第1話 最後の一秒
残り三部隊。
二十部隊、六十人で始まった試合は、NOVA-3を含む三部隊まで減っていた。時間とともに狭まるリングの内側で、最後の一部隊になれば勝ちだ。
湾岸貨物区の空は、夕方の赤を薄く残したまま、リングの白い境界線に削られていた。積み上がったコンテナの影が、画面の端から少しずつ消えていく。高架下に吊られた広告ドローンは、半分壊れたまま火花を散らし、同じ企業ロゴを何度も点滅させていた。
沢渡夕奈は、コントローラーを握る指に力を込めた。親指の腹が、スティックの縁に沈む。画面に映るのは、構えた銃と照準、その先の戦場だけだ。部屋の冷房は効いているはずなのに、手のひらだけが熱い。
公式スクリム五試合目。ここまでのNOVA-3は悪くなかったが、勝ち切れてはいなかった。
二試合目もそうだった。遥真が先に一人を削り、夕奈が追った。航平が左の射線を止めようとした頃には、別の部隊がもう裏を取っていた。
三人とも間違った動きをしていたわけではない。それでも画面には、敗北の文字だけが残った。
終盤の半歩は、負けになる。
この五試合目でも、ひとつ前の収縮では七部隊がこの区画に残っていた。どの部隊も長く倒し切りには出ず、窓と壁の向こうから出口だけを塞いでいた。一人が倒れた瞬間、その均衡が崩れ、銃声が四方でつながった。
右側には低い建物が並んでいた。壁もある。屋根もある。逃げ込めば、少なくとも今すぐ撃たれることはない。
右へ回れば安全に見えたが、夕奈にはその道が一番危なく見えていた。
建物の二階、割れた窓の奥で一瞬だけ銃口が光った。それでも撃ってこない。敵は窓際から動かず、入口へ照準を残している。逃げ道だと思って入った瞬間に潰す待ち伏せだと、夕奈は読んだ。
左は開けている。コンテナの隙間から、別の部隊の射線が通っていた。長く足を止めれば、そちらから削られる。
正面は薄い。遮蔽は壊れかけた配送車が一台だけ。車体の横には、古い広告ペイントが剥がれかけている。
危ない。だが、今ならまだ押し返せる。
「左、見てる。早く決めて」
航平の声に、いつもの軽口を入れる隙間はなかった。
「長く持たない」
夕奈は一瞬だけミニマップを見た。
右へ逃げれば待たれる。左へずれれば削られる。正面は薄いが、まだ誰も取り切っていない。
どれを選んでも安全ではない。なら、逃げ道ではなく、勝ち筋を選ぶしかない。
ここで間違えたら三人まとめて落ちる。言わなければ、誰も同じ方向には動けない。
夕奈は息を吸った。
「正面、押し返す」
言った以上、自分が最初に道を開けるしかない。
壊れた配送車の向こうで、敵が一人こちらを見た。夕奈が正面へ出ると、敵の銃口も同じだけ正面へ寄った。夕奈は、押し返しにくる動きを読まれたと判断した。
夕奈より少し前にいるのは、久我遥真。プレイヤーネームはHAL。彼は撃てる位置にいた。
たぶん、夕奈が何かを言う前に撃っても、一人は削れる。うまくいけば、そのまま落とせる。そういう火力を持っている。
だから、何度もずれた。
遥真が先に勝負を始める。夕奈が追う。航平がつなぐ。その頃には、もう別の射線が開いている。
強い。それは分かっている。なのに、敗北表示だけが何度も画面に残った。
敵が配送車の陰から顔を出した。
遥真の照準が、そこに吸いつく。
夕奈は言おうとした。待って。けれど、その言葉より先に、遥真の声が入った。
「撃てる。カバーあるか」
一瞬、指が止まりそうになった。
撃てるのに、確認した。
遥真が待った。なら、夕奈が外すわけにはいかなかった。
「ある。私が先に割る」
夕奈は配送車の左から体を出した。敵の照準がこちらへ向く。弾が飛んできた。シールドが削れる音が、耳の奥で弾ける。
怖い。
そう思うより先に、夕奈は撃っていた。
弾が敵のシールドに当たる。青い光が割れる。敵が引こうとする。
ここで逃がしたら、待たせた意味がなくなる。
「今。ハル、落として」
「合わせる」
遥真が撃った。
夕奈が割った敵を、逃がさない角度で撃ち抜く。相手のキャラクターが崩れ、ダウン表示が出る。
落とした。だが、終わりではなかった。
左から銃声が伸びてくる。航平が抑えていた部隊だ。視界の端で、航平のシールドが一気に削れた。
「左、来る。詰めすぎるな」
航平の声が荒くなる。受けているが、まだ崩れていない。
「下がる?」
夕奈は言いながら、自分が下がりたくないと思っていることに気づいた。
ここで下がれば、正面で取った一枚が無駄になる。右の建物へ逃げ込めば、待っていた部隊に挟まれる。
勝つなら、ここしかない。
「下がらない。車まで取る」
「了解」
「一階、起こしに来ます。窓がカバー」
航平の声に、夕奈は配送車の右から建物を見た。
最初に落とした敵は、建物の壁際へ這っている。一階の敵がそこへ寄り、二階の窓からもう一人が撃ち続けていた。
「起こし始めた」
「撃ちに出たら窓から見られる」
「戦術、切ります。俺が止めます」
航平が、左を止めるために残していた戦術アビリティのクラックチャージを起動し、右の建物の入口へ一発を撃ち込んだ。
爆発に押され、一階の敵が起こす動作をやめる。その隙に、左の部隊がコンテナの間を詰めてきた。
航平のシールドが削られる。
「左、長く止められません」
遥真が窓へ数発を入れた。
「窓、半分。次でリロード」
予定していた順番が崩れた。一階を見れば窓が撃ち、窓を見れば起こされる。左も待ってはくれない。
「ハル、一階を止めて。窓は私」
夕奈は配送車の右から体を出した。窓の敵が撃ってくる。シールドを半分まで削られても照準を外さず、Scout-56を返した。
「窓、割った」
「一階、出さない」
遥真は入口へ弾を残してから、照準を窓へ切り替えた。
「今、窓行ける」
夕奈の声に、遥真が撃つ。
窓の敵がダウンした。遥真の射撃が止まり、リロード音へ変わる。
一階の敵は、その瞬間に味方を起こすのではなく、入口から夕奈へ詰めてきた。
「一階、出た」
夕奈はScout-56からSMGへ持ち替えた。遥真はリロード中で、航平は左を止めている。ここは自分が落とす。
配送車の前で、互いの弾がぶつかった。
夕奈のシールドが割れる。相手も削れている。
あと一発、二発。
夕奈は照準を外さなかった。
敵が倒れる。
画面に部隊撃破の表示が出た。
「デスボは見ません。配送車で迎えます」
「回復ウルト、配送車へ置きます」
三人は右の建物へ入らず、元の配送車へ戻った。
航平が車体の陰へ小型装置を置く。青い脈動が、三人の体力とシールドを段階的に戻し始めた。装置は撃たれれば壊れ、車から離れれば回復も届かない。
装置の青い脈動が見えた直後、左の部隊が動いた。
残っていた二人が、コンテナの間から一気に詰めてくる。
「来た。こっち二枚」
航平が左の射線に体を出した。
撃たれる。シールドが割れ、体力も削れる。その一瞬で敵の位置が見えた。
「左二枚、コンテナ裏」
夕奈はシールドパックを一つ使い切った。パックで戻ったのは二十五。装置の脈動も一度入ったが、まだ最大ではない。フルで戻す五秒は使えなかった。
夕奈は配送車の陰から、左へ照準を振った。
航平が下がり、遥真が右の高い位置から射線を通す。ばらばらだった三つの動きが、今だけ一本につながった。
「片方ロー」
遥真の声。夕奈は前に出た。
怖さは消えず、指先は熱いままだった。弾も多くは残っていない。だが、いま退く方がもっと怖かった。
敵の弾が視界を白く散らす。シールドが割れる。体力が削れる。
夕奈は照準を外さなかった。
一人目が倒れる。最後の敵は夕奈へ撃ち返さず、右へ走った。
そこには遥真がいた。銃声が一つ、短く響いた。
画面中央に、大きく文字が出る。
CHAMPION
夕奈は、しばらくその文字を見ていた。音が遠くなる。ヘッドセットの内側で、自分の呼吸だけが少し荒い。少し遅れて、NOVA-3が勝ったのだと分かった。
けれど通話には、すぐに歓声が上がらなかった。
さっきまで銃声と報告で埋まっていた場所に、何を言えばいいのか分からない間が残った。
先に口を開いたのは航平だった。
「今の、毎回できたら楽なんだけどな。俺の胃も助かるし」
夕奈は笑おうとした。
何か返そうとしても、言葉が出てこなかった。勝ったのに、胸の奥が落ち着かない。
勝利画面には、三人の名前とNOVA-3が並んでいる。
「待ってよかった」
遥真が、ぽつりと言った。夕奈は画面から目を離せなかった。ありがとうと返す代わりに、短く息を整えた。
「次も、今みたいに合わせたい」
硬い言い方になったが、遥真は笑わなかった。
「分かった」
その返事だけで、また通話が静かになる。通話の向こうで、三好玲奈の声が入った。
「五試合目、勝利。お疲れさまでした」
責める響きはないが、勝ったから終わりという声でもなかった。
「ですが、課題は残っています」
航平が小さく笑った。
「勝っても反省会ですか」
「勝ったから、です」
玲奈は短く答えた。夕奈は、まだ勝利画面を見ていた。
YUNA。
HAL。
KOHEI。
NOVA-3。
三人で勝った。それは確かだった。けれど、NOVA-3というチーム名は、自分たちで選んだものではなかった。
その名を最初に聞いたのは、二か月前。
品川の、ネクスフィアプロモーションの会議室だった。




