第一章 02
新居での荷解きは思いのほか順調に終わった。元々大して荷物は持ってきていなかった。学習机は備え付きで、ベッドもあるしクーラーも完備だ。
最低限の調味料を冷蔵庫へしまおうと、直毘は部屋を出てリビングへ入る。開けられたカーテンから差す陽光で日本人形が輪郭が輝く。なぜか椅子の上で正座をした雪那が目を閉じていた。
瞑想か?
ひとまず見なかったことにして、空の冷蔵庫に調味料を入れていく。
「む? 直毘か。片づけは終わったのか?」
「私物なんてあまりないからな。そっちも終わったのか?」
「ああ、箪笥がやや簡素なきらいがあるが、仕舞う分には問題なかった」
「箪笥? ああ、クローゼットのことか」
ぱたんと冷蔵庫を閉じる。買い出しに行きたいが、近隣のスーパーの特売日を知らない。
「なるほど、洋風ということか。して、直毘。そろそろ昼食の時間が近づいてきた」
「作るか外で食事か、どっちがいい?」
「まだ初日、直毘の手間が掛からない方にしよう。なに、外食の機会はなかなかない。気分が高揚するものだ」
「気遣いありがとよ。夕食は作るから、帰りにスーパーに寄らせてくれ」
む、とそこで雪那が目を開く。なぜか瞳が爛々としていた。
「目利きは任せてほしい。買い出しはよく私がやっていた」
信頼できるのかが怪しい。
「まあ、安けりゃいいよ」
「直毘は倹約派か。たしかに、学生の時分で過度な贅沢は良くない」
金はある。学生には相応しくない額が母親から毎月口座に振り込まれて来るのだ。ただ、一般的な金銭感覚を身に付けたくて特売を追っているだけだ。
「高校は学び舎だからな。遊びに来てるわけじゃない」
「もっともだ。では直毘、外食へと赴くとしよう。ハンバーガーはどうだ? 一度食べてからというもの、あの味をもう一度舌で味わいたいのだ」
「別に構わんけど、外食は禁じられてたのか?」
「料理の担当は父だった。毎日道場の仕事終わりに食事を作る父に外食したいなどと口にできなかった」
そうか、と直毘は返す。雪那はちゃんと父のことを想っているようだ。
「ま、外食したくなったら言ってくれ。別に料理なんざ片手間でできる」
「ではいまから行こう。そして今日の夕食は直毘の料理だ。胸の高まりがしばらくは止まりそうにない」
「そりゃ良かったよ。じゃあ財布を持ってここに集合だ」
「相分かった」
雪那が神速で椅子から飛び出し自室へ戻る。身のこなしが一般人ではない。直毘も部屋から財布を持ってリビングへ戻る。
雪那が肩を揺らしながら待っていた。
「鍵は持ったか?」
「無論、ポケットにしまってある」
「スマホは持ったか?」
「奇怪な物体もポケットにある」
「財布も大丈夫だな?」
「反対側のポケットに入れてある。何一つ問題はない」
「じゃ、行くか」
雪那と共に玄関を出る。ハンバーガーならチェーン店だろう。スマホの地図アプリ上には、高校が近いからかハンバーガー店があちこちで出店している。
「直毘のスマホ操作は歴戦の古強者を彷彿とさせる。いつか私もその領域に足を踏み入れたいものだ」
「帰ったら時間作って教えるから待ってろ」
「なんと、私に教えてくれるのか。感謝の念に堪えない」
「誰にも教わらなかったのか?」
「説明書が無かった。父に聞いたが、父もあまり詳しくないのだ。だからスマホの師は直毘ということになる。いっそ師と呼んだ方がよいか?」
「それはやめてくれ」
「なるほど、弟子は取らないスタンスなのだな」
スマホ操作を教えただけで師なんて呼ばれたら、学校生活で何を噂されるかたまったものではない。やはり常識のすり合わせは必須だ。
ハンバーガーショップは近場にある。変な会話をしているだけですぐに着いた。
いい時間だからか、あるいはこの辺に寮が多いのか、学生らしき姿が多い。
「やはりハンバーガーの店は人が多い。それだけ美味ということだな」
「学生のたまり場なんだよ」
店内に視線を滑り込ませる。女性の姿が多い。胃に言いようのない重さがかかる。
「どうした直毘。早くしなければ売り切れてしまう」
「売り切れんよ。まあ行くか」
先を行く雪那に続いて店内へ入る。喧騒に混じる高い声を受けて、勝手に身体が身構える。レジの頭上にあるメニューを睨みつけた。
「直毘、やはり人が多い。持ち帰りにしよう。新居で贅沢するのも良いものだ」
「そうだな、その方が助かる」
雪那の視線に気付き、直毘は顔を下す。彼女が首を傾けていた。
「どうした、緊張しているように見えるぞ」
一瞬、喉が詰まった。
「……人混みが苦手なんだよ」
「なるほど、確かに私もこの人の多さではついどう立ち回り斬るべきか考えてしまう」
物騒な女だ。
前に並ぶ客が全員注文が終わるまで、雪那はその場で小さく何度も跳んでいた。きっとメニューが見えなかったのだろう。
雪那が内心のわくわくをこらえ切れない弾んだ声で注文をする。直毘は安物を選んだ。
店内の脇に移動し、出来上がりを待つ。雪那は厨房でハンバーガーが次々と出来上がっていく姿を眺め、時折感心の声を漏らしていた。
「直毘、ここの店員は達人だ。ひとつのハンバーガーを猛烈な速度で作っていく。まさに匠の技だ」
「そうだな。相当練習を積んだんだろうな」
素晴らしい、と雪那が胸の上にやわく握った右手を添える。これがアルバイト店員だと言ったら彼女は驚くだろうか。最低限に近い時給で働きながらも、プロ意識を宿す彼らには、直毘も尊敬を感じる。
番号を呼ばれると、隣にいたはずの雪那が受け取り口の前に立っていた。こういうところで無駄に技術を披露しないでほしい。店員もあまりの動作の速さに驚いている。
胸をそらしながら雪那が戦利品を掲げてくる。掛けるべき言葉に迷う。
「さあ、帰宅だ。ハンバーガーを特と味わおう」
「……おう。そだな」
隙の無い身のこなしで雪那が店を出る。直毘はそれを追う。彼女の横顔には笑みが滲んでいる。
「そんなに楽しみか?」
「直毘、外食とは特別な日でしか食べられない。だからこそ心躍るのだ」
ハンバーガーだけでこの反応だ。デザートのひとつでも作ったら崇拝されそうだ。やめておこう。
寮の部屋に戻り、雪那がリビングのテーブルに戦利品を並べていく。直毘は急須に茶葉を入れ、ケトルに水を注いでスイッチを押す。
ケトルは現代社会には欠かせない。手軽に水を沸かせる偉大なる文明機器だと直毘は固く信じている。
「雪那、マグカップとか持ってるか?」
「む? 待て、お気に入りを持ってきた」
神速でリビングから雪那が消える。家の中でくらい少しは落ち着いてほしい。一分ほどして彼女がマグカップを持ってやって来る。
なかなかどうして、趣きのあるマグカップだ。まず全体が絶妙に歪んでいる。光沢のある灰色を下地に、たぶん、恐らくは猫であろうキャラクターが黒で描かれている。
まあ、手作りだろう。
「小学生の頃、修学旅行で作ったマグカップだ。以来、私はこれを愛用している」
「そか。なかなかいいもんだな」
マグカップを受け取り、自分の湯飲みと一緒にお茶を注ぐ。緑茶の香りが鼻の奥を撫でる。気分が落ち着く。
感謝する、と言ってマグカップを持った雪那が席に座る。どうやらもう待ちきれないらしい。
直毘が椅子に座ると同時、雪那が仰々しく手を合わせる。なぜか拝まれている気分になって微妙だ。
「いただきます」




