっ、わたしは決して! 殿下の警護を疎かにした覚えはなく……っ!」


「うん。つまり、そうやって自分を諌めていないと彼女に意識が向いてしまう状況だった、ということか。隠さなくても良い」


(ローバーはここで折っておく)


まだ不確かな恋心をわざわざ自覚させるのは、親切心からではない。きちんと摘み取るためだ。

無意識に抱く淡い想いほど、断ち切るのが難しいものはないのだから。何せ、罪悪感が欠片もない。


ローバーは良くも悪くも直情的だ。恋心に気付いてしまえば無視できない。だからこそ、恋しいツィーナがわたしの妻として幸せに過ごす姿を見れば、自身の想いをすっぱり断ち切ろうとするだろう。

しかし無自覚のままではツィーナがどんな立場にあろうが、彼女を心の中に住まわせ続ける。兄妹きょうだい愛だとか、友情だとか、屁理屈を捏ねて、絶対に彼女を諦めない。下心のないキレイな想いなのだと錯覚したまま、濁った目で延々とツィーナを見つめ続ける。


(絶対に実らない恋なのだと、今ここで理解させる)


わたしと彼女の世界に余計なものは要らない。わたしが、彼女の世界の全てになる。


可愛い可愛い、わたしのツィーナ。彼女の心を揺らすものは、わたしだけ。他には要らない。シャウラと過ごすのも今だけだ。……どうしても娘が欲しいというのなら、産ませてあげよう。娘でも息子でも好きなだけ、わたしの子を。


「いや、あの、あまりにも頼りないから心配なだけで、わたしは、その……」


「守ってやりたい、そう思ったのだろう?」


「…………はい」


薄い笑みを浮かべたまま、真っ赤になって唸るローバーを眺める。

浮いた噂1つないこの厳つい青年に、こんなにも可愛らしい部分があったというのは新発見だが、どうでも良い。この照れたように上気した顔を、蒼白に変えるのが目的なのだ。


「他の女性には感じない特別な気持ち。それが恋情というものだよローバー」


「……そうなのですか……」


まだ納得しきってはいないようだが、彼の中で漂っていた淡い靄が形を取り始めたのが伝わって来た。今こそが、叩き時。


「そしてその気持ちを、わたしも強くツィーナに感じている」


ゆったりと言えば、弾かれたようなこちらを見る赤い瞳。燃えるような赤だ、改めてそう思った。


「ツィーナはわたしの気持ちを受け入れてくれたよ」


強ばった青年の顔が、衝撃でおもしろいくらいに青ざめて行く。対照的に、わたしの顔には余裕の笑みが浮かんでいることだろう。


「彼女は特別だ。わたしに寄り添って、全てを受け入れ、愛してくれた。ツィーナの方からわたしの家族になりたいと申し出てくれてね」


そう。彼女がわたしの家族になることを望んだのだ。そして、わたしが夫となることを……ツィーナがわたしの妻となることを、微笑んで受け入れた。

彼女がわたしに恋情を抱いているかどうかは今のところ関係ない。ツィーナは間違いなくわたしを愛してくれているのだ、必要ならば恋は後からわたしが教えてあげれば良い。


ドゥーべのせいで男女の駆け引きも、甘いときめきも知らずに居る少女に、わたしが女性としての喜びを──。


「ふふ……残念ながらおまえ達の再会は少し遅かったようだ。いや? 早くても結果は変わらなかったかもしれないね。ツィーナの心は一つしかない。その心を手に入れるのは、わたしだと決まっていた。わたしは彼女と愛し合うために生きてきたのだからね」


実の家族との不仲も。うざったい令嬢方とのあれこれも。全部がツィーナとの未来に繋がっていたと思えば、苦痛ではない。

むしろ、あれを経てきたわたしだからこそ、ツィーナは愛してくれるのだとさえ思えた。


「間もなくわたしが臣籍降下する噂は聞いているね? その時わたしの隣に立つ女性はツィーナだ。陛下の認可も下りている」


純白のドレスを纏った彼女がわたしの隣に立つ時を想像するだけで、恍惚とした心地になる。

ドゥーべとの披露宴とは違う生き生きとしたツィーナが、頬を薔薇色に染め、はにかみながらこちらを仰ぐ様はなんとも可憐で…………血潮が沸き立つ。早く彼女をこの腕の中に閉じ込め、思う存分に愛したい。


「……それは……おめでとう、ございます」


「ありがとう」


食いしばった歯の隙間から零された声に笑いが込み上げる。隠しきれない絶望と屈辱の滲む良い表情かおだ。

王への忠誠心厚い彼が、こう言われて尚決定を覆そうと動くことは有り得ない。けれど、もう一押し。ポキリと折るにはもう一手間必要だった。


「恥ずかしながら、わたしもこの歳にして初めて恋という想いを知ったよ。愛される喜びも、ね」


「…………殿下の……今までのご苦労を思えば……素晴らしい、こと、です……」


女癖が悪いと思われているわたしだが、騎士団の上層部はそれが王の命令であり、国家のためなのだと知っている。それ故に、悪質で粘着質な女性やその関係者からわたしが害されることのないように、騎士団の詰所を離宮の前に移転させたのだということも。


「ローバー、おまえの心配は杞憂だ。ツィーナはこの先わたしが守る。王家に連なる大公夫人を誰が害する? 義姉上もご協力くださるそうだ。ツィーナの安全は磐石なんだよ。おまえは今まで通り、職務に専念して良い」


騎士団長といえど、付け入る隙はない。

むしろ、国家全てを守護するべき騎士団長が、一人の女性にかまけることなど、あってはならない。ツィーナを愛し守るには、若くして手にしたその肩書きが枷となる。皮肉で、愉快なことだ。


「王妃陛下が……」


一度目を伏せたローバーが、口元にぐっと力を入れた。


「……本気……なのですね……?」


(終わったな)


真っ直ぐにこちらを見る瞳に燃えるのは、嫉妬ではない、決意。自分の中で折り合いをつけたのだろう。その潔さには好感が持てた。


「訊かれるまでもない」


ツィーナはわたしのものだ。


「殿下の幸せを、お祈り申し上げます」


「ありがとう」


グラスを掲げれば、ローバーも同じようにグラスを掲げた。2人で軽く杯をあわせ、一気に飲み干す。

男同士の盟約の合図。この場を出れば他言無用、しかし、約束は違えない……そんな暗黙の了解がある。


国王に王妃、そしてローバー。外堀は着々と埋まって行く。


(さて……カウスはどう動くかな……?)


ツィーナを手に入れるための最大の敵。義息子むすことして、彼女の特別な場所に納まっている、あの青二才。

文官として、領主としての才能は確かだが、如何せん彼は奥手過ぎる。


(ふふ……指を咥えて見ているが良い。目の前でツィーナをかっ攫ってやろう)


彼女の夫の座は、カウスには……誰にも、譲らない。


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