第三章 07
あの場でなにが起きたか、直毘は正確には覚えていない。ただ、乱入してきた女子生徒に罵倒され、その剣幕に泣くことしかできなくなってしまった少女が連れていかれ、呆然自失とするしかできなかった。
直毘が再起動し、ふらふらと歩いて、寮に着いた頃にはもう夕方になっていた。玄関のドアを力なく開いて、リビングに入った。雪那がドヤ顔で胸を張って出迎える。
「直毘よ、私は無事、卵を買うことができた」
「……そか。すまん、寝る」
「待て」
部屋のドアを押す瞬間、雪那が袖を掴んだ。
「すまない、気づくのが遅れてしまった。何があった? いまのお前はさすがに見逃せない」
「なにもない」
袖を掴む力が強くなる。
「いまのお前をひとりにできない。聞くなというならば聞くまい。だが、胸の内は吐け。でなくば、暗い内側に自らを放り込むことになる。それをお前に強いることは看過できない」
「大したことじゃない」
雪那に肩を掴まれ、無理やり振り向かされる。武士の真剣な表情が直毘を串刺しにする。
「なにが大したことか。鏡を見たか? いまのお前はなにかに徹底的に打ちのめされた顔をしている」
喉が引きつりそうだった。
「……うるせえ。いちいち介入してくんじゃねえ」
「そうだ、言え」
かろうじていままで保っていた糸が、いま切れた。全身が総毛立つ怒りが走った。
「ふざけんな、ふざけんな! 俺が一体何したってんだ! どいつもこいつも勝手に踏み込んで勝手に想像して勝手に分かった気になりやがって! 俺のことが、お前らみたいな女に分かってたまるか!」
手からカバンが落ちる。言葉が止まらない。
「なんなんだ、本当になんなんだよお前ら! そんなに恋愛が好きなら俺の外で勝手にやってろよクソボケが! 俺を巻き込むんじゃねえよ! こっちは声聞くだけで怖えんだよ! 俺に近づくんじゃねえよ! 俺はお前らの玩具じゃねえ!」
一年半前、蓋をしたはずの憎悪が止まらない。一皮剥けばこんなものかと自分でも絶望するほどに。
「感情のままに動くやつらに振り回されるのは、さんっざんなんだよ! お陰でうちは全部壊れちまったじゃねえか! 伊豆乃が女の子っぽいだあ? だからからかった? 弄った? ふざっけんな! そんな理由であいつの真っ当な未来を奪いやがってふざっけんなよ! あげくがなんだ、俺が? ……はっ」
そこで途切れて、どうしようもなく疲れて、膝が落ちた。
落ちた視界の中で、雪那も同様に膝を落とした。
「よくぞ言った。少しは憑き物が取れたろう」
「……ちったあキレろよ。理不尽にブチ切れられたんだぞ」
「なに、言えと言ったのは私だ。なぜ怒る必要がある」
アホみたいな理由に、直毘は喉を鳴らして笑った。
「なんだよ、ブチ切れた俺がバカみたいだろうが」
「お前の怒りは至極真っ当だろう。そこな阿呆どもに散々な目にあわされた。なればお前の発言は正当だ」
そうか、これが正しいのか。
「いままで何やってきたんだろうな俺。ずっと同じところをぐるぐる回ってきた気がする」
「少しは感情を吐き出すといい。そうすれば気分も楽になろう? 私も日々素振りで精神を整えている」
「令和の武士と一緒にすんなよ」
「なに、仮想の新撰組との闘いはなかなかに熱いものだ」
「なにと戦ってんだよお前。一体どこに向かおうとしてんだ」
ふむ、と口元に手を添えた雪那が、面倒になったか正座をした。
「私には剣の才能があった。私は天才だ。だが、剣以外の才はどこかに落としてしまったらしい。人を殺す、ただそれのみに特化した才能。こんなもの、太平の世にいったい何の役に立つ?」
「立たんな」
「そうだ。だからとて、この才をすべて投げ捨てるのは惜しい。しかし、この令和の世で生きるにはそれだけでは駄目だ。なに、結局は私もまだ修行の身ということだ」
「社会には適応できそうか?」
「なかなかに難しい。今日もある主婦に一度押しのけられた。やはり、私は体重が軽いことが弱点なのだろう」
「ありゃ特売って分野の最強が集まってんだ。雪那だからってそうそう勝てるもんじゃねえ」
「うむ、世の主婦は強い。今日もよい戦いだった。勝利を得られなかった彼ら、彼女らも再び立ち上がって来る。次も負けないようこちらも精進しなければ」
なんだこいつ。合戦でもしてきたのか。
なんだか馬鹿馬鹿しくなって立ち上がる。
「時間も遅いし、ちゃっちゃか作るか。なにがいい?」
「む、ではオムレツを所望しよう。卵はたくさんある」
「なかトロトロのやつな」
「そう、それだとも」
スマホが何度も振動していたが無視だ。今日は疲れた。これ以上、厄介事は勘弁だ。




