序章
その日は、三月の昼時には似つかわしくない曇天だった。直毘はひとり、見知らぬ街の喫茶店で、隅にある四人席に腰を下していた。SNS映えするメニューでもあるのか、店内の客は女性が大半だった。
眉間に皺が寄る。理由などなければすぐにでも逃げ出したい。上着のポケットにじっと両手をつっこんだまま、直毘は疲労と倦怠が混じった息を落とした。
本当はこんな場所に来たくはなかった。だが、相手方がここを指定してきた以上、拒否権はない。相手は寮の同じ部屋に住む人物と親だ。会わない選択肢もない。
「あの、すみません」
ふいに、発せられた声に、俯きかけていた顔を軽くあげた。高校生ぐらいの歳の少女がふたりいた。直毘の目には、彼女らの姿が、異臭を放つひどく腐りきった醜い花のように見えた。そばにいるだけで、吐き気をもよおすほどだった。
ひとりの少女がお愛想を貼り付けた人形の顔で会話を続ける。
「ここ、席をゆずってくれませんか?」
「悪いが他をあたってくれ」
少女の頬が少しばかりゆがんだ。もうひとりの少女が、額に青筋を立てて席を指さした。
「ここボックス席だよね? あっちの空いてる一人用の席と変わってくれない?」
「無理だ。あとで人が来る」
「嘘くさ。いいからどいてよ」
「予約してある席だ」
「うわーうっざ。ぜってーこいつモテんだろ」
まともな問答もできないらしい。そう悟ってしまうくらいには、頭の悪い返答だった。
馬鹿は無視するに限る。ただでさえ不快な場所で、これ以上陰鬱となる会話をする気はなかった。
直毘は、会話が不可能な女性が嫌いだった。恐怖しているといっても過言ではない。
理を重んじない言動、感情こそがすべてで、世界の中心は自身だと勘違いし、肥大した自我は、社会的優位な立場による行動でたやすく弱者を潰す。それだけの力を持ちながら、行動指針は快不快。
一体どこの化物だ。
コーヒーを口に含んだ瞬間、シャッター音が直毘の耳に届く。
「弱男が席を占領しててちょーキモい……っと」
眉間に苛立ちが増える。
この後の展開など分かり切っている。彼女のSNSに写真が投じられ、仲間内で笑いものにされる。知らない関係の中でどう思われようが知ったことではない。でも、想像するだけで心がひりつく。
「すまない、遅れたか? いや、そうでもないか」
凛とした声が、心に一拍の凪を作る。
ひとりの少女が直毘の隣に立つ。己が世界の中心だとばかりに姿勢良く立った彼女は、高校生二人組を前に首を傾げる。
「彼は私の待ち人だ。何か用か?」
高校生らが声を潜めて話し合うと、突然愛想笑いを滲ませて場を離れようとする。
「待て、まだ話は――」
「よせ。店内で揉め事はやめてくれ」
「そこな柘榴に喧嘩を売られているのではなかったか? 買わなくてもよいと?」
彼女の比喩表現に直毘は思わず笑いそうになった。柘榴の隠語は阿呆だ。
「いらん」
「ふむ、信念なき戦いは無意味か。よい気概だ。いたずらに力をふるうのは悪しきことだと私も信じる」
なれば、と彼女が圧を発する。
危機感が背筋を貫く。総毛だった。
「去れ。お前たちに使う時間はもうない」
一瞬だけ固まった高校生らは、足早に店内から外へ逃げていった。その姿を妙な感慨を感じながら眺めていると、彼女が対面に座った。
真正面で見た彼女は、日本人形のように深い黒髪だった。
「改めて名を聞いてもよいか?」
「眞守直毘だ」
「穢れより生まれた神による災いを直す神。良い名だ」
彼女はひとつ頷き、舌先で転がすように言って笑う。
「私は冬月雪那という」
「気の利いた感想は出せないぞ?」
「む? 名は名だ。それ以外の意味は持つまい」
人の名前の由来を言い当てておいて、自分の名前になったらこれだ。どうやら本格的に普通の女性とは違うらしい。お陰でささくれだった心も落ち着く。
「雪那の親は来ないのか?」
「父は撒いてきた」
「……なぜ?」
「最近いちいちうるさくてたまらない。やれ女らしくしろだの、やれ御洒落しろだの。これから同じ寮で過ごす者の前で、そんな醜態は晒したくはない」
雪那がメニューをテーブル上で広げ、スイーツが並ぶページを熱心に見つめる。
「これ、一応親子での事前面談って話じゃなかったか?」
「む? なに、私の見立てではお前は問題ない。それよりパフェを頼んでもいいか? なに、案ずるな。お前の分も頼んでおこう」
「いや、俺は別に――」
「ここのパフェは美味でな。三か月に一度の楽しみなのだ。ああ、分かった。金が心配か? なに、ここは私が出そう。ここを指定したのは私だからな」
こいつは話を聞いてくれないらしい。だが、こちらに害はないから流れるままにしておこう。
直毘が逡巡する間に、雪那は既に店員を呼んでパフェをふたつ頼んでいた。この女、行動力の塊だ。
「して直毘よ。お前の御母堂はどこだ? それらしき気配がないのだが」
「置いてきた」
ほぅ、と雪那が微笑する。
「御母堂に過干渉でもされたか?」
「ここ一年半で急に過保護に転身してな。毎日電話をしてくる始末だ」
「なるほど、それは煩わしい。今日着て行く服を上から下まで指定してきた父とどちらが面倒だろうか」
お互い親に苦労しているらしい。オーバーサイズの白いパーカーに黒のショートパンツは、父親に抗った結果なのだろう。
「その父親はどんな服を選んだんだ?」
「む? いま着ているものだ」
瞬間、直毘の頭にハテナが浮かぶ。
別に父親のセンスは悪くないのでは?
「ひとつ聞きたい。お前はどんな格好で来るつもりだったんだ?」
「普段着だ。なに、ただの和装だとも」
和装? なぜ? 意味が分からない。
「日本の女子なら和装だろう?」
何時代の話だ。いまは令和だ。この女、生まれてくる時代をだいぶ間違えている。
話題を変えよう。ここを突き詰めると変なドツボにはまりそうだ。
「なんだって全寮制、しかも男女ペアで寮に入るなんて奇特な学校に入ろうとしたんだ?」
雪那が細い指を顎に添える。浮世絵に出てきそうな可憐な姿だった。
「なに、父がうるさくてな。このままでは社会人になれないと、最後の手段でここに入学先が決まったのだ。私としては、剣ができるならどこでもいい。他は些事に過ぎん」
本当に現代人だろうか。言葉の内容がかなり浮世離れしている気がする。どこの剣豪だ。
雪那の瞳が直毘を捉える。
「直毘、お前はなぜこの高校に?」
「親の猛烈なおすすめだよ」
すっ、と雪那の目が細くなる。心の底を見透かすような視線だ。
「なに、初対面で話す内容でもないか。そう警戒するな」
雪那が視線を和らげる。直毘は内心でほっと息をついた。詮索してこないのは助かる。性別は女性だが、意外と上手くやっていけそうだと思った。
唐突に雪那が首をあちこちに振りはじめる。挙動不審だ。
「パフェはまだか?」
「そんなすぐにできないだろ」
「む? そうか。楽しみだ」
こくんと頷いた雪那が淡い笑みを滲ませる。
これで分かった。この人物は普通の女ではない。かなり異常な人物だ。それが一番楽な事実にどうにも呆れてしまう。
雪那の視線に鋭さが混じる。
「なにも笑うことはないだろう? 好きなものを待つ時間はワクワクするものだ」
直毘は思わず自分の頬を触る。確かに緩んでいた。
「なんだ、初めて笑った人形みたいな反応だ」
「人間だっての」
「打てば響くがごとく。直毘の返しは実に小気味いい」
「それは良かった。相性ばっちりだな」
「二人三脚の競技があれば我々の勝ちは決まったようなものだ」
ふん、と雪那が豊かな胸を張る。直毘としては身長差で無理な気がした。彼女はかなり背が小さい。対する自分は高い方だから、差が大き過ぎて肩を組むことすら怪しい。
だが、直毘はそれを言わないだけのデリカシーは持っていた。
む、と雪那の視線が動く。いつの間にか近づいてきた店員の気配を察知したようだ。店員が持つ手にはかなり大きいパフェの姿がある。カロリー計算をすると三食分はある気がした。
店員が恭しくパフェをふたつテーブルに置く。雪那が目を輝かせると、さっとスプーンを掴んで生クリームの山に突っ込んだ。
どこをどうすれば小柄な身体に入るというのだろうか。直毘ですらこの威容を見るとちょっと気後れするほどだ。
「む? 食べないのか? 案ずるな。食べ残したら私がすべて受け持つ」
どうやら羞恥心すら食欲の前では紙屑同然らしい。やっぱりこの女は変だ。
嬉々としてパフェを頬張る雪那を眺めながら、直毘も眼前に鎮座する敵をどう対処しようか考える。
ただ、雪那の存在が不安しかなかった高校生活に一抹の希望を差し込んだ気がした。




