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第四章 02



買い出しから寮に戻ると、雪那は「戦闘態勢に入る」と訳分からんことを言って自室へ向かった。直毘は材料を冷蔵庫へしまっていく。



プリンの材料を頭の中で思い出して、必要なものを引き出しから取り出していく。

「戻った」



ほんのりと頬を赤らめた雪那が、目をギンギンにして隣に立った。なにがこいつをそこまで突き動かしているんだ。



よく見れば髪を後ろで結び、動きやすさを重視したか、レイヤードTシャツに細身のズボンだ。思わず材料を守りたくなる危険な匂いがした。

「私も手伝おう。さあ、なんでも言うといい」

「待て、少しだけでいい、待て」



直毘は慌ててボウルを目の前に置き、左手で卵を割って入れる。隣でわきわきしている雪那が恐ろしい。すぐさま必要な具材をぶち込み、ボウルとホイッパーを右へ滑らせた。

「これを混ぜろ。全力で混ぜろ。死ぬ気で混ぜろ」



さっと手にボウルを取った雪那が、いつものように胸を張った。

「任せろ。全身全霊を尽くそう」



雪那が動く。右手があり得ない速度で回転を始める。なんだこいつ。



ふと、ポケットに入っているスマホが振動。クソ、なんだってこの絶妙に忙しいときに掛かって来る。仕方なしにスマホを見ると、表示されているのは母の名だ。



雪那に向かった注意がスマホに向く。佐藤教師からの連絡が行ったのだろう。あれから連絡を寄越さなくなったが、さすがに今日は静観できなかったらしい。直毘はふっと笑って電話に出る。

「直毘、大丈夫?」

「第一声がまたそれか。なんも問題ないよ」

「でも先生から――」

「ああ、担任が解決した。あの人すげえよ。優秀だ」



母親の重い息を呑む音。

「そう、信じるわ。でも中学のことがあったから心配で……」

「分かってる。でもここは違う学校で、それに高校だ。あの教師は信じていいんじゃねえの?」

「……あんた、少し変わった?」

「さてな、子どもは勝手に成長するんじゃねえの?


伊豆乃もそうだしな」



視線が雪那へ向かう。さっきからカチャカチャうるさい。

「む、御母堂から電話か?


私も話したい。直毘を産んでくれたことに感謝を伝えねば」

「待て、お前それ結婚相手が言うような台詞だぞ。んなもん言わせるかよ」

「む、なぜそうなる?


私の対等な相手となる直毘を世に産み落としてくれたことに感謝を告げたいのだ。いま私は毎日が楽しい」

「重いんだよお前の感謝は。うちの親が勘違いするだろうが」

「なにを勘違いするというのだ」

「お前が恋人とか、そういう勘違いだ」

「む、それは困る。私の夫となる男は、私より強い者を所望する」

「いねえよこの世に」

「やはり、私は幕末の京都を生きたかった。あそこならば、満足の行く死合も夫も見つかったであろう」



その覚悟が怖い。一体何世紀生まれる時代を間違えたんだこいつは。



受話器から母の笑い声が届く。

「雪那ちゃんとうまくやってるみたいね」

「いまのをどう聞いたらそうなるんだ?」

「あんたが女の子とちゃんと会話できてる、それだけでうまくやってる証拠。ほんと、安心したら気が抜けた。今日は午後休取ろ」

「会社に迷惑かけんなよ」

「はいはい、あんたは青春を楽しみなさい」



電話が切れる。雪那が無駄に色んな方向から見上げてくる。うっとうしい。

「なんだ、切ってしまったのか?


挨拶ができないではないか」

「いいから、とにかく混ぜろ。殺す気で混ぜろ。俺はカラメルを作る」



雪那の腕の速度が上がる。まだ上がるのかよ。ホイッパー壊れるぞ。



直毘はカラメルを作り、雪那への指示を出しながらプリンの工程を進めていく。武士が無駄にはしゃぐせいで時間が掛かったが、ようやく茶碗サイズの入れ物に注ぎ、冷蔵庫にしまった。あとは出来上がりを待つだけだ。



雪那が片づけを始める。腕が増えている気がしたが、もう気にするのをやめた。この武士の運動能力を理解しようとするだけ脳の無駄遣いだ。



リビングの椅子に座ってぼけっとする。いつの間にか仕事を終わらせた雪那が、湯飲みとマグカップをもってやって来た。

「実に良い体験だった。月読も久々利も喜ぶだろう」

「サンキュ。あいつらに連絡入れとくか」



スマホを操作してチャットを送っておく。返事は早い。ふたりから学校が終わったら行くと返ってきた。久々利に至っては、唐突な風邪で部活を休むらしい。チクってやろうか。



ふっと消えていた雪那が自室から戻ってくる。手には伊豆乃の画集があった。

「突如としていとまが生まれたのだ。こういうときは飯綱殿の画集を見るに限る」



雪那が画集をめくる。目に入ったイラストが、妙になまめかしく見えた。

「ん?


それなんか、いや、嘘だあ……マジか」

「どうした?」

「なんでもねぇ」



言えるか、弟のイラストがエロく感じたとか。絶対に言えねえ。



ほう、と雪那が口元を緩めると、画集を開いて直毘の眼前に突き出す。

「この絵はどうか?


私には女性のしなやかさ、そして溌溂さが弾けているように見える」

「やめろ、ちょ……クッソ」



思い切り顔を逸らす。

「ふふ、遂にお前も飯綱殿のイラストの素晴らしさに気づいたか」



素晴らしさがエロさと繋がるなよ。おかしいだろ。でも月読の言っていた意味がいま分かった。伊豆乃、お前やべえ。超やべえ。



雪那が画集をテーブルに置いて観賞を続ける。直毘はテレビをつけ、そっちを見るふりをしながら、時折画集を盗み見る。



ただ穏やかで、何気ない時間が過ぎていった。



昼食を作ってふたりで食べて、また画集とテレビへ戻る。そうして、時計の針は午後四時を指す頃になった。インターホンが鳴る。

「私が出よう」



さっと雪那が消える。そろそろ控えようぜ縮地。



リビングのドアが開かれて、まず月読が現れた。髪を下ろした彼女が、鋭い切れ目で周囲を見渡している。

「わー、キレイじゃん。埃ひとつなくない?」

「おい、いいから指でなぞるのやめろ。いつの時代の姑だ」



キャミソールの上に前開きのパーカー姿の月読が、胸の下で腕を組んで笑う。

「ほら、こういうのやってみたいもんじゃん?」

「ねーよ」



月読と視線がぶつかる。彼女の切れ目が、少しだけ見開かれた。桃色の唇がふんわりと弧を描く。

「ん、そっかそっかー。じゃあたしも座るー」



入居当初から置かれていたソファーに月読が座る。その後ろから、なぜか久々利が雪那に担がれて入ってくる。



この短い時間に一体何があった。

「なに、久々利は風邪なのだろう?


ならばこうするのが友の務めだろう?」



雪那の上にいる久々利を見る。彼は思いっきり首を横に振っていた。

「そか、プリンは無理そうだな。雪那、俺の部屋にそいつを投げ入れとけ。一晩寝かせればいい感じになるだろ」

「待った待った!


ちょっと待ってくれ!


扱いが雑過ぎる!」

「ならなんで素直に背負われてるんだよ」

「気づいたらこうなってたんだよ!


直毘なら分かるだろ!」

「……そだな」



下ろしてやれ、と雪那へ告げる。彼女は首を振る。

「風邪は万病の元だ。大事を取って今日は粥を作ろう」

「風邪は嘘、嘘だから!


ごめん、本当にもう許してくれ!」

「む?


嘘?


まさか久々利よ、そこまでして直毘のプリンが食べたかったと?」

「そうだよ、悪いか」

「嘘は好かんが、直毘の料理に価値があるのは理解する。今日は許そう。なに、次は手刀を落とすだけだ」



雪那の手刀か……物理的に久々利の首が落ちそうだ。ホラーだな。



背から降りた久々利がソファーに座る。雪那はなんの疲労も見せずに直毘の対面に腰を落とす。

「ん?


あれ、それ飯綱ちゃんの画集じゃん!」

「暇であったのでな。こうして再び手を取っていた」



月読がソファーから飛び出してテーブルにかぶり付く。久々利は「飯綱ちゃん?」と疑問顔だ。

「あんた知らないの?


いまちょー有名なイラストレーターで、しかもvTuber。流行の最先端だから」

「vTuberは追ってないんだよ。部活帰りだとあんま時間ないんだ」

「なら見なって。いますぐ!


人生の九分九厘損してるから」

「友達ん家でなんでひとり悲しく動画見ないといけないんだ」

「ならあたしが語るわ。いい?


飯綱ちゃんってのはね――」



やめてくれ。目の前で弟を布教するな。すっげー恥ずかしい。



――三十分が過ぎた。



直毘はただ月読の布教を左から右に聞き流していた。久々利は途中から興味を持ったか、月読から見せられた動画に食いつきはじめていた。

「これホントに男?


うっそだー」

「嘘じゃないんだなーこれが。いい?


これが実在する男の娘だから!」



男の子な。伊豆乃は男の子だからな?


まだ中学生だから。

「なんか、背徳感がヤバいな」

「でしょー?」



むずがゆい。殴りたいけど、殴れない……!



ちらりとこちらを見た月読が、親指を立ててくる。なに勝ち誇ってんだこいつ。

「これ癖になりそうだな。帰ったら追ってみるかな」

「是非そうしろ。私も月読も、飯綱殿の熱心なファンだ。久々利も加わると良い」

「あれ、直毘は観ないのか?」



来たよ。来やがった。久々利のまっすぐな瞳が痛い。

「……見てるよ」

「そうなのか。直毘も好きなんだな」

「……弟だからな」



時が止まった。

「うん?」

「それ、俺の弟」

「……マジ?」

「大マジだ」



久々利の視線があちこちに飛ぶ。気まずいか。俺も気まずいよ。

「あ、えーっと……めっちゃ可愛いな!」

「殴りてぇけどそういう方向性で弟が行ってるから殴れねぇ……!」



直毘は頭を掻きむしる。もうどんな顔をしてこの三人と今後向き合っていけばいいか分からない。もしかして、今後三方向から弟の話題が飛んでくるのか?


ちょっと羞恥心がヤバイぞ。



三人のかしましい会話が始まる。仕方なく直毘も加わる。時間がアメのように溶けていく。いい時間になったから、四人分の料理を始めた。



月読が後ろから手際を眺めていたが、手伝おうとはしない。ただ感心したのか変な声援だけを投げてきた。切実にどっか行け。雪那と久々利はイラスト集で熱い議論をかわしている。どれが魅力的か、女らしいか、官能的か。最後のはやめろ。



ちゃかちゃかっと多めに買っていたひき肉でハンバーグを作り終え、仕込み終えていた味噌汁を出し、雪那がご飯を盛っておしまいだ。



大仰な雪那のあいさつと共に夕食を始め、団らんが部屋を包む。きっと、失っていた青春が戻ってきたように、どうにも落ち着かない。



月読が、久々利が、そして雪那が口にした料理の感想が、なぜだか妙に心の中にすとんと落ちた。時計の針が動き出した、そんな気がした。



食事の後、プリンを出した。雪那がドヤ顔をして自身の活躍っぷりを語っていたが、無視して皿に裏返して滑り落としていく。この感覚がたまらない。



ただ、夢のような時間が続いた。



本当に時間が経つのは早い。夜も深くなり、月読と久々利が帰っていく。順番に風呂に入り、リビングで少しふたりでぐだぐだしてから、直毘はベッドにもぐりこんだ。



朝起きてカーテンを開けると、いままで見えていた光景が違って見えた。無意識に排除していたものが視界に入っていくる、そんな気分だった。



簡単な朝食を済ませ、雪那とふたりで寮を出る。



青い空。芽吹く青葉。学校まで続く一本道。



世界が一気に色付いた。視界が鮮やかに、そして透き通って見えた。だから、亜麻色が眼前を通り過ぎた時、直毘はようやく気づいたのだ。見えていなかったものが、見えてしまった。

六澤ろくさわ……睦美むつみ……?」



天照朔あまてるさくが止まり、ゆっくりと振り返る。かつて幼かったはずの少女が美しい花となって直毘の前に佇む。

「ああ……ようやく気付いてくれたんだ」



――直毘。



花散る言葉が、胸の奥の底まで響いた。


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