09やりたくないことやってる暇はねえ
夜になるとこの家の周りは美しく変貌する。
蛍の様な生き物だろうが、暗闇の世界で黄色く発光した虫が飛んでいる。
俺はこの景色と鳴き声を聞きながら飲む酒が好きだった。
今夜は満月だ。
月見とは行かないが、適当なつまみを持って縁側で酒を啜る。
飲み始めて一時間は経った頃、後ろにアリエスのものではない気配を感じた。
「あ、の……」
「ん。何だ、もう起き上がれるようになったのか」
それはルナだった。
アリエスの服だが、体格が違い過ぎるのでぶかぶかな服を着ている。
顔色もすっかり良くなっている。
と言っても、たった一度の食事じゃあここまで回復はしない。
俺の“暴食”による力だ。
今回、ルナが取った食事を超効率的に摂取させて、すぐさまエネルギーに変換させた。
その結果、ルナはある程度の移動と会話程度は出来るようになった。
他にも“暴食”には色々な能力はあるが、今はまだお披露目する時ではない。
「あの、ごしゅじんさま……」
「その呼び方はやめてくれ」
「で、では、何とお呼びすれば……」
「イサミでいいよ」
「イサミ、様」
俺の名前を噛み締める様に言うと意を決して、口を開いた。
「私は、何をすればいいですか……?」
「何もしなくていいよ」
何だ、たっぷりと間を溜めて言うものだから、もっと衝撃的な告白とか、そんな事をされると思っていた。
「で、でも、私は奴隷、だから……仕事をしないと、捨てられて……私、捨てられたく、なくて……だから…………!」
その声に感じたのは、恐怖だった。
俺に対しての恐怖と言うワケではないだろう。
おそらくは奴隷の主、これまでの主人に対しての恐怖だ。
ルナはこれまで、主人に何度も殴られてきたのだろう。
そして、何度も捨てられて来た。
捨てられる悲しみを追う味わいたくないのだ。
だからこうして仕事は無いかと聞いてきたのだ。
こんなにも苦しそうな顔をしながら。
「あのなぁ……」
「ひうっ!? ご、めんなさ――――」
俺が少し手を動かすとルナは震えた。
一体、何度殴られればこんな風になるんだ……。
だが振り上げた手を下ろすのは格好が付かない。
俺は触れ挙げた手を――――。
「別になー、やってもらいたい事なんて無いんだよ。お前に」
「え……?」
――――ポン、ルナの頭に手を置いた。
「起きて。食べて。遊んで。寝て。それでもいいんじゃねえか?」
何だろう、言いたい事がまとまらない。
「だってさ、それって本当にお前のやりたい事なのか?」
「え……?」
そんな事を言われると思わなかったのか、ルナは首を傾げた。
「でも、奴隷は――――」
「奴隷じゃなくて、お前自身の話をしているんだ」
正直、ルナのトラウマを解消する方法は分からない。
だが、きっかけを作るくらいは出来るだろう。
「ここではお前は奴隷じゃない。ただのルナだ」
「ただの、ルナ……?」
別に奴隷である必要は無いんだ。
ルナが生きるのに。
「お前はエルフだし結構生きるのか、千年くらい? まあ、何はともあれ永遠何てものはねえんだよ。すぐに時間は過ぎるし、寿命もすぐにやって来る」
織田信長だって「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という詩を桶狭間の戦いの出陣前に唄ったくらいだ。
人生はあっという間に過ぎ去っていく。
「俺らはやりたくないことやってる暇はねえんだよ」
だから俺は寝る。美味い物を食べて、ついでに後悔しない様にこうしてルナを連れて来た。
「やりたい事を、やる……」
ルナは俺の言葉を噛み締める様に復唱した。
「まあ、別にお前がここを出て行きたいなら、それも――――」
「出て行きたくないです!」
初めてルナが声を荒げた。
俺の服にきゅっと弱弱しく握って、身を寄せて来た。
「言えたじゃねえか」
「え……?」
「それがお前のやりたい事、だろ」
「あっ」
ルナはそこで初めて気が付いた。
ここを出て行きたくないという、自分が初めて望んだ、やりたい事に――――――。