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第六章 03

 午後の授業は上の空だった。ひとつ空きの席を見つけられたくらいで、教師が話す内容は念仏のように耳を通り過ぎていった。それだけ、昼の時間が直毘には鮮烈だった。


 休み時間は朔が来て、どうにか会話をかわして次の授業。教科書の文字も頭に入って来ない。生きている世界が丸ごと変わってしまったようだ。頭の中にずっと天照朔がいる。


 授業がすべて終わり、HRも幕を閉じる。ぼけっとしている直毘の隣に雪那が立っていた。


「直毘、報告を忘れていた。昼休みにお前たちを盗撮しようとした者がいた。なに、案ずるな。手刀で意識を刈り取った。そろそろ起きる頃合いだろう」


 一から十まで話が分からねえ。


「あ、え……お前いたの?」


「私は何も見ていないぞ。こう、怪しい敵をすばやく落としただけだ」


 ぶわっ、と空気を斬るほどの手刀が眼前で放たれる。ほんとに無事なのか?


 バン、と教室のドアが開かれ、全身に疲労感が漂う佐藤教師が現れる。


「冬月、ちょーっと頼み事がある。来てくれるか?」


「もちろんだ。先生のためならば死力を尽くそう」


 あ、これマジの説教だ。月読もドン引きしていた。


「なおびー、一応裏で流れてないか見とくよ」


「助かる」


「あと、昼休みの話、聞きたいなー」


 ちょんちょん、と月読の肩が叩かれる。振り返った彼女の前には、大輪の花を咲かせた朔の微笑があった。


 桜色の唇が月読の耳に近づき、なにかを告げる。ポニーテールがぶわん、と動いて直毘の顔面に直撃した。痛ぇ……。


「え、うそ、なおびーが? うそーん」


「おい月読、お前、先に言うことあるだろ……」


 月読がにまーと笑って、ぐっと親指を突き出した。


「さすがなおびー! やればできる男だって知ってた!」


 朝はミジンコ扱いしてたじゃねえか。ちょっと家帰ったら黄昏よう。今後の身の振り方を考えた方がいい気がしてきた。ミジンコって……。


 のっそりとカバンを背負うと、朔に右手を掴まれて身体を引かれる。


「帰ろ、直毘」


「……そだな」


 喧騒から逃れるように教室を出る。一度情報が確定してしまえば、誰と誰が付き合っているなんて話はすぐに消える。周囲からの視線は朝よりもだいぶ減っていた。


 校舎を出ると、隣の朔の肩がわずかに弾みだす。


「今日はどだった?」


「朝は死にそうだった。けど、昼に……ね。ほら、色々あって。なんかさ、ほっとした」


「俺も、そうかもな」


 右手を握る朔の手が少し強くなった。


「ずっと一緒がいい」


「無茶言うな。これから家帰って料理すんだよ」


「そうじゃなくてさ、ずっと、直毘と一緒にいたいなって」


「あん? お前の弁当の仕込みも必要なんだが」


 ううーん、と朔が空を仰いだ。何事かと思った瞬間、彼女が走り出す。右手で繋がっているから直毘もついていくしかない。引っ張られるまま走ると、付近の公園に入ってベンチの前で立ち止まる。


 肩で息をした朔が、手を離して対面に立つ。


「直毘にはちゃんと言わないと伝わらないことが分かりました」


「なんの話だ」


 風が吹く。音が止まる。


「好きだよ直毘」


「知ってる」


「私と付き合える? 嘘じゃなくて、本気で」


 見ていられなかった。


 両手で顔を覆って、崩れるようにベンチに落ちる。視界が塞がっていないと、ちゃんと言葉にできそうになかった。


「なあ、朔」


「うん」


「目がな、勝手にお前を追うんだ」


「うん」


「頭の中、お前のことばっかだ」


「そっか」


「こんなの、初めてでさ。たぶん、好きだってことだけは分かる」


「うん」


「他のやつじゃ、こんなことなかった。朔だけがいつも俺のど真ん中に突き刺してくるんだよ」


 体温が右に灯る。


「直毘、不器用だもんね。ちゃんと自分の中で定義しないと、心が追い付かないんだよね」


 顔から剥がした手が膝に落ちる。その手の上に、朔が手をそっと重ねた。


「ごめん、ちょっと急いじゃった。直毘はゆっくりがいいもんね」


「昼休みの後、授業が入って来なかった」


「あはは、それは私も同じだ」


「朔が近くにいると安心するのに、なんでか心臓が跳ねる」


「うん、それも同じ」


「ホントは、一緒にいたい。でも、家事しなきゃいけなくてさ。飯作って、掃除して……あれ、なんでそうなるんだ……」


 思考がおかしい気がした。


「直毘?」


 なぜか、手が震えた。


「なんだそれ、おかしいだろ。別に一日二日くらい、サボったって……」


 足場が崩れる。踏み抜いたら暗闇に落ちる、そんな錯覚を覚えた。


「俺は……なんだ?」


「直毘!」


 鋭く呼ばれ、頬に手を添えられる。朔の顔が広がった。空白が思考に滑り込む。


「いいの。落ち着いて。大丈夫。そんなに考えなくていいよ」


「だけど、それじゃお前が……」


「あんなにたくさん言葉をくれたんだよ。あれで満足できなきゃ、おかしいでしょ」


「……いいのか?」


「いいんだよ。直毘の言葉は重いんだから。あれだけもらえたら十分」


 ひとつ微笑んでから、朔が手を離して直毘の肩に頭を預ける。


「ひとつ、約束してほしいこと、あるんだ」


「ん?」


「テスト終わったら、お願い、ひとつだけ聞いて」


「なんだ?」


「うん、そのときになったら言うよ。あ、えっちなことじゃないからね」


「聞いてねぇ」


 でも、と風に消える声で、朔言う。


「直毘のためになるって、信じてるから」


「……そか」


 朔の指が絡まる。肩と手に伝わる温度が、どうしてか直毘を寂しくさせた。



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