第95話 東京ランクマッチ
トロフィーは、見た目より重かった。
表彰台の中央で、沢渡夕奈は銀色の台座を両手で支えた。右から久我遥真、左から早坂航平が手を掛ける。正面の観客席から、NOVA-3の名前が何度も聞こえた。
「ハル、そっちだけ上がってます」
「航平が下げてる」
「俺は落とさないように支えてるんです。三人で合わせてください」
航平が小声で数え始めた。
「三、二――」
遥真が先に持ち上げた。夕奈の腕が引かれ、トロフィーが右へ傾く。
「まだ一です!」
航平の声が会場マイクに入り、客席から笑いが起きた。遥真は下ろさず、夕奈も持ち上げる。航平は「もういいです」と笑いながら追いついた。
三人の頭上で、トロフィーが照明を返した。金色の紙吹雪が航平の髪に乗り、遥真の肩を滑り、夕奈の口元に一枚張りつく。夕奈は吹き飛ばそうとして失敗し、そのまま笑った。
◇
DWCで優勝しても、大学の課題提出期限は延びなかった。
ラスベガスから帰国して三週間。夕奈は午後の講義が始まる前からノートパソコンを開き、遅れていたグループ課題の続きを書いていた。
「世界王者も、普通に課題に追われるんだね」
隣に座った相沢千紘が、夕奈の画面をのぞき込んだ。
「誰の話?」
「沢渡さん。というか、NOVA-3のYUNA」
国内予選のとき、千紘が見たのは代表決定の告知画像だけだった。NOVA-3が世界一になった翌朝、優勝直後の選手席がネットニュースに流れ、そこで講義の隣席とYUNAがつながった。
帰国翌日、夕奈の方から本人だと伝えると、千紘は「やっぱり」と答えた。それから世界大会の話より先に、グループ課題の共有ファイルを送ってくれた。
「決勝の映像、見返した?」
「最後のところだけ」
千紘がスマートフォンを開く。会場でトロフィーを掲げた三人の映像に、YUNA、HAL、KOHEIの活動名が重なっていた。
「最初に切り抜きを見たときは、HALが強いチームだと思ってた。でも最後は、三人で勝ったんだなって分かった」
夕奈は椅子ごと千紘の方へ向いた。
「うん。最後まで、三人で勝ったと思う」
次に表示されたのは、カイトの動画だった。
『販促チームが世界一。これは認めるしかない』
サムネイルには、優勝画面を前に言葉を止めたカイトの顔が使われている。千紘が再生位置を少し戻した。
決着の瞬間、カイトはヘッドセットをつけたまま画面を見つめた。再生時間だけが数秒進み、そこで初めて口を開く。
『……これは、認める。世界一を取った三人に、まだ販促だから競技じゃないって言うのは違う』
『ただ、優勝したから販促チームが競技をすることへの疑問が全部消えるわけじゃない。そこは別で話す。でも、今日の試合まで都合よく切ったら、俺が一番ダサい』
夕奈は動画を最後まで見ず、自分のノートパソコンの講義用ファイルへ視線を戻した。千紘の画面に自動表示された次の動画にも、目を向けなかった。
「沢渡さん、仕事も忙しいんだよね。就活は?」
「やることは決めた。大学も卒業します」
講義開始のチャイムが鳴り、千紘は前を向いた。
今日の講義が終われば、最後のNOVA3Radioが始まる。夕奈はノートへ目を落とし、教授の最初の一文を書き取った。
◇
配信開始の三十分前、三好玲奈が会議室へ入ってきた。三人の後ろには、ラスベガスから届いたトロフィーが置かれている。
「優勝後に出た三か月の延長案について、最後に確認します」
航平が、配信ソフトを開いていた手を止めた。
「三か月だけ、NOVA-3を続けられるんですよね」
「三人が希望するなら」
航平はトロフィーを見た。
「……欲しいです。世界一になったあとの配信も、三人でやってみたい」
夕奈も、すぐには否定できなかった。優勝した翌日から、三人の名前が並ぶ映像は何度も見た。自分たちの配信で、その続きを話したい気持ちはある。
遥真が言った。
「俺はTIERAXへ行く」
「はい」
航平は答え、夕奈を見る。
「私は、アークラインへ行きます」
航平は自分のノートパソコンを開いた。黒い待機画面の中央に、まだ仮置きの文字でKOHEIと出ている。画面の切り替えも、最初に話す内容も、航平が一人で作ったものだった。
「これを見せるのが怖くて、三か月あればもっと準備できると思いました」
航平は試しに配信開始の直前まで進め、止めた。
「でも三か月後にも、同じことを言うと思います。まだ足りないから、もう少しNOVA-3でって」
「なら、今やればいい」
遥真が言う。航平は眉を寄せた。
「ハルさん、その言い方は簡単すぎます」
「簡単じゃない。俺も行くから」
夕奈も自分のマイクを机へ置いた。
「私も行きます。NOVA-3を早く終わらせたいからではありません」
「分かってます」
航平は自作した待機画面を閉じずに、玲奈へ向き直った。
「延長しません。俺も個人で始めます。ただ、今日の配信までは三人でやらせてください」
「その予定です」
玲奈は時計を見た。
「あと五分です」
品川の会議室には、いつものモニターとマイクが並んでいた。配信画面にはYUNA、HAL、KOHEIの三つのアバターがいる。
左端には、あのランクシーズンで取ったグリムマスターバッジが残っていた。
進行表の発言者欄は空白だった。航平が配信を始め、夕奈が最初のコメントを読み、遥真がマイクを寄せる。
コメント欄には、DWC優勝を祝う言葉と、活動終了を惜しむ言葉が流れている。
『優勝おめでとう』
『まだ三人で見たかった』
『解散しないで』
『NOVA-3が終わるの、嫌だ』
夕奈は『解散しないで』の行で黙った。航平が進行表から顔を上げる。
「私も嫌です。今も、終わってほしくないです」
「まだ配信は終わってませんけどね」
航平が言うと、遥真は画面の時刻を見た。
「まだある」
コメント欄に『ずっとやって』と流れた。
「三か月だけ続ける話もありました」
夕奈は伝えた。
「俺は一度、欲しいと言いました」
航平が自分から続ける。
「でも、ハルさんはTIERAXで競技を続ける。夕奈さんはアークラインへ行く。俺も、自分の配信を始めます」
「続けるために大会へ出たんじゃありません」
夕奈が言うと、遥真が続けた。
「三人で勝ちたくて出た」
「それで、本当に勝ちました」
航平の声が少しだけ上ずった。コメント欄が祝福で埋まり、同じ文が上へ流れていく。
「私はアークラインで、新しい勝ち方を探します」
「TIERAXで選手を続ける。夕奈と当たっても勝つ」
「先に言わないでください。私が聞こうと思ってたのに」
「聞くの?」
「聞きます。負けませんけど」
航平が咳払いをした。
「俺はKOHEIの名前で、個人配信を始めます。台本も画面も、自分で作ります」
「最初から一人ですか」
夕奈が尋ねる。
「最初の視聴者は、今のところ二人です」
「見る」
遥真が即答した。
「では、二人に見られながら開始ボタンを押します」
「押さなかったら電話する」
「それは視聴者じゃなくて監視役です」
航平は笑ってから、二人へマイクを向けた。
夕奈は三つのアバターを見る。
「最後も、いつもどおりにしましょう」
遥真がマイクを寄せ、航平が三本の音量表示を確かめた。
「それじゃあ、三人で」
遥真の「おつ」が半拍早かった。航平が吹き出しかけたまま、夕奈も続く。
「おつNOVAでした」
航平が配信を止めた。室内には、三台のパソコンのファンと、誰かが息を吸う音だけが残った。三人ともすぐにはヘッドセットを外さなかった。
「終わりましたね」
「うん」
遥真は答えたが、まだ正面を見ていた。夕奈が先にヘッドセットを外すと、耳の周りだけ急に冷えた。
しばらくして、会議室の後ろから玲奈の声が届く。
「お疲れさまでした」
夕奈は振り返った。
「三好さんも、お疲れさまでした」
航平が最後にヘッドセットを置き、遥真もマウスから手を離した。三人が立つと、並んだ椅子だけが机の前に残った。
会議室を出る前に、夕奈は一度振り返った。三つのモニターは暗く、いつもの席には誰もいなかった。玲奈が入口で待っている。夕奈は扉を閉め、二人に追いついた。
◇
会社を出た三人が品川駅へ着くころ、夜の構内は帰宅を急ぐ人で混み合っていた。
「二人が大会で当たったら、俺が配信で実況します」
航平が歩きながら言った。
「ハル寄りにしないでくださいね」
「視聴者が増える方に寄ります」
「夕奈に勝つ」
「まだ大会も決まってません」
「当たったら」
「俺の初配信より先に、二人の対戦が始まりそうな会話ですね」
三人は改札前で足を止めた。
夕奈は遥真を見た。
「ハル。それとは別に、会いませんか」
航平が二人の顔を見比べた。
「俺は、あっちの案内板を見ています」
「聞こえる距離です」
「では、もう少し向こうへ行きます」
航平は人の流れを避け、数歩離れた柱の前まで移った。背中を向けたが、耳は塞いでいない。
夕奈は言い直した。
「NOVA-3の練習も、配信の打ち合わせもない日に。チームの予定じゃなくても会いたいです」
遥真はすぐに答えた。
「会う」
「二人で?」
「二人で」
遥真が手を伸ばした。夕奈も手を出したが、試合前の確認のように指先が触れただけで、いったん離れる。
「違う」
遥真がもう一度伸ばした手を、今度は夕奈から握った。遥真の指にも力が入った。
柱の前から航平の声が飛んできた。
「そろそろ戻っても大丈夫ですか」
夕奈と遥真は手を離した。航平は二人の前まで戻ってきたが、最後まで案内板の方を見ている。
「俺は何も見てません。それで、夕食はどうします?」
「餃子」
遥真が答えた。
「三人で餃子」
夕奈が言うと、航平はようやく二人を見た。
「二人で会うと決めた直後に、三人へ戻すんですか」
「それは別です」
「今日は三皿」
「食べ切れます?」
「世界王者が三人いるので」
「関係ない」
信号が青に変わり、沢渡夕奈、久我遥真、早坂航平は駅と反対側へ渡った。
『東京ランクマッチ』、最終回まで投稿を終えることができました。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
ゲーム、配信、eスポーツ、そしてその世界で仕事として活動する人たち。華やかな表側だけではなく、勝敗の裏にある迷いや葛藤、将来への不安まで描きたいと思って始めた作品でした。
会社に集められたYUNA、HAL、KOHEIの三人が、少しずつ互いを知り、自分たちの意思で「三人で勝つ」チームになっていく。その最後までを書き切れたことを、とてもうれしく思っています。
NOVA-3の物語は、これで一区切りですが、早坂 航平(KOHEI)のスピンオフ作品も考えております。
投稿できたとしても、しばらく先になると思います。
追伸:スピンオフ続編作品は、仮タイトル『東京ソロキュー』になります。ご期待ください。20260906
三人がそれぞれの道へ進んでいくように、私もまた次の作品へ進んでいきたいと思います。
最後まで『東京ランクマッチ』を見届けてくださり、本当にありがとうございました。




