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第一章 04

「直毘、知っているか? フクロウがエッホエッホと喋るらしい」


 いつのミームだ。


 夕食後のほっと息をついた後、少しの休憩時間を挟んだ折に、雪那が得意げな顔で言った台詞がこれだ。僅かな間すら修練にあてる姿勢は素晴らしい。だが直毘は完全に忘れていた。


 雪那はネットの常識を知らない。


 情報の真偽、ネット上で発信するリスク、個人情報の概念、まったくすべて頭から抜けていた。これを教えなければならない。


 誰が?


 ――俺だ。


 今度こそ直毘は頭を抱えた。


「む? どうした直毘。頭痛か? すまない、少しお前に頼り過ぎてしまったようだ。いま風呂を入れてこよう。今日は先に入るといい」


 雪那の気づかいで余計に頭が痛くなる。この純粋無垢に等しい彼女に、あんな有象無象がうごめく世界の歩き方を教えなければならない。でなければ、どうなるか想像がつかない。


 スマホを取り上げるか? あり得ない。出会って二日目の相手にスマホを盗られたら普通は発狂する。


 風呂に入って考えるか? その間になにが起きるか分からない。


 駄目だ。回避方法がない。


 さっ、と風呂場から戻ってきた雪那が席に付き、テーブルに置いたスマホを取る。表情は真剣そのもの。なんなら視線だけで人を殺せそうだ。


 やけくそで口を開く。


「雪那、ネットには作法がある」


「作法? それは重要だ。作法があるなら学ばなければならない」


「ああ、かなり重要だ。これを覚えないと、スマホを使うことは難しいといっていい」


「なんと、私はまた驕っていたか。さすが直毘だ。私が調子に乗ると指摘してくれる。まことよき師だ」


 突然出た言葉だが、これで不用意なスマホの使用は止められた。いつの間にか師へ昇格しているが、明日絶対に正そう。


 よし、風呂だ。正直スマホを長時間眺めるのはあまり好きではないのだ。席を立つ前に、ネット初心者用のサイトを雪那とのチャットへ投げる。


「む、どうした直毘。なんだこの文字の羅列は」


「URLな。指でタップしてみな。そこからいまのお前に必要な情報が載ってる」


 恐る恐るといった様子で雪那が画面に指を乗せる。視線がまた鋭さを増していった。


「なるほど、まずはこの指南書を読め。そういうことだな」


 直毘は重々しく頷いた。雪那がこくん、と喉を鳴らす。


「相分かった。私はしばし座学をしよう」


 風呂だ。少しでいい、思考を止める時間が欲しい。


 ああ、と雪那が声を上げた。今度はなんだ。


「まだ風呂はできていない。湯が張るには時間が掛かる」


 思わず頭を落としそうになった。希望からの絶望はかくもつらい。


 スマホに通知。雪那が画面に集中していることを確認してから、自分のスマホを確認する。SNS上で弟のアカウントが発信していた。どうやらいまから配信をするらしい。


 本当なら動画サイトへ飛んでそのまま見守るところだが、ここでそれをするのは憚られる。弟の無事をただ祈る。


 少しだけ弟のSNSを確認する。今日も美麗なイラストを上げていた。趣味が高じていまやプロのイラストレーターであり、vTuberでもある。チャンネル登録者数も万単位だ。まだ中学生の年齢でありながらも伊豆乃は稼いでいる。金や契約関係はすべて母親が担当しているが、ここまで来たのは弟の実力だ。


 母とて、メガバンクで時短勤務をしている。仕送りのもとは、母と商社マンで世界を飛び回る父の尋常ならざる稼ぎだ。


 直毘だけが、一年半前から一歩も前に進んでいない。


「直毘、顔が暗い。どうした?」


「……いや、大したことじゃない」


 雪那がことん、とスマホをテーブルに置く。


「私は今日だけでお前にたくさんのものを教わった。だが私は何も返せていない。お前とは対等な関係でいたいと考えている。なにか懸念があるのなら話してほしい」


 胸が軋む音をたてた。頬が歪む。会ってまだ二日目の相手に、しかも女性に、内心を悟られている。


 スマホをポケットに仕舞う。顔が上げられない。視界が沈んでいく。


「……あれだ、家族関係で色々あってな」


「そうか。ならば踏み込むまい。だがひとつ聞かせてほしい」


「なんだ?」


「直毘、お前は女が苦手だな?」


 ぞっとした。思わず雪那を見た。彼女は、柔らかく微笑んでいた。なぜか、ひとつの恐怖も覚えなかった。


「理由は語らなくていい。どうやら私は例外らしい。今後お前を守るために必要だ。相違ないか?」


「……ああ、女が怖い」


「相分かった。ならば世の女から私がお前を守ろう。私にもお前にしてやれることがありそうだ」


「なんで気づいた?」


「喫茶店のあの日、そして今日。私なりに直毘を観察していた。お前は女性――特に年の頃が近しい女性が近づくと、明らかな臨戦態勢に入る。眼球の動き、頬のこわばり、呼吸の変化。ひとつだけ、私に対してそうした変容を向けなかったことが解せなかったが、例外と考えれば得心できる」


 令和の武士の観察眼が恐ろしい。


「お前、生まれてくる時代間違えただろ」


「よく言われる」


「そこは言い返せよ」


「正直言うと、私は幕末の京都で生きてみたかった」


 目を輝かせるな。新撰組にでもなりたかったのか? それとも維新志士側か?


「個人的には尊王攘夷派に立ちたい。新撰組も悪くはないが、池田屋事件に私がいれば、必ず奴らを追い払えたと思う」


「歴史を覆そうとするな。いや、追い払えるのかよ」


「こう見えて、師範である父よりも強い。実戦経験は無いが、あの時代に生きていれば勝てると信ずる」


 雪那の父が娘を送り出した理由が知れた。こいつをこのまま成長させれば立派な社会不適合者になる。切った張ったが通用する時代は過去の遺物だ。


 雪那の実力なら男に襲われても即座に対処できる。完璧だ。考え抜かれた最後の手段だ。父親の苦労がしのばれる。


 ただ、せめて男は狼なんて比喩じゃなくて、ちゃんと伝えてほしかった。こいつに現代的な比喩が通じるわけがないだろう。


 ひとつ、やりたいことが生まれた。雪那の父親を殴りたい。何も知らずこの珍獣の世話をさせるきっかけを作った奴を殴り飛ばしたい。だが、そのあとは感謝をしたい。


 視界から雪那の姿が消えていた。どうして無駄に気配を消す。同居人の意識の隙を縫うな。


 そそ、と雪那がリビングに戻って来る。


「直毘、風呂ができた。入るといい」


「……ありがと」


 さっと準備をして、直毘は風呂場に入った。湯船にはアヒルが浮かんでいた。



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